【5】そして世界の終わり
戦いに負けた数万の読者は、逃げ場所だったこのニセモノの世界に失望して、次々と消え去って、現実世界に引き戻されていた。廃墟のような世界の様相に、慈が呆然と立ち尽くしていた。
「努力のない成功は、人類の積み重ねの歴史のどこにも存在しない。だから僕と、僕の小説の読者が、絶対に負けないことを知ったんだ」
「あの人たちは、努力を捨てることでしか幸せになれないのよ」
誰も悲しまないユートピア。誰もが平等のユートピア。
「それはわたしの望んだ理想の社会だった」
誰もが自分の夢を叶えるユートピア。
「それをあなたは壊すの? 誰も悪いことなんてしていない。ただ逃げ場所が欲しいだけなのに! あなたは争いがそんなに好きなの? 競争に負けた人のことをかわいそうって思わないの?」
「思わない」
確かに、努力しても報われなかった人もいる。でも、努力という積み重ねを放棄した人が、努力以上の利益を得るのは、絶対に許せない。
底辺が底辺のままで生きられる社会は、努力する多くの人の夢を奪う。
だから僕の考え方は強い。
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一方要は、べニア板の城から奥に伸びる通路を、ひた走っていた。
角材で支えられた映画のセットのような通路だったのに、進むにつれ、それが立体感や質感を帯び、現実世界と変わらないリアルに変わってゆく。
行き止まりには、重厚で背の高い扉があった。
力を掛けて、押してみた。
そこはシャンデリアに照らされた、絨毯敷きの大広間だった。
中央には、豪奢な部屋にふさわしいベッドがあった。
壮哉がそこに手をつき、俯いていた。
「母さん。今日はどこに行こうか。先週のフランス料理はおいしかったね。次はデパートに行こう。すごく綺麗なネックレスを見つけたんだ。母さんに絶対似合うよ」
枕元に、宝石を散りばめたアクセサリーが無造作に置いてある。いつまでも話掛ける壮哉が手を取るのは、何本もの点滴がチューブで繋がれた、死んだように眠る老婆だった。
その壮哉が、ようやく向いた。
「来たか」
「お前のファンはみんな死んだぞ」
「外にいる読者か。倒してもすぐに復活する。ほかに行き場所のない連中だからな」
「今度はお前の番だ」
要は剣を抜いた。いまの意思を示すように、大剣は軽々と身長を越していた。
――――――――
壮哉の世界を片っ端から壊してまわる恢復と、恢復の小説のファンである戦士たち。穴の開いた街や山や地面の向こうには、ブラック企業や、嘆く親や、バカにする元友人がいて、読者は絶望に包まれながら、残らず堕ちていった。
「やめて! もうやめて」
慈の声も空しく響き、ついに恢復たちの攻撃が、壮哉の部屋の天井を破壊した。
――――――――
恢復たちが壮哉と対峙した。
「きみのおかげで、また努力する勇気が生まれたよ」
「努力する者が社会を支配するのは、数千年数万年積み重ねてきた、人類の真理だ」
「きみは、努力なしで成功しようとする奴に負けるわけがないんだ」
「なろう作家の底の浅い世界を叩き壊せ」
恢復の小説のファンが戦意を喚起する。
「やめてくれ!」
外では、倒れた無数のなろうファンが、痛む体で悲痛な叫びを上げていた。
「この世界はわたしの最後の希望なの」
「楽園を壊さないで! お花畑を壊さないで」
ここまで届くその声を背に、慈が絨毯を踏みしめてきた。
「現実には夢も希望もないの。だからもうやめて」
慈は泣きながら弓を構えた。そして恢復の頭を目掛けて引いた。
それを弾いたのは、戦士が構える重厚な盾だった。
炎上し、殺害予告を出された恢復を、ネットで応援したファンが、いま目の前で、こうして守ってくれる。
「行け」
「社会を正しく
「耐え抜いた現実の先にこそ、フロンティアがある」
慈が剣を抜いて向かってきた。
しかし恢復は一刀のもとに、彼女をこの世界から消し去った。
恢復は言った。
「砂場の城は、いつか必ず崩れる。積み重ねのない世界は、僕が壊す」
「俺も手伝うぜ」
要は恢復と並んで、大剣を構えた。
壮哉は母親を後ろに、迎え撃とうと切っ先を向けた。
「行くよ」
「俺は俺自身をロンダリングする。積み重ねがなくても成功すること。真っ当な生活が出来ることを証明する。俺をバカにした奴らを見下すために」
二人の刃の軌跡が、そんな壮哉を両断した。
世界が壊れてゆく。
中世の街も草原もダンジョンも城も、オープンセットのようにバタバタと倒れ、砕けてゆく。地面も空も川も山も瓦礫と化してゆく。
逃げ場所はどこにもない。それを確証した恢復は、満足しか顔で剣を収めた。
そして、世界は失われた。
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