【3】失われた未来

 テレビやネットだけではない。新聞やラジオといった古いタイプのメディアまで、なろう小説をこれまで以上に取り上げていた。努力なしで手に入る最強の能力で、これまで虐げられてきた鬱憤を瞬時に蹴散らす快感は、たちまち読者を虜にした。


 もっと強い力を、もっと圧倒的な復讐を求め貪り読む読者は、まるで麻薬中毒だとも言われた。読者の多くが貧困者や、ブラック企業で精神を破壊された労働者であることが語られた。


 マスコミは彼らを悪く扱うことはなかった。社会から捨てられた同情すべき存在だと連呼された。彼らのような存在が生まれたのは政府与党の無策のせいであり、数百万人の読者を救うには、与党を倒すしかないとマスコミは挙って語った。


 社会から棄てられた存在。そう感じていた読者は、著名な芸能人がなろう小説のファンだと公言すると、心満たされた。

 何も努力をしなくても構わない。

 誰かがきっと助けてくれる。

 なろう小説は偏ったマニアだけのものではない。コミック化やアニメ化や映画化が続々と行われることが、なろう小説の、そして読者の普遍性の証拠だと胸躍らせた。


 努力を捨てる彼ら読者と、それを煽るマスコミに反発する人もいたが、その抗議は、たちまち数万のネット民、ネットの底辺に取り囲まれ、糾弾された。


 ――――――――


 大学の校舎の陰で、金持ちの学生が目出し帽とサングラスの連中に襲われた。

 集団で取り囲み、平然と暴力を奮った。


「これは暴力じゃない。お前らがいつも偉そうにしているからだ」

「これは暴力じゃない。お前ら金持ちに正しい行いを教えてるんだ」

「これは暴力じゃない。わたしたち貧困者が受けた屈辱を返しているだけ」

「これは暴力じゃない。貧困はすべて政府やお前ら資本家のせい」


 貧困な学生と接することがないように、距離を置いていたのに。

 大人たちが血相変えて駆け付け頃には、息も絶え絶えだった。


 その金持ちの学生の何気ない日常がスマホで盗撮され、報道された。学生にはよくある自慢話の類なのに、この事件で悪いのは金持ちの方だとばかりに、テレビ番組のコメンテーターが解説した。雛壇芸人が涙を流して貧困学生を応援した。


 被害者の学生はたちまちネットで特定された。本人だけでなく、家族も叩かれた。もともと残虐非道な一家だと捏造され、毎日数千件の脅迫電話や手紙に、学生を含めた一家は失踪したと噂になった。


 ――――――――


 マスコミが変わった。

 大衆を搾取するだけの存在から、先導し、啓蒙するする立場になった。


 マスコミが芸能人を使ってデモ活動を始めた。連日連夜のデモ行進で交通は麻痺し、貧困者による商店の破壊や略奪も横行した。警察は疲弊し、治安は回復せず、不安を訴える無関係な住人までも政府を攻撃し始めた。


 これが、この国の本来あるべき姿だと、青年部の男子女子は喜んだ。


「これも外国の資金のおかげだよな」

「いままで党が受取を拒否していたなんて信じられなーい」

「あいつら金が手に入るなら何でもするからな」

「身なりの貧しいう奴は心も貧しいってわけだ。なあ慈」


 そう問われて、何も答えることが出来ず、慈はうつむいた。

 いつだって、そんなふうに見られている。

 将来のことを何も考えていない。いまこの瞬間さえよければ幸せだ。


 でもその通りだと、彼女は薄く笑ってみせた。


 慈は、ふと遠くに目をやる。

 本気で、そんな私を変えようとする存在を思い出した。

 彼はあの日を最後に、会うことがなかった。



 ********



「なぜだ! 出版は決まっていたはずだ」


 いつもの編集部では、作家と編集部員が言い争っていた。

 フロア全体に響く怒号だが、ほかの編集部員は平然とパソコンに向かったり、弁当を食べたりしている。

 作家の不満は金のことと決まっている。

 激昂する作家を相手する編集部員も、いつものことだと冷静だった。


「出版社は営利企業です。収益を上げられない人を養うのはただの道楽です」

「なろう小説が売れているからか! あんな文章にもなっていないゴミクズが」

「文章の価値を決めるのは読者です」

「出版社は文化の発信源だろうが! なろう小説のどこが文化なんだ」


 そこまで突っかかると、編集部員もようやく熱を帯びて反論する。


「あなたも知っているでしょう。経済的な困窮者は増える一方です。彼らは一様に努力を否定しています。努力しても報われないからです。それを市民団体や政府野党が支持しています。政府与党に与する者は、もはや害悪なのです」


 あなたの小説も含めて。


「なんだと」


 そもそも契約解除など契約違反だ!


「誰も契約解除なんて言っていません。貧困者が喜ぶ小説を書けばいいだけです」

「あんなクズどものために」

「それが嫌ならどこにでも訴えればいいでしょう。まあ、あなたの味方がいるとは思えませんが」

「なんだと」


 編集部員と作家のつかみ合い、殴り合いはいつものことだった。

 泡沫作家は叩き出され、警察に連行されていった。


 ――――――――


 彼らが日常的な暴力沙汰でも平然としているのは、出版社が未曽有の好景気に沸いていたからだ。なろう小説は、努力を信奉する政府寄りの小説の数倍売れている。有名どころでも、売れなくなれば切ってしまうのが当たり前になっていた。


「冬のボーナスはすごいだろうなあ」

「わたしマンション買う」

「俺は外車だな」

「これが、一流大学を卒業した者の本来の姿だよな」


 編集長以下、誰しも笑いが止まらなかった。

 その編集長が、会社の公式サイトで発言したのだ。



 ――弊社は読者を第一に考える出版社です。かつては努力で道を切り開く小説も人気があったのでしょう。しかし時代は変革しています。我々は読書にストレスを持ち込まないよう、苦悩や努力を重んじる小説を出版しないことを宣言します――。



 その言葉に批判はほとんど聞かれなかった。

 それどころか他の出版社が追随をはじめたのだ。青い顔をするのは、そうやって人間の深層心理に語りかけてきた、昔ながらの作家たちだった。


 彼らは小説界のどこに逃げてもなろう系の信者に叩かれ続け、あることないことを広められ、紙媒体でもネットでも、小説を公開する場所を失っていった。


 その姿を見て、恢復は恐怖した。


 もともと斜陽であったジャンルが、行き場所を失ってゆく。恢復はあのアパートにも行けず、特定を恐れ息をひそめて隠れるしかなかった。

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