第7話 積み重ねは全てを制する
【1】腹を括る
本は買取である以上、印税が入金されることはない。
もともと不仲だった親は頼りたくないし、頼れるほどの財力があるはずもない。
助けたこともないのに、助けてくれる友人などいない。
身近な人は同類で、日銭を派手に使って、貧困に喘ぐ奴ばかりだ。
いまの所持金は、またしても三十円だった。
それなのに、要はいつもの居酒屋で生ビールともつ煮込みを注文していた。
久しぶりのまともな食事によだれを垂らし、次の瞬間にはかき込んでしまう。
電車賃もなく、壮哉の家に二時間以上掛けて歩いた帰りだった。
スマホの充電がなくなっても、ついに壮哉は出なかった。
最後の晩餐だとばかりに、青い顔で二杯目のビールを飲んでいるとき、前の席に誰かが座った。
「景気がいいじゃないか」
「壮哉さん!」
要はどうしても壮哉に会いたかった。
壮哉からの言葉を待っていたからだ。
――――――――
「壮哉さんの名前を使って、俺は有名になりたいんです」
アルコールのせいだけではない。すっかり目の座った要に、壮哉は尋ねていた。
「なら、覚悟をすることだ」
「夢のためなら」
要は頷いた。
すると壮哉は、鰐革のハンドバックから果物ナイフを出してきて、骸骨のような手でテーブルに置いた。老人たちの騒がしさが、要の聴覚から消えた。
「お前はあの編集部には因縁がある。心配するな」
「約束、守ってください」
壮哉が二人分の支払いを済ませると、要はナイフをポケットに納めた。
********
「相変わらず酷い内容だよなあ」
「自分の欲望を垂れ流すなっての」
「作者が底辺なら読者も底辺」
「それが俺らの飯のタネだがな」
「売れなきゃ入れ替えればいいし。替わりはいくらでもいるし」
相変わらず編集部は、なろう作家を蔑む笑いに満ちた場所だった。
エレベーターを降り、カウンターに現れたのは要だった。
「締切伸ばせって? 書かないと即クビだ。売れなくても即クビだけどな」
電話口で罵る編集部員。
「くだんねー小説ばっかり書きやがって。新刊が出せると思ってるのか。聞こえないのか? 帰れって言ってるんだ! ゴミクズめ」
仕事を貰いにきた作家を追い返す編集部員。
「全くなろう作家ってのは、学歴も常識もない奴ばかりだ」
「最近なろう小説の売上落ちてないか」
「そりゃああれだけ出版点数が増えればな」
「月に100冊以上新刊を出してるんだぞ。社会の底辺がそんなに買えるか」
「貧乏はやだねえ。作者もワープアばっかりだし」
「先生先生って煽てれば安い印税でも契約してくれる。便利なもんさ」
「五万円でな」
そして誰もが、罪の意識をまるで持っていなかった。
中でも編集部員の名東は、いつも以上に下品に笑い飛ばしていた。
その笑いが、突然引きつった。
呻き声とともに倒れた。
周囲から悲鳴が上がる。
血のついた果物ナイフを構える要が、震えていたからだ。
「俺を騙しやがって」
逃げ出す編集部員を、窓際まで要が追い込む。
「お、落ち着け」
「契約は契約なんだからな」
「そうだ。今度飯をおごってやる。それで全て水に流そうじゃないか」
編集長が宥めようとする。
しかし子供だましはもうたくさんだった。
「俺の金を返せ」
叫ぶと突撃した。逃げ惑う連中に刃先を振り回した。
しかし外から、サスマタを持った警備員が大挙して現れると、今度は要が取り囲まれる。樽のような体は抵抗むなしく、またしても取り押さえられていた。
警官に連れ出されるときに彼が見たのは、名東が、息を切らせて苦しむ様だった。
それが代償だと、嬉しかった。
********
それはネットで、テレビで、新聞で大きなニュースになった。
どのメディアも判で押したように、同じ意見だった。
どれだけ人気があっても、どれだけ売れていても、なろう小説は突然現れた得体の知れない流行だった。なろう作家となろう小説のファンは、自分たちにとって理解できないもの。危険な連中だった。
なろう小説の熱心な読者は、その視線に激しい怒りを覚えた。
しかし大多数にとっては、なろう小説は底辺の娯楽であり、ファンが活発に意見を述べることは、まるで逆効果だった。
契約書が偽造され、要が騙されていたことも報道された。しかしそこには同情はなく、編集部がしてきたことと同じように、底辺にふさわしい扱いだと思われていた。
――――――――
あれだけなろう小説を応援していたのに、慈たち青年部も、上部団体の野党政党も、この事件のことには反応しなかった。まるで事件そのものが存在しないかのように、都合の悪い事実はスルーした。
刺された編集部員は軽傷であり、懲らしめるのが目的であり、最初から殺意はなかった事実。裁判では契約書の偽造が、多くのなろう作家から発覚したこともあり、要には執行猶予がついた。
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