恢復《かいふく》のフロンティア

すが ともひろ

第1話 紙の向こうの非現実

【1】ナーロッパwwの日常

 ここは自然豊かだ。

 草原が広がり、遠くに緑の山が見える。

 どこか遠くの国のようだ。草原の中に土埃の道が伸びる。


 ゆっくりと、荷車を曳いた馬車が走っている。黄金色が揺れる海が現れた。小麦畑だ。畑に囲まれ、西洋の城がそびえていた。

 城は高い塀に囲われ、町がある。

 城門は開いており、出入りする人で賑わっていた。

 ここは何もかもが、中世ヨーロッパふうだった。


 そこに男がひとり。

 三十路のおっさんだった。

 丸々とした体形も、その顔も不摂生が祟り吹き出物だらけだった。

 鎧とマントから肉がはみ出す、剣士ふうの男が、城門で衛兵が呼び止める。


「見慣れない顔だな。どこから来た」

「ちょっと別の世界から」

「怪しい奴だ」

「身分を証明するものを出せ」


 衛兵たちが槍を手に遮断する。男はやれやれという顔をした。


「俺は農民が困っているのを助けたいだけだ」


 男の後ろには、ぼろぼろの格好の一家がいた。


「わしらの年貢は高すぎます」

「このままでは生きていけません」

「お願いです! 正しい年貢にしてください」


 一家は両親と娘だった。

 しかし衛兵の後ろから、恰幅のいい役人が出てきた。


「何を言うかと思えば」


 役人は農民を見下した。


「年貢は土地の広さで正しく決めている。お前らの努力が足りないから収穫が少ないだけだろう。そんな訴えを認めるわけにはいかない」


「そんな」

「帰れ帰れ! さもないと逮捕するぞ」


 両親が懇願するのを役人は足蹴にした。栄養失調らしき両親が石畳の上に倒れる。


「年貢が正しくないから来たんです!」


 両親を労わりながら、若い娘が兵士に懇願する。


「お願いします! もう一度測量をしてください! お願いします」


 役人が全否定すると、兵士は迷うことなく娘を張り倒した。両親と同じように石畳に倒れる華奢な体を、男は受け止めた。


「あ、ありがとうございます」

「なあ。正しい年貢というのを俺に教えてくれないか」

「あなたは、誰ですか」


 娘は優しく包まれ、顔を赤らめた。


「ただの余所者だよ。でも何か、君の役に立つかも知れない」


 娘は乙女の瞳になった。


 ――――――――


「わたしたち農民は収穫の半分を領主様に納めなければいけません。しかし実際の収穫量ではなく、農地の広さで年貢は決められているのです」

「お前らが努力すればいいだけだ」


 役人がこれが絶対的な正しさだと胸を張った。

 しかし娘は悲しそうな顔をした。後ろの両親も同じだった。


「わたしたちの耕す畑は、4000ヘクトの広さ分の年貢を課せられています。しかし実際の土地の広さは、4000ヘクトよりずっと少ないのです」

「どういうことだ?」


 男が娘に尋ねていると、城の方から、徴税の担当者がやってきた。


「こいつの畑は間違いなく4000ヘクトです」


 その言葉を聞いて役人が激昂した。


「よくも嘘をつきやがって! 役人を愚弄した罪、タダで済むと思うな」

「嘘なんかじゃありません!」

「全員逮捕だ」


 役人の一声で少女を捕まえようと兵士が襲い掛かってくる。

 少女が顔面蒼白になる。

 しかし、兵士の拳を掌で受け止めたのは、男だった。


「捕まえるのは話を聞いてからでも遅くないだろう」

「邪魔をするな!」


 二人の兵士を、豚足のような手で突き返した。男は全く平然としていた。

 兵士はいったん惹き、槍を構えた。

 しかし周囲には、同じ不満を持つ農民が群がっていた。


「うちも年貢が高すぎる!」

「うちもだ!」

「正しい土地の広さを測りなおしてくれって、いくら言っても聞いてくれない」

「やかましい! お前らも逮捕だ」


 役人と、役人率いる兵士が、農民たちと対峙している。

 男はその間にひょいと割り行って、兵士から農民を守ることにした。

 娘は男に言った。


「わたしたちの畑は、あぜ道で区切られた四角の土地で、縦200ヘクで横200ヘクだから、広さは4000ヘクトだと決められました」

「計算は間違っていないようだが」


 男は思い出した。以前いた世界――生まれた世界を。

 小学生なみの計算なんて、間違えるわけがない。


「それが、間違っているのです」

「どういう意味だ」


 娘は深刻に語った。


「わたしは学がありません。でも土地の広さはだいたいわかります」

「なら、実際の広さはいくらなんだ」


 娘は持っていた白い石で、石畳に地図を描き始めた。


「畑の中には小川があるのです。弧を描くように」

「それがどうした」


 役人は邪魔するように厳しく言った。


「その川のせいで周囲は作物を植えられません」

「小川のせいにするな」


 そこで、徴税の役人が言った。


「土地の広さは縦の長さと横の長さを掛け合わせたものです。それ以外の計算は存在しないし、それが絶対的に正しい方法です」

「そうだその通りだ」


 役人が自信たっぷりだった。


「同じ面積なら同じ収穫があるのが当然だろうが! そんなことも解らないからお前らは身分が低いのだ」


 兵士は槍や剣を構え、いまにも襲い掛かりそうだ。

 ロクに食べるものもない農民は、ここでは弱い存在でしかない。

 しかし男はニヤリと笑んだ。


「本当にそうかな」

「最後の足掻きか」


 役人が笑い飛ばしたが、男は至って冷静だった。


「証明するのに適したものは……あれだ」

 そばにいた子供が、木片を使った積み木で遊んでいた。

 男は言った。


「それを貸してくれないか」


 そう言った男の後ろで、一瞬、青空がズレたような気がした。

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