タイトルから意味深です。実際に心優しいヤンキーたちが登場しますし、聖王様は公民が増えるほど死後のお仕事が増えるので、負担が増えるのも確かです。でも、ここではただそれだけの意味ではないような気がします。ぜったい、なにかある。
そう思わせてしまう(疑わせてしまう?)のは、聖王であるアスタが常に思索的であるからかもしれません。公民の手本となり彼らの死後の魂を来世の国へと運ぶ大役を担う聖王。アスタは常に役目に忠実であろうとし、その生真面目さゆえに、重すぎる役目から逃げ出そうとします。
「どう生きてどうやって死ぬのか自分で選べるんだって! それが普通のことなんだよ、私たちは知らなかっただけで」
アスタのその言葉に答えるイワウには迷いがありません。
「私は聖王様と一緒に死ぬ、それでいい」
幼いころから聖王と聖棺として一緒だったアスタとイワウ、互いに思い合う気持ちは選ばれたふたりの責務という形で共有されていました。言葉にすることで凝集し、形をなす思いもあります。でも、はっきりと見えてきたアスタのイワウに対する思いは恋と言いきるにはひんやりとして、どこまでも澄み切っているように思えます。
役目を果たすことを前向きにとらえ始めたアスタ、そして変わらず寄り添うイワウ。
「ほら、わたしは蛍みたいに光っているか? このまま飛んでゆくこともできそうだ」
乾いた男湯に豊かに響くのが聞こえてきます。
タイトルは本作の印象的なシーンからつけさせて頂きました。
主人公アスタとヒロイン・イワウは、壁越しに床を叩いて毎晩会話します。このいじらしくて、ちょっと不思議で、なにかがすれ違ったシーンが、作品全体の雰囲気を象徴しているかのようです。
アスタとイワウは幼なじみで、どこへ行くのもいっしょ。ニコイチなふたり、なのですが。
物語冒頭からすれ違い、近いのに遠い距離を行ったり来たりして、少しずつ互いに納得する道を探っていく。そんなストーリーとなっております。
トゥルーエンドへの鍵は、ヤンキーが握っている!?個人的にヤンキーとの遭遇は超重要シーンで、必見です。
見所は、ほぼ鎖国状態の異国から来たアスタによる、日本文化のとんちんかん解釈!ツッコミ不在だが本人は大まじめ。そこがおもしろい!愛しい!
ぜひ注目してください。
中世的な暮らしをしていたアスタは、重すぎる使命から逃れるように、イワウと共に日本へ留学する——。
現代日本の価値観とは100年くらい離れている2人が主人公なのですが、異文化交流や価値観の違いによる言動がとても鮮やかに書かれています。
自分とは違う国、価値観を持つ人との交流や思考のギャップ。違うからこそ生まれる面白さや対立。そういう大切なものを感じさせてくれるお話です。
ヤンキーになれなかった聖王様は何になるのか。
自分の使命と向き合う自分探しの一面もあるのですが、アスタが迷いながら選んだ道が、迷ったからこそグッと来るのです。
また、読んでいる時の感触や手触りが凄く不思議!
明るくて面白いのに、どこか切ない。けれどやっぱりクスッと笑ってしまう!
この感覚、本当に凄く不思議で、???と思って読み進めていると、いつの間にかのめり込んでしまうので、是非、体験して欲しいです!!