さっんわめ

「......えへ、かんしぇぇっ......くらいにゃぁ......」


  長時間口を開かなかったせいか呂律が回らず、たどたどしい口調で完成と叫ぶ。


 作り始めてから没頭して掻き混ぜ続ける事10時間。日も暮れて外は暗くなり、屋敷の中も真っ暗であった。集中していた為かその事に全く気付いていなかった。


 パチンッと指を鳴らした。すると宙に小さな光球が作り出される。それを動かして錬金釜の底を照らす。


「......むふふふっ......しさくひん、いちごう......いい色してる......」


 錬金釜に溜まっていた毒々しい紫色の液体を見て、少女は恍惚とした表情になる。


 くいっ、と指を動かしてその液体を少しだけ浮かせる。そして用意しておいた小さなグラスに移すと、持ち上げて光にかざして観察した。


「......あぁ......きれい......」


 もう一度言おう。濁りのある毒々しい紫色の液体を見て、少女は恍惚とした表情になった。もはや涎を垂らして喜んでいる。いや、悦んでいる。


 目を爛々と輝かせて凝視するその様は薬物乱──マッドサイエンティストに近い。何せ新薬の試験を自身で行っている。体内で変質させ解毒する事が出来るとは言え、何が起こるか分からない薬品を己に投与するその思考。確実に常人のそれを逸している。


 暫く観察すると漸く満足したのか、グラスを鼻に運び匂いを嗅ぐ。手で仰いで......では無く、直接、すーーーーっ、と鼻で息を吸い込んだ。


「......ちぇー無臭かぁ......」


 少女は小さく舌打ちをした。


 こういう試験薬は刺激臭や特異臭を持つ物が中々に多い。あの、ツーンと鼻を刺す痛みや独特な臭いは良い目覚ましになるのだ。背中を虫が這いずるようなゾクゾク感もあり、多少の中毒性も持ち合わせている。そんな期待を裏切られた、と少女は肩を落とした。


「......それではさっそく......かーんぱ──」


 気を取り直してグラスを掲げ、試飲には相応しくない掛け声を発した時だった。ビーッビーッと警戒音が鳴り響く。


「──いうぅっ!?......びっくりしたぁ......」


 音に驚いた少女は危うくグラスを落としてしまうところであった。中身を一滴も零さずに持ち堪えた自身を褒める。


 さて、鳴った音と言うのは警報器から発せられた物である。その警報器とは、少女が防犯用に作り出した魔道具。侵入者を捕らえ、知らせてくれる代物だ。


「......引っかかるとは......思わないじゃん......」


 ぶつくさと、誰にでもなしに愚痴を零した。と言うのも数年前に魔道具制作にハマってしまい、あれば便利な物として作ったのだ。それから今まで一度の活躍も無く、その存在を忘れてしまっていた。よく動いたな、と心の中で褒めておく。


 1つ溜息を零してグラスを机に置いた。ごっくんとしたい気持ちは大きいが、この試薬というのは少女にとって非常に大切なもの。他の案件を横に置かれた状況でやるものじゃない。


「......ピタッ......」


 グラスに触れて魔法を施す。これにより状態の固定は出来た。要件を片付けたら存分に堪能しよう、と少女は気持ちを切り替えて身支度を整え始めた。


 ローブよし、フードよし。身支度終了。少女の格好は全身を白い布で覆ったようなもの。整えるものも特に無かった。


「......くぁぁ......唐突にねむく......うぅん、がんばるぞ......」


 錬金術に触れている時は感じなかった疲労と睡魔が少女を襲う。今すぐに床について寝るべきだと頭と肉体が喚く。それを無視して少女は歩く。全ては要件を疾く消し去り薬を飲む為に。


 少女は暗闇に包まれた広い屋敷の中を迷いなく歩き、罠にかかった愚か者の下まで急行した。


「......あった......」


 遂に視界に収める。


 ほんのりと明るい魔法陣が床と壁、天井に浮かび上がり、中心にいる人間を囲んでいた。その魔法陣からは特性の鎖が伸び、中心にいる人間を捕らえている。


 あれこそが少女の作り出した魔道具。屋敷内の至る所に設置してあり、侵入者が触れれば即座に縛り上げるのだ。因みに鎖には魔力を奪い取る、という効果を持たせている為脱出は困難。


 魔力を吸い取られる倦怠感で身動きの取れなくなっている男の下へと寄る。彼はぐったりと壁にもたれ掛かり、ぼんやりと天井を見上げていた。何処と無く諦観しているように見える。


「......こんばんわ」

「うわぁっ!?......だ、誰だ......!?」


 近寄り声を掛けると男性は驚きのあまり飛び跳ねた。しかし、立ち上がる力は出ないようだ。


 髪は黒く、コチラを睨む目は青い。鎧のような防具を纏う外見からして、迷い込んだ一般市民では無さそうだ。腰には剣を引っ提げており、戦闘能力を有していると判断出来る。


 やはり強盗か、と少女は溜息を吐いた。


「......それは......私のセリフ......」

「え、あ、僕はレオガイア......レオって呼ばれてるよ」


 別に名前なんて知りたくはなかった。と言うか、この状況ですんなりと名乗るか、普通。と少女は呆れの篭った溜息を吐く。


「お嬢さんは?」

「......私......? 私は......」


 訊ねられて直ぐに返事が出来なかった。己の名前を答える、というコミュニケーションの第1ステップを踏む事すら少女にはできない。それは長年孤独に過ごしてきて、誰とも会話をなさなかったからという理由もある。


 しかし、それ以上に名前を答えたくなかった。


 名前。名前はもちろんある。唯一の味方であった母様から頂いた、大切な名前が。少女はその名を尊きものと思っているし、胸を張れるものである。


 でも、その名を口にしたくなかった。その名で呼ばれる時は必ず罵声を浴びられる。その名を口にする者は少女にとって敵であった。誰かに、母様以外の何者からもその名で呼ばれたくなかった。その名を使っていいのは母様だけであって欲しかった。


 昔の記憶を思い出し、針で刺したような痛みが胸を襲う。呼気が荒くなり、視界が揺れ動いていく。


 フードを強く握り締めて被り直す。そして小さく息を吐いた後、少女はその口を開いた。


「......ハク......白魔女、ハク......」


 少女──ハクはか細い声でそう答えた。

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