039 エピローグ

 それでも、諦めるのもまた、アンナの選択でもある。

 なにを選ぶべきかまで、その答えを押しつけようとはしなかった。


 後悔があろうとも、その時に選択したことは後悔していないのだから。

 その選択こそが正解なのだと、その時は信じている。


 アンナが覚悟を決めた。

 遠ざかる足音を聞きながら、老婆が小さく呟いた。


「頑張りなさい」


 そして、



「カムクっっ」


 終始、置いてきぼりを喰らっていたカムクでも、事情はともかく、原因が自分にあることはさすがに理解していた。


「私、カムクのことが好きっ。あの時、手を差し伸べて助けてくれた時からずっとずっと好きだったのっ。ただ、それだけで、カムクとどうなろうとか思ってはいなくて、ただこの気持ちを伝えたかった、だけだから……っ!」

「おう……それは伝わった……けど、やっぱり、おれは……」


 原因が分かった上で、カムクは同情で気持ちを受け入れたりはしなかった。

 プラムに気持ちが寄っている以上は、アンナに傾くことはない。


「分かってる。プラムだもんね。でも、一つ、欲張ってもいいかな……?」


 アンナが距離をぐっと縮めた。

 彼女の指がカムクの肩にかかる。


 つま先が立つ。

 好きという感情を体験と見て分かる形にするために、アンナが積極的に仕掛けた。


「これくらいなら、いいよね……?」


 一生の片想いを背負わせるなら。

 これくらい、受け入れてくれるよね?



「ダメぇえええええええええええええええええええええええええええっっ!!」


 二人の間に割って入ったのは、プラムだった。

 アンナを両手で押しのけ、カムクの前に立つ。


「ダメっ、絶対にダメっっ。アンナでも、それだけは――」

「どうして?」


「だって、クーくんは……わたしの……っ、わたしのなんだからっっ!!」

「そっか……」


 アンナが遠ざかる。

 でも、彼女は敗北すると思っていた反面、唇を近づけた時のカムクの反応を見て、僅かな勝機を見出していた。


 それが、相対するプラムを前にして、表情に現れている。


「プラムのものなら手は出さないけど、カムクは本当にそう思ってくれてるのかな?」


 振り向いたプラムが見たのは、アンナとの急接近に動揺しているカムクだった。


 ふと、カムクの視線がプラムの胸に落ちる。

 ……さて、寸前に押し付けられた、誰と比較していた?



「クぅー、くぅぅん……?」


 プラムに詰め寄られたカムクが慌てて弁解するも、プラムの詰問は止まらなかった。

 そんな二人を見て、アンナが思わず、笑みをこぼした。


 長い間、怯えていたのが嘘のように。

 きっと、この輪は決して、壊れたりしないだろう。




 エピローグ


 時又のチェシャと共にベル、ダリア、ステラが元の時代に戻ってから一年が経った。


 にゃおん、としか鳴かないため便宜上『彼女』と呼ぶが、時又は未来過去現在、そして些細な変化から枝分かれした、似ているが少し違う平行世界を行き来できる。


 時を跨ぐ獣の民である。

 いや、モンスターか?


 彼女自身、もはやどの時代に生まれたのか、自分でも分かっていないらしい。

 見た目のせいで子供なのか年寄りなのか分からず、彼女も答える気はなさそうだった。


 時を跨ぐ、という全知全能にも匹敵する能力を持った彼女の天敵は、意外にも、未来のホムンクルスたちである。


 彼女たちは世界を跨いで意思疎通できるため、時又がどの時代に逃げたとしても、彼女たちに見つかってしまうのだ。

 つまり、ホムンクルスが生まれる世界において、ある一定の時代を越えると、時又は逃れられない観測者に捕まってしまうことになる――、


 そう、たとえばもしもアンナとカムクが結ばれ、ホムンクルスが作られないことがあるとしたなら、その世界こそが時又にとっての安寧の地となる。


 プラムとカムクが未来へ飛ばされたのには、そういう経緯があったりもしたが……、

 結局、未来で捕まった時又が、ベルたちを過去へ送ってしまえば同じことだ。


 ホムンクルス……特にベルからは逃れられない……。


 諦めと共にベルの言うことを聞いて未来へ戻る際、にゃおんとしか鳴かなかったが、なんとなく彼女から「過去に戻ることもできるけど」と提案された気がした。


 だが、カムクとプラムはまだこの時代に残ることにした。


 やり残したことがあるし、一連の事件の後始末と、都市の酷い有様を、アンナに丸投げにしたまま元の時代に帰ることはできない……。

 復興作業を進めている内に、あっという間に時間が過ぎて、一年が経っていたのだ。



 カムク・ジャックル、十六歳。


 彼は背後からの襲撃に気付いて剣を抜き、相手の眼前に突きつけた。


 ……短刀を握った、子供、だった。


 赤髪の少年。

 ぼろぼろの服と汚れた体。飢餓状態が続いたためか痩せ細ってしまっている。


 現在、都市では食糧が足りていない。

 カムクのような高レベルなら困りはしないが、痩せた彼のような末端にまで、充分に食糧が届かない現状にある。


 ……家畜として利用していたモンスターたちが己の立場を不当なものだと受け入れ身を売ることがなくなったためだ。

 バロックの時代は、それが無償でおこなわれていたが、カムクはそれに見合った報酬に変えようとした。


 しかし、欲張ったモンスターが多大な報酬を提示したために、都市の資金や人材が絞り上げられた。

 食糧がなくなると困るライセンス側を徹底して追い詰める彼らのやり方で、モンスターとの和解は遠ざかるばかりだ。


 結局、バロックのやり方は、人道的にどうかという一面はあったが、それでも都市のため、人々のためだった。

 事実、上手く回っていたのだと今になって痛感する。


 思い返せば、ベルが言っていた。


「周回する寸前で止めておくとか、あたしらからすればバカだなーって思うよ。だって未来ではモンスターの方が世界を支配してるんだから。弱肉強食っ、てね。こっちも必死に強くならないと、すぐに巣を荒らされて壊される。そこに善悪がないからね。ただ生きるために搾取してるだけ。だからまあ、怨恨とか、復讐とか、そういう考えがどちらにもないって言えるのが楽だけど」


 絶対とは言い切れないが、人が人を殺す時ほど、感情は絡まない。

 まったく別の生物との対立だ。


 理解しようとしても難しい。

 だから、無慈悲な奪い合いが横行してしまう。


 ライセンスもモンスターも、同じだ。

 和解なんて夢のまた夢。


 ……バロック・ロバートの支配を阻止したのは、本当に正解だったのか?

 そう思ってしまう。



「まあ、別に世界を救おうとしたわけじゃない」


 人々を、都市を、モンスターを守ろうとしたわけじゃない。

 バロックの魔の手からプラムを守りたかっただけなのだ。


 現状がどんなに崖っぷちでも、そこに後悔はなに一つなかった。


「お前、おれのところにくるか?」


 十歳にも満たない少年の赤髪に手を乗せる。

 今は汚れているのでくすんで見えるが、綺麗にすればアンナのように見映えの良い赤髪になるだろう。


「飯もある。ただ、色々と手伝ってもらうことにはなるけどな……」

「マスター、そんなガキ、連れていくのかよ」


 三十代を過ぎた辺りの長身の男が、立ち止まって振り向いた。

 カムクの悪い癖に呆れているようだ。


「うちのギルドにそいつを請け負う余裕なんてないんだが……」


「おれの分の食糧を分ければいいだろ。プラムに……いや、あいつは今、ゴーシュと遠征中だったか……アンナに連絡して世話を任せよう。子供の扱い方はよく分からない」


「その性格でなんですぐに拾うんだ……だから毎回、アンナさんにどやされるんだよ……ったく」


 カムクに比べて随分と年上の彼が「仕方ねえなあ」と言いながら、


「ガキ、うちのボスに刃を向けるな。礼儀がなってねえぞ」

「いいんだよ。ここで警戒しない方が心配だ」


 すると、少年がしわがれた声で呟いた。


「…………飯」

「ん?」


「腹、減ったんだ……っ!」

「じゃあこい。おれの目に止まったのも、お前の運だ」


 カムクが手招くと、少年がゆっくりと歩き出す。

 その時に、少年の首から下げられていた、輝く宝石が目に入った。


「それ――」

「お前、そんなものがあるなら食糧と交換してもらえばいいじゃねえか。大事に持ちやがって、意外と余裕があるんだなあ、オイ」


「これは、母さんの、形見、だ……!」


 宝石を引き剥がそうとする長身の男に、カムクが――


「やめろ」



「いいよ。それくらい持たせておいても。そいつにとっての拠り所になるなら食糧には変えられない価値があるんだろ」

「でもよ、マスター」


「お前だってクソダサい長い帽子を部屋に飾ってるだろ。それと一緒だろ」

「クソダサいってなんだ!? あれは死んだ昔の彼女が褒めてくれた――」



「マス、ター……」


 と、少年がカムクの背中に向かって。


 年上の彼の文句を聞き流し、カムクが振り向いた。


「どうかしたか?」


 きっと、彼は直感的に、ここが自分の居場所だと理解したのだろう。

 だから決して、差し伸べられたこの手を放してはならないと――彼を頼りにした。


「よろしく、たのむ……」

「分かったよ」


 素っ気なく言ったカムクだったが、


「あ、それと」

 

 と忘れたことを付け足した。



「これからお前に会わせるプラムとアンナがいるんだが――」


 隣にいた長身の男が呆れた様子を見せた。

 こんな小さな子供にまで言うつもりか? と。



「二人に色目を使ったら許さねえからな」

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剣士プラムちゃんの世迷いゴト 渡貫とゐち @josho

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