018 獣の民とレベルアップ
刃が根元から折れた。
カムクの頬を裂いて回転した刃が後ろの地面に突き刺さる。
両手で握った銀剣を全力で振り下ろした結果が、これだ。
思わず数秒、動きが止まる。
その隙を狙った猪が、反り返った牙の先端でカムクを突き上げようと前のめりになった瞬間――、
「カムクぅー」
という、ベルの茶々が入った。
刃が折れても頑なに柄を離さないカムクに向けて。
剣士としての意地を、理解できないとでも言いたげに首を傾げながら言った。
「剣、いる?」
猪が突貫してくる。
カムクは咄嗟に柄を手放し、視界の端で煌めく牙を掴んだ。
ふっ、と体が一瞬浮き上がるも、両足を地面に叩きつける。
足の裏が焼けるかと思った。
それでも決して足を浮かせない。
ずっ、ざざッざッざッ! とカムクの体が地面と接地したまま十メートルも後退した。
――が、やがて、止まる。
すると、逆に猪に後ろ足が浮いた。
一瞬、軽くなったことでカムクの腕の力の入れ方が牙を真下へ押し込むのではなく、真上へ引っ張る動きへ変わった。
そう、身の丈以上の巨体が、浮き上がる。
『!?』
釣針尻尾団、全員の目が剥かれた。
そして、
「ぁぁあああああああああああああああらぁああああああッッッッ!!」
一度、九十度まで持ち上げた猪を、再び真下へ振り下ろす。
……二年間。
いや、それよりももっと前から。
カムクは誰に言われるでもなくひたすら剣を振り下ろしてきた。
その一連の行動だけは、費やした時間分、ひたすら洗練されていく。
彼に合った刃なら、加わった力で斬れないものはないだろう……だから力の伝達力に無駄はない。
見物している三人が見惚れるほどの型。
構えた剣を振り下ろす。それだけ。
シンプルな動きだが、だからこそ、自重も加わり、猪へ伝わる威力は膨れ上がる。
やがて、ゆっくりと落下する猪の体が――低く響く音と共に地面に叩きつけられた。
近くの建物が、ぐにゃあ、と溶けたように見えた揺れが起こる。
都市全域に衝撃波が伝ったような一撃……しかし、それでも猪は立ち上がった。
「……………………は?」
だが、ずしんっっ、と、巨体が力尽きて横倒しになった。
「今……、お前は」
意識を失った猪に近づこうとしたら、背中に衝撃が走った。
「さっすがカムクっ。あたしらが見込んだことだけあるね!」
賭けに勝ったベルが無邪気に抱きつき、横ではダリアが舌打ちをしていた。
「良かったね」
と言ったのはステラだ。
……良かったね?
「気付いてないの? レベルアップしてるよ」
目を瞑るとぼんやりと浮かび上がってくる数字の羅列。
自身のレベルが、確かに7から8になっていた。
スライムを倒していただけではまったく上がらなかったのに、モンスターを一体、倒しただけでこうも簡単に上がるのか?
「この猪のレベルって、本当におれと同じなのか?」
「そこ、重要?」
背中にへばりついているベルが耳元で囁いた。
くすぐったくて首を傾けるが、彼女が執拗に責めてくる。
「じゅ、重要、だろ。レベル、もしかしておれよりも高かったんじゃないか?」
だからレベルが簡単に上がった、とも言える。
「さーねー」
しかし、ベルは……ベルに限らずとも、答えを言ってくれなかった。
「もしもレベルが自分よりも上だったら、きっとカムクは意識しちゃったでしょ。格上なんだって。それって邪魔でしかないじゃん」
仄めかしているものの、答えを言っているようなものだった。
「重要なのは数字じゃなくて、数値だからね」
『覚えていろ、貴様ら人間たちを、オレたちは絶対に許さない――』
思い出す。
『地獄を見せてやる。英雄譚になどさせてたまるか。復讐の灯火は決して消えやしない』
一度、立ち上がった猪がカムクに向けて放った、言葉である。
言葉。
会話、だ。
……話せる、のか?
猪に吹き飛ばされた怪我人を運んでいる最中、そんなことばかり考える。
話せるのなら、どうして話さない?
以前、プラムが話しかけた時に返事をしてくれれば、勘違いもしなかったのに。
獣の民はモンスターになった。
交流を捨て、時代を経たことによる退化だと決めつけていたが、もしも、自分たちから話すことをやめたのだとしたら。
復讐……だと言っていた。
カムクが知らない空白の二百年間に、人間と獣の民の仲に、決裂があったのだろう。
決して修復できないような大きななにかが。
「おーい、こっちを頼むっ」
町中の怪我人を運んでも運んでも減った気がしない。
それだけ、被害にあった人が多いのだろう。
丁度、手が空いたカムクが呼ばれる。
不満が飛び交う喧騒、密集する人混み、その中を縫うように、駆け足で呼ばれた方角へ向かう。
すれ違う人を数えても指の数では全然足りないだろう。
いちいち、人の顔を覚えているはずもない。
そんな中で、目を引き寄せられた――赤髪。
人間大の大きさの袋の、縛られた口の隙間から赤い髪の束が見えた。
一瞬のことで、すぐに見失ってしまったが……まさか。
――まさか、まさかッッ!!
「…………………………アンナ……?」
そう言えば。
騒動が収束しつつある今になっても、未だに彼女の生きた姿を見ていなかった。
目を醒ました時、そこはまるで洞窟のように薄暗い空間だった。
両手両足をそれぞれ縛る鎖が、じゃらら、と音を立てる。
「え……」
ぱっ、と光が当てられた。
思わず目を瞑ったアンナがゆっくりとまぶたを上げると、
……暗闇の中に浮き彫りになっている白い円形――。
その中に、自分の姿が収まっていた。
まるで罪人のような扱いだ。
「自分に罪はねえって顔してんなぁ」
くしゃ、と赤髪が強く掴まれる。
上から押さえつけられる力で、アンナの頬が地面に残る湿った泥に突っ込んだ。
「マスターに一言もなくギルドを抜けたお前が、裏切り者じゃなければなんだ?」
「わた、し、は、別、に、ギルドの、いち、員じゃ――」
「抜けただけならまだいい。けどよぉ、お前、今は『夢魔』のところにいるらしいじゃねえかよぉ」
頭が押さえつけられているため、声の主が誰だか分からない。
多分、会ったこともない知らない誰かだろう。
上位ライセンス、下位ライセンス、レベルの差以外で人が優位に立つ時は、組織において立場が逆転した時だ。
レベルこそがギルド内の立場に等しくなるが、そうでなければたとえば今のように、ギルド内で自分よりも高いレベルの者が罪人となった場合、である。
一桁レベルの下っ端であろうと、言葉と態度が強くなる。
レベルでは埋められない穴も、きちんと存在していた。
「なあ」
と、上から声がした。
髪を掴んでいる雑な男よりも遙か上からだ。
ちらりと視線を向けるも、白い逆光になってしまっているため、姿が認識できない。
だが声で分かる……『黒鼻外道』の、ピエロ・ブラックだ。
「見物してるお前らも、丁度いいとは思わねえか? そいつは俺たちを裏切った振りをして夢魔のところに潜入してくれてたみたいだぜ? 聞こうじゃねえか。さて、あいつの求心力の正体は、なんだ?」
……最後のチャンスだと忠告してくれているのだ。
メアリーの情報を包み隠さずに話せば、再びギルドに迎え入れる、と。
もしも、ここで反発でもしようものなら身動きが取れないアンナがどういう扱いを受けどんな末路を迎えるか、分からないわけではない。
「…………メアリー、は……」
口からデマカセを言ってもどうせ裏を取られてしまえば嘘がすぐにばれる。
保身に走るなら最初から本当のことを言ってしまえばいい……でも。
正直、メアリーを裏切ることについて、抵抗はない……と言ったら嘘になるが、状況次第によっては考えた末に売ることもあるだろう――だけど。
『教えてやろうぜ。アンナには、絶対に裏切らない仲間がいるってことをな』
メアリーを裏切ることは、カムクを裏切るも同然だった。
……それだけは、したくなかった。
「少なくとも、あなたみたいな卑怯な方法なんか使っていないよ」
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