剣士プラムちゃんの世迷いゴト

渡貫とゐち

第一部 故郷編

001 村に住む少年と少女

 剣士から魔剣士へ、世界最速でクラスアップした弱冠十五歳の天才少女、プラム・ミラーベルが、窓の外を眺めて訊ねるように言った。

 それが二百二年前のこと。


 印象的な言葉だったからか、よく覚えていると、彼が懐かしそうに思い出す。



「ねえクーくん、窓の外から見える世界って、まるで異世界みたいだよね」


 名を呼ばれた彼女の幼馴染みである少年、カムクが答える。


 そんなわけないだろ、地続きのれっきとした同じ世界だ、とその時の彼はそう言ったものだが――、向こう側が透けて見えるような長い銀髪、直射日光に一度も浴びたことがないほどの白い肌……まるで大切に箱の中にしまわれ続けていたような少女は、外に出ることができない理由があった。


 だから、同じ世界であると言っても彼女は信じられないのだろう。


 実際のところは彼女も冗談で口にしたとは言っても、そう感じてしまうほど外の世界と隔たりがあったのだろうことは想像に難くない。

 ベッドの上で寝たきりのプラムは、外に出ると呼吸ができないほど体の調子が悪くなってしまう。

 自室にいると問題ないため、やはり『外』が原因なのだろう。


 生まれた時から今に至るまで、同じ状況だったわけではない。

 彼女が物心つく前は……だから彼女に記憶はなく、ゆえに最初からこんな状況だったことには変わりないのだが、両親は彼女が元気に外で遊び回る姿を知っている。

 この現状と、一生付き合っていかなければならないものであるとは思っていなかった。


 希望は捨てていなかった。

 具体的な解決策の目処は立っていなかったにしても。


 彼女が住んでいる辺境の村には、充分な知識を持つ医者がいない。

 もしかしたらとてもごく普通の病気で、薬さえあれば簡単に治る病気の可能性もある。


 なら、王都にいけば、いかずとも村を転々としている商人から薬を買えばいい……が、最重要である金銭がなかった。

 必死に両親が働いても、日々の生活のことを考えれば、貯金ができてもごく僅かだ。


 あと何年、何十年……、貯めてもそれで彼女の原因不明の病気が治るとも限らない。


 奇跡に縋りたい気持ちだが、これで解決への糸口さえ掴めなければ何十年もかけた苦労をもう一度繰り返すことになる。

 そうなるとやはり慎重にならざるを得なかった。


 貯金が尽きれば生活が危ぶまれる……しかしプラムの病気(?)は現状、自室にいれば進行しない……両親も、村の住人も、危機感を強く抱いていないのはそういう理由があるからだった。


 早く外に出してあげたいという気持ちはあれど、娘を助けるための行動を起こすには足踏みしてしまうという状況がもう何年も続いていた。


 そして、現状維持を受け入れてしまっているのは当人も同じ。


 このまま一生をこの部屋で過ごしても、誰も困らない、苦しまないのであれば、それもまたいいかな……、と、諦めることを許し始めてしまっている。


「わたし、生きてる意味あるのかな……」


 家族や村のみんなに気を遣わせて、迷惑と心配をかけて……カムクも毎日欠かさずプラムの部屋に顔を出している。

 彼女はそれを心苦しく思っていたようだ。罪悪感にまで膨れ上がるほどに……。


 そう、追い詰められていた。

 自分がいなくなればそれで全部解決するのだと、甘い考えに逃げるほど、だ。

 胸の前で抱きしめる枕に顔を埋めながら、プラムの心が、ある時から急激にすり減り始めていった。



 カムク自身も限界を感じ始めていた。

 自分ではどうにもできない、プラムとの心の溝があるのだと。


「じゃあプラム。おれが急にいなくなったら、悲しいか?」


 彼女は黙って二度頷いた。


「それと同じだよ。プラムが急にいなくなったら……嫌だろ、当たり前だ」


 赤ん坊の頃からずっと一緒にいた幼馴染みだ。

 顔を合わせない日なんてないくらいに。

 彼女がいない世界を生き続けるなんて、あり得ない。


「だから、生きてる意味がないとか、言うなよ……」


 しかしカムクの言葉はプラムには響かず、彼女の死んだ魚のような目は戻らなかった。

 外を自由に出入りできるカムクでは、彼女の気持ちが分からない。

 たとえ赤子の頃から付き合いがある幼馴染みでも、届かない言葉がある。


 気持ちでどうにもならなければ、いくら磨いた技術でもどうにもならない。

 思いつく限り、元気が出るようなものを探しては見つけ、渡してはいるものの、成果は出なかった。

 そんな、手詰まりになりかけていたある日、村の近くの森で日課である鍛錬をおこなっている最中に……見つけた。


 それは、プラムとカムクの運命を大きく変える、出会いだった。



 青い爬虫類のような皮膚を持つ、四足歩行の獣の民だった。

 頭から尻尾の先までの一列だけ、逆立った毛が生えている。

 八重歯のような鋭い牙が生えているが、まだ子供なので、丸みを帯びていた。


 彼はゴーシュ……と、後にプラムが名付けた。

 いま考えると、彼かどうかもその時は曖昧なまま、そう判断してしまったが、彼が話さないのだから仕方がない。


 もしかしたら、彼女だったのかもしれない……本当に今更だが。

 人語を理解できなかったのだから、彼に落ち度はなかったと言える。


「獣の民が全員、人語を理解できると思うなよ」


 とは、カムクの剣の鍛錬に付き合ってくれている親友の言葉だ。


 ブラキエーションマンキーと一部の人は呼ぶが……一般的にはテナガザルと呼ばれている獣の民である。

 彼同様に、牛、豚、馬、狼など、人間以外の種族を獣の民と呼ぶ。


 この頃はまだ、家畜という言葉は一般的でなく、彼らが生産してくれる素材の受け渡しを取引と呼んでいた。

 その素材を使って育てたものや、加工したものを商人と交渉して金銭に変え、生活している……という風に、自給自足の面が強いため、大胆に貯金ができないのも納得の環境であった。


 素材を渡す見返りに、獣の民は安全な寝床と生活が保障されている。


 中にはテナガザルように、森を縄張りとし、人間と関わりを持たない群れもあるが。

 そうは言っても森への立ち入りを許可しているため、カムクたちとの関係は良好と言える。


 人間独自の言語を理解できているのだから、テナガザルに限らず獣の民は基本的に賢いのだ……彼らには彼ら同士の言語があり、それを使い分けているのだから、技術と発想に関しては人間に軍配が上がるも、知識については彼らに頭が上がらない。


 互いに干渉し合う、そういう仕組みで成り立っている世界だった。


「その、ゴーシュ……のおかげで、プラムは元気になったのか?」

「まあ、な……森の中で怪我してたから村で保護したんだ。プラムに報告したら、あいつが連れてきてってさ。会わせてみたらプラムは可愛がるし、ゴーシュは懐くしで、二人とも元気が出たのはいいけどよ、複雑な気持ちだっつの……」


「拗ねるなよ。――ああ、ただの嫉妬か」


 カムクの、隠しているつもりかもしれないがばればれな感情に気付いている親友が、からかうように言う。


「子供に対抗意識を燃やすなよ。大人げないな……ってほど、お前も大人でもないか」

「……うるさいな」


 木剣がぶつかり合う音が昼間の森に響き渡る。


「苛ついてるから、いつもよりも力が入ってるのか? 相変わらず分かりやすい」

「……苛ついてない」


「ゴーシュを責めるわけにもいかないが、受け入れられないからプラムに攻撃的になっちまって後悔し、なんであんな態度を取ったんだろって自分自身に苛ついてるって感じか」


「だから苛ついて――もういいや、なんで分かるんだよ、お前は!!」

「打ち合えばお前のコンディションくらい手に取るように分かる。二年、だ。強くなりたいって言ってオレたちに鍛錬を頼んできて、日々研鑽を積んで二年もあれば、それくらい分かる。もっと言えば打ち合わなくてもお前の態度で筒抜けだ」


 もう二年――もう、だ。


 時間はあっという間に過ぎていき、目標としていた日数に届きかけている。

 にもかかわらず、未だ親友からのお墨付きはもらえていない。


 プラムの病気――否、呪いを解く手がかりが東の王国にあると知り、旅に出ることを決意したのが二年前。

 しかし、親友に止められ、今の強さでは、たとえ広大な森を越えられたとしても山、洞窟を抜けることは不可能だと言われた。


 今の強さでは、だ。

 だったら強くなればいい。


 親友が、これなら王国に向けて旅をしても大丈夫な強さだと認めるくらいに――もちろん、たとえお墨付きをもらったところで確実に安全だとは言えないが、二年前のカムクよりはマシだと思わせられればいいのだ。


 そのための二年。

 当然、普通に鍛錬していたのでは全然足りない日数だが、一刻も早くプラムを救いたいカムクが妥協したのが、その年数。


 彼女の笑った顔が見たい。


 外の世界に連れ出して、見せてやりたい……。


 ひたすら彼女のためを想って苦痛に耐え抜いた二年間。


 なのに。

 やけにあっさりとプラムの笑顔を引き出したゴーシュに、だから苛立つのだ。


 プラムの元気が出たこと自体は喜ぶべきことのはずなのに。

 小さいし、狭い……と、なによりも鍛えるべきは心だった。


「まあ、別にいいだろ」


 しかし、親友はカムクを責めなかった。


「ひたすら一途に想い続けてきたお前には、不満を漏らす権利があるとオレは思う」

「だから、別におれは……幼馴染みとして、あいつをさ……」

「どっちでもいいんだよ」


 未だに否定するカムクに呆れながらも、


「あと少しだな」


 それは、着実に成長し、目標に届きそうだと初めて彼が言及した瞬間だった。

 そのたった一瞬、嬉しさで気が緩んだ隙に、カムクが打ち負ける。

 カァン、と打ち上げられた木剣が、回転して後ろの地面に突き刺さった。


「甘いんだよ、油断するな、バカ」



 その日はゴーシュを保護して一週間が経った頃であった。

 最初からプラムには懐いていたゴーシュが、村の住民に慣れ始めていた頃とも言えるし……彼の成長の出鼻を挫くような、事件が起こった日でもあった。




「呪い?」


 東の王国へ向かう決断をした二年前、プラムを苦しめる原因が、病気ではなく、呪いであるということを予測したのは、テナガザルの親友だった。

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