016 モンスター
昼間にもかかわらず薄暗い路地裏には、大小問わず弱い者いじめが存在する。
上位ライセンスは当然のように下位ライセンスを食い物にする。
それは二百年後であるここでも変わらないらしい。
「ねえ」
数人の青年たちと、彼らに囲まれた泣き顔を晒す小さな男の子。
細い隙間があればどこにでも棲み着く害虫は、決まってピエロ・ブラックの領土内にいるライセンスだ。
都市の大半の領土と人々の信頼を持つバロック・ロバートは異常な求心力を持つが、都市を発展させた功労者であり、さらに今も発展に注力している投資家であれば信頼の裏付けにも納得できる。
しかし、彼とは違い、ピエロ・ブラックはどちらかと言えば反社会的勢力に属する男である。
だからこそ、バロック・ロバートには及ばないものの、四割五分の領土を持つのは、必ず湧いて出る反対派を根こそぎ手中に収めているから、だ。
見分けるまでもない。
こんな場所で弱者を寄ってたかっていじめている集団はピエロ・ブラックの手の者。
彼らがライト・メアリーの領土にいることは、たとえ今、なにもしていなくとも、長い目で見ればこの場で駆除しておいた方がいい。
プラムが剣を抜いた。
領土戦を休んででも優先させたのは、領土内の見回りである。
これについてはメアリーも知らない。
完全に、プラムの独断行動である。
青年たちがプラムを見て、だらしなく顔を緩ませた。
自覚はないがプラムの容姿はそれはもう目を引く。
頭のてっぺんから足の指先まで、どこを見ても男は反応する。
彼女の体の部位、単体で見ても綺麗さは劣らない。
敵だと分かっても、汚すことを躊躇うくらいにだ。
「……、おま」
そんな隙を突かずともレベル差で簡単に倒せただろうし、彼らもレベル10以上だったので冷静にプラムのレベルを見れば勝手に退いただろうが……構わず彼らを気絶させた。
剣の柄で彼らの顎を叩き、一秒もしない内に、彼女が男の子の頭を撫でていた。
「もう大丈夫だから、泣かないで」
カムクに限らず、たくさんの人に助けられてきた――守られてきた。
だから……今度は、わたしの番だ。
偶然にも大きな力を手に入れたプラムは、その使い道をみんなを守ることに決めた。
力がなく、自力で這い上がれない者の味方をする。
理不尽に搾取され続ける、反抗する術を持たない者たちを守り抜く。
そのために、プラムはさらに力を追い求めた。
……領土戦だと、そんなにレベルが上がらなくなってきたし……。
カムクがやっとのこと上がったステージに、既にプラムはいなかったのだ。
彼女が男の子の手を引いて日の下に出た時、周囲の騒がしさに初めて気付いた。
路地裏、というだけで世界が変わったように音が届かなくなるのは、対処法を考えた方がいいかもしれない……――ともあれ。
「どうしたんだろ?」
進もうとしたらぐいっと引っ張られた。
男の子が、首を左右に振って騒ぎの元から離れようとしていた。
……思えば、どうしてこの男の子は路地裏にいたのだろう?
青年たちに連れていかれたのだろうけど、その理由は? ないと言われたら反論もできないが、もしも。
口封じをしなければならないような場面を、この子に見られていたのだとしたら?
「大、きな、モンスターが……ッ」
「どういうこと? 詳しく教え――」
そんな暇はなかった。
騒ぎの方角にあった建物が内側から炸裂した。
瓦礫と共に大勢の大人の体が宙を舞う。
やがて、見えてくる黒い影。
反り返った牙。
刺々しく逆立った毛並み。
プラムの身の丈の倍以上の巨体が、地面を割りながらゆっくりと近づいてくる。
「猪……」
しかし、プラムが知る猪とは大きさが違う。
膝くらい、大きくても腰くらいの大きさしかなかったはずだ。
それが一体どうして、どう成長すれば、こうも巨大になる?
成長というか、これはもう、進化だ。
「あ……。そ、っか……」
――二百年の歳月と共に、獣の民はモンスターとなった。
この世界に、プラムの常識は当てはまらない。
「お姉ちゃん……っ」
思わず手を離してしまった男の子が尻餅をついて倒れていた。
周囲には、襲われた町の人々が怪我の痛みに絶えながら立ち上がろうとしている。
逃げるために――残された家族を、守るためにも。
……言葉は、通じない? でも、だからって戦って殺さずに場を収める器用さは、まだ今のわたしにはない……! ころ、す……? そんなの……そんな酷いこと……っ、だって目の前の子は、獣の民なのに……ッ!!
今すぐにでも襲ってきそうなモンスターを目の前にして、プラムが葛藤に苛まれている中――それを救ったのは、男の子の手と、声だった。
「みんなを……お母さんを、お父さんを……っ、妹をっっ!!」
そして。
彼の口から出たのは、幼馴染みの女の子の名前だった。
「……を――助けてッッ!!」
剣を抜いたと気付かせない早業で、プラムは既に猪の真後ろにいた。
ととたんっ、と勢いに立ち止まれず何度か地面を跳ねたが、転ぶ前に立ち止まる。
剣を鞘に収めると――猪の巨体が、不規則に十二分割された。
『おおおおおおおおおっっ!!』と、周囲から歓喜の声が上がる。
プラムの傍に無事だった人たちが集まり、何度も何度も感謝の言葉を届けた。
その裏で、猪の死体から肉や毛皮を獲る者もいたが、プラムの瞳はそれを見て見ぬ振りをする。
……この時代の人たちからすれば、あれはモンスターであり、森から花を摘み取るのとなにも変わらない行動なのだろう。
そこに罪悪感は生まれない。
「ありがとうっ、お姉ちゃん!!」
男の子の言葉に、プラムは引きつった笑みを見せる。
「お姉ちゃん……?」
異変に気付いた男の子が、再びプラムに呼びかけた。
彼だけではない……みんなのために、手をかけた。
一度、この手を汚してしまえば、プラムはもう戻れない。
心臓を押し潰そうとしてくる罪悪感。
この苦しみから逃げるためには、もう、吹っ切れるしかなかった。
――あれは、みんなの命を奪う、モンスターだと、認める他ない……。
だから。
プラムは、男の子がほっと安心するような、満面の笑みを浮かべた。
……浮かべられていた?
――クーくんは今のわたしを見て、それでも守ると言ってくれるかな……?
カムクもまた、同じような巨体を持つ猪を目の前に、苦戦を強いられていた。
プラムのように、とはいかなかった。
剣も折れ、残されたその両手で猪と正面衝突し、力比べの押し合いになった――その渦中のことだ。
「……………………は?」
モンスターか、獣の民か。
二百年後の世界で、再び、常識が揺れ動く。
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