003 赤い村

 ――浮かんでしまえば、隠れているわけにはいかなかった。


 一刻も早く村に戻り、襲撃者のことをみんなに知らせなければならないし、プラムの身の安全を確保しなければならない。


 最悪……、ゴーシュを見捨てることも覚悟していた。


「さっきの話、聞かれてたみたいだし……なんでせっかくの隠れ蓑から出たんだ? 疑問に思ってね。思い当たるのは、つまりさ――お前、なにか知ってるな?」


 死体に下敷きにされていた時に、青年ともう一人、初老の男の会話を聞いていた。

 彼らは盗賊団を名乗っており、獣の民、人間などを売り買いする商人でもあった。


 ゴーシュは実は珍しい獣の民であり、盗賊団が言うには高値で売れるらしい……てっきり、群れからはぐれたのだと思っていたが、ゴーシュはどうやら盗賊団の移動中に檻から脱出して、森に逃げ込んでいたのだ。


 本当なら盗賊たちが森の中で見つけるところを、怪我をしているからと連れ帰ってしまったために、村だけでなく、プラムを危険に晒してしまった――カムクのせいで。


「……でも」


 プラムが明るくなったのは、事実だ。

 悔しいが、自分にはできなかったことだと、認めるしかない。

 ゴーシュを連れ帰ったことを、後悔したことは一度もなかった。


「匿ってるなら居場所を教えてくれればなにもしねえって。こっちは商品を取り戻したいだけで、村を潰したいわけじゃないんだからさ」

「群れを、皆殺しにしといて……ッ!」

「所詮は獣だろ? 人間とは違うじゃんか」

「同じだ!! おれも、みんなも――ただ幸せになりたかっただけなんだぞ!?」


 不満があるなら直接言えばいい、改善してほしいことがあるなら訴えてみればいい……言葉が通じるのであれば、交渉をする――それがこの世界の、暗黙のルールだろう!?


「そんな価値観、古いっつの」


 腰から抜いた銀剣がカムクの目の前を通り過ぎた。

 反射的に半歩下がっていなければ、カムクの顔に横一文字の深い切り込みが入っていただろう。


 即死の一撃を、まぐれで回避した。

 これが覚醒者……? 超常現象はまだなにも……でも、ただの技術……とも言えない。


 単純な、一つ一つの動作による結果が、カムクとは比べものにならないほどのパフォーマンスを実現させている。


 相手は銀剣、対して、カムクは木剣だ。


 殺してくださいと言わんばかりの装備。


 ……万端には程遠い。

 だが、この二年間、遊んでいたわけではないのだ。


 教わった技術と積み重ねた鍛錬が、まったく通用しない、わけはない。


 ――そう信じたかった、だけなのかもしれなかった。


 銀剣を受け止めた木剣が、斜めに斬り落とされる。

 止まらない刃が、カムクの体を斜めに斬り裂いた。


 鮮血が舞う。

 膝が落ち、カムクの体が前のめりに倒れた。


 血溜まりが広がり、やがて地面に吸われていく。

 気を失う寸前、最後に聞こえた青年の言葉が、耳に強く残っている。


「戦いってのは数字では決まらねえ。そう教えてくれたのは、お前みたいな、絶対に諦めない奴だったんだけどな――」



「ははっ、刃に対して木剣でくるから期待したけど……子供だから単純に力量差が分からなかっただけか。それでも、守りたいもののために挑んできたことは評価してやるよ」


 霞む視線の先で、遠ざかっていく青年の背が見え、

 気付けば、伸ばした手が、彼の足首を掴んでいた。


 意識なんてないが、体が勝手に動いていた。

 血で滑る手の平で、地面をしっかりと握る。


「いかせねえ……ッ。あいつをこの先ずっと守るって、誓ったんだ!!」

「……ふーん。恋人か? その子に誓ったことを律儀に守ろうとしてんのか」

「あいつに誓ったわけじゃない……おれが、勝手に、そう決めただけだ――」


 だから当然、プラムがその誓いを知るわけもない。


「その子に誓ったわけじゃないって……じゃあその子は、お前の頑張りを知らないし、感謝もしないし、好きになってくれるわけもないじゃないか。なのに、どうしてお前はそうまでして、立ち上がるんだよ」


 大きな傷口から流れ続ける血は、あっという間にカムクの動きを奪うはずなのに、常識に反して彼は倒れない。


「おれが、ただ、好きだから」


 決して誰にも言わなかった本音を、朦朧としていたせいか、思わずこぼしていた。


「あいつとどうこうなりたいわけじゃないし、してほしいわけじゃない。いや……強がった、ちょっとくらい、気にしてほしいけど――そんなのはどっちでもいいんだ」


 ただ、ただ。


「おれがあいつのことをどうしようもなく好きだから、守ってやりたいんだ。笑っていてほしいんだ。だったら――倒れるわけにはいかねえんだよッッ!!」


 ひゅー、という、甲高い口笛が、青年の口から漏れた。


「それでこそ、カムク・ジャックルだ」

「………………は?」


 急に名前を呼ばれて戸惑う。

 それによって失いかけていた意識が戻り始めた。


 …………どこかで、会っていたのか……?


 記憶を遡らせてみるも、ただでさえ狭い村の中、コミュニティだ、奇抜な彼の格好は今日、初めて見たし、目に焼き付くほど印象的なら覚えているはずだ。


 年齢もそう変わらないように見える……彼が一方的にカムクを知っていた?

 村を囲む森から、出たこともないカムクを?


「誰、だ……?」

「どうでもいいだろ、そんなこと」


 彼が銀剣を振り、滴っていた血を飛ばした。

 もう一度聞くぜ、と、断ればどうなるかなどわざわざ説明するまでもなく、刃を向けて彼が最後の警告と共に交渉を始めた。


 ここまで分かりやすくお膳立てされてしまえば、答えなんて一つしかないだろう。


「オレたちの商品を匿ってる奴の居場所を教えろ」


 商品の居場所なら、口を滑らせていたかもしれない。

 しかし、匿ってる誰かとなれば、話は別だ。


 ……誰が教えるかよ。


「知らねえっての。自分で探せ、変態野郎」


 交渉は決裂、それ以上の言葉は重ねず、銀剣が再びカムクを狙った。

 だが今度は、受け止めようなんて馬鹿な真似はしない。

 まだ渇いていない、手に付着していた血を、彼の顔面に向けて投げつける。


「……こんな方法、本当は取りたくないんだよ……っ」


 今は亡き親友から教わった技術。

 その時は、カムクは卑怯だと罵ったものだが、生きるか死ぬかの瀬戸際でこだわっていられるほど、戦いは甘くない。

 なにも、カムクに強制しようとしているわけではないのだ。

 簡単な話、生き抜くためには必要な技術と言える。


 死にたければこだわり続ければいい――と、嫌な言い方だったのを覚えている。

 しかしもう、彼の言葉を聞くことも叶わないのだ――『結局、使ったじゃねえか』とからかわれる未来はもうない。


 カムクが跳ぶ。

 血で相手の視界を潰したものの、耳は生きている。

 足音で居場所がばれたらすぐさま銀剣がカムクを斬り裂くだろう……だから足音を立てないで近づく手段が必要だった。


 緊張が走る。

 長い滞空時間の中で、ふと、手元に視線が寄った。

 斬り落とされ、半分以下の長さになっていた木剣だ。

 無意識に再び握っていたのだろう。


 カムクがそれを、反対側へ咄嗟に投げていた。

 こつ、という僅かな音に、青年が反応した。

 向けられた背中を、カムクが掴む。


「な……に、ん――ァが!?」


 首に腕を回し、そのまま一気に、全力で締める。


 背後を取ったカムクを剥がそうと青年がもがく。

 しかしカムクの機動力を捨てた(しかも身さえも捨てた)継続する攻撃に、振りほどくことができない。


 青年が銀剣を放り捨てた……いや、意図がある。真上に投げたのだ。


 くるくると回転する刃が、カムクの背中を貫こうと落下し――時間と、どちらが先に折れるかという我慢比べが始まる。


 締め落とすのが先か、刃がカムクを貫くのが先か。


 結果は――、


 片方が倒れ、銀剣がさくっ、と地面に落下した。



 炎に包まれた、小さい頃からの思い出が詰まっている森に後ろ髪が引かれるが、それ以上に、村の様子が気になる。


 村まで炎が侵食している、ことはないと思うが……。


 ただ、盗賊の青年がカムクの元に残っただけで、彼と一緒にいた初老の男と、他の仲間は村に向かっているはずなのだ。


 刃向かわなければ殺される心配はない、とは思うものの、プラムに限れば部屋から外に出ただけで致命傷になってしまう。

 間に合ってくれッ、と急いで走るも、体の傷が真っ直ぐに体を運んでくれない。

 ふらふらと足取りが乱れ、肩を何度も大木にぶつけ、そのまま転んでしまう。


 そうして短い距離を長い時間をかけて進み、村に辿り着いた頃――、

 森と同じく、村が炎に包まれていた。

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