004 チェシャのきまぐれ

「…………なん、で……」


 森の炎は、道中にはなかった。つまり、森から伝って村へ引火したわけではない。

 森とは別で、村に火を放った誰かがいる。


 一人じゃない。

 ――盗賊団。

 団員の数だけ、発火点がある。


「プラム!!」


 遠目に見える、知った家が燃えているのを見て、カムクが走り出す。


 完全に炎に包まれている家の扉を蹴破り、彼女の名を叫び続ける。

 ……これ以上は進めない。

 無理やり進めば、全身が焼かれるのは当然、燃えて脆くなった木材が落下してくる可能性もある。

 倒壊に巻き込まれればカムクの命はない。


 だが、もしもプラムがまだ部屋にいたのなら。


 助けを求めていても声が出せない状況なのだとしたら――いかないわけにはいかない。


 この炎の中で、まだ生きていると思うのは……、という、冷静な自分を黙らせる。


 認められるか。

 だから、無茶でもなんでも、先へ進む。


 道を塞ぐ真っ赤な木材に手を触れた時、家の隣で、小さく咳き込む声が聞こえた。



「クー、くん……」


 家の裏側、盗賊たちからは死角になっている井戸がある場所に、倒れている人影。


「プラム!!」


 傷一つなかった真っ白い肌には擦り傷が多数、火傷の痕がついてしまっていた。

 彼女の肩を掴んで抱き寄せる。


 ……呼吸が心許ない。

 すぐに部屋に連れ戻さないと――しかし。


「燃えてる……え? じゃあ、どうすれば……っ!?」


 プラムの症状を元に戻す、唯一の場所が燃えてしまっていた。

 炎の中に突っ込んで症状を和らげたとしても、炎の中にいれば間違いなく死ぬ。


 進むも地獄、退くも地獄。

 八方塞がりで、手の打ちようがなかった。


「プラム……なあ、ゴーシュはどうしたんだ……?」


 彼女が部屋の外にいるのは、もちろん家が燃えているから逃げたのかもしれないが……死角とは言え、決して見つかりにくいとは言えない場所に倒れていたのも気になる。

 プラムは見た通り、盗賊たちに危害を加えられる状態ではない。

 丁寧とは言い難くとも、一時的にでも保護されておかしくない立場である。


 ゴーシュを匿っていたプラムなら、盗賊たちに引き渡すことで身の安全を保障できた。


 村を、こんな状態にさせてしまうこともなかったはずなのだ。


 すると、プラムが震える腕を動かし、指差した。

 その先には、井戸がある。


「ゴーシュ、なら、その先……」


 井戸の中には抜け穴がある。それを知っているのは村の子供だけだ。


「お前……まさか、わざわざゴーシュを逃がすために、自分から外に出たのか!?」


 責めるような言い方になったが、予想できなかったわけではない。


 ゴーシュを可愛がっていたプラムが、素直に盗賊に引き渡すはずもないと。


 ただ、賢いプラムなら、一度、盗賊に渡した後で取り返す方法を取るだろうと思っていたが……効率や犠牲よりも、自分の命を懸けて、その時の感情を優先させた。


 たとえ村一つ、故郷を襲われても、ゴーシュ一人を逃がすために。


「馬鹿、野郎が……ッ」

「だって、クーくんが、遅いから……」


 ……守る、と誓ったはずだ。

 プラムはそれを知らないが、だからカムクを批判して言ったわけではない。

 もちろん冗談なのだろう。それでも、カムクには重く響いた言葉だった。


 傷だらけで、呼吸もままならない大切な女の子を。


 ――守れて、ないだろ……ッッ!


 カムクにもっと強さがあれば。

 誰にも負けない、強さがあれば。


 プラムも、村のみんなも、苦しむことなんてなかったはずなのだ――。


 骨が砕けそうなほど強く握った拳を、思い切り地面に叩きつける。

 地面は、自分だ。

 たとえ拳が壊れようとも、殴り続けなければ仕方がなかった。


「力が、欲しい……ッ!!」



「少しいいかな」


 と、声をかけてきたのは黒い正装に身を包んだ初老の男性だった。

 縦に長い帽子を手で取り、丁寧な深いお辞儀を披露する。


「この村を襲わせてもらっている、盗賊団……その団長を名乗っている」


 プラムを庇うように体を前に出し、一挙一動、相手を観察する。

 しかし、それはもう意味がない。

 団長だけを観察したところで、周囲には十人以上の団員が、カムクとプラムを囲んでいたのだから。


 視線を回しながら、ない勝算を探し……ひとまず答える。


「……なんの、用だ……?」

「私たちが探している商品を持っていたのが彼女らしいのだが――さて、どこへ隠したのか、教えてほしくてね」


 盗賊団の団長と呼ぶには程遠い紳士然とした初老の男が、手に持っていた杖を、ガッ、と強く地面に叩きつけた。


「これはお願いでも交渉でもなく、命令だ」


 団長の指示に従い、周囲にいた団員たちが、一斉に銀剣を抜いた。

 情報源を生かしておいた方がいい、と言ったところで、相手に退く気はなさそうだ。


 彼らからすれば、手間が増えるだけで、別にカムクから居場所を引き出せなくとも、一から探せないわけではないのだ。


 ……結果は変わらないかもしれない。

 だが、教えなければゴーシュが逃げ切るための時間を稼ぐことができる。

 それが、命を懸けたプラムの願いなら、無下にもできない。


 一度まぶたを閉じ、再び開く。

 眠っているように意識を失うプラムを見て――。


 腹をくくった。

 ……責められる、覚悟だ。


「ああ、あいつなら井戸――」


 と、カムクが降参しかけた時――ちりんっ、という鈴の音が、その場にいた全員の意識を引き寄せた。


 井戸の縁に立つ、エメラルドグリーン色の体をした、小さな猫。


 尻尾についている鈴の音を鳴らしながら、カムクに近づいてくる。


 取り乱したのは、彼ではない。


「チェシャ……だと!? ッ、そいつを、止めろォッッ!!」


 声を荒げた団長が団員に命令するが、しかし遅く、猫が跳ねてカムクの肩に乗った。

 そして――。

 


 にゃおん、という声をきっかけにして。

 視界が炸裂した。


 やがて。

 激しい眼球の痛みの末、開いたまぶたの先に広がっていたのは。


 ……炎が、それ以前に、村も、森もない。


 ただただ、地平線の先まで広がる、平原だった。




「……ここ、は……?」


 平原。

 地平線の先まで見通せてしまう。

 本当に、障害物の一つもなかった。


 つい一瞬前まで、炎に包まれた村の中にいたのに……しかも、盗賊たちに囲まれ、殺されるか否かの瀬戸際だった――それが、どうしたらこんな、のどかな場所で目を醒ます?


 いや、意識を失ってはいなかったはずだ。


 間違いなく意識は連続していた。

 内側から破裂するような痛みが両の眼球にあったものの、あまりの痛さにまぶたを掻き毟っていた。

 幸いにもそのおかげで気絶することは免れたのだ。


 痛みが和らぎ、やっと目を開けられた時には、この場所に座っていた。

 腕の中で意識を失っているプラムと一緒に……。


「…………」


 プラムの呼吸は安定しており、規則的な胸の動きを繰り返していた。


 彼女の症状について詳しいことは分からないが、場所が良いのかもしれない。


 炎に包まれ、血と焼死体から発せられる腐臭に支配されている村の中と、澄んだ空気で満たされている平原の真ん中――。

 彼女にとってどちらが良い環境かなど、言うまでもない。


 それはカムクにとっても。

 守るべき大切な人が危険の中にいて、当然、心が安まるはずもなく、常時動き続けていた。

 緊張の糸が切れることは一瞬もなく、流れ続ける血や傷口を気にする暇もなかった。


 自分のことは全て後回しだった。


 我慢を強いて張り続けていた緊張が、やっと今、穏やかな景色を見ることで切れた。


 ぷつん、と。

 見えない糸で上から吊されていた人形のように、糸を切られて、ばたんと倒れる。


 溜まっていた疲労を回復させるために、深い寝息を立て始めた。


 ……しかし、だ。地平線の先まで続く平原。

 そんな広大な大地に、カムクとプラムの二人だけしかいないとは限らない。


 やがて、近づいてくる地響きがあった。


 そして、眠る二人に影が差す。

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