006 王国へ

「これ、どこに向かってるんだ?」


 広大な平原のどこを見渡してもなにもない。

 象の移動速度も速いわけではないし、一日二日で、村、もしくは町や王国に辿り着けるとは思えなかった。


「ティンバーゲンだよ」


 ……知らない町だ。

 国、か?


「……嘘、どんな辺境の村の子でも知ってるはずなのに……」

「悪かったな、ドがつく田舎で」


 ティンバーゲンという名は知らないが、東の王国と呼ばれているのは知っている。


「昔は、そう呼ばれていたみたいだよ。でも、随分と大昔のことだったと思う」


 どうやら故郷の村はだいぶ遅れていたらしい。

 ともあれ、なら、東の王国とティンバーゲンは同じということだ。


 ……決して近くとは言えないが、カムクの故郷である村の方角も、大体予測できる。


 このまま彼女たちに連れられて、ティンバーゲンへ向かった方が良さそうだ。

 こんな場所でぽつんと置き去りにされても困ってしまう。


 それから。

 旅を共にして、二日が経った頃、ティンバーゲンと呼ばれる国の外壁が見えてきた。


 さすがに地平線の先まで、とは言えないが、湾曲する外壁の先まで見通すことはできなかった。

 一体、どこまで続いているのか、外周を回ってみるしか確認する術はない。


 すると、外壁の門から出てきた、同じく象に乗る商人とすれ違う。

 ベルの元気な挨拶が後方から聞こえた。……知り合い? だったようだ。


 釣針尻尾団と聞くと小さなチームと捉えてしまうが(それも間違いではないが)、大きな組織の中の、一つのチームであるようだ。

 確かに、少女四人で生計を立てているとは思えない。

 できたとしても簡単ではないだろう。


 長いものに巻かれておくのが無難であると、教わらずとも誰もが本能的に理解する。


 ベルたち同様に、所属している組織から借りた象なのだろう……だから、今すれ違った男もまた、彼女たちと同じ組織の一員だと言える。

 象の足音が遠ざかっていく……、そこでふと、違和感を覚えた。


 背中が寒く感じたのは、風が当たったからか?

 振り返ると、後ろをついてきていたはずの象がいなかった。


「なっ……!?」


 すぐさま、アンナの肩を掴んで手綱を止めさせる。


「おい、いつの間にはぐれたんだ!? あいつら、いなくなってるぞ!?」


 ついさっきまで、ベルの元気な声が聞こえていたはずなのに。


「……本当だね」

「本当だねって……お前、どんだけ嫌われてるんだよ……?」


 この二日間で感じ取れたのは、釣針尻尾団の中で、アンナだけ距離が遠いことだ。


 最初は、アンナの積極的に前へ出ない性格のせいかと思ったが、他の三人から意図的に避けられている。

 避けられていない時は、当人たちしか気付かないような嫌がらせを受けているなど、アンナだけが仲間はずれにされている場面をよく見た。

 出会ったばかりのプラムの方が、仲良くなって、メンバーの一員と言われても気付かないくらいだ。


「いつものことだよ。別の入口から入ったと思うし……町の中で合流すれば……」

「面白がって、なにも言わずに進行方向を変えたのか? わざわざすれ違った商人を乗せた象の足音を使って遠ざかったことをばれないように手の込んだことをしてまでか?」


 仲間はずれがベルたち三人とアンナの間で認知されているなら、こそこそとする必要はないだろう。

 受け入れているアンナが、そこで引き止めるはずもないのだから。


「アンナを騙すためだけに、そんなことしないだろ。騙したかったのは……おれか?」

「っ」


「向こうにはプラムがいるんだぞ。あのプラムが、こんな分かりやすい仲間はずれに乗っかるとは思えない」


 この二日間、プラムは積極的に、アンナを輪に混ぜようと声をかけていた。


「それは……手綱を使っても象が言うことを聞かなかったことにすれば……」

「だったらあいつは大声でおれたちを呼ぶはずだ。呼べなかったのは――体調が悪化したのか? いや、大声を出せないように口を塞がれてた……?」


 思えば、二晩一緒にいても、聞かずにいたことが一つあった。


「なんでおれたちを助けたんだ? 荷物になることは分かっていたのに、わざわざ……」


 平原の真ん中で倒れていたのを見つけたから助けた……それを否定するつもりはない。

 彼女たちなら思いつきでそういうことをしたっておかしくはないだろう。

 引っかかったのは、なぜあの場で倒れていたのかを、一切、詮索されなかったことだ。


 プライバシーを尊重して聞かなかった? 

 助けたのなら聞くべきだろう。


 二日もあったのだ。

 なのに一度も、口に出さなかった。


「アンナも、ベルも、ステラもダリアも、おれたちに親切にしてくれた、優しかった……プラムはお前たちのことを完全に信じ切っていたんだぞ!」


 それが狙いだったとしたら。

 嫌われるような、地雷を踏む可能性がある話題を避けるのは当然だったのではないだろうか。


「――おれたちを連れていくのが目的なのか……?」


 カムクとプラムを引き離し、別々の場所へ送り届ける――。

 手が込んでいるというのなら、この二日間が仕込みで、アンナが仲間はずれにされている状況さえも作り込んだ設定なのだとしたら、だ。


 全ては今、この二手に別れた状況に違和を感じさせなくするためなのだとしたら!


「……商人……? プラムを、連れ帰ることが、目的……?」


 恐らく、プラムを特定して狙ったのではなく、彼女を一目見て、決めたのだろう。

 彼女たちは商人らしく、商品として。


「プラムを、売るつもりか……ッッ!?」


 ゴーシュを狙っていた紳士然とした盗賊を思い出す。


 アンナと同じく、赤髪を持つ青年のことも。


 盗賊団。


 そう言えば彼女たちも、釣針尻尾『団』だった。


「……少しでも信じたおれが、バカだった……ッ!」


 カムクが立ち上がる。振り返ったアンナを、睨み付けながら見下ろした。


「村の連中以外、全員が敵だと思うべきだったんだ……ッ!」


 たとえプラムが笑っていたのだとしても、カムクだけは警戒をしておくべきだった。


 心を許してしまったのが、カムクの弱さだった。

 だからこんな結果を生み出してしまう。


「――お前ら全員、大嫌いだ」


 そんな捨てセリフを吐いて象の背中から飛び降りたカムクが地面に着地した時、塞がっていた胸の傷がぱっくりと開いた。

 膝を地面に落とす。

 地面に手をついた。

 アンナに巻いてもらった包帯を血で滲ませながら、しかめた顔に気合いを入れて、立ち上がる。


 カムクがプラムを乗せた象を追いかけ、おぼつかない足でひた走る。


「私が一人、別行動でカムクと一緒にいたのは確かに騙すためだった。さらに言えば、気付かれた時に足止めをするためでもある」


 象の背中から跳んだアンナが、放物線を描いてカムクの前へ着地する。


 ……ベルやダリアに限らない、ステラも、アンナも、身体能力が人間離れしている。


 もしかして――、


「覚醒者……?」


 その時、横殴りの風が吹き、カムクの体が地面に縫い付けられたように動けなくなる。


 アンナを見れば、こちらに突き出す手の平が、淡く、白く光っていた。

 彼女は、天変地異を起こす力を持っている。


「カムクはまだなんだね……」


 見せた微笑みは、余裕のそれか、安堵のそれか。


「安心した」

「なん、だと…………?」


「大丈夫、悪いようにはしないよ。カムクも、プラムも……」

「……嘘をつくなよ……商品として売られたプラムがどんな目に遭うか……ッ、そんなのは買ったやつ次第だろ!! お前ら商人側が、客に指示を出せるわけがない!!」


 人身売買のシステムが分からなくとも、普通の商人のやり方なら分かる。


 使用にあたっての注意書きを渡すことができても、連絡がつかなくなってしまえば意味をなさない形骸化したシステムだ。

 どこでどのように、購買者が買った商品をどう使おうが、商人側は知る由もない。

 売られたプラムが酷い目に遭う可能性はゼロではないのだ。


「あの子がすぐに売れるとは限らないよ」

「そんなわけないだろ……!」

「この二日間、見てて随分と過保護だと思ったけど……違う理由みたい」


 プラムには欠陥がある。

 それ抜きにしても、売れるだろうとは思うが……カムクのような辺境の村出身でなければ、しかも人身売買を利用するような富裕層からすれば、プラムの呪いを解くくらい造作もないだろう。


 つまり、欠陥商品ではあるものの、購買者が自力で修理できてしまう商品だ。


 欠陥を踏まえた金額で売り出すつもりなら、自力で直せる欠陥であると知った利用者はこぞってプラムを買おうとするだろう。


 透き通るような銀髪、一度も汚れたことのないような白い肌。

 それが、粘った泥が塗りたくられたような身も心も汚い大人に、触れられると想像しただけで――殺意が湧いてくる。


 ……やっと、笑顔を見せてくれるようになったのだ。

 また、彼女から大事なものを奪わせるわけにはいかない。

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