021 聖統家

 反射的に両手を顔に当てて、拭う仕草をするが、落ちるのは泥だけだ。


「いいから、足の鎖をはずして帰るぞ。眠くて眠くて仕方ないんだよこっちは……」

「じゃあまたアンナに膝枕でもしてもらえばーっ?」


 うひひ、とからかい目的で、ベルが二人の間に割って入った。


「えっ!? み、見てた、の……?」

「うん。よーく、知ってるよ?」

「あー、膝枕はいいや。あれは、居心地が良くて寝過ぎるからな」


 カムクらしいが、それでも斜め上の理由で断られたことにアンナが苦笑する。


「そっか」

「それにしても意外だね。カムクがプラムの元を離れてアンナを助けにくるなんて」


 ………………、動きを止め、鍵を落としたカムクが目を見開いた。


「確かに今のプラムなら大概の相手には負けないだろうけど、それでもカンストランカーを相手にしたら分からないよね。別行動や単独行動は危険だって、カムクなら分かってると思うけどー。分かった上で、アンナを助けたの? やっとプラム離れができたかー?」


 言われて思い出す。

 忘れていたことが問題だ。


 それだけアンナが攫われたことがカムクの中で重要だったことを意味するが、もしもこの間に、プラムになにかあったらと思うと、助けたアンナを恨みたくなる。


「ベル――あと任せたっ!」


 疲れも眠気も吹き飛んだ。

 それらを覆い隠す不安と焦りが、カムクの体を無理やり動かしていた。



 思っていたよりも近くに、プラムがいた。

 血の臭いが充満していたことで嫌な予感がよぎるも、彼女に怪我はなさそうだ。



「プラムっ、無事か!?」


 彼女の肩を掴むも、瞬間でその手がはたかれた。

 …………え?


 拒絶、とはまた違う。

 それはプラムからカムクへの、決別の合図だった。


「クーくんとは、もう、一緒にはいられない……」


 彼女が振り向いて、見たくなかった笑顔を見せた。


「今まで、ありがとね」

 


 彼女の背後には、一人の男がいた。

 大都市ティンバーゲンに住んでいれば、誰もが知っている『顔』である。


「お前、か……ッ、お前、がぁッッ!!」



 バロック・ロバート。

 聖なる心で都市や人々を統率する投資家……。


 人々は彼を、親しみを込めてこう呼んだ。


 ――聖統家せいとうか、と。



 ライト・メアリーの元から、二人のギルドメンバーが抜けた。

 しかし、抜けたいと別れを切り出された彼女は、悲観をしていなかった。


 それもそうだ。

 多くの者が勘違いするのも無理はないが、仲違いをしたわけではない。


 それぞれが進みたい道が、同じでなかっただけなのだ――。



「調子はどうだい、プラム」


 オールバックにした灰色の髪と無精髭を携えた男性……スーツ姿だが、各関節に鎧が当てられている。

 騎士クラスだが、剣は今、持ってきてはいない……彼こそが、プラムの新たなギルドマスターである、バロック・ロバートである。


 呼びかけられた少女は、既に気配で気付いていたようだ。


 久しぶりでもないが、こうして生で見るのは二日ぶり、だろうか。

 彼女が握る銀剣から滴る赤い液体と頬についた返り血はもう見慣れたものだった。


 彼女も、最初こそ罪悪感に蝕まれて嘔吐を繰り返していたが、しかし、一ヶ月もすればトラウマも薄れて消えてしまう。

 今では機械的に、剣を振るっている。


 人の心があるとすれば、苦しませないように一撃で息の根を止めることだろう。

 今の彼女のレベルなら大概のモンスターに苦戦することもない。


 プラム・ミラーベル。

 魔剣士クラス……レベル87。


 スキルよりも希少なエクストラスキルを始め、世界で所持人数が決まっているユニークスキルを多数会得している。

 ……レベル数にしては、各項目の数値の低さが目立つが、補って余りあるスキルの多さを考えれば、バランスを取るための低さとも取れる。


 刃をなぞる血を振り落として、プラムがバロック・ロバートを一瞥した。


「調子は良いよ。ただ、やっぱりレベルの上がり方が遅くなってる感じ」


 レベルが上がれば上がるほど、当然、必要経験値が多くなる。

 一ヶ月で、レベル20近くから87まで上がったのだ、充分過ぎる成果だが、当の本人は満足していなかった。


 彼女が求めるのはカンストランカー……ではなく。

 際限のない強さなのだから。


「こんなところで油を売ってていいの? 向こうの動きは? もしも犠牲者が一人でも出てたら許さないよ」


「安心していいさ。『奴ら』から犠牲を出さないために大都市ティンバーゲンには外壁があるのだからね。万が一にも、侵入すれば分かる。たとえ壁を壊さずとも、ね。最も恐いのが監視の網をかいくぐって知らぬ間に侵入されていることだが……だからこそ、目の数を膨大に設置してある。もちろん、『彼女』の動向もばっちりとさ」


「ふーん。そこまで都市全域を見張れるなら簡単に残りの領土を奪えそうなものだけど」

「奪うことが不利益になるなら奪わないさ。必要とあらばこちらから渡すことも視野に入れている。現状、この均衡が丁度良いバランスで、経済がよく回るわけだ」


 三人のカンストランカーが都市の領土を奪い合っている構図だが、その実、ある一定の比率でシーソーゲームを維持している。

 示し合わせたわけではなく、単なる偶然だ。


 領土を調整しているのはバロック一人のみであり、ピエロ・ブラックはそもそも積極的に領土を増やそうとは思っていないし、メアリーに関しては動いてはいるものの結果が伴わないだけである。

 そうやって成功も失敗も噛み合った結果、現状の比率が出来上がった。


 絶対に動かない支持層が必ずいるため、誰かの領土が無くなることもない。


 三つ巴だからこそ、いいのだ。

 これが二分化してしまうと対立が激化する。


 三つ巴だからこそ、取引きと裏切りが水面下で機能するのだ。


「欲しいものはあるかい、プラム。一人で森にこもるのは大変だろう。自給自足はできるとは言え、君に死なれては困るからね」

「森に似せたモンスターの飼育カゴでしょ。……欲しいものかぁ。じゃあもっと強いモンスターを出してよ。今のままじゃ経験値が少なくて時間がかかっちゃう」


「ふむ。ま、今の君ならやられはしないか」


 すると、遠くの方から雄叫びが聞こえてきた。

 地面を揺らす歩みが、木々をべきべきと倒す音と共にこちらへ近づいてくる。


「聞いていたみたいだね。仕事が早くて助かる……さて、私でもてこずるような相手だ。最初に渡しておいた笛を吹いてくれれば、すぐに迎えにいこう。そうでなくともこちらで危険だと判断すれば、問答無用で助けにいくから文句は言わないでくれたまえよ」


「うん、分かった」


 背を向けた彼女の足下に、丁寧に折り畳まれた服が置かれた。


「サイズは合っているだろう……気が向いたら着てみるといい。今、身につけている服装にも愛着があるかもしれないけどね、私のギルドにいる以上は、少しくらいドレスコードにも気を遣ってほしいものだ」


「はいはい。じゃあまた……一週間後くらい? にでも、ね」


 そう別れを切り出したものの、呼び出しがあればたとえ一時間後でも再会するだろう。

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