009 緑色のホムンクルス

 やがて、賑わっていた人々の喧騒から少し離れた場所に(そうは言っても村と比べたら充分に人が多い、多過ぎるくらいだ)、わざとなのか仕方のないことなのか、歪んだ家が建っていた。

 かき混ぜた水面に反射した家のように渦を巻いた見た目である。


 三日月のような扉を開けると、


『あ、おかえりなさい、メアリー様』


 と声が聞こえた。


 しかし、声だけで、部屋の中には誰もいなかった。


「…………?」

「ただいま。お茶の用意をお願いできる?」


『……そちらのお客様は……いえ、思うところはありますが、承知しました』


 カタカタと食器の音が聞こえる。

 食器だけが、勝手に動いていた。


 一瞬でお茶を沸かし、カップに注ぐ。

 テーブルに二つのカップが優しく置かれた。


「どうしたの? 珍しくもないと思うけど……」


 恐らく、魔法自体は、と言いたいのだろうが――そうだとしてもカムクにとっては魔法も見慣れないものである。

 そっちではなく、カムクが気になったのは窓際に置かれていた筒状のガラス瓶だ。


 手の平に、ぴったり乗るくらいの大きさだ。


 緑色の液体が満たされている。


 その中に、小さな枝のようなものが入っており……。


『……じろじろ見ないでくれますか、失礼な人ですね……っ!』

「は……? これ、っていうか、こいつ、が……!?」

人工生命体ホムンクルスって言うの」


 カチャ、といつの間にか座っていたメアリーがカップを持ち上げ、


「まだ完成じゃないんだけど。あたしの代じゃ多分完成は無理かもね。あと百年もすればあたしたちとそう変わらない姿で作り出すことができると思うんだけど……今はこれが限界。あたしの弟子が優秀であることを願うしかないわね」


「……これが、珍しくもないのか……?」


「これは珍しいわよ? 単なる思いつきで作ってみて、まだ誰も世間には公表していないと思う。誰が実験してるか分からないけど、勝手に競争してるようなものね。一番最初に完成させるのは誰か、ってね」


 もしかしたら既に完成していて、それを誰にも言っていない可能性もある。


「かもね。あたしも、完成したからと言ってこの子を見せびらかすつもりはないし」

「金とか、名声が目的じゃないなら、なんで作ってるんだ?」

「他にも理由は思いつきそうなものだけど……、単純に、人の姿をしたこの子に会いたいだけよ。難しい話じゃないわ」


 ふーん、と、カムクがガラス瓶に顔を近づけた。


『うぅ、あ、あなたは、誰ですか!? そんなに顔を近づけて……っ!』


「あ、それと。その子からしたら裸を見られてるようなものだから、あんまりじっくり見ないであげて」


「……それ、言うの遅いだろ」

『変態っ! っ~~、こ、バカぁッッ!!』



 カムクが背負っていたプラムをベッドに下ろすと、


『その方、呪いにかかっていますね……』


 口を利いてくれなかったホムンクルスが心配そうな声を上げる。

 自分の感情よりも優先して切り替えるあたり、彼女は良いやつなのだろう。


「お願いできる?」

『かしこまりました』


 所作はない。

 ガラス瓶が僅かに光ったと思ったら、どくん、と鼓動の音が部屋に響き渡る。


 すると、横になるプラムの全身から黒い煙が舞い上がり、壁、屋根を伝って窓の外へ出ていった。


 ――たった数秒の出来事。

 それだけで、プラムの顔色が変わっていた。


『しばらくしたら目を醒ますでしょう。もう、これ以上、苦しむことはないですよ』

「…………本当、か?」

『疑うのも勝手ですが、本当だと言っておきます』


「いや……ごめん、信じるよ。……ありがとう」

『気持ち悪いほど素直ですね……さっきまで私を警戒して、じろじろ見ていた人とは思えませんね』


「……さっきは裸を見ちゃってごめんな」

『今もばっちり見てますけど』


 裸だと言われても、カムクには木の枝にしか見えないため、やはり食い違ってしまう。


『気にし過ぎてる私が悪いのは分かってますけどね……』


 自責する姿を想像できるほどの、彼女の感情豊かなセリフだった。


「なんか分かる気がするな……」


 金も名声も関係なく人の姿をしたホムンクルスを作りたいメアリーを理解できなかったものだが、こうして喋ってみたら、この子と人の姿で会ってみたいと思った。


 世間に公表すれば、彼女は見世物にされてしまうだろう……それは嫌だ。


 ガラス瓶の中にいる木の枝で、こんなに魅力的な女の子は、他にいないだろう。


『分かるって……なにがですか』

「ん? ああ、お前は良いやつ……良い女? だなって思って」


『…………』


 なぜか口を利いてくれなくなったので、カムクが彼女から離れて椅子に座る。

 メアリーと向き合った。


「照れてるだけだから、すぐに元に戻ると思うよ」


 らしい。


 カップを取って、口につけ、一気に飲み干した。

 カムクが気になるのは、一つだ。


「……プラムを助けてくれて、ありがとう。それで……いくらかかる?」


 メアリーがきょとんとして、


「お金? いいよいいよそんなの。仲間を助けるのは当然でしょ?」

「仲間になった覚えはない」


 カムクの否定に、メアリーは隠せないほどのショックを受けたようだ。

 目を逸らして、持つカップが震えていた。


「はは……ありゃ、恩を売る作戦は失敗かな」


 その様子に、思わず寄り添った――わけではなく。

 カムクは最初から、こうするつもりだった。


「でも……、これから仲間になって、あんたの助けになることで、お金の代わりになるなら……おれをこき使ってくれて構わない」

「え?」


「ただ、プラムは……、お願いします。おれたちの故郷に帰る、手伝いをしてください」


 テーブルに額を押しつけるように、カムクが頭を下げた。

 カップがテーブルに置かれる。


「そうね……」とメアリー。


「仲間になってくれるのは嬉しい。この子を故郷に送り届けることも考えるわ。だから、頭を上げなさい。敬語も使えなかった生意気な君があたしに頭を下げるなんて、本当に大事にしてるのね。君の本気は、よーく、分かった」


 ただ、一つだけ提案してもいい? メアリーが言った。


「君と、この子……プラムちゃん、よね……? 二人まとめて、あたしの弟子になってくれないかな?」



 翌朝、一番に目を醒ましたのはプラムだった。

 覚えのない寝心地のベッド、見慣れない部屋――ベッドにもたれかかるように、カムクが床に座って眠っていた。


「…………ん」


 朝、と言ってもまだ日が昇りきっていない時間帯だった。薄らと暗い。


 幼馴染みを起こさないよう、ゆっくりと歩き、ドアノブを握って変な形の扉を開く。

 しかし、開けただけだ。その場に立ち止まったまま。


「夢、で……、外に出れる気がしたんだけど……」


 気がしただけだ。

 だが、なんとなく、信憑性はありそうだと思った。


 でも、試すには恐怖が勝る。

 呼吸ができない苦しみを何度も味わおうとも、慣れないものなのだ。


「…………変わりたい」


 ベッドの上で寝たきりの生活はもう、うんざりだ。

 家族、友達、村のみんなに迷惑をかけ、心配させてしまっている。

 病気だ呪いだ、だからこれはプラムのせいじゃないといくら言われようとも、だからって自分が変わる努力をしないでいい理由にはならない。


 病は気から、と言う。

 プラムに、治った後の自分を求める気持ちがなければ、また同じように症状が出るだけだ。

 変わりたい気持ちがあって、変わるための努力をしたならば、病気は治るし、呪いは自然と解けていたはず……そう上手くいかなくとも、まったく影響がないわけでもないだろう。


 こうも症状が長引いたのは、プラムの気持ちが足らなかったからだ。

 今、こうして足が止まってしまっているのがその証拠。


 甘えていた。

 心配してくれる状況に――守ってくれる幼馴染みに。


 ……それじゃあダメだ。

 自分自身が、今のままじゃ許せない!


「強く、なりたいよ……!」


 村のみんなを守れるくらい。


 盗賊団なんかに、村を奪われないくらい、強く……っ!


 そして、プラムが一歩、踏み出した――そこはもう、外だった。


 動悸に異変はない。さらに前へ進んでも、苦しくならなかった。

 症状が、出なかった。


「…………治ってる……?」


 夢でそんな気はしていたものの、やはり実際に治っていると知ると驚く。

 どうして? なんで? どうやって?


 …………クーくん?


「調子はどう? 大丈夫? 苦しくない?」


 突然、横から話しかけられて、びくっとプラムの肩が震えた。


「え、あ、はい。えっと……、お姉さんは……?」

「ライト・メアリー」


 早起きね、と、彼女が大あくびをする。


「調子が良いなら、良かった。これで、普通の女の子として暮らせるわね」

「普通の、女の子……」


「そ。外で元気に遊び回るも良し、花嫁修行をするも良し、ベッドで寝たきりの生活ではできなかったことが、新しくできるようになる。これで君は自由よ」


「自由……」

「君はなにをしたい? 昔から、したいことの一つや二つ、あるんじゃない?」


 ある。


「……クーくんと、対等でいたかった。守られる、だなんて妹みたいな位置じゃなくて、お互いに支え合って、この先も一生、一緒にいられるような、そんな関係に――」


「彼の気持ちに、応えたいってこと?」

「気持ち? クーくんがどう思ってるかは、分からないですけど、でも……わたしはクーくんと一緒に、戦いたいです」


「強くなりたいです!!」


 プラムの真っ直ぐな目に、メアリーはなにも言えなくなった。


 細い腕、白い肌。

 決して、剣を握るべきではない女の子。

 だけど、彼女の意思は固い。


「……報われないねえ、彼は」


 ――プラムの心境を表すように、空が白み始めてきた。


 もうすぐ、朝がやってくる。



 ぐっすりと眠るカムクを見て、ガラス瓶がぼそりと呟いた。


『……ご愁傷様です。でも、私がいますから』



 先に言っておこう。

 これは英雄譚ではない。

 カムク・ジャックル――彼による、彼のためだけの、彼が歩む、


 ――復讐の物語だ。

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