025 黒い鼻と赤い牙

「レベル29、か。……ここから上がらねえなぁ」


 喫茶店のカウンター席に並ぶ、師弟がいた。

 師の方である、ピエロ・ブラックのぼやきに、弟子のカムクが答える。


「だから、もっと強い奴と戦わせてくれよ」

「言われるまでもなく与えてんだよ。単にお前が求める経験値が多過ぎるんだ」


 領土戦において、カムクに優先的に相手のとどめを任せている。

 最後の一撃を与えた者にだけ経験値が入るので、個人が相手に与えた傷の多さは関係ない。


 極端なことを言えば倒れそうな相手を狙って割り込み、仕留めることで効率の良い経験値の稼ぎ方もあるにはあるが……当然ながら奪われた側の非難を買うし、見え方もよくない。


 意図した割り込みの禁止は、上位ライセンスたちの暗黙のルールになっている。


「だからってモンスター相手はなしだぞ」

「分かってる。……けどよお、同じ相手と戦い続けても経験値はだんだん低くなっていくんだ。ゼロってことにはならないが、苦労したのに低レベルのモンスターを狩り続けたのと同じ経験値しか貰えないのは割りに合わないだろ?」


 倒したことがない相手を倒す時こそが、最も経験値が貰える時である。

 自分よりもレベルが上だと、さらに高い経験値数が稼げる。


「……けど、レベルが自分よりも上だと逆らったらダメな風潮なんだろ?」

「あくまでも風潮だ。ルールじゃない。それを浸透させたのは学校の存在が大きいな。だからこそ、奴はなによりも優先して学校を作ったんだろうがな」


 子供たちのため、という見映えの良い理由を掲げて。

 指導と称して情報操作をおこなった。


「師匠も学校に出てたのか?」


「いや? 学校が出来た時は俺もいい大人だった。年齢関係なく授業は受けられるが、新しいものが現れてすぐに手を出すほど不用心でもないんでな。しばらく様子を見たら案の定だ。よくねえ風潮が蔓延し始めたから避けたんだよ。まあ、風潮になっちまえば、俺が授業を受けていなくとも内容は大体のところ把握できるもんだ」


 上位と下位ライセンスとの差、モンスターへの嫌悪など、今でこそ都市で当たり前になっていることが、当時はまだどっちに転んでもおかしくない不安定なものだった……それを片側へ、ぐいっと押し込んだのが、バロック・ロバートである。


 都市を発展させ、学校を作り、登壇した彼の授業を疑う者はいなかった。

 冗談と捉える者はいても、反抗するにまでは至らない。


「……なあ、お前はよお――」


 師匠からの不可解な質問に、カムクが「はあ?」と声を出した。


「いや、なんでもない。忘れろ。……ひとまず今日の領土戦だ。経験値は少ないが、それでも今のお前のレベルを考えたら決して少なくないんだ、やらないのも損だろ」

「っていうか、師匠が相手してくれればいいじゃん」

「てめえ、俺に倒されろって言うのか?」


 顔を近づけた師匠の黒鼻が、弟子の鼻にぶつかる。


「倒されろなんて言わねえよ――全力でやれ。俺が師匠を倒すッ」


 両者ともに、口の端が吊り上がった。


「調子に乗んな。そういうことは、お前の幼馴染みに勝ってから言え」

「すぐに越えてやるよ……! あいつを見返して、あいつから剣を取り上げる――」



「こんなレベルで、ちんたら躓いていられるかよっっ!」


 やる気に満ちた弟子の背中を見送り、閉まった扉を眺めながら、


「……なにを聞いてんだか、俺は」


『――二回目か?』


 そんなことを聞いて、素直に頷くとも思えない相手に。


「だけどよぉ、おかしいんだよな。あいつの数値……レベルに合ってねえ」


 各項目の数値だけを見れば、レベル50以上でもおかしくないのに、だ。

 すると、扉が開いてギルドメンバーの一人が駆け込んできた。


「マスターッ!」

「喫茶店でマスターって呼ぶな。どっちが振り向いていいか分かんねえ」


 しかしそんな冗談も、駆け込んできた青年は取り合わなかった。


「夢魔の領土に、老若男女問わず、多くのメンバーが加入したようです――推定ですがゆうに百名は越えているかと」

「それ、息を切らしてまでいちいち俺に報告することか?」


 溜息を吐いて、湯気が昇るカップを持ち、口に運ぶ。

 ――ぴし、と、カップの取っ手に亀裂が走った。


 気付いたピエロ・ブラックが眉を寄せたのと同時、


「殺されて、いるんです……ッッ」

「あん?」


 そう聞き返した瞬間だ。


 喫茶店の天井に穴が空き、鉄の塊でも落ちてきたような衝撃が抜ける。


 店主と青年の首根っこを掴んだピエロ・ブラックが咄嗟に、鉄の塊でなく丸まった肉の塊から距離を取る。

 すると、花開くようにそれが広がりカウンターの上に立ち上がった。


 老人だ。

 頬や足首が赤く、付着した血かと思ったが、違う。


 元からそういう皮膚なのだろう。


 目を凝らすと肌色と赤色の境界線が分かる。

 質感もまったく違う。


 人のそれと変わらない質感と、ザラザラしたようなあれは……爬虫類、か?


「ピエロ・ブラック……、じゃあここは違うか」


 見た目は老人だが中身が違う。

 ピエロ・ブラックがマントの内側から銃を取り出した。


「おいおい。知った顔だろう?」


 確かに、知り合いではある……が、本物ならばもっと腰が低いはずだ。


「俺を知ってるなら、躊躇わないことくらい知っているはずだぜ?」


 言葉通り、容赦なく引き金を引いた。

 撃ち出された弾丸が老人の額を貫く。


 カウンターの内側に倒れた老人の体がガラス瓶を倒し、甲高い音を連続させる。


「……ふう。なんなんだ、こいつは一体……」


 隣で腰を抜かしていた茫然自失の青年を蹴飛ばし、「おら、調べろ」と促す。


「は、はい!」


 と立ち上がった青年が。


 ぐるん、と。


 首を回転させてピエロ・ブラックの首に噛みついた。


「……………………あ?」


 青年の口内に、裂いた首から多量の血が流れ込む。

 ピエロ・ブラックの膝が落ちた。


 抵抗するため引き金を引こうとしたが、気付けば銃が地面に落ちている。


 …………いつの間に、手放していた?


「あんたを捕食できるなんて運が良いなあ! さて、これで近づいた。バロック・ロバートはどこにいるんだ?」


 視界が狭まるように意識が遠のく。

 ……浮かれていた、罰だった。

 だから間合いに入っていた敵を疑えなかった。


「情けねえ……っ」


 かつてのピエロ・ブラックなら決してしなかったミスだ。

 それを変えたのは……。


「笑い飛ばせよ、カムク。師匠が弟子に教えたことを、できなかったんだからよぉ」


 そして。


 ピエロ・ブラックの姿をした、まったく別の生物が喫茶店を出た。



「カムク、それ」


 ダリアが、カムクが持つ銀剣の刃に指を這わせた。


「ひび入ってる」

「うわっ!? ほんとだ……師匠が買ってくれた高い剣なんだけどなこれ……」


 領土戦が始まる寸前だったので、代えの剣を取りにいく時間もない。

 それに、カムクに合わせて作られた特注品なので、中途半端な銀剣だとカムクの力に剣が耐えられない可能性が高い。

 ひびが入っているなら尚更、一撃で折れるだろう。


「剣なしで戦うか……?」


 どう思う? とダリアに視線を向けたが、彼女は質問に答えない。

 相変わらずマイペースだ。


「ねえ。最初は毛嫌いしてたのに、どうしてマスターのことを認めたの」


 師弟関係を結んだ二人だが……以来、喧嘩を繰り返す毎日だった。

 顔を合わせれば、互いの悪口から入る。

 誰が見ても犬猿の仲で、ギルド内でも二人が鉢合わせないように、みんなに気を遣わせるくらいだ。


 ……だが、悪口を言い合っているのに、二人とも、なぜか嬉しそうなのだ。


「口を開けば外道って言ってるのに」

「本当に外道なら人は集まらない。師匠もギルドなんて作らない……だろ」


 信頼があるから、人がついてくるのだ。

 見限られていないのは、ピエロ・ブラックの本音が見えているからである。


 すると、屋根に着地した足音が連続して聞こえた。


「領土戦、もう始まるか?」


 カムクとダリアに追いついてきた三人のギルドメンバーが隣に立つ。


 合わせて五人。

 参加者がこれで揃った。


 ちなみに、ベルとステラは今回は参加者でない。

 二人は近くの町で起きた騒ぎの偵察へ向かっている。


 ギルド内ですら誤解されがちだが、いつも三人一緒、というわけではないのだ。


「こっちは揃った、けど……相手がまだきてないな……?」

「カムク」


 呼ばれて振り向く前に、どん、と蹴られ、カムクの一歩が宙を踏んだ。


「おわあ!?」


 屋根から地面へ一直線に落下する。

 幸い、積まれた酒樽があったのでそれをクッションに衝撃が和らいだ。

 ただ、酒樽が割れ、ずぶ濡れになってしまう。


「おい! なにすんだ、ダリ――」


 カムクが見たのは。

 ダリアの太くごつい剣に噛り付いている、仲間の姿だ。


「なん、だ……そいつ…………っ」


 人間とは思えない鋭い牙、両手の甲から指先、爪にかけて、肌色の皮膚ではない。

 ザラザラとした、赤い爬虫類のそれにしか見えなかった。


 爪の鋭さは刃と変わらない殺傷力を誇るだろう。

 身を守るために剣を構えているダリアは、だからこそ身動きが取れなかった。


 異変が起きた仲間は一人だけでない。

 残りの二人も同じく、瞳が違う。

 狩猟本能を思い出した獣の視線――。


「ダリア!!」


 飛びかかった二人が空中で――斬れた。


 形が揃わない十数個のパーツに分断され、血の雨と共にぼとぼとと落下してくる。


 落ちてきた腕を見ると、爬虫類の皮膚になっている……モンスター?


 ギルドの仲間でなかったことに安心したが、しかしだ、モンスターがこの姿をしていることこそが、既に最悪の結末を示唆しているのではないか……?


「その一体は自分でなんとかしてね、ダリア」


 声に振り向く。

 久しく聞いていなかった。

 同時に、振り向いて一瞬、誰だか分からなかった。


「……………………プラム? だよな…………?」

「幼馴染みの顔と声、忘れちゃった?」


 一緒、だ。

 そのはずだ、なのに…………。


 返り血に染まる彼女を見て、思わず剣を向けそうになった。


「……こ、殺し、たのか……?」


 人間を……?

 違う、人間に化けていた、モンスターを。


 いや、獣の、民を!!


「うん、そうだよ」

「なん、で……ッ、なんでだよッッ! どうして――お前は獣の民を殺しておいて平気な顔をしていられるんだ!?」


「だって……」


「モンスターなんだから、殺すべきでしょ?」

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