038 アンナ・スナップドラゴン
筋力が上がれば、筋力数値は上昇する。当たり前だ。
ベルが言っているのは、同じことだが、
筋力数値を上げることで、
実際、ベルは筋力数値をいじってゼロにした。
だからこそ、レベル99の彼女の拳を喰らっても、カムクに痛みがなかったのだ。
……だったら?
もしも、筋力数値を意図的に上げたとしたら。
たとえ軽い拳だったとしても数値に依存した威力が発揮される。
こんな風に。
「が…………ごぁッッ!?」
カムクの胴体に、一瞬で懐に潜り込んでいたベルの拳が突き刺さる。
「あ、やば」
慌てて、吹き飛びそうになったカムクの体を掴み、地面に叩きつける。
亀裂が走ったと思えば地面が割れ、周囲の建物が巨大な穴に吸い込まれていく。
崩落。
天災であり――天変地異である。
「ベル、殺すのはプラムだけ。カムクを殺したら本末転倒だから」
「ごめんごめん。やり過ぎちゃった」
「すぐに回復させます」
ステラの魔法で、五臓六腑の全てが使いものにならくなっていたカムクの意識が戻る。
ちなみに彼女の魔法で全員が宙に浮いており、穴に落ちることはなかった。
全員が足場に戻った後、
「どうする?」
ベルの質問は意味のないものだ。
「プラムを守るためにあたしたちと戦う?」
戦うと答えたところで、ベルたちはカムクを殺せない。
彼を気絶させた上で、プラムを殺すことになる。
戦わないと答えればそのままプラムを殺すだけだ。
まあ、カムクがどう答えるかなど聞かずとも分かってはいたが。
カムクもさすがに、実力差が分かっているだろう。
いくら相手の数値までは見えないとは言え、こうも手玉に取られてしまえば挑む気力なんか普通は湧かない。
――だが、
「…………ここで、おれが、プラムを見殺しにしたら……お前らは失望するだろ……!」
「よーく分かってんじゃん」
数字も数値もあくまでも基準であり、勝負を諦める理由にはならない。
たとえ実力で負けていても、いついかなる時にイレギュラーが発生するかも分からない……それに乗ることで、困難を乗り切ることが、できるかもしれないのだから。
最後まで諦めない。
泥水をすするように這いつくばってでも、千載一遇の好機を逃さない。
最初から、カムク・ジャックルはそういう生き方をしていたはずだ。
「諦めるか……諦めてたまるかッッ――やっとのこと、取り戻したんだ……っ。お前らからしたら何度目か分からない挑戦かもしれない……でもな、おれにとってはたった一人のプラムで、やっと手に入れた居場所なんだ! お前らが積み重ねてきたもんなんかおれには知ったこっちゃねえッ! 絶対に、奪われてたまるもんかよおッッッッ!!」
「互いに譲れない――いいじゃんいいじゃん。だからこそ、戦うんだよねっ」
話し合いが無理なら力尽くで。
昔から変わらないその考えが、終わらない戦争を生んでいる。
「まったく、あなたたちは体が大きくなっても子供のままなのね」
きぃ、きぃ、という車椅子の音と共に、全員が目を見開いた。
カムクとプラムは、単純に、危険な場所に無防備でやってきた老婆の神経を疑い、
ベル、ダリア、ステラは、まるで死者を見ているようで、自分の目を疑っていた。
そしてアンナは――年老いた『
老婆の膝の上で眠るエメラルドグリーンの色をした猫に、視線が集まる。
「……
「ベル。あなたと同じ方法で過去までやってきたわよ? この時代の私の願いに応えるために……ね」
老婆が見上げて、幼い頃の自分に目配せをする。
アンナが戸惑いながらも頷いた。
「さて。ひとまずは説教から始めるとしようかね――」
未来からきた三人の少女が持つユニークスキルは、アンナの一時的なレベルダウンが強化されたものである。
正確に言うなら、会得者利用制限がかかっていない、先天性のユニークスキルである。
加えて、カムクの数値の上昇が多いのも、プラムのスキル会得数が多いのも、これに属するものだ。
たとえレベル90オーバーの天才でも、先天性ユニークスキルを持たない者は多い。
それくらい希少なものなのだ。
「ホムンクルスを作る時に何度も私の体を使ったからね……その上で、この子たちの細胞を使い回したことで、スキルが強化されてしまったのね……」
先天性ユニークスキルは通常、親から子へのみ遺伝するスキルだ。
時間をかけ、いくつもの世代を経て強化される……それがホムンクルスを介することで擬似的な世代交代が早いスパンでおこなわれたことで、スキルが強化されてしまったのだ。
もちろんスキルにデメリットもあり、短期間で何度も使用できるものではないが……三人もいるのだから使えない期間を埋めるように順番を回せば、強力な攻撃が絶え間なく撃てる。
今回は三人が同時に使用したが、彼女たちも本気ではなかったのだろう。
プラムを本当に殺す気であれば、巨大な穴を開けた時に見殺しにしていれば良かった。
しなかったのは、彼女たちの中にもまだ良心が残っていたからだろう。
三人であるがゆえに、誰かが殺すだろうという期待がぶつかり合って、結果的に誰も手を下そうとしなかった。
このあたりは普通の少女と変わらない……誰かのために誰かを殺すと決めても、輪に混ざってはいたくても、当事者にはなりたくなかった――。
『…………ごめんなさい』
武器を置き、ベル、ダリア、ステラが正座をしている。
彼女たちにとって未来のアンナは大好きな生みの親だが、同時に最も恐い母親である。
「私のためとあなたたちは言ったけど、私が本当にそれを望んでいると思う?」
さっきまでとは打って変わっておとなしいベルに代わり、ダリアが答える。
「でも、死ぬ間際に言ってた……後悔してるって……」
目の前にいる未来のアンナは当然、死ぬ間際を体験していないため、実際のところは分からない。
ここでいくら説得したところでいざ死ぬ間際になってみればぽろっと本音をこぼすかもしれない。
ベルたちはそれを何度も味わっていると言った……そうなると未来のアンナの言葉でも、彼女たちを納得させるには弱いかもしれない――。
「それはまあ、言うでしょうね……」
水を得た魚のように、ベルが腰を浮かせた。
「だからっっ、あたしたちがその後悔をなくそうとして――」
「あなたたちのおかげで後悔がなくなったとして……つまりカムクと上手くいったとしたら、私はあなたたちを作ろうとは思わなかったのよ?」
ベルたちはそれも覚悟の上だった。
本来の歴史から逸脱したこの世界では、本来ならば完成するはずだったホムンクルスが完成しないことを意味する。
そうなると色々と別の世界と齟齬が生じることになるが、それはそれ、アンナの幸せが優先だ。
「昔の私はカムクに注げない愛情をあなたたちに向けたの。メアリーの研究を引き継いでグリガラと一緒にね。そうして生まれたあなたたちと一緒に過ごすこれまでの日々が、私にとってはつまらない日々だった、と、あなたたちはそう決めつけたいのね?」
「それは……」
「確かにカムクに想いを伝えなかったのは後悔してる……でもね、だからってあなたたちとの日々をなかったことにはしたくない。結局、人生は一度きり、そう何度もやり直しなんてできない。リセットボタンなんてどこにもないのよ。だから、後悔はあってもそれを本当にやり直したいだなんて、私は思わない。もしもの話を冗談交じりに言っているだけで本気じゃない。だって、後悔するだろうと分かっていて私は伝えないことを選んだ。あなたたちホムンクルスを完成させて一緒に過ごす日々を選んだ。カムクと結ばれなくても私は、それ以上に幸せを感じていたのよ!!」
感情的に喋ったアンナが咳き込んだ。
前のめりに倒れそうになる彼女の体を、ホムンクルスの三人が慌てて支える。
「あなたたちは、違うの……? 生まれたことを後悔して……私と過ごす日々は、つまらないものでしか、なかったの……?」
「違うよっ、楽しかった、幸せだった!!」
「アンナと、ずっと一緒に、いたかった…………っ」
「ステラはどうだい?」
抱きつくベルとダリアよりも少し後ろで、遠慮がちにステラがアンナを見つめる。
「うち、は……」
「あなただけはまだ、ホムンクルスらしさを残してるから人の感情は分からない?」
「……分かっているのか、分かりません。でも、とても悲しい、です……」
すぐに答えを出せるステラが、珍しく言い淀んだ。
「私が死ぬことが分かっているから? でもね、ステラ。私はあなたたちを育て、色々なことを教えたわよね? それを、今度はあなたたちが下の子に教えるの。そうして世代が交代していく。こんな老いぼれに構っているなら生まれてきたばかりの子に目をかけてあげなさい。昔の時代に固執しないで、未来を見なさい。私という今に執着してないでさっさと前を向いて進みなさい。それが私の望みなの――」
「私のためを想うなら、後悔じゃなく望みを聞いてほしいものね、まったく……」
さて、と未来のアンナの意識は前に向いているものの、意識は後ろ。
今の、アンナへ向けられた。
「そうは言っても、このまま挑戦しないでいるのは確かに勿体ないわね」
「で、でも……」
「言うだけならなにも失わないわ。それに、あなたが告白したくらいで――万が一、あなたとカムクが結ばれたところで、三人の輪は崩れないわ。なにを恐がっているのか、分かるけど……でも、そう怯えるものじゃないわよ」
すると、彼女の口調が変わった。
「あと、その程度でプラムが輪からはずれると思っているなら、私の親友を舐めないでくれる? たとえ昔の自分が言ったことでも、気分が悪いわ」
「ご、ごめんなさい……」
だからね、と。
「私の時代では想いに応えてくれなかったけど、あなたの時代は? それはあなたが切り開くもので、誰の言う通りにもならないはずよ」
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