028 ライト・ブルーフラワー

 アンナの後ろ姿を見て、メアリーが昔の自分を思い出す。

 無謀なことをしようとしている小さな背中。

 目の前の敵と自分の力量差も分かっていないバカな行動に叱りたくてたまらない。


 だけど。

 ……嬉しかった。


 だから、失ってはならないと思った。


 あの日、あの時、忘れもしない光景が、何度目だろう……まぶたの裏に蘇る。


 師であるルヴィ・メアリーが、バロック・ロバートが振るった剣からライト・ブルーフラワーを庇ってくれたのだ。


 当時、既に八十歳に近い年齢だった彼女はどんなに軽い一撃だったとしても致命傷になっていただろう。


 病気も患っていた。

 いつ逝ってもおかしくはなかった。


 たまたま、引き金を引いたのがバロック・ロバートだった――。


 いや。

 引き金を引くきっかけを作ったのは、他でもないライト・ブルーフラワーだった。


 彼女が勘違いで、無謀にもバロックに杖を向けなければ、彼だって応戦しようとは思わなかったのだから。


 バロックは何度も説明していた。


『殺されそうになっていたら、こっちも手加減なんてできないさ』


 ……あれ?


 死ぬ間際だからこそ見えた走馬燈を観察していると、当時はなかった冷静さが自分の過ちを浮き彫りにさせていた。


 バロックは、ルヴィ・メアリーを始末しようとはしていなかった? 

 ただ、寿命が近い彼女の代わりに、次のギルドマスターを決めなければならないという話し合いをしていただけだった……?


 ルヴィ・メアリーを引退させる、その言葉だけを切り取って。


 メアリーが物陰で聞いたバロックの思惑は、ルヴィ・メアリーを暗殺するという内容では、なかった――?


 メアリーの早とちりであり、思い込み。


 勘違い。


 ……だとしても。


 バロックへの勘違いによる襲撃はメアリーが悪い。

 でも、だ。


 当時から彼は都市を発展させ、人々の信頼を集めていた。

 なんのために? 

 都市の発展、人々が幸せに生活できるために――なるほど立派だ、尊敬する者が多いのも納得である。……だが。


 この男が本当に他人のためだけに労力を割くとは、思えない。


 生理的な嫌悪感でしかなく、

 証拠はない。


 しかし、今の彼は、どうしてレッドオプションが町を荒らしていても、抵抗しない?

 まるで、中途半端に出来上がってしまい、組み替えることができなくなってしまった手作りの積み木を、一旦、全て崩して一から組み立て直すかのような――。



「アンナ……あたしが、裏切っていたって」

「うん、知ってた」


 プラムがギルドを抜ける際の会話を、部屋の外からアンナも聞いていた。

 裏切り者、という指摘に頷きはしなかったものの、そういう疑惑があるギルドにはいられないと言われた後、同じく聞かれていたアンナにも避けられる、と思い込んでいた。


 聞かれていなかったカムクの選択は想定外だったが、プラムを追うだろうとも考えていたので驚きはしなかった。

 だから、アンナの選択こそが、想定外だった。


 メアリーが裏切り者であっても、たった一人、ギルドに残ったのだ。


「どう、して……?」


「ここは、私と、カムクとプラム……グリガラと、メアリーの居場所。私を受け入れてくれるたった一つの、私が帰りたいと心から思える居場所なの! それを失いたくない……きっとプラムは戻ってくる! そしたらカムクだって! その時に、このギルドがなくなっていたら……っ、メアリーがいなかったら――意味がないのっっ!!」



「私は、また、あの日々に、戻りたい……っっ」


 そんな願いを、否定する声が届く。


「くだらないな。三人の中で君だけだ。君だけが、後ろを向いている」


 そう、


「過去に、縛られている――そんな奴が前に進めるわけがない」


 プラムは都市の人々を守るためにモンスターに手をかけることを覚悟し、

 カムクはプラムと敵対することで、彼女を取り戻そうとしている。


 そんな中で、アンナは昔のままがいいと、その場で停滞したままだった。


 置いていかれた彼女は、決して二人の間には入れない。


 進んだ二人が戻ってくることは叶わないだろう――もしも、本当にあの日々に戻りたいのであれば、二人と並ぶくらい進んで、手を掴み、引き戻すしかない。


 アンナ自身の手で、だ。

 そのためには、


「まず、この逆境をどう乗り切る気かね?」


 アンナが覚悟を決め、杖を構える。

 すると、蜘蛛の巣状に地面に亀裂が走る。

 ベキベキと剥がれた地面が互いにくっつき、次第に腰から上だけの巨人の姿が形作られた。


 バチッ、バッチィ! と巨人の周囲で紫電の光が瞬く。

 巨人の握り拳が振り上げられた。

 見上げたバロックが「ほお」と感心し、


「ゴーレム使いへ、ツリーを伸ばしたか」


 魔導師に限らず、進むべき指針を決めるとそれに応じたスキルを会得しやすくなる。


 ただ、可能性が上がるだけだ。

 必ずしも特定のスキルが会得できるわけではない。


 たとえば魔法系統のクラスであれば、火属性をメインにすると決めると低レベルであっても高レベルで会得するはずだった高威力の火属性魔法を会得できることがある。


 通常スキルやエクストラスキル――そして十万人に一人の確率で、ユニークスキルが、だ。


 師匠がまともなら普通は進むべき道を絞らせる。

 たまに圧倒的な才能ゆえに全系統のスキルを持ち合わせた天才がいたりするが、仮にアンナがよく知る『彼女』を引き合いに出すとすれば、意外と高威力のスキルは会得していなかったりする。


 火も水も雷も氷も大地も光も闇も、なにもかもを会得していても、さらに三段階の威力増幅を重ねられた会得難易度がレベル80オーバーのスキルの数は少なかったりする。


 でないと彼女の価値が跳ね上がってしまう。

 彼女一人がいればライセンスもモンスターも、全てを支配できるくらいに、だ。


 そうならないために、バランスが取られていると言えよう。

 器用貧乏にならないために、アンナは『ゴーレム使い』として、道を絞ったわけだ。


「だが、所詮はレベル45のゴーレムだ。私には虫を弾くのとそう変わらないさ」


 しかし、バロックのレベルの数値が、ぐんぐんと下がっていく。

 カンストランカーだった彼のレベルは、現在に限り70にまで下がっていた。


 ……ここが限界だった。


「驚いたな……、一時的なレベルダウンのユニークスキルの持ち主とは」

「ッ……!」


 アンナが歯噛みする。

 振るわれたゴーレムの拳は、やはり、バロックの剣に受け止められていた。


「誇るべきだ。私に剣を抜かせたのだから」


 そもそも、全身スーツ姿のどこに剣があったのかさえ、見えていなかった。


 ……いつ取り出した?


 まるで、見えていなかっただけで、元々この場にあったかのような。


「レベルダウンは厄介だ。会得したスキルも、レベルダウンによって会得したレベル以下になれば、使えなくなってしまうのだから。まあ、私の場合は少し特殊で影響は受けにくいのだが……それに、レベルを下げられても70だ。君の手に負えるのかね?」


 ゴーレムの腕が、肩口から斬り落とされた。

 次に胴体。


 誰かさんのように十数個のパーツに分断させられた。

 見よう見真似だったのが、彼女の方か?


「つ、次のゴーレムを……」


 堅い守りと一撃の破壊力で全てを押し潰す、攻守ともに優れたゴーレムをアンナが選んだのは、心のどこかで一人でいることを想定していたからなのかもしれない。


 本当にプラムとカムクと一緒にいることを望んでいたのなら、チームワークの上で孤立しがちになるゴーレム使いになることをまず避けるはずだ。


 たとえ一人でも、誰かと一緒にいることを望んでいたからこそ――、


「人形で一人遊びかい?」


 言い当てられ、集中力が途切れた。

 完成間近だったゴーレムの一部が、崩れ落ちる。


 慌てて魔法を発動し直すが――、


「いいのかい? 後ろ」


 アンナが気付いて振り向いた時にはもう遅く、


「せめて二体同時作成スキルくらいは会得しておくべきだったようだね」


 牙を剥いた少年の姿をしたレッドオプションが、アンナの首筋に迫る。




 鋭利な牙が白い肌を突き破り、鮮血が宙を舞う。


 アンナが見ている世界がゆっくりになり、飛び散った血の雫、一粒一粒の輪郭がくっきりと見えている。

 やがて、早送りしたように散った雫がアンナの顔にかかった。


「い、や……ッ、なん、で――なんでッッ!!」


 呪いによって動けないはずのライト・メアリーが。


 アンナを庇って、少年に首筋を噛まれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る