第21話 一番簡単な魔術

 魔術式とは、回路である。綿密に描かれた回路に魔力を流せば、そこに書かれたままの効果をあらわす。

 魔術式に使われている文字は古代語だとか精霊語だとか言われているが、今はもうその答えは分からない。遠い昔に失われた文明の遺産だ。我々は長い年月をかけてその一つ一つの意味を読み解き、応用していった。

 現代魔術の基礎になった古代の魔術式はいくつか残っているが、現在でもそのすべての文字の意味が解明されているわけではない。

 魔術師とはただ魔術を行使する者と思われているが、実際は研究者としての役割が大きい。


 ◆◆◆


 ダンジョンも、三層目ともなると暗くて明かりを灯さなければ進めないことが多い。けれどこの祈りの地の三層目は歩けるくらいの明るさを保っている。床や壁に発光する素材が使われているのだ。壊されている所もあるが、そこ以外は白くぼんやりと光るので周囲の様子も見やすい。


「三層目は魔物も強いし、行方不明者が出た場所です。気をつけましょう」

「おう。分かってるぜ」


 資料によると三層目の魔物はゴーストと呼ばれるガス状の魔物、死霊騎士と呼ばれる鎧を着た死者、魔法が使える闇の司教など。強敵だが滅多に出会うことはない。

 このダンジョンに核があった頃は、三層目で不死王リッチが守っていて苦戦したとの記録があったが、今はもう不死王は出ない。


 通路を歩いていると、どこからともなくゴーストが現れた。すぐにサーラが短剣で斬り、切り口から見える魔石を駆け寄ったエヴァが引っこ抜く。

 おかしいな。こんなゴーストの倒し方があるのか。普通は魔術で倒すものだが……。


「サーラが上手に切ってくれるから、魔石が綺麗なまま手に入るわね」

「ゴーストなら任せなさいっ。ゾンビよりはずっとましよ!」

「すげえな。俺は魔石を切って倒すんだが……」

「そのほうが安全ね。ゴーストは魔石の無いところを切っても魔法を使って反撃するから。でも切ったら魔石がもったいないでしょう?」


 エヴァの魔石への執着は酷いな。

 だがエヴァとサーラは優秀な冒険者で、安心して一緒に戦えた。


「それにしても不思議ね」

「どうした?」

「ほら、そっちの壁のほうを見て」


 エヴァの指さす方には祈る女神像が白く浮かび上がっていた。


「これが祈りの地という名前の由来ですね」

「上の層の女神像は全部壊されていたのに、どうしてこれは無事なのかしら」

「上で像を壊した連中も、何もないのが分かってここではもう手を出さなかったんじゃないか?」

「えー、ここは盗賊とかも入ってたんでしょ。絶対壊すか丸ごと全部持っていくと思うけどなー」

「そうですね」


 残されていた女神像の周囲をよく探してみるが、変わったことはない。石で作られた像は年月を感じさせないくらい美しいままだった。

 先に進み三層目をくまなく調べたが、ここもまた上層と同じく変わったことはない。ただ無事に残っていた女神像が全部で四体あった。


「これは……」

「どうした、クレイ?」

「地図に女神像の位置を書いてみたんですが」

「あら、綺麗に真四角に配置されていますね」

「これは魔術式でもよく使う方法なんです」


 正方形や正六角形など、幾何学模様の頂点にシンボルを配置する。そしてその間に必要な要素を書き込むのが魔術式だ。

 普通ならば平面に特殊なペンとインクを使って書くのだが、これが立体的に構築された魔術式ならば貴重な発見になる。


「もしこれが魔術式だとしたら、広すぎてすべてを読み取ることはできませんが大切なことは中心近くに書かれているはずです」

「でも、今は行方不明の原因を探さなきゃ。研究なんて、あとあと!」

「けれどここまでかなり気を付けて探しましたが、何の痕跡もないでしょう?どうせ手掛かりはないんです。この女神像達が見つめる先を確認しに行きませんか?」

「そうねえ。確かそこは広間になってたわよね。私ももう一度調べてみたいわ」

「エヴァがそういうなら……」

「よし、じゃあ行くか」


 エヴァの言う通り、女神像に囲まれた中心は広間になっていた。

 がらんとした何もない場所だ。


「ここは核の間ですね。リッチがここで核を守っていたはずです」

「ここ、さっきもなにも出なかった! きっと安全地帯になってるんだよね」

「ええ、まあ、そうですね」


 サーラの話に適当に相槌を打ちながら、私は床の模様を一生懸命読み取っている。

 ただの模様だと思っていた床は、そう思ってみればまぎれもなく、巨大な魔術式の一部だった。


 魔術式は複雑に絡み合っていて、読み取るには糸口を探す必要がある。地面を這うようにして目を凝らす私。他のみんなもそれぞれ部屋の中を探していた。どのくらいそうしていただろう。

 背後で、小さな悲鳴が上がった。


「エヴァ! エヴァがいない!」


 ◆◆◆


 古代の魔術式がまだ完全に解明されていないというのは、魔術師以外にはあまり知られていない。

 祈りの地で起こったこの不思議な出来事が何なのか、それを完全に解明するにはまだまだ時間がかかるだろう。私たちはその解明よりもまず、見失った仲間を探すことに全力を注いだ。

 だからこれを読んでいる諸君に託したいと思う。

 このページに書かれているのは、最も簡単な魔術式の一つである。

「着火の魔術」はほんの小さな火をつけることができる。ほとんどの人は魔道具を使って火をつける。

 けれどこの魔術式こそが基本であり、魔術の研究の基礎である。

 この式を足掛かりにして、魔術式に興味を持ち、研究の道へ進む人が現れることを望む。

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