第20話 消臭紙の魔術
人にしろ動物にしろ、生きていくうえで必要な能力の一つに「環境に慣れる」というものがある。
キッチリと一分の隙もなく仕上がったものよりも緩みというか遊びというか、環境に合わせて変化できる余裕のあるものの方が強い。
だから人は様々な場所や物事に慣れる。それは決して悪いことではない。
怖いのは、慣れて変わってしまった自分に気付かないことだ。
◆◆◆
ダンジョンの地下一層目には大抵、簡単に倒せる弱い魔物が出る。
祈りの地の一層目によく出るのは、スケルトンと呼ばれる骨だけの魔物だ。
薄暗い通路に目を慣らしてから注意深く奥へと歩いていくと、前からボウッと光る骨が駆けてくる。おそらく元は狼だったのだろう。見る見るうちに近付いて、牙の生えた口をがばっと開ける。
スケルトンは肉体があった時よりも身軽で、素早く動くのが面倒だが力は弱い。
ユーリケが剣を構えるよりも前に、エヴァが剣の腹で殴り倒した。
「やるなあ」
「動物のスケルトンは脆いのよねえ。でもほら、きれいな魔石」
スケルトンと言えば人間の骸骨を連想するかもしれないが、ここでは動物や魔物の骸骨が多い。元が動物であっても、スケルトンという魔物に変化したからには、魔石を持っている。その魔石の魔力で元の形を保っているのだろう。魔石のある辺りが薄っすら明るく見えるので、魔石自体は小さいけれど、倒した後に取りやすい。
魔石を取ると残った骨はバラバラに散ってしまう。
素材としての価値はないのでそのまま放置するが、これも明日にはもう消えているだろう。
通路を曲がるたびに小動物のスケルトンが襲ってくるが、せいぜい一匹か二匹なので危険というほどではない。
「依頼書によると冒険者が行方不明になったのは、三層目ですね。一層目と二層目はざっと見ることにして、三層目を重点的に調べましょう」
「クレイさん、了解でーす。エヴァ、そんなネズミのスケルトンなんて無視して先に行くわよ!」
「でもせっかく簡単に魔石が取れますのに、もったいないわ」
「ミリサイズの魔石なんて売れないじゃん……」
「すぐに拾えるわよ。ほら。さあ行きましょう」
奥に行くにしたがって大きなスケルトンが出てくるが、この程度なら魔術を使うよりも杖で殴ったほうが早い。四人で片っ端から殴り倒して奥へと進んだ。
急ぎ足で一層目をざっと見て回ったが、不審な点はない。強いて言えば核を取ったダンジョンにしては魔物が多すぎるという事だろうか。
「二層目はゾンビが多いので気を付けてください」
「あー、ゾンビか」
「嫌ねえ」
「エヴァ、ぜーったいに魔石は拾わないでよね!」
「サーラったら、もったいないわねえ。私、魔石は拾う主義なのに」
「洗わずに袋に入れたら全部の魔石に臭いが移っちゃう!」
ゾンビは腐敗した死体が魔物化したものだ。これも人、獣、魔物といろいろいるが、どれも臭いが酷い。この層は出来るだけ戦いを避けて、出会ったとしても切らずに魔術で焼き払うようにして進む。
一層目と同じく、取り立てて変わっている点は見つけられなかった。
◆◆◆
ゾンビの臭いを知っているだろうか。
一度出会ったらおそらく一生忘れられないだろう。世の中には強烈な腐敗臭を持ち味にしている加工食品もあるが、私はどうしてもあれが食べられない。何故ならゾンビの臭いを知っているからだ。
さて、目に見えないくらい小さいが臭いというのも物質であり、実は捕まえることができる。服や身体に臭いが付くというのは、実際に臭いを発する小さな粒を布や皮膚が捕まえているからである。
服や身体は洗えばいいが、空気中にまんべんなく広がった臭いを全部捕まえるのは大変だ。普通であれば窓を開けて臭いの粒を外に出す。けれどもそうできない場合はどうするか。
このページの最後に書いている魔術式を、しっかりとした紙に丁寧に書き写してほしい。これは風属性の魔術式で、部屋の空気をその紙で漉し取るような仕組みになっている。
紙は魔術式を保持するには弱い素材であり、しばらくすると燃え尽きるだろう。そのときに漉し取った臭いの粒も一緒に燃やしてしまう。つまりこれは消臭紙の魔術である。一回ごとに紙に書き写す手間は必要だが、庶民の家の居間程度の広さであればこれ一枚でかなりの臭いを消すことができる。必要なクレジットはたったの5Gだ。ぜひ臭いの減った快適な室内を感じてほしい。
ちなみに魔術式によって紙が燃えるときには高温にはならないので火事の心配はほぼないが、念のため燃え尽きるまでは様子を見ていることが望ましい。紙と魔術式についてはいずれ詳しく説明しようと思う。
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