第9話 安眠魔術
「良い眠りは人生の三分の一を幸せにする」
こんな言葉をきいたことがある。これは睡眠というものに過大な期待を抱きつつも報われないもどかしさを表した言葉である。また「一日に八時間も寝れるような優雅な生活がしたい」という願望をも表現している。
睡眠という行為は簡単なようでいて、案外奥深い技術が必要だ。
◆◆◆
幻惑の森に捕らわれた私とユーリケだったが、食事を取ってしばらく休めば元気と冷静さを取り戻せた。
「で、これからどうする? クレイ」
「みんな迷ってもいずれ抜け出すんですから、どこかに出口はあるはずです」
「じゃあさっさと出口を探すか」
「いえ」
私は鉄板の汚れを綺麗に落として、背負い袋に片付けた。ユーリケもせっせと食事の後を片付けている。
緩やかな風がわずかに木々を揺らす。森は静かで、私たちの喋り声だけが響く。
思った通り、この場所には魔物がいない。
「せっかくですから、黄金のアプルへの入り口を探しましょう」
「へえ。クレイがそういう事を言うの珍しいな。おもしれえ。探して見せようじゃねえか」
空間を閉じているのなら、どこかに境目がある。普通に歩いていれば気付かないかもしれないが、あるものと思って探せば案外気付くものだ。
魔物に注意しなくていいので、探知はいつもよりずいぶん楽になる。ユーリケは足元を注意深く見て歩き、私は煙玉に火をつけて、風で煙を流しながら歩いた。
「ここだな」
ユーリケが何の変哲もない草むらの真ん中で立ち止まった。同じ場所で、私の流す煙も不自然な動きをしている。
「ではこの場所に印をつけましょう」
「こじ開けないのか?」
「他にも無いか、もう少し調べたいんです」
「よし!」
ゆっくり調べながら歩いていると分かったのだが、我々はまっすぐ進んでいるつもりで、同じ場所をぐるぐると回らされていた。そんなに広範囲ではなく、せいぜいチュレヤの町の中央広場程度の広さである。調べるのにもさほど時間はかからない。そして三か所の不自然な場所を見付けることができた。
「で、どうする?」
「そうですね……。こじ開けるのは、一番見付けにくかった三つ目にしましょう」
それはただの勘だったが、一番わかりにくい場所が黄金のアプルに繋がっている気がしたのだ。空間をつなげて閉じ込める罠は珍しいものだが、幸い私は対処法をいくつか知っている。
「クレイってほんと、器用だよな」
「ちょっと黙っててください。こういう罠を解除するのはそれなりに集中力が必要なんですよ」
「へいへい」
後ろで邪魔をするユーリケをあしらいながら、どうにか罠を解除して空間をこじ開ける。
ようやく外に出た我々だったが、いきなり喧騒に包まれた。キーキーと耳障りな高い声を上げているのは、
「いきますよ、ユーリケ!」
「おう」
まずは剣を構えるユーリケにスピード強化の支援魔術をかける。まっすぐ喧騒の中に突っ込んでいくユーリケは、放っておいても大丈夫だろう。私は襲われている人たちの周りにいる黒い悪魔を水魔術で牽制して、少しずつ引き剥がしていった。
私とユーリケが加わることで、今まで劣勢だった人たちは体勢を立て直すことができたようだ。大きな群れだった黒い悪魔も徐々にその数を減らして、長い戦闘もやがて終わった。
◆◆◆
ところで諸君は支援魔術についてはどのくらい知っているだろうか。
基礎魔術については、多くの人がしっかり勉強していることと思うが念のため説明しておこう。
この国で学ぶ魔術の属性は全部で六つ。火土木水風そして無属性だ。魔術師は全ての属性魔術について学んだ後、一番自分の魔力の質にあった属性を一つ選びその能力を伸ばす。
どの属性にも多種多様な魔術があるが、便宜的に攻撃魔術・生活魔術・身体魔術の三種類に分けることが多い。支援魔術は身体魔術の一種で、人の身体に魔力を流し、その作用で運動能力を上げたりする。単純にバンバン撃ちっ放す攻撃魔術なら誰にでもできるかもしれないが、支援魔術などの身体魔術は繊細な魔力操作が必要だ。
魔術式を教えれば誰にでも使えるというわけにはいかない。
しかしわざわざこの魔術書を買ってくださった諸君の為に、何かできることはないだろうか。三日間寝ずに悩んだ結果、身体魔術を特別に一つだけ公開することにした。これは私が注意深く調整して、誰でも安全に使えるようにしたものだ。
「安眠魔術」
この魔術式に魔力をそっと流すと、身体活動をごくわずかだけ鎮静化させる優しい水属性の魔力に変換されて体内に戻ってくる。
暑季の寝苦しい夜、わずか70Gで諸君はすやすやと気持ちのいい眠りにつくことができるだろう。前述した「涼風」も同時に使えばさらに効果は上がるかもしれない。
二つ同時に使ったとしてもたったの、たったの75Gである!
なおこの魔術は本当に繊細なので、きちんと眠る体勢を整えてから使うことをお勧めする。昼間の活動的な気分のときに使っても効果はほぼない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます