第6話「九条久美子との関係」

 風呂から上がると、部屋は薄暗くなっていてみんな眠っていた。

 今日はいろいろとあって疲れたのだろう。


 カーテンから覗く外の世界も、すっかり夜になっている。

 備え付けの水差しからコップに水を注ぎ、ふと気になってスマートフォンの電源を入れてみる。時刻は午後七時半を回ったところだった。


 電波は相変わらず届かないが、時刻はほぼ景色と同期しているようにも思う。

 部屋の四隅を探してみたが、さすがにコンセントは存在しなかったようなので充電はできないからやがては使えなくなる。


 俺は、スマホの電源を消してリュックサックの中に入れた。おそらくもう二度と、スマホを使うことはないだろうと思った。

 一息に水を飲んで、俺も疲れを感じた。


「さて、少し眠っておくか」


 開いているベッドの中に入って、しばらくまどろんでいると。誰かが、ゴソゴソと掛け布団の中に入ってきた。

 誰かというか、この遠慮のなさは九条久美子くじょうくみこしか居ない。


「あら、起こしちゃった」

「そりゃ普通起きるだろう。疲れたから寝たいんだが」


「疲れたときにこそ、男の子って下半身が元気になるんじゃない」

「お前どこでそういう知識を手に入れるんだよ」


 ビッチに言ってもしょうがないけどな。

 あーいうな、どうせくだらない雑誌で仕入れたとか言うんだろう。ハイティーン向けの雑誌にも結構エロ記事が載ってるなんて話は聞きたくもない。


「ねえ、しようか」


 そういいながら、ベッドの中で久美子がガウンを脱ぎ捨てたのを感じた。

 ブラを外す前に、俺は止めようと思って手を押さえた。


「止めろよ、こんなときに」

「あら、こんなときだからじゃないかしら」


 そういって、俺のガウンを手で脱がしながら耳元でクスクスと笑う。久美子はすでにブラジャーを外していた。

 久美子の優しい肌の感触と甘い髪の匂いは、俺の記憶を呼び覚まさせる。


 最初に、俺が久美子を抱きしめたときのことを思い出していた。

 もう三ヶ月以上も前のことだ。


 まだ高校に入学して日が浅い、五月の下旬ぐらいだったか。

 来たくもない学校のつまらない授業に辟易して、すっかりふてくされていた俺は、授業をふけて旧校舎の特別教室の物陰で寝ていた。


 去年まで使用されていた旧校舎は、耐震基準を満たしていないとかでそのうち取り壊される予定だと聞いた。

 当面は、倉庫として使われているらしいが授業のある時間帯は絶対に誰も来ない。物置になっているので古いソファーまで置いてある、サボるのにはもってこいの場所だった。


 見上げると窓から差し込む陽の光に、埃がキラキラと舞って時が止まっているかのような静寂に包まれる。

 ほんのつかの間、厄介ごとを忘れて一人でくつろげる。


 突然扉が開く音が聞こえた、この時間帯のこんなところに誰が来たのかと寝そべったまま視線を向けた。

 覗き見するつもりも、盗み聞きするつもりもなかったのだが、たまたま見えてしまったのだ。


 話している男女は、七海修一ななみしゅういち九条久美子くじょうくみこ。もちろんA組の優等生である彼らは、俺のようにサボりに来たってわけではあるまい。

 一年から生徒会に所属している彼らは、学校行事の都合で授業を抜けることがある。そのついでに、ここまでやってきたのだろうと思った。


「七海くん、私と付き合ってちょうだい」


 俺はそれを聞いて、見つからないように身体を伏せながら吹き出しそうになった。

 同級生の、しかも美男美女で有名な二人の告白シーンが見られるとは……。


「話があるってそんなことだったのか。交際してほしいという意味であれば、申し訳ないけど、君と付き合うことはできない」


 しかも振られた、振られやがった!

 俺は手で必死に口を押さえつけて、込み上げてくる笑いをなんとか噛み殺した。


 久美子は、まさか断られるとは思っていなかったのだろう。魂が抜け落ちたような、唖然とした表情をしていた。

 たしかに七海修一は、この学校でも一際目立つ美青年イケメンだが、久美子だって別格の美少女ではある。


 同じ生徒会に所属している優等生だし、この前の実力テストの成績表では一番と二番で貼りだされていた二人だ。

 これ以上に似合いのカップルはいないと、久美子でなくたって思うだろう。付き合ってるって噂すら立ってたほどだ。


 七海修一は手慣れたもので、「他に好きな人がいるから交際できない」と月並みな断りのセリフを口にしていた。

 久美子はずっと理解できないと言う素振りで顔を背けていたが、ついに瞼を閉じると涙をこぼしはじめた。


 なぜ、あの日あの時、優しい男であるはずの七海修一は泣き続けている久美子を残して立ち去ってしまったのか。

 なんで他人との関わりなんか厄介だとしか思わない俺が、可哀想な女の子を慰めてやろうなんて思ってしまったのか。


 今思い出しても、気の迷いとしか思えない。


 ただ何というか、一人で部屋に取り残されて、ずっと声もなく涙を流し続けている久美子の姿に、俺は少し感動してしまったのだ。

 美しい少女が、プライドと淡い恋心を一瞬で打ち砕かれるシーンなんて、一生のうちでも一度見れるか見れないかの衝撃的な光景だ。


 眺めているだけの俺でもショックを受けた。だったら、その当人の久美子はどれほど辛かったのか。

 振られた久美子の唖然とした表情には笑いを誘われながらも、どこか可哀想だと感じてどうにかしてやりたいって気持ちが強まってきた。


 こっそりと見ている俺の前で、悲しみをこらえ切れない久美子の肩の震えが激しくなっていく。

 美しい涙は、止めどなく溢れ。ついに漏れだした嗚咽は、どんどん激しくなって慟哭にまで達した。


「うあああああああああああああああああ!」


 俺は、人が泣き崩れる姿を初めて見た。学校でも一二を争う美少女が、瞳からは涙を垂れ流し、鼻水まで流した無残な顔で、床を拳で叩きながら絶叫する姿を見て心底震えた。

 ただの取り澄ました美少女などに、俺は大して関心を持たない。けれど、そのときの久美子は違った。


 うまく説明できないけれど、何かが違ったのだ。

 だからなのかもしれない、ずっと隠れているつもりだったのに、俺は誘われるように出ていってしまった。


「よぉ」

「グズッ……なに」


 なにが「よぉ」だと、自分でも思う。

 ポロポロ涙をこぼしながら、眉根をギュッと顰めて俺を睨みつける久美子の瞳はとても大きくて吸い込まれるように深かった。


「なにって、まあ……」

「どこがら……みでだのよ。もじがして、ざっぎのを、ぜんぶ見でたの?」


 久美子は、よろっと立ち上がると胸元からシルクのハンカチを取り出してブフッと鼻を鳴らした。激しい羞恥のせいか、耳元まで赤面させている。グチャグチャになった顔を、なんとか整えようとしているがアタフタして上手くいっていない。

 いつもは澄ました優等生の久美子が、こんな酷い顔をしている。


 見てはいけないものを見ているような罪悪感があったが、むしろこれでいいのだとも思った。恥ずかしいところを見られていたと思えば、悲嘆にくれる場合ではあるまい。

 一人で泣いているよりは、羞恥に震えたりして怒っているほうがマシじゃないだろうか。


 もし俺で何か慰めになってやれるなら、そのほうが良いと柄にもないことを思った。

 久美子がこれ以上泣いているところを見たくなかったから、わざと挑発した。


「おお、見てたぜぇ。優等生が告白に失敗するところなんてなかなか面白い見世物だったな」

「やっぱり最初から見てたのね、きゃああああぁぁ!」


 久美子は悲鳴をあげながら、いきなり俺に飛びかかってきた。俺の制服の襟元をグッと掴んで、そのまま引っ張ると顔をずいっと突き合わせた。

 泣き腫らした赤く充血した瞳で、俺をギラッと睨めつける。


 そのあまりの迫力に、俺はたまらず仰け反った。

 そうだった、こいつはいま男に振られて強烈なショックを受けたばっかりの女だ。女というモノは、ヒステリーになると何をやるか分からない。


 いくら小柄な女の子とはいえ、衝動的な行動に出られたら危ない。

 煽ったのは失敗だったかと、俺は慌てた。


「いやいや待て見てたって言っても、内緒にして欲しいなら別に、誰にも」

「内緒にしてほしいならと弱みを握って、こんなひと気のない教室で私に卑猥なことをするつもりなのね。このケダモノッ!」


 どんな言いがかりだよ。

 さすがに襲われそうになったとか言われたらマズいぞ。


「違うっ! 誤解するな。俺は、お前を慰めようと思ったんだよ」

「へーそうなの、振られた可哀想な女の子に優しくして落とすつもりなのね。よくあるわよねそういう見え透いた手口、そうなんでしょう。そうとおっしゃい、それで私と卑猥なことをするつもりなのね、この変質者!」


 俺は襟元を掴まれたまま、頭を揺さぶられる。

 可哀想な女とは言え、好き勝手やられて段々ムカツイてきた。


「おぃ、なんで俺がそんな悪人にされなきゃいけないんだよ。立ち聞きしてたのはそりゃ悪かったけど、偶然だったんだよ」

「偶然で、人生最悪の瞬間を目撃されるほうは堪ったもんじゃないわ。貴方なんかに分かんないでしょうけど、これまで完璧なルートを邁進してきた私の人生が先ほど終了したのよ。はーい、もう終わり。もうどうでもいいわ、アハハハ」


 そのままふてくされるように吐き捨てると、俺の襟首から手を離して、こんどは俺にズシンとおもいっきり体重をかけて抱きついてきた。

 腰を思いっきりホールドされて、このままレスリングでもおっぱじめようっていうのか。どう対処したらいいか分からない。何この女、どこがお嬢様だよ。情緒不安定すぎて怖い。


「おい、なにをするつもりだ」

「アハハッ、『慰めたかった?』笑わせるわね。どうせ見え透いた安いセリフで慰めて、私を抱きたかったんでしょう。私はかなり良い女だし、もしかして前から狙ってたのかしら。良かったわねチャンスが来て、七面倒臭いことなんかしなくても、ここですぐ抱かせてあげるわよ。どうせこの時間なら絶対に誰も来ないし、手早く済ませられるわ」


 何を言い出したんだコイツは、本気で怖くなってきた。

 言動が明らかに異常だ。


 あんなことがあったんだし、久美子が冷静さを欠くのは致し方ない。

 これは、錯乱状態ってやつだろう。


 そうか見られて恥ずかしかったから、俺を責めているんだな。

 俺を悪人にしておけば、満足できるのだろう。


 このまま俺が悪者になってでも、久美子が俺を罵倒して泣いて叫んで喚き散らして、気持ちがスッキリするならそれでもいいかと思い直した。

 行き掛けの駄賃だ、話をあわせて気が済むまで付き合ってやろう。


「ああじゃあ、慰めてやるぜ。こっちに来るんだな」

「そこの古いソファーの上で、私は今からむちゃくちゃにされるのね。こんな旧校舎の、しかも教室でなんて、信じられない初体験だわ」


 それでそのあと物陰のスプリングが軋む古いソファーの上で、めちゃくちゃセックスした……わけもない。

 俺だって、こんなわけの分からん初体験はゴメンだ。


 俺はただ、泣いてる女の子を慰めてやりたかっただけなのだ。安っぽい同情かもしれないが、せめて泣き止むまで一緒にいてやろうと思っただけだ。

 俺の首に腕を回して、肩に顔を押し付けて啜り泣く久美子は、それなりに可愛らしい女の子だった。


 黒髪はとても綺麗でいい香りがする。華奢なほっそりした身体は、抱きしめてみるときちんと柔らかくてなんかたまらない気持ちになる。

 なんで七海修一は、こんないい女を振っちゃうんだろうな。


 七海が言っていた『好きな人』ってのは、誰なんだろうと少し気になる。

 うちの学校は生徒数が多いほうだと思うけど、それでも九条久美子レベルに目立つ美少女と考えると、同じ学年にそう何人もいない。


 一年で美少女と言えば、モデルとアイドルを兼業してそのうえ普通に進学校であるうちに通っている超有名なD組の蒼井玲央名あおいれおなか。

 深窓の姫って影で呼ばれてる、文化系にやたら人気のある図書部のB組の黛京華まゆずみきょうかか。


 それとも、同じクラスのA組の誰かなのだろうか。

 あるいは七海ほどの優男だから相手は年上で、高嶺の花狙いで我が校一の才媛と名高い生徒会長様が相手なんて線もあり得るか。


 そこらあたりハイパースペックな女子なら、久美子が負けてもおかしくない。いくら可愛くてお嬢様でも、こいつは小柄で胸がない。七海の趣味に合致しなかったのかもしれない。

 そんなことを考えていると、久美子がいつの間にか泣き止んで、俺の制服のボタンを外し始めているのに気がついた。


「待て、お前何をやるつもりだ!」

「だって服を着たままできないでしょう」


 俺は溜息を吐く。『慰めてやる』って言ったのは『性的に慰める』って意味じゃない。

 何度でも言うが、本当にするつもりは毛頭ない。


 だいたい自分の服じゃなくて、俺の服から脱がしにかかるっておかしいだろ。どんな痴女だよ。

 久美子の手を押さえて、ボタンを留め直しつつ俺はたしなめた。


自棄やけになるなよ」

「自棄にもなるわよ!」


 たしなめるのは無理だった。俺をソファーの上に押し倒して上にまたがると、鋭い視線で睨みつけてくる。

 そのまま、俺に顔を近づけてスッと唇を重ねた。何の躊躇ちゅうちょもなく、本当にキスして来やがった。


 全く抵抗できなかった。

 しかも、ペロッて唇を舐められた。


「……お前、何してくれてるんだよ!」

「ふふっ。何してって、むしろこれからやるのよ。決まってるでしょ?」


 久美子は、自分の唾液で濡れた俺の唇を指でつまみ上げて引っ張った、痛い。

 文句を言わせないってことなのだろうか、俺の唇を白い指先で弄んで嬉しそうにクスクスと笑っている。


「俺の口で遊ぶのは止めろ! なんだよ、さっきまで泣いていたくせに」

「私、キスって初めてだけど。悪くないわね。貴方はどうだった?」


「どうだったって言われても」

「いきなりだったものね。じゃあもう一回ね」


 久美子は、もう一度俺にキスをした。

 もう一度不意打ちするつもりで、ちょっと慌てていたのかもしれない。今度のキスは失敗して、お互いの歯がぶつかりカチッと音を立てた。


 久美子は、少し恥ずかしかったのだろう。口元を押さえて、俺の上でもぞもぞと身体を動かしてから「クフッ」と小さく息を漏らす。

 こんな優等生でも慣れてないと口づけに失敗するのかと、俺も苦笑いした。いや、笑ってる場合じゃない。


「なあ、もういい加減にしろよ……九条さん」

「あらクラスも違うのに、私の名前覚えててくれてるのね」


「そりゃ、七海とか九条さんは有名だもんな」

「そう……貴方も結構有名よ、F組の真城ワタルくん」


 俺が驚いた顔をすると、久美子は面白そうな顔で覗きこんできた。

 少しは仕返しができたと思っているのかもしれない。久美子が恥をかいたところを覗き見たのは確かに俺が悪い。


 しかし、高校では目立たないように生きようと思っていた俺が、生徒会の人間にマークされているとなると、由々しき問題だった。


「なんでA組の優等生が俺を知ってる……」

「学校には来ているのにサボりまくって、教師の授業も無視しまくってる生徒がいるって評判になってるわよ。F組の生徒は不真面目な子もいるけど、真城くんみたいな根性の入った不良は少ないわよ。一年生の初めから、それで目立たないわけがないじゃない」


 来たくもない高校に進学させられた俺は、ふてくされていい加減なことばかりやっていた。サボるにしても出席日数はそれなりに計算しているつもりだし、不良をやっているつもりは毛頭ないんだが、そう言われてもしかたがない行状。

 それで悪目立ちするなんて、全く考えてなかったのは失敗だった。


「そういうことか、生徒会ってのは、ご親切に不良生徒の心配までするんだな」

「この学校の生徒会は、生徒の管理も仕事だからね。真城くんには前から個人的に興味もあったのだけど、フィクサーの息子ってどんな人かなって」


 その一言で冷水をぶっかけられたように、気持ちが冷めた。

 俺は、ため息混じりに文句を言う。


「親父のことは言うなよ」

「怒った? 親のことを言われるのは貴方でも気に障るのね。うちも難しい家だから言われたら嫌なのはよく分かる。……でもいいザマよ。私だって恥をかかされたんだから、失礼はお互い様でしょう」


「それは謝るけど」

「悪いと思ったらもっと慰めてよ。もっと激しくして嫌なこと忘れさせてよ」


 泣き腫らした眼を潤ませた久美子は、俺に何度も唇を重ねてくる。女の子の力だ、簡単に振りほどけるはずなのに、俺はなぜか抵抗できなかった。

 やがて久美子はキスをするのにも慣れたのか、舌まで入れてきた。


 上から覆いかぶされているから、俺の顔には久美子の長い髪がかかるし、口の中は久美子の舌から伝う唾液の味でいっぱいになる。

 飲めとばかりに、舌が絡み付いて口の奥まで入り込んでくる。久美子の匂いと味が、俺に染み付いてしまうように思えた。


「なあ、もういいだろう」

「なぁに、もうしたくなったの?」


「いや、違うそうじゃなくて! 慰めるって言っても、もう十分だろ。さすがにこれ以上は……」

「真城くんは、何言ってるのかな。私キスするの初めてだったんだよ。ここまでやっておいて、最後までやらないとかそんなわけないよね」


 いや、そんなわけあるだろ。

 もともと何もやるつもりなんかなかったんだよ。


「待て、やっぱりマズイだろう。いいか、今の君は冷静さを欠いている。一時の感情で、そういうことしてしまっても後悔するだけだから」

「そうなんだ、私って真城くんみたいな不良にまで諭されちゃってるんだ。アハハハ、どこまで落ちるんだろ、さっきまで完璧な女だったのになぁ」


 九条は、またグズグズと泣き始めていた。瞳が潤んで、ポツポツと俺の顔の上に宝石のような雫が滴る。

 笑ったからって、吹っ切れて元気になったわけじゃなかったのだ。情緒不安定のままだ。


「九条、落ち着けよ」

「落ち着いてるわよ、私は落ち着いてる。あのね、私ね、高校に入ってからすごく頑張ったんだよ。入試のときも特待生だったし、それで生徒会にも勧められて入ったし、でも七海くんってもっとすごいじゃない。だから負けないようにってもっともっと頑張って、でも何をやっても勝てなかった」


「そうか、九条は負けず嫌いなんだな」

「そうよ。私はこれまでずーっと完璧にやってきた。でね、何をやっても勝てないなら七海くんと付き合っちゃえばいいと思ったんだ」


「なんでそうなるんだよ」

「そんなの私にも分からないわよ。でもみんなにもお似合いだって勧められたし、七海くんの彼女になって、惚れさせてやったら私の勝ちじゃない?」


「全く理解できないが、言ってることは何となく分かる気がする」

「そう、分かってくれるのね。でも振られちゃったから、もう完敗だよね……」


 好きとか嫌いとかで告白したのではなく、久美子にとってあの告白は勝負だったということだろうか。

 何をやっても勝てない七海修一に対して、自分の女を使って勝負を挑む。全く理解できない価値観だが、気持ちは分らなくもない。


 男女が付き合って完全に一つとなれば、相手の物も自分の物となる。そういう戦いもあるのかもしれない。

 そして、女の戦いでも久美子は敗れ去った。だから、人生が終わったと言ったのだろう。異常な勝利へのこだわりだと思うが、不思議とそういう生き方を否定したくない俺がいた。


 久美子のような負けず嫌いな奴を、俺は嫌いではない。

 悔しがるのは、がんばってる証拠だろう。俺は自分がいい加減な奴だから、真剣に生きてる人間はそれだけで尊敬に値すると思っている。


「また頑張って、七海に勝てるものを探せばいいじゃないか。なんだったら、また告白してみてもいい」

「ううん、もういいの。何となくダメだって分かったし、もう私も七海くんに興味がなくなったから」


 あれ、さっきまであれほど執着していた七海に勝つことに、もう興味がなくなったのか。


「まあ、それもいいかもしれないな」


 七海修一は、どこか余人には近づきがたいところがある。完璧すぎて少し人間味に欠けるというか。

 どこか、私心を押し殺して完璧な人間を演じている素振りがある。


 好きな女がいるって話、あれも嘘かもしれない。

 いつも輪の中心にいて誰にでも優しく親しげなのに、人と一定の距離を置いているようなそういう冷たさがある。


 高い山の空気のような冷然たる男に、久美子みたいな情熱的な女が勝負を挑んでみても、そのたびに跳ね除けられて傷つけられるだけじゃないか。


「うん、だから早くセックスしようよ」

「だから、なんでそうなるんだよ!」


 俺の慌てぶりを見て、久美子は嬉しそうだ。俺はもしかして、この女にからかわれているのだろうか。

 はじけるような笑顔を見せた久美子は、いきなり朗々とぎんじる。


「わが身はなりなりて成り合わざる処一処あり」

「えっ……。ああ、古事記か」


「へー、不良のくせに、真城くんわりと学あるね」

「バカにするなよ、さすがに日本神話ぐらい知ってるわ」


 ちなみに久美子が言ったのは、古事記の国産みの一節である。

 十八禁に抵触しかねないので詳しく訳せないが「私の身体には凹みがあるよね」とイザナミが言うシーンである。


 それで、じゃあ俺の凸と、お前の凹みを合わせて見ればいいじゃんとなるわけである。

 かくして神々が凹凸のある粘膜を擦り合わせたことにより、大八島国おおやしまのくにすなわち、日本列島は爆誕した。ちなみに国産みしたイザナギとイザナミは兄妹神であり、本当にこの国は誕生からして頭がどうかしている。


「なんでしてくれないの。それとも羞恥プレイのつもりなの、私にこれ以上の恥をかかせようっていうわけ?」

「プレイするつもりも、遊ぶつもりもねーよ」


 俺は久美子と、日本列島を爆誕させるつもりはないので断固拒否する。

 よくよく考えたら九条久美子って、すごく面倒な女だしな。


 確かに、優等生の美少女ってだけじゃなくて、人間的で可愛らしいところもある魅力的な女子といえるかもしれない。

 普段の凛とした姿と、さっきの顔をグシャグシャにして泣いていた姿のギャップで、俺もそのまま流されてセックスしてしまってもいいかなーぐらいには好意を持ってしまったが、もっと冷静クレバーになろう。


 こいつは確か、旧華族の家柄で政財界に暗然たる力を持ってる九条家のお姫様ひいさまだってことを思い出した。

 お嬢様やおぼっちゃまが多いこの学校でも、要注意人物の一人だ。


 さっきの七海修一は、総合スポーツ用品メーカーの七海スポーツ会長の末っ子だし、そういう意味でも久美子とは名家同士でお似合いなのだ。俺には相応しくない。

 俺は親の仕事の関係で、こういう上流家庭の娘に手を出す面倒さをよく知っている。その場限りの行きずりの関係では済まない。


 家同士の話にまで発展する場合もある。

 ただでさえ煩わしいことばかりなのに、これ以上のトラブルはゴメンだ。


「じゃあ……。本気ってこと?」

「とにかく、九条さんとはこんな流れでするつもりはないから」


 久美子は「分かった」とつぶやいて、ようやく俺を解放してくれた。

 それからだ、俺に対する久美子の執拗な付きまといが始まったのは。


 清楚な優等生の外見は猫をかぶってるだけで、本当は情熱的な女だと思い知った。

 ことあるごとに押し倒されて、関係を迫られる。


 久美子は「真城くん」と呼んでいたのがそのうち「ワタルくん」と名前で呼ぶようになった。

 俺もいつしか「九条さん」じゃなくて「久美子」と呼ぶようになった。


 いや違うな、それを飛び越えて「処女ビッチ」ってアダ名をつけてやったのだ。

 それなのに「それもプレイなの?」とかわけのわからないことを言い出して、喜んで受け入れてくる。


 もう唇を合わせたり、身体をまさぐられたりするのは、当たり前のことになってしまった。

 なんでこうなってしまったのか、俺には分からない。久美子に聞いてほしい。


 ただ俺は久美子と付き合ってるわけではないし、最後の一線は今も超えていない。

 今も一緒のベッドに入っているけど、お互いに下着は脱いでいない。久美子は嫌ってほど誘引アプローチしてくるけど、最後の最後は俺に押して欲しいのだ。


 それを分かって、俺は絶対最後までしない。

 俺と久美子は、そういう中途半端な肉体からだだけの関係にいつの間にかなってしまっていた。


「もう寝ろよ、今はそんなことしてる場合じゃないって、分かってるだろう」

「命の危険があるときほど、人間は子孫を残そうと高ぶるって言うわよね」


「アホか、命の危機にのんきにやってたら死ぬわ。考えてもみろ、こんな世界で妊娠とかしたらどうするつもりなんだよ」

「そうね。ラブホなのになぜか避妊具はおいてなかったみたいだし、不親切よね」


 まだラブホテルとか言ってるのか。

 ここはただの宿屋だ。ジェノリアは、全年齢対象のゲームだからラブホなんて存在しないんだよ。


「もう隣で寝てていいから、大人しくしてろ」

「外出しっていうの? 出すときだけ、お腹に出せばいいんじゃないかしら」


 俺は相手にするのを止めた。もう久美子が身体を擦り寄せて来ても、何を言っても、無視して寝ることにした。

 なんだかんだとうるさく言っていても、久美子が俺の意に反して最後までやることはないと知っていたから安心して眼を閉じる。


 久美子は、本当にやることなすこと常軌を逸した女で、何を考えているのか分からないが、自分で決めたことを曲げることだけは絶対にしない。

 だから俺が頑張って、久美子からの誘惑テンプテーションに耐えればいいだけなのだ。せいぜい身体をまさぐるか、どこかにキスするぐらいなんだから、好きにさせておく。


「はぁ、ごめん……ワタルくん、ごめん、私……」


 好きなだけやっておいて、なんで久美子は最後にいつも謝るんだろうかなーと思いつつ、ごめんの後の言葉を待ってみても、いつだって何も言わない。俺の胸板に、小さい顔をギュッと押し付けてくるだけだ。

 ほどなく久美子の本当の寝息も聞こえてきて、こいつだって疲れていたんだなと思って、俺も誘われるように微睡まどろむ。


 抱く覚悟もない処女ビッチに淫らに絡まれるのは迷惑だが。

 誰かと触れ合って、体温を肌で感じていられるのはとても安らかで心地良い。


 俺だって、本当に嫌だったらさせていない。

 だから謝ることはないさ。


 俺はスヤスヤと寝ている久美子の肩に布団をかけてやって、自分も微睡みに身を任せる。

 温かく満たされた暗闇のなかで、俺の意識は久美子の鼓動と小さな寝息の音を聞きながら落ちていった。

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