第46話「罪悪感」

「そうだ、とりあえずご飯食べていって……カレーなら下ごしらえは出来てるから辛いものは大丈夫だったよね」

「おう、悪いな。カレー?」


 香辛料は確か戸棚にあったか。

 本格的なスパイスの匂いが鼻孔をくすぐる。カレーとくればライスが欲しいところだ。しかし、ジェノリアは何故か米がないんだよな。


 サムライとかニンジャがいて、日本料理店まであるんだから、米も用意してくれればよかったのに。

 何故かそこだけ、北欧風の環境をリアルに再現しているつもりなのか、ただ忘れていただけなのか知らないが、材料に米がないのだ。


「うん、スパイスから作る本格的なカレーだから。寝かすカレーは、ジャガイモ入れないのがコツなんだよね。代わりにひよこ豆入れてみたんだけど。冷蔵庫で一晩寝かしたから、きっと美味しいよ」

「マナで動く魔法の冷蔵庫まであるのに……」


 なぜ米がないのだ。付け合せは、パンやナンでも美味しいけどさ。

 そこだけは分かり合えないところである。


「うん、土鍋でも上手く炊けたね」

「そ、それは……」


 カレーの匂いに混じって、炊き上がる懐かしき、かほり……。

 米だ、米の匂いだ。


「お米だけど、どうしたの?」

「いや、だってジェノリアに米はなかったはずだぞ!」


「うーんでも、これってお米だよね。裏庭に生えてたのを、水耕栽培してみたんだけど」

「なんだって!」


 確かに、小麦やライ麦がポツンポツンと自生しているのは知っている。

 それを刈って、パンを作るなんてことも出来るのも知っている。


 しかし、それに混じって稲があったとは全く知らなかった。

 ジェノリアは遊び尽くしたと思ったが、知らないことはあるものである。


「凄いよね。稲も撒いたらすぐ育っちゃうんだから」

「まあ、ここは農業試験に使うような特殊な土地らしいからな」


 ここは生産系スキルを試すための、いわばジェノリアのパイロットファームである。土地は何らかの魔法で常に肥えているし、日光も降り注いでいるのでダンジョンの中にありながら農業をするのにも問題はない。

 大木すら三日で元通りに育つというのだから、稲などいくらでも生えるのだろう。


「はい、和葉特製カレーライスの出来上がり」

「土鍋で炊いた米に、スパイスから作ったカレーか。これは美味そうだ」


 スプーンで一口食べると、本場のカレーの辛味とご飯の柔らかい甘さが交じり合ってなんとも言えない。

 やはり日本人は米だ。久しぶりのカレーライスの味。これは、美味いを超えている。


 そして、料理スキルによる能力値上昇を確かめるのにいい機会だ。

 食事しながら、事情を聞くことにした。


「どう?」

「ああ、もちろん美味しかったよ。それにしても、その着ている洋服も自分で作ったのか」


「うんあっちの森に綿花が生えててね」

「綿花か……」


 いわゆるコットンというやつである。

 あの森は、俺も分け入って調べたことがもちろんある。白い玉のようなコットンが湧くのは知ってる。


「それを糸車で糸にして、織り機で布にして簡単な服を作ってみたの」

「ふむ、裁縫スキルで布が作れるのは知ってるが、立派な服まで作れるとはなあ」


 布までは分かるが、裁縫道具ソーイングセットはただの飾りだと思っていた。

 ジェノサイド・リアリティーでは、実装が間に合わず裁縫道具は飾りのアイテムに過ぎなかったはずだ。


「そうか、MMO版か」


 ジェノリアの構想を進化させた続編では、料理スキルに加えて裁縫スキルなどの生産系スキルも充実していた。洋服ぐらいは作ることもできた。

 素人の女の子がログハウスのお風呂を造ってみせたのも、大工スキルの応用と考えればおかしくないかもしれない。


 家具ならともかく、建物まで造ってしまうのはMMO版をも超える自由度だと言えるが。

 そこは……。


「MMOってなに?」

「マッシブリー・マルチプレイヤー・オンラインの略だ。大規模多人数同時参加型の……いや、分からなくていい。これはもう、ゲームじゃなくて、現実リアルなんだろうからゲーム感覚の俺が間違っているのだろう」


 俺の言うことが分からないのか、和葉は愛想笑いを浮かべて小首をかしげている。

 そうだな、今の高校生がゲームといえば、せいぜいがスマートフォンのゲームだ。


 MMOですら説明しなければ分からないレトロゲームとなった。そういう時代だ。

 平凡な女子高生には、ジェノリアの世界観が理解されなくてもしょうがない。


 和葉の職業は、もしかすると生産系スキル全体にプラス補正がかかるものかもしれない。

 それがジェノリアで唯一、生産スキルの環境が充実している『庭園ガーデン』にたどり着いたというのは、作為的なものすら感じる。


 いや、存外と偶然かもしれない。

 そこまですべて計算でとすれば、まさに神の所業と言えるが、完全に定められた一本道のゲームはつまらないだろう。


 俺は、神が遊んでいると感じる。

 遊んでいるという表現が俗っぽすぎるならば、試されている。


 これが神の挑戦だとするのなら、プレイヤーの俺にも自由意志はある。今の俺の選択肢は、用意されたレールに逆らうのではなく、凌駕することだ。

 だとすれば、やはり使えるものはなんでも使って成長していくのはきっと正しい選択だ。


「さてと、和葉。じゃあ、七海と連絡するときの打ち合わせをしたいんだが、やっぱり通信するときは俺が一緒に居ないとダメなんだな」


 そう言うと、おっとりとした和葉が食い入るように身を乗り出してブンブンと首を縦に振る。

 これは折れないと見れば分かる。今更、なぜそんな真似をとは聞くまい。


 卑怯だからだ。

 みんなのためとかよく言ったものだ。もう誤魔化すまい、これは俺のためだ。


 俺のために、和葉が嫌がっているのに無理やり七海に希望を持たせるように励ましてやってくれとお願いする。

 和葉が通信するときに俺が現場にいることを求めるのは、きっとその罪悪感は持ってくれということなのだろうと思う。


 俺が命じて和葉にやらせたとしなければ、七海を騙した責任は和葉のものになってしまう。

 それは責任逃れだ。俺は冷酷な男ではありたいと思うが、卑怯な男にはなりたくない。


 和葉にこうなったのは誰が悪いのかと問われたら。

 俺が悪いのだと答えてやりたい。


「ごめんね……」

「なぜ謝る。これは俺の都合だ。俺が俺のために、和葉に七海を勇気づけてくれとお願いするんだ。それが嘘だったとしても、和葉は悪くない。全部俺のせいだ。それでいいか」


「うん、私は真城くんのために、七海くんを騙すんだって分かって欲しかったから」

「騙すか……キツイ言い方だが、その通りになってしまうな」


 チクリとした胸の痛みは、罪悪感か。

 七海には申し訳ないが、幼馴染の女の子を思うその純情を利用させてもらおう。その想い人の和葉だって利用する。これは、俺の罪だ。その覚悟をすでにしている。


「私だって、七海くんにこれまでずっと助けてもらっていたことは感謝してるの」

「じゃあなんで……いや、和葉の気持ちも聞きたい。教えてくれ」


 女の繰り言を聞くのが面倒などと言ってられない。あの七海修一を騙すのだ。絶対に失敗は許されない。

 和葉のメンタル管理もしっかりしておくべきだろう。


「私足が悪かったでしょう。それで七海くんに子供の頃からずっと助けてもらっていたから、その好意はありがたいなと思いながら、ずっと……ずっと重荷だった!」

「重荷か」


「うちの親なんか、七海くんみたいないいオトコを逃しちゃダメだって盛り上がっちゃって、家族ぐるみの付き合いになっちゃって私の気持ちなんてぜんぜん聞いてもくれないで!」

「そこが分からんのだよな、それこそいい話ではあるのだろう」


 七海は心の底から良い男だ。

 親が娘を任せたいと思うのは当然だと思う。


 単に眉目秀麗で、優秀な男だというだけではない。家柄が良いからとか、金持ちだからでもない。

 俺も以前は七海修一のことを偽善者でいけ好かないと思っていたが、心の支えにしていた幼馴染の和葉を失い、感情を爆発させて壊れてしまった七海を見てしまったからこそ、その地獄の底でもやはりアイツは良い奴なのだと思った。


「私にだって夢があるんだよ。私は普通がいい……。将来は、家で旦那さんを待ってるような平穏な暮らしがしたかったの」

「七海とだって、それは出来るだろう」


「出来るわけないよ! 七海くんの家は企業家だもん。凄くいい大学に行って、きっと社長さんとかになるんだよ。みんな他人ごとだから言えるんだよ。真城くんだったら、そんな人と付き合ったらどう思う?」

「そうだな。俺が和葉だったら……面倒だな」


「でしょう! あんな人と一緒にいて普通の暮らしが出来るわけないよ。それなのに七海くんはずっと逃してくれなくて、人の都合なんか考えてくれないくせに束縛だけして、もう私、疲れちゃったんだよ……」

「気持ちは分かる」


 俺が、九条久美子に絡まれて、その好意を素直に受け入れなかったのも同じような理由だ。

 美人だから、金持ちだから、上流階級だから無条件に良いなんてことはないのだ。ああいうハイソサエティーな連中と付き合って行くのは、一言で言えばくっそ面倒なのだ。


 厄介な家に育った俺にも多少の経験がある。親の都合で、外の付き合いに引きずり回されて息苦しい思いをする。

 ああいう相手と付き合って結婚でもしてしまえば、そんな窮屈な生活が一生続く。


 良い悪いではない。きっと和葉や俺のような普通の高校生には向いてないのだ。

 それこそ、家で引きこもってゲームをやっているような時間はなくなる。平穏な暮らしなんか、出来るものではない。


 そう考えたら障害のある重たい足を引きずって、小さい頃からずっと七海に引きずり回されてきた和葉の境遇にも同情できた。

 それはきっと、重荷なのだろう。和葉はそれでも七海の好意には答えようとしたのだ。だから余計に苦しくなった。


 早々にドロップアウトしてしまった俺のような人間には分からない苦しみがあったに違いない。


「みんなが分かってくれなくても、真城くんなら分かってくれると思った」

「ああ、でもすまん。それでも俺は、七海の好意を受けているお前の立場を利用させてもらうからな」


 そうするしか、俺に道はない。

 生徒会の秩序もリーダーである七海修一のメンタルも、ギリギリのところで保たれている。薄氷の上を歩いて行く覚悟がいる。


「真城くんなら……良いよ。私は、言うとおりにする」

「じゃあ、具体的な打ち合わせだが、少し待ってくれ。まず『遠見の水晶』をもっと持ってくる。使い方を説明するから、とりあえず実際に使って試してみよう」


 ログハウスには、『遠見の水晶』がひとつテーブルの上に置かれているのだが、通信には二つ以上いる。

 外にあるアイテムボックスから、『遠見の水晶』を取ってくる。何かに使えるかもしれないから、あるだけリュックサックに詰めて持っていくことにする。


 通信アイテム『遠見の水晶』は、オレンジ色の木製台に載せた丸い水晶球だ。

 俺と和葉で、ログハウスの中と外に別れてまず通信を試してみることにした。外にいる俺の水晶に、ログハウスの中にいて椅子に座っている和葉の姿が浮かび上がった。


「あっ、映ってるね」

「おう水晶にどう映るのかと思ったが、結構鮮明だな。本当に小さなテレビみたいだ」


 全部が見渡せるわけではなく、テレビ電話のように映す方向があることが分かった。まるでビデオカメラのように、木製の台に飾りが付いている方を映すらしい。

 これは良かった。映す方向がしっかり決まっていれば、俺が近くにいても和葉だけ映すということができる。


 画面に俺が映っているというのは、あまりに心象が悪いので指向性であったのは助かったといえる。

 ただでさえ監禁を疑われていたのだ。


 一緒に水晶に俺の姿が映っては、俺が和葉を脅して無理やり言わせているとあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。

 いやある意味で、和葉に恩を売りつけたことを利用して、無理やり言わせているのだけれどな。


 そう思うと、やはり罪悪感のようなものは感じるな。

 俺は自分を悪人だとは自覚しているが、人を騙して痛痒を感じないようなサイコパスではない。


 だが、七海のように善人でもないからほんの少しの痛みなど無視できる。

 自分の実利のために、人だって利用してみせる。


「じゃあ、和葉。俺は、一旦街に行って『遠見の水晶』を七海に渡してくる」

「あっ、待って真城くん。これオヤツに持って行って」


 可愛らしくラッピングされた袋をくれた。

 中を覗いてみると美味しそうに焼きあがったクッキーが入っている。なるほど、瀬木はタルトを作っていたが、ダンジョンに携帯するにはお菓子がいいのだろうな。


転移ルーアン


 俺は、そのまま街の入り口近くに飛んだ。

 『アリアドネの毛糸』の使用で、ごっそりとマナを持っていかれるはずなのだが、和葉のカレーライスを食べたせいかさほど苦しくない。


 実感できる形で、マナの回復力が早まっている感じがする。これが、『職業:料理人』である竜胆和葉の料理スキルによる能力値上昇か。

 ダンジョンの出口から、街に入ろうとすると門番に立っている生徒会執行部がいたが、俺の険しい顔を見ると威圧されて一歩下がった。


 なんだ他愛もない。

 俺はひょろっと背の高い神経質そうな顔色の悪い男。確か、祇堂修しどうおさむとか言った執行部の副部長に声をかける。


「おい、祇堂」

「なっ、なんだ!」


 俺に名前を覚えられているとは思っていなかったのか。

 驚愕の色を見せた。他愛もない小物だ。これが神宮寺なら内心はどうあれ、顔に出すようなことは絶対にせんだろうに。


 その分、与し易いってことだ。

 使えるなら、生徒会執行部(SS)でも使ってやる。


「七海修一はどこにいる」

「……まだ街を出てないから、おそらく生徒会の詰め所にいると思う」


「詰め所と言われても、それが分からないから案内しろって言ってるんだ」

「分かった……おい、七海副会長のもとに案内してやれ」


 生徒会の一番の下っ端らしい生徒に案内されて、俺は七海のいるところに向かう。

 これから、俺は七海修一を騙すことになるわけだな。因果なことだが、自分がやり始めたことだ。


「やるならやり切れだ……」


 そうでなければ、せっかくここまでお膳立てした意味がなくなる。

 俺が悪者になって丸く収まるならそれでいいし、そのために使えるものは全部使ってやる。


 嘘はいずれ露見するかもしれないが、それこそ俺の知ったことではない。七海修一も、竜胆和葉も、俺だっていつまで生きてるかこの状況では知れたものではないのだ。

 バレるまでに、このくそったれな死のゲームが終わることを祈るしかない。

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