第19話「街の綻び」

「ふむ、ダンジョンに行く前にジャンク分を補給しておくか」


 俺はダンジョンに向かう通り道で、赤いダブリューMのマークの店に立ち寄った。

 さっきはマクバーガーを食いそこねたからな。


 瀬木は、ジャンクばっか食ってるとお母さんみたいに怒るのでちょっと困る。


 さっき食べたばかりだからお腹が空いてるわけではないのだが、こういうジャンクフードは入る場所が違うのだ。

 俺にとっては大事な栄養素、定期的に補給が必要な嗜好品といえる。


「バニラシェークも飲みたいし、ポテトとナゲットも付けるか……」


 ランクが上がって強さストレングスも上がったから、多少荷物が多くなっても構わない。食い物も贅沢して、ちょっと買い込んでおこう。

 俺がウッキウキで綺麗な店内に入り、メニューのパネルを眺めていると。


 下から、ぐううっ~ってお腹の鳴る音が聞こえた。

 カウンターの向こう側からか?


 俺がそっと覗きこむと、お店のカウンターの内側に挟まるようにして、しゃがみこんでいる女の子が居た。

 見覚えがある顔だな。七海修一の幼馴染、竜胆和葉りんどうかずはだ。


「えっと、竜胆さんだったか。こんなところに何やってんだ」

「あ……」


 辛うじて聞こえた小声を、お腹が鳴るぐううっ~と言う大きな音が掻き消す。口よりも腹のほうが、雄弁に物語る。

 女の子がお腹を何度も鳴らすなんて、恥ずかしがるかなと思ったら、和葉は光のない瞳で俺を見つめて、しゃがんだままうずくまっているだけだ。


 なんか、コイツ随分とやつれてないか。

 汚れが目立つ白い制服のブラウス。俺を見ても、地べたにしゃがみこんだまま微動だにしない。


 シュシュで束ねている黒髪にも艶がなく、青白い痩せた頬は弱り切っているように見える。

 座り込んでいるというより、店の奥で行き倒れて身動き取れなくなっているというのが正しいのか。


「もしかして、お腹空いてるのか?」

「うぅ……」


 弱々しい返答。俺は、とりあえずマクバーガーのセットを買って差し出してみることにした。

 鼻先にバーガーを突きつけてやったら、バクっと食いついた。バクバクバクと、一瞬にして消える。


 ちょっとビックリした。

 普通の女の子の食いっぷりではない。


「お前、ちょっと待て、そんなに早く食べたら……お腹壊すぞ」

「ズズズズッ」


 和葉は、セットで渡したコーラも、物凄い勢いで飲み干した。喉も乾いてるのか。

 いや、喉が渇いてるのにジュースは駄目だよな。そう思って水を差し出してみると、それも一瞬で飲み干した。


 なんだこれ、ちょっと面白いぞ。

 俺は、野生動物への餌付け気分で、ポテトやらナゲットやらも与えてやった。それらを手づかみでバクバクと夢中で食べる和葉。


 なりふり構わず一心不乱に食べている。よっぽど腹が減っていたのだろう、食事というより吸い込んで腹に収める感じだ。

 三人前をペロリと平らげてようやく落ち着いたらしく和葉は、ふうっと大きな息を吐いて恍惚とした笑みを浮かべた。


 カウンターの小さな隙間にしゃがみこんだままの和葉の前には、食い散らかした残骸がたくさん転がっている。

 空腹だったところに、この量を一気に食べてしまっては、胃に負担がかかりすぎるんじゃないだろうか。


「腹を壊すといけないから、これも飲んどけ」


 俺は、ヘルスポーションと解毒ポーションも飲ませてやった。

 解毒ポーションが胃薬になるか知らないが、経験上消化を助ける効果があったと思う。瀬木に作ってもらった、ポーションが早速役に立ったわけだ。


 和葉は俺の渡したポーションも、ゴキュゴキュと喉を鳴らして青と橙色のポーションを飲み干す。

 今の和葉なら、渡せばなんでも飲み込むだろう。初対面はもっと遠慮がちな女子って印象だったのだが、本当に極限状態だったようだ。


 補給と回復を終えて、ようやく和葉の髪と肌に艶が戻ってきた。

 暗い瞳にも光が戻り、それと同時に感情も戻ったのか、唇がわなわなと震え出す。


「し……真城くん、ありがとううぅ……うっ、うっ」


 腹いっぱいで恍惚の笑みを浮かべていたと思えば、今度は涙を流し始めた。

 うつむいた和葉の瞳から、真珠のような涙がキラキラと落ちて袖でぬぐうが、さらに溢れて止まらない。


「おっ、おい……」

「ごっ、ごめんなさい……私、わた……」


 いきなり泣かれて、俺も当惑してしまう。

 堪えても堪えても、涙が止まらない和葉の瞳。ようやく水分が足りて、乾いていた涙が溢れてしまったという感じで見ていられない。


 飢えて行き倒れるのはまだ分かるが、乾いているのも分からない。

 水だけは、公園にでも行けば誰でも無料で飲めるはずだろ。


「なあ、竜胆さん。一体何があったんだ」


 ほとんどのことは他人ごとだと無視してきた俺も、これはちょっと訊ねないわけにはいかない。


「お金が無くなって……」

「生徒会は、戦闘に出れない生徒にもちゃんと金貨を配給してるって聞いてたんだが。しかも竜胆さんは、七海修一の幼馴染じゃないか」


 生徒会を運営しているリーダーである七海に助けてくれと頼めば、金がもらえないはずがない。

 むしろ、特権階級として優遇されていてもおかしくないはずなのに。


「だからなの……」


 ポツリポツリと、和葉は事情を話し始めた。

 一言で説明すれば、竜胆和葉は生徒会の女子生徒たちから酷いイジメを受けていたのだ。


 しかも、和葉が『七海修一の幼馴染だから』というのが一番の理由だった。

 生徒会の連中、特に女子は大部分は七海修一のシンパだ。


 七海修一は全ての人に平等に接しようとは心掛けているようだが、勘の鋭い女どもは『和葉が、七海修一に特別視されてる』ということを敏感にかぎわける。

 どこからか、和葉が七海の幼馴染だから特別扱いされているのだと、噂が流れたのが致命傷になった。


 そして、常に冒険の先頭に立ってみんなのために立ち働いている七海は。

 和葉が影でイジメを受けている事実に気が付かなかった。


 いや、七海ばかりが悪いわけじゃない。

 考えなしの俺が、和葉の足の障害を治してしまったのもいけなかった。


 もともと級長を無理にさせられるなど、和葉はクラスから少し浮いているところがあった。

 足関節に軽度の障害があったから、可哀想な子ということでイジメのターゲットから辛うじて逃れていた。


 その微妙なバランスが崩れた結果、和葉は街にいる生徒会の女子生徒たちに完全に爪弾きにされてしまう。

 同情して助けてくれる人もなくなり、金貨の配給を受けることができなくなった。


 一度イジメの対象となってしまった和葉は、どこに行っても酷い罵声を浴びせられて、タダでいくらでも手に入るはずの泉の水すら飲むことを許されなかった。

 生徒会から迫害された和葉は、心身ともに傷ついてボロボロになり、誰もいないファーストフード店の奥にしゃがみこんで、そのまま野垂れ死にしようとしていたというわけだ。


「お前なあ、死にかけてるなら七海に助けてって言えよ!」

「だって、そんなの……うううっわああああぁぁ」


 和葉は、堪えきれずにワッと泣きだしてしまった。ああそうか……。

 これは俺が悪い。和葉が女子生徒たちからイジメられた根本の原因は、七海修一に特別扱いされたせいなのだ。


 その原因である七海修一に、助けてって言えるわけないじゃないか。

 七海に泣きついて助けてもらって、じゃあその後はどうなる。金貨を稼ぎに行っている七海は、ほとんど街に居ない。さらにイジメが酷く陰湿なものになるだけだ。


 今度は、消極的な迫害だけでは済まないかもしれない。

 だから気の弱い和葉には、それができなかった。飢えより乾きよりも、耐え難い恐怖だってある。


「何が生徒会だよ、クソどもめ……」


 悪の凡庸さという言葉がある。

 街にいる生徒どもだって極悪人揃いなわけじゃない、みんなごく普通の高校生だ。


 おそらく集団転移事件による過度なストレスが引き金だったのだろう。

 ごく平凡な人間たちが、嫉妬や、やっかみ、遊び半分で和葉を迫害し始めて、ついには飢えて死にかけるところまで追い詰めた。


 街でネガティブ行為が出来ないからって、人に危害を加えられないわけではない。

 虐め、無視、罵声、疎外、迫害……直接手を出さなくても、集団で追い詰めれば人を死に追いやることだって可能なのだ。


 クソッタレな人間どもが集まれば、どこの世界でも当たり前のように起こることが、ジェノサイド・リアリティーでも起こっているだけ。

 それだけのことなのに、俺の胸の奥でひりつくような熱い感情が嵐となって猛り狂った。


 俺は激情のままに、リュックサックから残りの金貨を全部掻き出して和葉に差し出した。

 これは、断じて同情ではない!


「真城くん……」

「これが今俺が持っている金貨すべてだ、お前はこれを持ってどっかに隠れてろ。足りないならもっと持ってきてやる」


 和葉がイジメられたのは、安易に足を治すことを教えた俺の責任だってある。

 不本意ではあるが、関わってしまったからには最後まで責任を持たないといけない。


 七海修一が助けたらマズいだろうが、はぶけ者の俺が助けるなら……。


「真城くん、違う! 私はこんな物が欲しいんじゃない!」


 和葉は、差し出した金貨を跳ね除けて、俺に全力ですがりついてくる。思わず、尻もちをつく。それぐらい強く身体をぶつけてきた。

 泣き腫らして血走った瞳で俺を見つめて、心の底からの絶叫を俺に浴びせてきた。


「だって、金がないからお前は……」

「違う、違うよ! 真城くんはどこかに行くんでしょう。私だってもうこんな街にいたくない、私も連れてってよ!」


 連れてってと言われても、俺が行く先は危険なダンジョンだ。

 こんな弱々しい女の子が、生きていける世界ではない。


 そうか……地下五階の庭園ガーデンがあったな。

 安全な隠し部屋、あそこなら誰にも見つかることもなく隠れ住める。生徒会の迫害からは、逃れることもできる。


 本当は、瀬木のための安全地帯シェルターにしたかったんだけど。

 後一人ぐらいならかくまっても構わないか。


「おい竜胆和葉、俺に付いてきたいなら危険を冒す覚悟を決めろ」

「覚悟は決まってる、この街以上に危険な場所なんてない。ここにいるぐらいなら、私はもう死んだほうがいい」


 それもそうか。

 和葉は、この安全な街で殺されようとしているのだから、逃げ出そうともするだろう。


 だが、それだけでは困る。

 戦う覚悟がなければ連れて行っても足手まといになるし、俺は自分の責任で罪もない女の子が死ぬところを見たくない。


「ダンジョンに行くってことは、冒険者になるってことだ。命の安全すら保証できない場所だ、俺だって助けられないかもしれない。分かるか竜胆、逃げるんじゃなくて自分で戦う覚悟を決めろっていってんだ。生き残る努力をしろ」

「それは、出来る限り……真城くんの足手まといにならないようにする。いざとなったら、見捨ててくれてもいいから」


 そう言いながら、自分の命が危うくなったら助けてっていうんだろ。

 そうなったとしても、まあ連れてくと決めたら俺の責任だよな。和葉の覚悟は、それなりに本当の覚悟のようだから連れて行ってやるか。


「竜胆を脅かすつもりはないが、ダンジョンは本当に危険だから。俺に助けてもらおうなんて甘い考えを持たず、自分で助かろうとする意志を持っておけよ」

「意志はあるよ!」


 やけっぱちになってるということもあるのだろうが、声に力はある。

 この決心の堅さなら、さほど邪魔にもならないか。


「ふんっ、そうか。お前はまだ弱いが、俺に助けを求める勇気があった。今はそれで良しとしておこう」

「真城くん、お願い。私、なんでもするから一緒に……」


 遅いんだよ、色々と。

 なんでもする覚悟なんてモノが最初からあれば、幼馴染の七海を利用することで街で優位な立場にだって立てただろうに、もっと前に覚悟を決めておけば良かったのだ。


 溺れる者が藁を掴むように、必死に俺の身体にしがみついて離さない和葉に、俺はため息を吐いた。

 まあ良いか、和葉はまだ生きている。俺にここで偶然発見されたのだって、和葉が掴んだ運だ。ギリギリ助かるための勇気が、間に合ったってことにしておこう。


「ダンジョンの奥に、お前が隠れ住めそうな安全な部屋がある。そこまでなら連れて行ってやってもいい」

「お願いします、そこに私を連れていってください」


 よし決まった。

 俺は、和葉が床に散らかした金貨をかき集める。


「それなら、この金はまずしっかりと受け取れ。この金を使って装備を整えてこい、あー装備だけじゃない。隠し部屋は食料も水もあるが服の着替えとか生活用品はないから、生活用品を街でリュックサックいっぱいに補充して持っていけ」

「分かりました、装備は何がいいかな」


「そのまえに竜胆、お前の職業は何だ」

「料理人なんだけど、ダメ職業なんだよね。七海くんは料理でみんなを助けてくれって言ってくれたけど、みんなに役立たずだから要らないって言われてちゃった」


 言うのも可哀想だが、一二を争うハズレ職業だ。

 モンスターの生肉を喰らっても平気な、このワイルドなゲームにも、料理スキルってのは存在する。


 ロールプレイとしてやるのは面白いんだろうが、料理なんか上手くても満腹度の回復に差が出るとか、本当にどうでもいい効果しかない。

 ダンジョンの中で料理をやってるやつはほとんどいない。冒険者は肉を焼く手間すらも惜しんで、素材丸かじりが普通だ。


「どうでもいいけど、料理人が飢えてるって物凄い皮肉だな」

「うん……」


 学校指定の制服を着たままの和葉を眺める。洗濯もろくにできなかったせいで薄汚れているが、丈夫な布の服ではある。

 この上から付けるとなると、和葉の体力だと重たい装備は無理か。


「金属の鎧つけたら身動き取れないだろうな。硬革鎧でも重すぎるかもしれない、竜胆じゃせいぜい皮の鎧だな。それに料理人らしく、ペティナイフでも装備したらいいんじゃないか」


 紙装甲になるが、当たらなければどうということはない。

 攻撃力としても期待してない、後ろから石を投げるか初級の炎球ファイヤーボールでも撃ってくれれば御の字。


 地下五階までたどり着けばいいんだから、なんとかなるだろう。

 俺と和葉は、装備を整えたり日用品を買い込む。


 ジェノリアにも薬局があるのだが、女性用の生理用品まで売ってたのには驚いた。

 街の店なんてよく確かめもしなかったが、ゲームのときよりもアイテムが増えてるのだろうか。


 隠し部屋には水場もあれば風呂にも入れると教えたら、タオルと一緒に洗剤や石鹸もしっかりと買い込んでいた。

 そこにすぐ頭が回るのは、俺よりも生活力が高いってことなんだろうな。

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