第35話「クレタ型迷宮」

「また、行き止まりデス!」

「なんだか、さっきからグルグル同じ所を回ってるようね。おかしいわね、ワタルくんの地図通りに進んでるはずなのに」


 おー、迷ってる迷ってる。

 久美子の知性と、ウッサーの勢いなら俺が関与しなくても突破できるかとも思ったがそうはうまくいかないらしい。


 地下九階、本当の意味での迷宮ラビリンスのステージ。

 ミノタウロス伝説で有名な、クレタ型迷宮ラビリントスを模した階層である。


 牛頭の怪獣ミノタウロスを閉じ込めるための大迷宮。

 大したモンスターは出てこないが、ここは迷宮の通路自体が罠のようなものだ。


 入り口にあったレバーを規則的に下ろしたり上げたりして、組み合わせで扉を開く仕掛けを久美子は二分でクリアした。

 そうして、意気揚々と迷宮へと足を踏み入れたのだが、そこからが長かった。


 たくさんの階段とネジ曲がった通路が複雑に入り組んでいて、いくら進んでも迷路は終わらない。

 モンスターが出てこないということは、アイテムの出現も少なく食料の調達も難しいということで、下手をすると迷い続けて餓死する危険もある。


 まあ、俺達の備えは万全なのでそんな心配はないわけだが。

 久美子達が迷っているのを横目で見ながら、俺は呼吸を整えて地下八階のボスが使った技のトレースを試みる。


放散フー 創造ネタ 敏捷ロス!」


 呪文を吐き出すとともに、俺の突き出した拳が青い波動を発する。

 地下八階のボス、ツァラトゥストラが使っていたミススペルすることによって、体内でマナをオーバーフローさせて素手の攻撃力を上げる技。


言霊術げんれいじゅついや、魔闘術まとうじゅつとでも名付けるべきか。熱量ラー イア 電光ディン!」


 赤い輝きとともに、蹴る力が上がるのを感じる。

 月文字スペルの連なりが、呼応する肉体の部位の活性化させる。一種の言霊ことだまなのだろう。


「さっきの技、もう使えるようになったのか!」


 俺と同じく迷宮探索に積極的に参加しておらず、手持ち無沙汰だった木崎は、俺の様子をジッと見ていたようだ。

 俺が魔闘術まとうじゅつを早々と習得したことに、驚きの声をあげている。こんなの、呪文を唱えながら腕や足にマナを通すだけだから、理屈さえ分かれば誰でもできるんだけどな。


「ああ、やってみれば簡単だぞ。わざとミススペルをしながら、身体の中にマナの熱が通るようにするんだ」

「そう言われたって、難しいよ……」


 暇を持て余している木崎も、俺の真似をして呪文を唱えつつパンチを練習しているが、輝きが中途半端で不発に終わる。上手くマナが腕に通っていないのだ。

 呪文の詠唱とともに、タイミングよく繰り出せば良いだけなんだが、軽業師ランクが低いと難しいのかもしれない。


 木崎も、もう少し素手の体術を訓練すべきだ。

 手間に思えるかもしれないが、万能型に育てば総合力が高くなって先々ずっと強くなれるはず。


「うーん、それにしてもこんな隠し技があったとはな」


 ミススペル自体が力を持つなど、ジェノリアに習熟している俺では逆に盲点となって気が付かなかったわけだが。

 優れた宗教家であるツァラトゥストラが、月文字の連なりを組み合わせ試し続けて、魔闘術まとうじゅつにたどり着いたこと自体は、そう不思議なことでもない。


 特定の聖言が霊的なパワーを持つという宗教思想は、洋の東西を問わず様々な文化圏で存在する。いわゆる聖言、呪文、念仏、祝詞。

 もちろん宗教ごと呪文には違ったストーリーが付けられるが、不思議と全く異なった民族・宗教の聖句に似通った抑揚を持つ単語多く含まれるという事実も、言語学上の謎として指摘されていることだ。


 そこから遠く離れた古代の民族同士にも、交流があったのではないかなんて仮説も出てくるわけだが。

 交流のない異なった地域で呪文が似る根本の原因は、人間が言の葉を発する際の呼吸が体内のプラーナを高め、心身を強化するという経験則を背景としているからだとも考えられる。


 古代に各地域で生まれて、今は形骸化してしまった言霊ことだまのパワーとは、特定の音韻が身体の特定の部位に呼応して活性化するという経験則に基づいた術式であったのかもしれない。

 西洋の修道士モンク、イスラムのアサシン、日本の僧兵、中国の少林寺。


 世にある宗教というものが、修行を繰り返す過程で優れた戦士・武道家を排出するのは、そのあたりから来ているのかもしれない。

 ジェノサイド・リアリティーの月文字が、その言霊に似たようなシステムで出来ていると仮定すれば、肉体強化の武術に使えるのも道理である。


 しかし、使ってみれば魔闘術まとうじゅつは、あくまで内気功の類だ。徒手空拳の打撃技でしか効力を発揮できない上に、マナの消費も激しい。パッシブスキルとしてはとても使えない。

 かなりピーキーな技術なので、攻撃方法としては鍛えぬかれた武闘家にしか有効に使いこなせないだろう。


「しかし、ものはやりようか。熱量ラー イア 電光ディン!」

「真城なにをやるんだ!」


 俺は、『孤絶ソリチュード』を抜き放って、魔闘術で足にマナの力を溜めて腰を落として踏ん張った。

 ウッサーの使っていた震脚。ラビッタラビット族の超人的な脚力が無ければ、本来難しい技も、魔闘術で強化すればできる。


 そして、俺は両足に溜めた発勁はっけいもどきを、まず右足の踵から解放して飛び上がった。

 三メートル先の天井に到達するまで一瞬、身体を捻ると天井に左足の踵を付けて、一気に床へと飛ぶ。


「うあああっ!」


 三角飛びの勢いで、『孤絶ソリチュード』を振り下ろした俺を見て、木崎がのけぞって悲鳴を上げた。

 なかなかに、インパクトのある技。奇襲攻撃には使えそうだ。


「三角斬りとでも名付けるか」

「凄い、真城凄いよ!」


 木崎がやたら褒めてくれるので、俺も冷静な振りをしながら内心で得意げになっていると、うんざりと言った顔のウッサーがやってきた。


「なんだ、ウッサー」

「いや、何遊んでるんデスか旦那様」


「……割と真剣にやったつもりなんだがな」


 ウッサーの軽業師ランクから見ると、これでも遊びなのかと頭が冷える。

 いやそもそも、純然たる身体能力では異常な脚力を持つラビッタラビット族に勝てないか。


「いやなんというか、凄い技だとは思うんデスけど。それよりこの迷路もううんざりデス。なんだか気疲れしてきたデスよ」

「ウッサー黙って見てなさい。迷宮と言っても攻略法は決まってるのよ。いま右手の法則で進んでるんだから、そのうちクリア出来るはずよ」


 迷路は飽きたと苦情を漏らすウッサーに、久美子がそんなことを言うので俺は噴き出しそうになった。

 俺も最初にトライしたときはそんなことを考えた。そして、物の見事に迷ったものだ。遊ぶのはこれぐらいにしておくか。


「ブー、久美子不正解。この迷宮はそれでは突破できません」

「なによ!」


 さすがの久美子も気色ばんだ。

 ちょっとふざけすぎたか。


「いやすまん、久美子がミスするとか珍しいのでちょっとはしゃいだ」

「ミスって、私の理屈に何かおかしいところがあるの?」


 本来ならば、迷宮の攻略法が決まっているという久美子の言葉は正しい。

 右手法、あるいは左手でも良いがどちらかの壁に手を触れてずっと進めば、最悪でも壁の長さ分だけ歩けば絶対にクリアできる。


 通常の迷路ならば、である。


「ジェノサイド・リアリティーがそんなに甘いわけないだろ。時間経過で地形が変化してるから、手で壁をたどっても無理なんだよ」

「右手法はダメってことね、じゃあ……」


 いや、根本的な考え方が間違ってるから何やっても無駄だろう。


「あのな、ここはまともに攻略しようって発想がダメなんだ。気が付かないうちに勝手に進む方向を回転させられる魔法の床があるので、まともに調べながら進めば余計に迷うことになる」

「なによ、その地味に嫌な罠。それならどうしようもないじゃない」


 右手の法則なんか信じて歩いた日には、死ぬまで同じ所をぐるぐる歩きまわることになる。

 俺もこの階層の仕組みは、地図ではちょっと面倒臭すぎて書ききれなかった。


「一つの解決法としては、何も考えずに行き当たりばったりに右へ左へと適当に走りまくることだ」

「それワタシ得意デス!」


「だろうな。ウッサーは脳筋だから、もしかしたら黙ってても勢いで突破できるかとも思ったんだが」

「えへへ、褒めても何も出ないデスよ」


 褒めてねえよ。


「ゲーム的に正しくクリアする方法はちゃんとある。たとえばこうやって……」


 俺は近くの泉からフラスコに半ばほど水を注ぎ、そこらの床に落ちている小さな鉄の針を落として浮かべた。


「磁気コンパス?」

「正解、その鉄の針は磁針なんだよ。これを水に浮かべるとコンパスになる。尖ってるほうが北で、太いほうが南だ。これで回転床の罠があったら、その度に方角を修正して歩くわけだ」


「なんかバカにされてる気がするわね。レバーの組み合わせぐらいは分かるけど、ノーヒントで回転床に気付けってあまりに理不尽じゃない」

「そうだな、昔のゲームは不親切なんだよ。だがそれでもゲームだ。よく探せば、必ず解答はある。地下九階は視覚的にはグニャグニャに入り組んで見えても、構造的には四角形の単純な迷路だ。コンパスを見て回転されたら方向を修正しながら、ずっと北に進めばすぐクリアできる」


 一見理不尽なようでも、ジェノリアもゲームなのでどこかに答えはあるのだ。

 しかし、ヒントがそこいらに落ちている小さな鉄の針だけというのは、やはり難解過ぎる。


 水フラスコと落ちてる鉄の棒でコンパスを作って回転床を回避しろなど、これを攻略サイトの情報なしで誰がクリアできるのだろう。

 優等生の久美子なら気が付くかと実験してみたが、やはり無理だった。


 親切なヒントはない、大事なことには誰も答えてくれない、分かったときにはすでに手遅れ。

 ダンジョンとは人生のようなものというのは、誰の言葉だったか。ある意味で、ジェノリアも人生の縮図だ。


 放っておいても事態は決して好転したりはせず、悪い予感ばかりが当たり続ける。

 まあ、戯言だけどな。


 俺が最初にゲームで地下九階にトライしたときは、総当りでダッシュし続けて強引に突破した。

 これだけ理不尽な罠なのだ、むしろ力押しも正解ということにしておきたい。


 ただ今回に限ってはボスの部屋の前に、中央の部屋にあるアリアドネの牢獄に行かなければならないので。

 迷路で遊んでばかりもいられない。


 古代ギリシャ、クレタ島の伝説『アリアドネの糸』で有名なアリアドネが閉じ込められた牢獄。

 伝説によると、勇者テセウスに恋をしたアリアドネがクレタ型迷宮ラビリントスから脱出できるようにと『魔法の毛糸』を手渡したとされる。


 伝説では、ミノタウロス迷宮には入らなかったはずのアリアドネ姫が、なぜ迷宮の中央に、幽閉されて居るのかは全くの謎だが。どうせウッサーと同じような設定なのだろうとは思う。

 ジェノリアの設定は、伝説をモチーフとしているだけでかなりいい加減なので、細かいことを気にしてもしょうがない。


 とにかく、中央の牢獄に囚われているアリアドネ姫を助けると出現する『魔法の毛糸』は、ジェノリアでも最重要アイテムなのだ。

 本来は毛糸の糸を伝って、迷宮を脱出できるというものだが、この『魔法の毛糸』の万能さはすごい。


 マナを大量に消費するという小さな代償で、『一度行った場所なら、どこにでもワープできる』という、とんでもなく有利なアイテム。

 これを手に入れるために、我慢して久美子達と一緒にここまで来たと言っても過言ではない。


「旦那様凄いデス、クリアできました!」


 コンパスを使って北に進み、難なく中央のアリアドネの牢獄までたどり着く。ウッサーが勘違いしてるが、まだクリアではないんだよ。

 それより、アリアドネが囚われているはずの牢獄の中には、誰も居なかった。


「……なんで居ないんだよ」

「何の部屋かしら。空っぽの檻があるだけって、ちょっと不気味ね」


 予想に反してと言うか、悪い予感が的中したと言うべきだろうか。

 鍵が開いていない以上、誰かが助けたというわけでもあるまい。そうすると、助けるのが遅くてアリアドネ姫は死んでしまったのか。


 だとしたら、後味が悪いことだが。

 とにかく開いてみるしかない。


「久美子、とにかくこの牢の鍵を開けてくれ。ここは大事なアイテムがあるはずなんだ」

「分かったけど、うん……なにこれ、めちゃくちゃ難しいじゃない!」


 ここで試されているのは、迷宮を抜けて中央の部屋へとたどり着く知力と高度な解錠スキル。

 俺達にとっては外見上ただの錠前に見えるのだが、難易度はかなり高い。久美子はかなりの時間をかけて、ピッキングの工具をカチカチやっていた。


「ようやく開いた。なんだか、凄く疲れたわ……」

「ご苦労様。あと中の宝箱があるんだ、もうちょっとだけ頑張ってくれ」


 俺は、牢獄の錠を開けただけで倒れそうになっている久美子を後ろから抱きしめる。

 牢獄を開けたことで、中に黄金の宝箱が出現した。アリアドネが居ないだけで宝は出るようだ。


 この宝箱の鍵も、かなりの高難易度のはず。久美子は中忍なので、純粋な盗賊よりは解錠スキルが劣る。

 おそらく、開くかどうかギリギリの難易度になる。久美子には気張ってもらわなければならない。


「ほら、スタミナポーションを飲んで、もう少しだけ頑張れ」

「ワタルくんの口移しなら、飲んでもいいわ」


「久美子、調子に乗るなよ」


 俺は、フラスコの蓋をキュポッと開けて久美子の口に突っ込んで傾ける。

 久美子は思ったより素直に、ゴクゴクッと喉を鳴らしてポーションを飲み干した。全部飲めなかったのか、口元からたらっと黄色の液体が垂れた。


「ふうっ、飲ませてもらうのも悪く無いわね」

「ほら、口元が汚れたぞ」


 俺は布巾を取り出して、久美子の艶やかな唇を拭いてやる。

 本当に疲れてもいるのだろうが、俺にわざと身体をもたれさせてくるのは、おそらく久美子なりに甘えているつもりなのだろう。


 こいつは何でも器用にこなすくせに、人に甘えるのはあまり上手じゃないな。


「ワタルくん。嫌だって言ったのに無理やり咥えさせて飲ませるなんて……鬼畜」

「うるせえよ。エロく言い直すな、処女ビッチが」


 久しぶりに久美子のくだらない冗談を聞いた。

 もうひと働きしてもらう必要があるので、もっと優しくして機嫌を取っておかないといけないとも思うのだが、久美子の半笑いはなんだかムカつく。


「じゃあ、ワタルくんがエロく私を勇気付けてくれたら、やる気出して宝箱開けるわよ」

「ほう、じゃあ……久美子、愛してるから開けてくれ」


 久美子は思わず仰け反って、顔を背けた。どうしたのかと思ったら、頬を真っ赤にしている。

 冷静なようで、意外に打たれ弱いところもあるんだよな。


「うんっ……いきなり真顔で直球とか、ワタルくんやるわね」

「お前に散々からかわれて、鍛えられたからな。ほら、俺の可愛い久美子。疲れてるところ済まないが、もうひと頑張りだけしてくれ」


 俺は久美子を軽く抱きしめて、ポンポンと肩を叩いてやる。

 腕の中で、久美子が少し笑った。どうやら機嫌を直したようだ。


 まったく扱いづらい。

 俺の七海修一のようなカリスマ性があれば、女の機嫌を取るような面倒な真似をしなくてもいいんだけどな。


「じゃあ、私頑張るから……今夜は激しくしてね」

「ほら、分かったからさっさと頼むよ」


 久美子の趣味に合わせて戯れていれば、機嫌良く仕事をやってくれるのだからそう難しいことでもないんだけど。

 できないことはないが、女と戯れるなんて、公衆の面前では恥ずかしくてやりたくない。


 ここがむしろ、ダンジョンの地の底だから出来ることだな。

 久美子をかまったので、ウッサーがまたうるさく言うかなと思ったら、なんだか期待した顔でこっちに擦り寄ってきた。


「旦那様、それワタシにもやってくださいです」

「よしよし、可愛いなウッサーは……」


 なんかツッコむのも疲れたし、どうせついでだ。俺はウッサーを軽く抱きしめて、長い耳と桃色の髪をなでさすってやる。

 ウサギの耳はモコモコで、触り心地が良い。ペットでも撫でてると思えば、たいしたことはない。


 ちょっと撫でてたら、安心したのかウッサーはその場に座り込んでしまった。

 木崎が俺を変な顔をしてジッと見ているので、ちょっと気にかかった。


「なんだ木崎」

「えっ、いやなんでもないけど……」


「ねえっ、宝箱が開くわよ!」


 久美子の叫びに振り返ると、黄金の宝箱がゆっくりと開くところだった。

 呆気無く開いたように見えるが、ピッキングの道具を持って座り込んでいる久美子はぐったりしている。


「よしよし、ご苦労だったな」

「なんだ。こんなに苦労したのに、変な毛糸しか入ってないのね」


 宝箱からは、俺が欲していた『アリアドネの毛糸』がしっかりと四人分取れた。これでミッションクリアだ。

 しかし、アイテムは取れたのは良いが、アリアドネ姫は助けるのが遅くなって死んでしまったのだろうかと考えるとちょっと悲しくなった。


 ゲームのときは、救出に時間制限などなかったんだけどなあ……。

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