第34話「武人として」

「なんだこりゃ……」


 そこにあったのは大理石で出来た白い伽藍である。豪奢とは言えたが、どちらかと言えば清楚な美がある。

 白亜の宮殿のように見えたが、寺院である。少なくともゲームではそうだった。


 炎の階層を象徴するように、真ん中の大きな鉄の器に赤々とした聖火がたかれていた。

 そこに向かって、白い帽子をかぶり白いローブを身にまとった長い口髭を生やした痩せた老人が呪文を唱え続けていた。


放散フー 創造ネタ 敏捷ロス 熱量ラー イア 電光ディン……」


反作用ゾー ネス 刻限ウーア 障害ゴル 放散フー ポイズ 解除リアク……」


 放っとくと、ずっと呪文を唱え続けているようなので俺は敵の名前を呼ぶ。


「ツァラトゥストラ!」


 この階層のボスの名前をそう言った。

 「ツァラトゥストラはこう言った」と言えばドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの著作であるが、この階層のボスは永劫回帰えいごうかいきを説くニーチェのツァラトゥストラではなく、善悪二元論を唱えた宗教家ザラスシュトラの方であろう。


 社会科の教科書では、ゾロアスター教と習う。

 拝火教とも呼ばれる宗教の始祖ザラスシュトラ。正確には、歴史上の人物をモチーフにしたモンスターということになる。


 蛇を絡ませた木の杖を持つ白き隠者。

 その枯れた風貌から、ジェノリアのプレイヤーには白神官などとも呼ばれている。


「我が名を呼ぶものがある」


 粗末な木の杖をついて、ゆらりと立ち上がるその姿はモンスターのボスには見えない。

 長いブラウンの口髭に痩せこけた頬、ただそのダークブラウンの双眸だけが余りにも透き通っていて不気味な雰囲気を醸し出していた。


「呼ぶも何も、お前がこの階のボスなんだろう」

しかり、我は守る者、立ちはだかる者。ここではそれが道理。好んで危険に身を晒す、いと気高き少年少女よ。偉大なる我に何を問うか」


「まさか問答をしにきたわけでもない。お前がボスなら、俺は殺るだけだ」

「それもまた然り」


 俺が背負っている刀を抜こうとすると、ウッサーが前に立った。


「旦那様、ここはワタシにやらせてください。この御仁からは、ワタシと同じ匂いがしますデス」

「いいけど、同じ匂い?」


「同好の士か、面白い。ラビッタラビット族の少女、お前も鋭利なる者。肉体の崇拝者と見受ける」

「そこの御仁。その鍛えられた身にまとう闘気は、さぞや名のある武道家とお見受けいたしましたデス。武人として手合わせねがいマス」


 ウッサーが、構えを取った。

 いや、武人って。ツァラトゥストラは、武人じゃないだろ。どっちかといえば超人。


「武人? ラビッタラビット族の冒険者は、肉体の崇拝者をそう謂うのか。然り、かかってくるがよい」


 カランと音を立てて杖を捨てたツァラトゥストラは、ガバッと白いローブを脱いで上半身裸になった。

 痩せた老人だと思ったらとんでもない。鍛えぬかれた鋼のような筋肉が盛り上がっている。腹筋が八つに割れている。まさしく武人だった!


「兎月流、アリスディア・アデライード・アルフォンシーナ・アンジェリーク・アルレット・アラベル・アリーヌ・ディアナ。参りマス!」

「我に流派はないが、強いて謂わば天然自然流てんねんじねんりゅうツァラトゥストラ。受けて立とう!」


 突然、武道家バトルが始まった。

 何これ。ゲームだと、ツァラトゥストラは杖で戦うよね。なんで素手なんだよ。


 そんな俺のツッコミも虚しく。

 武闘家同士の鋭い殴り合いが――始まらなかった。


 スカートをまくり上げるようにしながら、半裸の老人の周りを回り出すウッサー。

 まるでそれは、武闘というよりは舞踏。


 あんなスピードで踊り回って、よく目が回らないものだ。

 ツァラトゥストラのほうは、手を組んで眼を閉じた。


「兎月流、円刹脚えんさつきゃく!」

「小賢しき技なら、効かぬよ」


 おそらく、ウッサーの技はスピードで翻弄して相手を混乱させる技なのであろう。

 それを察して、老師は相手にしない。


 ウッサーは構わず、遠心力も利用して後ろから鉈のようなキックを浴びせたが、そのすべてをツァラトゥストラは、手に印を組んだまま上半身を捻る体捌さばきだけでかわす。


「ヌッ! さすがデスねー」

「風の声を聞けば、見なくてもお前の動きは手に取るように分かる」


「ならば、受けきれぬ攻撃デスッ!」

「グッ!」


 一蹴のもとに全てを粉微塵に化すウッサーの必殺技、兎月流兎塵脚うげつりゅう・うーじんきゃく

 さすがに、ダメージはあった。だが、浅い!


 黒の騎士ブラック・デスナイトですら吹き飛ばされた、峻烈な飛び蹴りを。

 ツァラトゥストラは、腕を前でクロスして受け止めると同時に右足を引いて腰を沈めて、受け流してみせた。


「兎塵脚が、効かない?」

「兎塵脚と謂うか。発勁はっけいのこもった善い技である。だが、単純で受け流すのは難しくない。技にまだ振り回されている」


「ならばこれデス!」


 ウッサーは、その場で高く高くジャンプした。

 三メートル上空のダンジョンの壁を蹴って、その勢いも加えてロケットのような蹴りを叩きつける。


 なんだろ、技名叫んでないから俺が名付けるとすると、兎月流三角蹴さんかくげりってところか。

 なかなか凄い技だ。


「これならやったか!」


 ウッサーの脚のバネは物凄い。

 そこから繰り出されるジャンプ力を全力でぶつけた蹴りの物凄い威力で、強風が撒き散らされて辺り一面に塵芥が飛散した。


 撒き散らされた塵が晴れると、あの必殺技をどう受け止めたものか、全くの無傷の老人が立っていた。


「これでも、効いてないデスか!」

「然り、では今度はこちらから征くぞ」


 ツァラトゥストラは、肩の筋肉をゴキゴキと鳴らしてから。

 念仏のようなさっきの意味を成さない呪文を唱え始めた。


放散フー 創造ネタ 敏捷ロス ……」


反作用ゾー ネス 刻限ウーア 障害ゴル 放散フー ポイズ 解除リアク……」


 虚仮威し、ではない。

 唱えるごとに、ツァラトゥストラの身体が赤く輝きだした。俺の眼にも見える、老人の肩から立ち上る陽炎かげろうのように揺れる闘気。


「然り」


 単純な掛け声とともに、老人が繰り出したそれは単なるパンチだった。

 上から下に叩き下ろす裏拳、至極単純な一撃。その赤き闘気が、空間そのものを殴り飛ばしたように、下級師範ローマスターランクであるウッサーをいとも容易く吹き飛ばした。


「きゃあああああぁぁ!」


 激しい衝撃に吹き飛ばされながらも、ウッサーはなんとか体勢を整え直そうととする。

 だが――


放散フー 創造ネタ 敏捷ロス!」

「うああああああぁぁ!」


 ツァラトゥストラがダンッと地を蹴りあげて飛ぶスピードは、吹き飛ばされるウッサーよりも速く。

 ドウッと空間が斬り裂ける音とともに、ウッサーの腕のガードごと、ダンジョンの石壁にウッサーを力強く叩き潰した。


熱量ラー イア 電光ディン!」

「ぐあっ……」


 たった二回のパンチで、ウッサーは壁にたたきつけられて満身創痍になっていた。

 ジェノリアの知識を持つ俺から見れば、その呪文は余りにも奇っ怪で意味不明なのだが、唱えている月文字の羅列が半裸の老人の力を増しているのは事実。


 俺の知らない何らかの魔法を編み出したと考えればいいのか。崩れた石壁に半ば身体をめり込ませているウッサーが「ゲホゲホッ」と咳をして、唇から血を吐いた。

 俺が思わず駆け寄ろうとする動きを、ウッサーはそれでもこっちに手のひらを出して止めた。


 決闘はまだ続いている。

 ウッサーの碧い瞳から戦う闘志は消えていない。


 ウッサーは手の甲で口元の血を拭うと壮絶な笑みを浮かべて、上半身の筋肉を盛り上がらせた老人に向かって行く。

 それにしても、これはどういうことだ。


 俺がウッサーに決闘を許したのは、ツァラトゥストラがさほど脅威なボスではなかったからだ。

 さすがに地下八階のボスだけあって基礎力は高いものの、杖を振るって攻撃するだけの比較的危険度の低いボス。


 同じ肉弾戦を得意とするウッサーなら心配無いと思っていた。

 少なくとも、黒の騎士ブラック・デスナイトを何体も相手にすることを思えば、何の問題もなかったはずだ。


 はずだった……。

 そうだな、もう俺のゲームでつちかった常識は通用しないんだ。ジェノサイド・リアリティーの敵は、自ら考えて進化している。


 地下七階のボス、エノシガイオスが半魚人マーマンに魔法を教えたように、地下八階のボス、ツァラトゥストラは独自の魔法を編み出して己を強化したのだろう。

 だが、ゲームのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)に過ぎなかったウッサーだって、ここまで俺達と戦ってきた進化があるはずだ。


 今は、それを信じるしかない。


「さあ、このままでは負けるぞ。勝ちたければ己を超え、その真価を示せ。肉体の崇拝者よ。、自ら危険を冒す勇者よ!」

「ごちゃごちゃ、うるさいデスッ!」


 ウッサーは、さらに奥の手を出したのか。奇妙な武術を使った。

 鋭くも単純な飛び蹴りが防がれると、その場でクルッと宙返りをして、踵落としを喰らわせる。


 その物理法則をあざ笑うかのような奇術めいた動きに、翻弄されたのか。

 ようやく一発、ウッサーの蹴りが老人の頭にヒットした。


 ツァラトゥストラの白い帽子が跳んだ。

 いかに鍛えていようと身体は老人だ。頭部への強いダメージで、ツァラトゥストラは揺らめく。


「……見事!」

「兎月流、秘奥義釣瓶落つるべおとしデス!」


 人類ではあり得ないほど強靭なウッサーの太腿のバネを利用した奇怪な円蹴に、さすがのツァラトゥストラも意表を突かれたようだ。

 ウッサーは休まずに、蹴り技を打ち続ける。それに対して、半裸の老人は一見すると無造作に両手を振るうが、その動きには一切の無駄がない。


 ウッサーも、ツァラトゥストラも、まるで決められた演舞を踊っているようだ。

 流れるような動きで、蹴りと殴りの応酬が続く。武闘家たちの円舞曲ワルツ


「ならば、これを喰らえ!」

「むむデスッ!」


 ツァラトゥストラは飛び上がると、ウッサーに鋭い蹴りを放った。

 その技はまさに、兎月流兎塵脚うげつりゅう・うーじんきゃくの完全コピー。自分の必殺技を受けては、ウッサーもたまらずに壁まで吹き飛ばされる。


「どうだ見たか。この美しい技は、本来こう使うものだ。出来るものならば、我を超えてみせるが善い」

「それは、ワタシの部族の技デスよっ!」


 ウッサーは怒って、飛び蹴りを放つがウッサーの足技をコピーした老人には通用しない。

 白いローブを袴がわりにして、脚の動きを見せないところまで完全再現している。


「然り、善い技である。これは我がいただこう」

「ハァ……。いいデスよ、こっちだってアナタの技の秘密が分かって来ました」


 ウッサーは、長い耳を垂らして冷静になると。

 息を吐ききり、すうっと息を吸ってから呪文を唱えだした。


放散フー 創造ネタ 敏捷ロス!」


 ウッサーの身体を青い闘気が包んだ。ツァラトゥストラの赤い闘気に向かって放たれた、矢のような鋭い蹴りにも青いエフェクトがかかる。

 ウッサーからコピーした足技で受けようとしたツァラトゥストラが、今度は壁まで吹き飛ばされる番であった。


「ぬうっ、これは……見事ぉぉ!」

「ようは、体内に取り込んだマナで戦闘力を増しているのデス。違いマスか」


「然り。善いぞ、我が技を看破したのだな!」

「ええ、技の仕組みさえ分かれば、これで終わりデス!」


 呪文を唱えながら、ウッサーは兎月流兎塵脚うげつりゅう・うーじんきゃくを放った。

 完全コピーした蹴り技でツァラトゥストラも立ち向かうが、老人の身体では基礎体力が違う。


 たまらず吹き飛ばされて、四肢の骨を粉微塵に砕かれたツァラトゥストラは、石壁にめり込むようにして力なく倒れた。

 ウッサーの勝利。


「旦那様やりました、愛の勝利デス!」

「いや、愛は関係無いだろ」


「大いに関係ありマスよ。旦那様が、ワタシに魔法も育てろと言ってくれたから、敵のマナを武術に変える体術に気付けたんデスから」

「まっ、そういうことにしとけ。止めはどうする」


「ワタシは、武人として勝負したのデス。勝敗が決まれば、命までは取りません」

「そういうものなのか。でも、ボスは倒さないと進めないんだけど」


 ウッサーが主義として殺らないなら、俺が殺るか。俺がそう言う前に、宝箱が出現した。

 あれ、ボスが負けを認めると殺さなくても宝箱が出るシステムなのか。


 ……なんか、まあ良いけどさ。

 俺のゲーム知識がどんどん役に立たなくなってくる、微妙な気分。


「我が負けである。冒険者よ、善くぞ自らの武を超克した」

「ツァラトゥストラと言う御仁、アナタもお見事な技でした。また試合いましょうデス」


 倒れたツァラトゥストラに、惜しげも無くヘルスポーションを渡している。

 ついさっきまで敵だった相手を、そんなに簡単に回復させていいものなのだろうか。戦いの後に芽生えた武人同士の友情ってやつか。


 敵に回ったら殺すのが俺の主義だが、武人というやつは殺し合いはしないらしい。

 なぜかと聞いたら、再戦出来なくなるからだそうだ。そう聞くと、まあ戦闘狂としてのタイプの違いってやつなんだろう。


 そんな甘いことをやっていて、騙し討ちをされたらどうするんだろう。

 まあ、俺は知らんから勝手にやればいいが。


「それより、ちゃんとアイテムはあるんだろうな」


 宝箱を漁っている久美子の後ろから俺も覗きこむ。


「ええっ、これが鍵よね。あと、何このアイテム?」

「武道家が一人で倒したんだから、武闘家系の武器が入ってるはずだが、なんだこりゃ……」


 なぜか反物が入っている。

 キラキラと輝いて絹のように綺麗だけど、絹ではない。高いアイテムかもしれないが、布がお一人様ボーナスって、つまらないな。それに、こんなアイテム俺は見たこと無い。


「これは魔法の布デスね。これでドレスを作るのデスよ」


 まあ、ウッサーの青いエプロンドレスもだんだんボロボロになってきてるから新調は必要ってことか。

 こんなところで、ウッサーの着ているエプロンドレスの素材が手に入るのだな。


 治療を終えて再び聖火の前で読経しているツァラトゥストラ。あれの着ている白い服も、魔法の布で出来ているのかもしれない。

 そういう素材がどう作られるのかは知らんけど。アイテムとして出る以上、ジェノリアに魔法の布という設定もあったということなのだろう。


「しかし、武器が取れなかったのか」

「武器なら手に入りましたデス。マナを体内に循環させて闘気に変える、新しい武器になりマス」


 ウッサーはそう言うと、小さく呪文を詠唱しながら握りしめた拳に青いエフェクトを輝かせ始めた。

 身体向上系の新技。武闘家にとっては、魔術師の訓練にもなって一石二鳥ってことなのかな。


 とりあえず、地下八階はこうしてクリア。

 赤の扉を開いて、俺達は地下九階へと歩を進めた。

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