第49話「新しい階層」

 ハッと目を覚ます。

 熟睡してから起きるたびに、「見知らぬ天井」というフレーズが頭に浮かぶ癖はなんとかならんかなと思う。


 見知らぬどころか、ログハウスで寝たことは覚えている。

 しかし、俺の腕を枕にして和葉が寝ているのにはまったく覚えがない……。


 俺はため息を吐いて、そっと腕を抜いて転がっている枕と交換する。

 どうやら起こさなかったようだ。


 腕が痺れるぐらいは良いのだが、寝ている間に肌が触れるほどの距離に接近されて腕を取られても気がつかない油断は笑えない。

 和葉が敵だったら、俺は百回は殺されている。


「おいしっかりしろよ」


 ここは、ダンジョンの中だぞ。

 痺れた腕を伸ばしながら、気持ちがたるみ過ぎていると自戒した。


 和葉のやつはといえば、平和そのものの気持ちよさそうな顔でスースー寝息を立てている。

 薄いローブ一枚で寝ているノンキな姿に、なんかイラッときて弛んだ肉の先端を指でムニュッと突いてやった。


 どうだ、こいつめと!

 ふむ、イヤンとでも言うかと思ったが、反応はない。


 完全に熟睡しているようだ。いや、昔の漫画じゃないんだから、突かれてもイヤンはないか。

 俺も、なにバカなことをやってるんだか。それにしても、弛んで柔らかそうな肉に見えて意外と密度が濃いんだな。


 ふむ、しっかり食べてるせいか、和葉の肌は弾力性があって、見た目よりムチムチしている。着痩せするタイプだよな。

 ツッと肌に指を走らせると、薄い生地を通して柔らかい弾力が伝わってくる。


 洗いたての木綿の手触りは良くて、指に吸い付くようだ。そうこうしてると、「ううん……」と和葉が寝返りを打って、ぺろんとローブが捲れて艶やかな太腿があらわになった。

 もうちょっと触ってみるかと思ってから、いやいや、これ以上はダメだろうと思い返した。


 いや、これ以上もなにも、許可無く女の身体に触れてはイカンだろう!

 危ない、まだ俺も寝ぼけてたか。俺は、ため息を吐いて捲れたローブを直してやる。


「まったく、男の隣で無防備で寝やがって、襲われても知らんぞ」


 危ないと言えば、男の前で無防備な和葉も危ない。これは七海が心配するのも分かる。

 こいつといると、俺まで影響されて緩くなってしまうような気がする。ダンジョンでその甘さは致命的にもなりかねないと、俺は手で自分の頬を叩く。


 そりゃ、和葉の作る料理は美味かった。

 単に美味いだけでなく、たくさん食べても飽きさせない家庭的な味わいがあるように思う。


 ジェノリアでの生肉を齧る生活を送っている俺は、もともとカップラーメンと袋ラーメンのコラボレーションで一週間過ごしても平気なタイプだ。

 和葉は、その俺にもまともな飯への欲求を思い出させるほど、味わい深い料理を作りやがる。


 料理による和葉の能力強化を見ていると、どうも能力値上昇系のポーションより、料理スキル補正のほうが上限量が高いようだ。

 だから、その上限量を確かめる目的で、まずできるだけたくさん食べてみることにした。


 和食か洋食どちらが良いかと聞かれて、米が食いたかったから和食にしたのだがその選択は正解だった。

 土鍋で炊かれた焦げ目の香ばしいご飯と、一緒に出された鱒の煮付けや塩焼き。シンプルな家庭料理だが、鱒は脂が乗っているのにあっさりとしていて、いくらでも食べられた。


 鱒が、こんなに美味い魚だとは知らなかった。それとも和葉の料理スキルのせいなのだろうか。

 それで、腹いっぱいに食ったあとに、勧められるままヒノキ風呂にでも浸かれば眠くなってしまう。ついほんの少しだけ仮眠するだけのつもりが、ぐっすりと熟睡してしまったわけだ。


 和葉を起こさないように、そっとベッドから降りると、ちゃんと分かる位置に洗濯した着替えが置いてあるのに気がついた。

 至れり尽くせりだ。


 和葉が、善意でやってるものを拒絶はしたりしないが、真新しい服に着替えてミスリルの鎧を身に着けながら、これはマズいと感じた。

 美味すぎることが不味いのだ。この快適な生活に慣れすぎるのは、危険だぞと俺の中で警鐘が鳴っている。


 和葉の料理スキルは利用価値が高いとは言えるが、距離を取ることを考えないといけない。

 言うこともホイホイ聞いてやるのも良くない。


 和葉には損な役回りをさせている負い目はある。だが、よく考えたら『庭園ガーデン』で保護してやって、生活用品まで運んでやってるんだ。

 それなりにこっちも助けてやっているので、必要以上に配慮することはない。


 俺は装備を整えると、またダンジョンに戻って気持ちを引き締め直すために、さっさと外に出ようとした。


「おっ?」


 ドアノブを押しても、扉が開かない。ログハウスの扉に、鍵がかかってる。

 もちろん、俺は開かない木の扉を壊すこともできれば、その場で転移してダンジョンの地下十階辺りに飛ぶこともできる。


 ただ、まったくの無防備に見えたログハウスに内鍵がかかっていることが、不思議だった。

 試しにドアノブを何度もガチャガチャやると、ビッ――と大きな警笛がなった。


「トラップドアか!」

「……ううーん。朝から、何を騒いでるの真城くん」


 後ろからの声に振り向く。

 そりゃ、起きるわな。


「お前、トラップドアなんてよく作ったな」

「うん前に真城くんに無用心って言われたでしょう。それで、なんとなく作ってたらできたから付けてみたの」


 ダンジョン内に極稀に設置してあるトラップドアだが、なんとなく作ってできるようなものではない。

 生産系職業、大工カーペンターからの派生で罠師トラップマスターというのもあるが、完全にジェノサイド・リアリティーの範疇を超えている。


 構想だけはあったが、罠師トラップマスターが実装されたのはMMO時代からのシステムである。

 今のジェノリアはゲームではないから、いろいろと作っているうちにできてしまったということも、あり得るのか。


 役立たず職業とされた料理人だが、育てると生産系全般をカバーするのかもしれない。そうだとすれば、使えるスキルが満載なのではないか。

 生産活動でも経験値が上がっているかもしれない。一度、和葉を街に連れて行ってランクアップするかどうか見てみたいものだ。


 まあ、現状ではちょっと難しいだろうけど。


「竜胆、この扉はどう開けるんだ」

「ダンジョンに行くの?」


 俺の質問には答えず、和葉はまだ眠そうな目を瞬かせている。


「そりゃ行くよ」

「真城くん。行くときは、ちゃんと私に言って欲しい。ダンジョンに行くのは真城くんのお仕事だからしょうがないけど、突然消えられたら、私もちょっと寂しいし……」


 ダンジョンに行くのは俺のお仕事だったのか。

 和葉の奇妙な言い方は、ちょっと笑いを誘われたがまあそれはいいか。


「竜胆がよく寝てるから、起こさないように行こうと思ったんだが」

「行くときは、ちゃんと行ってらっしゃいって言いたいから、寝てても起こしてね」


 ここでうんと言えば、なんかまた言いなりになっているような感じがしないでもないが。

 そんなつまらないことは、こだわるようなことでもないか。


「分かった、行くときは言えばいいんだな」

「うん、扉は時間が経つと自然に開くよ」


 おっ、さっきまでビービー警笛が鳴っていたのに、鳴り終わったら開いた。

 どういう仕組みになっているのかよく分からない。ゲームでも、トラップドアは警笛でモンスターを引き寄せたが、ずっと閉まっているというわけではなかったか。


 ドアノブをいじると警告音を鳴らして。

 それが終わると開くという罠か、どういう仕組みなのか皆目分からない。まあ、魔法だろうな。


「はい、出かける前にお弁当をちゃんと持って行ってね」

「そんなものまで作ってたのか」


 いつの間にと思うが、俺が寝てる間にだろうな。

 昨日の残りを詰めれば、そんなに時間もかからないか。


「料理は、能力を高める効果があるんだよね。お魚美味しそうに食べてたから、ちゃんとお弁当にも入れておきました」


 和葉に渡された弁当箱には、野菜の煮物と鱒の切り身が入っているそうだ。

 食料はどちらにしても必要だし、料理スキル補正を受けられる良いアイテムになる。


「手数をかけてすまねえな」

「ううん、好きでやってることだし、私の料理が役に立つなら嬉しいから」


「そうか」

「ちゃんと栄養あるもの食べてね」


「じゃあ、行く」

「うん、行ってらっしゃい!」


 俺は和葉に見送られて、その場から地下十階に転移した。


     ※※※


 行き先は、地下十階のボスの部屋の前だ。

 もちろん装備を整えて、いつでも戦える体勢で飛んだのだが、ボスの部屋にいたはずの黒の騎士ブラック・デスナイト達の姿は見えない。


 まあ、あれから一日は経っているから。

 単純に登るだけとも限らないが、連中の目的が下へ向かって冒険する俺達とは逆に、上への『侵攻』であると考えれば上の階層に向かったと思える。


 紅の騎士カーマイン・デスナイトに取り落とされた、『アリアドネの毛糸』も落ちては居ない。

 敵が拾っていったとすれば少し厄介だ。


 モンスターがアイテムを使うなんてことはこれまでなかったが、可能性としては考えておくべきだろう。

 仮に使えたとしても、あれは一度行った場所を思い浮かべながら飛ぶことしかできないので、いきなりモンスターが街に飛んで行ったりはできまい。


「今のところは問題なしか」


 さて、問題はここから上に向かって紅の騎士カーマイン・デスナイトが率いる黒の騎士団を討伐するか。

 それとも、さらに下に向かうかだが。


 俺は、『遠見の水晶』をリュックサックから取り出すと、七海修一に連絡をとった。


「真城ワタルくんか!」

「そうだ、七海。今どこにいる」


「僕はまだ街にいる。そろそろ三上直継くん達と冒険に出ようと思っていたところだ。真城くんが聞きたいのは、状況かな」

「さすが七海は理解が早い」


「敵の侵攻はまだないよ。真城くんがそれを憂慮してくれることは知っているからね」

「そうか、もう久美子から聞いているかもしれないが……」


「久美子くんからは、報告を受けてる。真城くんが対処してくれた地下七階の海神の門の閉鎖は、まだ破られていない。何か異変があれば、こちらから連絡を入れればいいんだろう」

「そうしてくれ、俺は俺で下の階層に進む」


「そうか、武運を祈る」

「そっちもな……」


 七海はこちらの意図を正しく先読みして話すから、話が早くていい。

 本来なら俺の動きは教えたくないのだが、ダンジョンに入っている集団パーティー全てと連絡が取れる七海は司令塔の役割を果たしている。


 それなら、俺の動きも把握してもらっておいたほうが良いだろう。

 方針は決まった。


 いずれは紅の騎士カーマイン・デスナイトを倒さなければならないが、まだ俺の腕に余る。ここは、先に進んでさらに修行を積んだほうがいい。

 それに……。


「後ろに戻るのは、俺の性に合わないからな」


 敵が攻めてくるなら、逆に敵よりも早いスピードで攻め返してやる。

 俺は、孤絶ソリチュードを鞘から引き抜き、地下十階の黒の扉を開いて地下へと続く階段へと足を踏み入れた。


「まるで、外にいるようだな」


 地下十一階に降りると、広がっているのは荒野だ。

 地面は赤茶けた土で、まばらに乾いた枯れ草や枯れ木が生えている。ダンジョンにはあり得ない光景。一瞬、地上に出てしまったのかと思うが違う。


 よくよく見れば三メートル上の天井がある。四方の壁がまるで青空のような青白い灯りが照らして、まるで外にいるかのような錯覚に陥らせる。

 一種のバーチャルリアリティ空間か。


 ダンジョンの大掛かりな魔法なのだろう。閉鎖空間において、人工的に外の環境を模すという発想は、ファンタジーよりはむしろSF染みている。

 宇宙船かスペースコロニーの中がこんな感じではないだろうか。もちろん俺は、宇宙船やスペースコロニーなど見たことはない。


 所詮は、アニメーションやゲームの知識なのだが、俺のようなゲーマーは現実の風景よりも仮想現実のほうに懐かしさと親しみを覚える。

 しかし、地下深くに創った造り物の環境に造り物のモンスター。神などと名乗る者がやることにしてはしみったれている。


 これは、実は敵が神を名乗る宇宙人だったなんて、瀬木が好きそうなシチュエーションもありそうに思えるな。

 『高度に発達した科学は魔法と区別がつかない』だっけか……瀬木が、好んで読んでた古典SFの作家が言ってた言葉だ。


「どちらにしろ、俺がやることは変わらないんだけどな!」


 無駄口を叩く暇もなく、荒野を進む俺にモンスターが立ちはだかる。

 猪頭の戦士。唸り声を上げながら巨大な斧を構えているこいつは、ブルスティーというモンスターだ。俺を見かけるなり、鋭い牙の生えた醜い口を憎々しげに歪めて、襲いかかってくる。


 一階に出てくるオークどもの上位互換と思えばいい。十一階層の荒野は、一階層と似たような感じで、猪の面をした人間モドキが社会を形成している。

 巧みに武器を使いこなすオークよりも数倍早いスピードとパワー。本来なら、それなりに強敵のはずだが――


「遅い」


 試しに何度か攻撃させて実力をみようかと思ったが、斧を振り下ろすモーションでその必要もないと分かった。

 ドスッと喉を一突きする。


「ぐひっ」


 刀を引き抜くと、血を吹いて仰向けに倒れるブルスティー。

 ショック死したようだが、念の為に頭を蹴り潰しておく。身体は鎧を身に着けているが、頭は兜すら被ってないので蹴り飛ばしたら簡単に頭が砕け散った。


 あまりに脆すぎる。ゲームの時は、これでもストーンゴーレムより数段に強い敵だと気が引き締まったんだけど。

 俺が強くなりすぎたのか。


 それもそのはず、十四階層の黒の騎士ブラック・デスナイトに比べれば、ブルスティーがいかにも雑魚なのは当たり前だ。

 一匹や二匹では、ろくな戦闘経験値にもならない。


「なら、一気に叩き潰すとするか」


 俺は、ブルスティーの群れが巣食っている本拠地に向けて、ときおり現れる猪頭を刀を振るってなぎ倒しながら進んでいく。

 後半戦スタート。仕切り直しには、ちょうどいい相手かもしれない。

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