第3話「地上への階段」

「もうイヤだぁぁ、愛彩あやちゃーん!」


 むせ返るような死臭に、俺は息苦しさを覚えた。

 俺の目の前では、白いセーラー服に赤い血糊がベッタリとついた女子生徒が泣き崩れていた。


 顔には血痕が飛び散り、かけているメガネは無残にもひび割れ。

 血まみれの女生徒は、さっきまで生きていた友達の身体を抱きながら、何度も何度も名前を呼び続ける。


 それは程なくして、意味をなさない絶叫へと変わった。


 まるでこの世の終わりだ。俺は思わず目を背けたが、少女の絶望的な金切り声は聞いているだけで気が滅入ってくる。

 さっきまで活発に動きまわっていた、茶髪の女の子、たしか真藤愛彩まとうあやという名前だったか。


 彼女は、もしかしたら友達を守ろうと前に出たのかもしれない。

 そして、真正面から流れ矢の直撃を喰らってしまった。近くにいた俺は、ザクッと頭蓋骨が砕ける音を聞いた。


 額にぶっとい矢が突き刺さった茶髪の女子生徒は、それでもヒュー、ヒューと笛が鳴るような声を出して生きていたが、程なくして息を引き取った。

 こんな状況では、他人を助けようとする良い奴から死んでいくのかもしれない。


 鋭く尖ったやじりが頭の中ほどまで貫通して、即死しなかったのはまだ運が良かったのだろうが助からなければ同じだ。

 どちらにしろ俺達には、医者も居なければ治療手段もないから、重傷者は手当のしようもない。


 俺は頭を斬られて死んだ坂本龍馬も、こんな感じだったのかなとか不謹慎なことを考えていた。

 頭の怪我で血の混じったピンク色の脳漿のうしょうが出てしまえば、まず助からないという。


 まさか、自分が現実にこんな愁嘆場を目の当たりにするなんて思ってもみなかったが。

 人が目の前で死んだというのに、なんだかさっきから全然現実感がない。呆然と立ち尽くす自分も含めて、どこか遠くから眺めているような感覚を覚える。


 全部が他人ごとみたいな……いや、この思考はダメだと俺は頭を振るう。

 正気になれ、解離症状を起こしかけているぞ。


 傍観者である俺ですら、現実から逃げ出したがっているのだ。

 友達を失って、「ぎやぁぁ!」と髪を振り乱し半狂乱になっている女生徒はもうどうしようもなかった。


 いや、非情な俺は元からどうしようとも思っていない。

 こいつらとは、情を通わせないと最初から決めていた。犠牲が出るのはなんとなく分かっていたし。


 俺だって生き残るのに必死だ。

 今は、他人のことにまで気遣う余裕が無い。


 こんな惨禍を前にしても、集団のリーダーである七海修一のカリスマ性は凄まじいものだった。

 立ち尽くしている俺達のところに、ツカツカと歩いてきたと思うと、自分の制服の上着を脱いで愛彩の死体に優しくかぶせた。


 そして、友達の死体にすがりついている血だらけの女の子を、そこから引き剥がすように引っ張り上げて、いきなり抱きしめた。

 七海は絶望した女の子を抱きしめながら、自らの眼からも滂沱のごとく涙を流して、搾り出すような声で激励する。


佐敷絵菜さしきえなさん、苦しいのはみんな一緒だ。君を守って亡くなった真藤愛彩まとうあやさんの分まで、君は生きなきゃいけない。立って進もう、もう少しで絶対に安全な場所まで行ける。諦めちゃダメだ!」


 七海は、友達を目の前で亡くした女子生徒に向かって、何の躊躇ちゅうちょなく希望を語り前に進めと命じることができる。

 七海修一が涙声を振り絞りながら、もう一度力強く「生きなきゃダメだ!」と絵菜の手を握って鼓舞するのを見ていると、こっちまで引き込まれそうになる。


 さっきまで絶望していた佐敷絵菜は、その掛け声でフラリと立ち上がった。

 そうして、七海の言われるまま前へと歩こうとする。


 何の精神操作魔法だこれは。七海の言うことを聞いていれば、楽だと思ってしまう。

 この思考も危険。心のなかで「バカを言ってやがる」とツッコミを入れておく。


 周りに流されないように気をつけている俺ですらそうなのだから、この極限状態で、情動に流されやすい思春期の女の子などひとたまりもない。

 みんな七海の命じるままに、動いてしまう。


 七海修一の呼びかけで、百八十人の生徒のうち、六十人が危険な戦闘集団に自主参加したのだ。

 これは、かなりの高率だと思う。しかも、荒事を嫌うはずの女子生徒が多く混じっていた。


 極限状態になると人の真価が見えるというが、この七海の人を集める力は、カリスマなんて言葉でも足りない。

 共感能力シンパシーだな、一種の異能と言っていい。


 もっとも、参加した女子生徒のほとんどは、もともと七海ガールズって取り巻き連中だったのだが。


 学校でも圧倒的に優れた男である七海副会長には、告白はできないけど誰のものでもないからと、ファンクラブめいたことをやってる女子がたくさんいた。

 それにしたって、死の行軍に進んで参加するほど男に入れ込んでいるとは、女の度胸ってやつには恐れ入る。


 俺も参加している戦闘集団六十人を除けば、あとの百二十人のうちの半数は先生たちと教室に残り、残りの六十人はまとまらずに好き勝手に動いているといった感じだ。

 現状は、七海の戦闘集団と、先生らの居残り集団と、バラバラに動いてる連中でだいたい三つのグループに分裂している。


 そうして戦闘集団の犠牲は、たった今死んだ真藤愛彩まとうあやを入れて、六人になった。歩けないほどの重傷者が四人、細かい怪我人は数え切れない。

 ちなみに、トラップを踏んで飛んできた矢に当たったり、炎球ファイアーボールが当たって火だるまになって死んだのは、全員女子生徒だったりする。


 戦闘集団のメンバーの中で危険な前面を歩かされているのは、戦闘力の低そうな女子生徒が多い。

 これを、戦闘集団のリーダーシップを取っている七海修一が意図してやってるならすごい政治家だなと思うが、違う。


 そうなるように謀っているのは、七海修一の側近としてメガネを光らせている神宮寺良じんぐうじつかさだ。

 俺は前から陰険メガネと心のなかでアダ名をつけてるが、ここに来て本性をあらわにしている。


 七三分けのツルンと整った黒髪。度の強い銀縁メガネ。どこから持ちだしたのか、白い手袋を嵌めている。こんな状況でも、その白手袋がまっさらなのは、汚れ役を他のやつにさせている証拠だ。

 学年総合成績三位のインテリで、生徒会の執行委員に所属していた。学校でもそうだったが、この非常時でもやはり七海修一に寄り添って動いている。


 背が低く童顔で、七海ほどではないが整った顔立ち。表情も柔らかく、常に穏やかに笑っている。その品の良い物腰は、無害な優等生に見えるだろう。

 だが実際は、腹黒で油断できない。目付きが悪いのは、視力が悪くて眼を細めているからではなく性根からきている。


 策士、知恵袋、参謀タイプなどと言えば聞こえがいいが。

 神宮寺じんぐうじは、七海副会長のカリスマを利用して、裏から手を回して美味しいところをいただくコバンザメだ。


 目の前で人が死んでも眉一つ動かさないのは、冷酷を通り越してサイコパスなんじゃないかと思う。

 まったく、極限状態になると人の真価が見えるとはよく言ったものだ。


 陰険メガネの神宮寺には、どこまで本当かは知らないが悪い噂がたくさんある。

 対立した生徒を罠に嵌めて、退校に追い込んだとか、七海の取り巻きの女子生徒に手を出してるなんてのもあった。


 証拠はないが、火のないところに煙は立たない。それぐらいのことは平然とやらかしそうな陰険メガネだ。

 神宮寺は全体の状況を見回すと、赤くてらてらした唇をベロっと舌なめずりした。


 静かな冷笑を浮かべるメガネの視界には、自分にとって使える奴と使えない奴の二種類しか見えていない。

 使えない順に弱い生徒を前面に出して、罠よけとして使い潰そうとしているのを俺は見逃さない。


 ただ、それを間違っているとは言えないから看過かんかしている。この非常時には仕方のない判断とも言えるだろう。

 今のところ、それで上手く行ってるのだからしょうがない。良い解釈をするなら、やり手とも言えるし冷酷とも言える。


 情熱家のリーダーと、陰険メガネ。集団を統率するには良いコンビなのだろう。

 どちらにしろ、俺はあまりそれに関わりたくない。


「おいそこ絶対罠だろ! ちゃんと足元を照らして確認して避けて進め」

「あっ、はい。ごめんなさい」


 危なっかしく足元が覚束おぼつかない女生徒がいた。俺はさすがに見殺しはどうかと思って、注意を促す。

 すると集団の中央で全体を監視している神宮寺が、小さいのによく響く声で俺に警告を飛ばした。


「真城くんは、あまり前に出ないで。君はモンスターに備えるのが役割だから」

「でもさ……」


「割り振りは、私が任されてるんだ。なんなら君が彼女の代わりに前面に前に出るか?」

「クッ……」


「そんな顔をしないでくれ、冗談だ。みんながそれぞれの役割を果たしてくれれば上手くいくんだ。もし君が私よりも上手く指示ができると言うなら、代わってあげてもいいけどね」

「それも出来ないな、悪かった」


 俺が危険な罠踏み役を買って出るほど殊勝な男ではなく、神宮寺の代わりに統率するなどとも言い出さないと見透かされてる。

 神宮寺の冷たい視線に急かされて、俺は前衛で松明を持たされて罠よけにされてる女子たちに、もう一度だけ「足元におかしなものがないかよく見ろ、命がかかってんだぞ!」と、声だけかけて後ろに下がった。


 これ以上できることはない。

 神宮寺の言うとおりだ、俺は知らん女の子のために危険は冒せない。


 九条久美子くじょうくみこと一緒に、集団の後ろに付けている俺や瀬木はモンスターと戦うための戦力としてカウントされているらしく、まだ前に出して使い潰す順番ではないらしい。

 あるいはF組の人間なんて、もとから視界にも入ってないだけかもしれないが、どっちにしろあんな陰険メガネにマークされたら面倒になるから目立たないようにしておくしかない。


 ああ、クソッ!

 あれほど危ないと言ったのに、不注意な女生徒は地中から飛び出してきた鋭い刃に腹を貫かれてのたうち回っている。即死ではないが、まだ死んでないだけだ。


 罠にかかった女生徒が激痛に喚き散らして、血反吐とともに胃の腑にあるものをゲロっと吐き出しても、周りの奴らは緩慢に避けるだけで助けようともしない。

 罠の刃の中に手を出すのが怖いし、もう疲れてしまって億劫なのだろう。助けだしても、ああなれば手遅れだと分かりきってる。


 大怪我をすれば助からない。次に死ぬのは自分じゃないかと思えば、他人のことなど考えていられない。

 すでに、この集団の人間性は磨耗しだしている。みんなただ疲れた足を引きずり、罠のない安全なルートを探して前に歩を進めるだけ。


 俺は自分に言い聞かせるように何度でも言うが、七海と神宮寺のコンビがやっていることは、間違った判断とは言えない。犠牲を出しても、ここは前に進まなきゃどうにもならないのは現実だった。

 俺に集団の指揮させてくれれば、もっと被害を出さずに進める……なんてことは口が裂けても言えない。


 一歩間違えば罠やモンスターに殺される状況で、これだけの数が組織だった行動が取れていること自体、カリスマ性のある七海が率いているからこそなのだろう。

 戦力的に価値の低い女子生徒や、使えないと判断された男子生徒が前に出されて、ブービートラップに引っかかって死傷するたび、気に食わないやり方だとは舌打ちするが、俺だって文句を喚くだけの人間にはなりたくないので我慢するしかない。


 集団を統率する七海や、中央で陣頭指揮をしている神宮寺は、危機を前にした集団行動として正しい行動をしている。

 進め、進め、みんな進め。止まっていれば状況はさらに悪化して、犠牲者が増えるだけだから。


 危険を冒しても、進むしか道はない。

 そして、どうせ使い潰すなら戦闘に使えない弱いやつを前に出す、間違ってはいないけど……。


 それにしたって不思議なのは、勇敢さの欠片もない気弱な生徒たちが七海や神宮寺の言われるがままに前に立って死んでいくことだ。

 俺なら前に出て罠踏み役をやれと言われても、絶対に逃げるぞ。


 こいつら、本当に自分の置かれているヤバイ立場を本当に理解しているのか?

 俺は、もしかしたら『そのことにすら気が付いてないんじゃないか』という思考に行き着いてゾッとした。


 使えない奴を使い潰しているという俺の見立ては、間違いかもしれない。神宮寺は、何も状況が分かってない奴、生命力の弱い人間を選んで前に出しているんじゃないか。

 心が弱い生徒は、この極度のストレス下で集団に逆らうよりも、誰かに命じられるまま唯々諾々と動くほうがストレスが少ないのかもしれない。


 そうやって集団心理を操り、人を死地へと追いやるやり方は、例えは悪いが毛沢東やポルポトがゲリラを率いて戦うような奸智かんちと思える。

 集団を統率している七海たちは、本当に高校生なのだろうかと空恐ろしい。


 そう考えても、ベストとは言わないがベターな正しい選択。それでも、そのやりざまがあまりに政治家すぎて、俺は奴らを心底嫌悪する。

 正しくても、不快さはどうしようもない。


 そう思うのは、きっと俺だけではない。けど、それが今は仕方がないと分かっているから。

 みんな何も言わないんだろうけどな。もっと上手くやれとか、対案を出せと言われても出来るわけがないのだ。


「瀬木、順路と罠の位置、記憶してるか」

「うん、ちゃんと覚えてるよ」


 俺は、傍らを歩いている瀬木に確認する。

 スマートフォンは電源がないといずれ使えなくなるし、ノートも持って来なかったから全部頭で暗記するしか無い。


「ほら、またモンスターが来た」

「もう嫌だよ……」


 泣きそうな声で弱音を吐きながら、それでもナイフを構えて戦える瀬木は、意外にも芯が強いと思う。心配するな、お前の分だけは俺がやってやるから。

 せっかく戦斧バトルアクスなんて使える武器をもらったんだ。俺は、奮起して腕をふるい豚人間の化物を斬り裂いた。


 肩口から豚を斬り裂くと、太い血管が断ち切れたのか血しぶきがバッと飛び散る。呻きながらでくのぼうのように立っているオークの腹を、続けざまに斜めに引き裂いてやる。

 生温かい内臓がドロっと床に落ちて、絶叫するオークは自らの血溜まりに沈んで息絶えた。


 豚の血は赤いから、たまらないなと思いつつ、念の為に豚の頭に止めの一撃を叩きこむ。頭から飛び散る、脂肪と血と脳漿が入り混じったピンク色の液体。

 でも豚の血のほうが、ゴブリンの緑色をした粘着く体液よりは大分マシだ。


 俺も、人のかたちをした生き物を斬り殺すのに慣れてきた。命を自らの手で叩き潰すこと、俺が殺す化物が上げる悲痛な断末魔の叫びも、何とも感じなくなってきた。

 これは、ただの屠殺だ。眼の前で人が死ぬことですら無感覚になってきているのに、豚を殺すことへの躊躇はない。


 久美子は、モップの柄の先にショートソードを括りつけて槍として使っている。

 こっちに向かって来たゴブリンやオークだけを、突き刺して殺している。自分たち以外は、どうでも良いという戦い方は、俺と一緒だ。


 こんな状況で、他人のことまで構ってはいられないのが普通なのだ。

 しっかり戦っていれば、神宮寺の目に止まって罠踏み役として前に出されることはあるまい。俺だけは死なないで済む、今はそれだけが大事だった。


「いい加減、終わらないかしら」

「久美子も、ふざける余裕がなくなってきたか」


「私はいいけど、槍のほうが持たないわ」

穂先ほさきのショートソードなら、変えたらいいんじゃないか」


 ゴブリンが持ってる奴なら、いくらでも落ちてるから拾える。


「そうじゃなくて、くくるほうがダメになってきてるから」

「あっ、なるほど」


 久美子は、女の子が常に持っている髪留めに使うゴムやリボンの布をたくさん結びつけて、槍に仕立てているのだ。

 強度は弱い、気をつけて使っているようだが、切れたらもう代えがないのだろう。


「槍以外の武器は使えないのか」

「使えないことはないけど、重いのはダメね」


 武器は、人型のモンスターが運んできてくれるようなものだが、半ば錆びた刃はナマクラで突き刺すか、力で叩き切るような武器ばかりだ。

 華奢な久美子が使うには、重すぎる武器が多い。


「いっそ宝箱から、使える武器が出てくるといいのにな。仲が良い久美子なら、七海副会長に頼めばくれるだろ」

「やめてよ、それに宝箱なんて危険すぎる」


 ダンジョンを進む内に、いつの間にか宝箱が発生していることがある。

 開けてみると、武器が入っていることもあったが、金貨や宝石が入っていることも多い。


 ダイヤ、ルビー、サファイア、エメラルド、トパーズ、ペリドット、ラピスラズリ……。

 光物に目がない女子生徒たちは、競うように宝箱に飛びついたのだが、そこにも罠が仕掛けられていた。


 無用心に宝箱を開いた女子生徒が「痛い!」っと叫んで、尻もちをつくと起き上がれなくなった。そうして、そのまま昏倒して意識を失い、高熱を発してリタイアした。

 宝箱を開いた拍子に毒針のようなものが飛んできて、突き刺さったのだろうと思われる。


 重傷者や毒を受けたほうが、介抱に人手を取られるので厄介だった。

 死んでくれたほうがまだマシなんて言いたくはないが、それがいま置かれている現実というものだ。


 それからは、宝箱は開けずに放置して進んでいる。

 金貨や貴石がどれほど欲しくても、安全に代えられるものではない。


「久美子、そのネズミにあまり近づくな」

「えっ、ただのネズミじゃない。私はネズミなんて怖く、キャア!」


 ネズミは久美子に飛びかかってくると同時に、身体をブクッと膨れ上がらせてバーンと大きな音を立てて爆発した。

 地下迷宮には、ネズミが生息している、見た目は太ったネズミだが、ただのネズミなわけないと思った。


「ハジケネズミってモンスターじゃないか。なんかのゲームで見たことがある、ダメージはそれほどないようだが、自爆でびっくりさせて動揺で罠にでも引っかかれば良いって感じか」

「最低な生き物ね」


 ネズミの飛び散った内臓や肉片をたっぷり浴びてしまった久美子は、不快そうに顔についたネズミのピンク色の腸を拭った。

 ただ目の前で自爆するだけで危険はなさそうだが、小動物までが休みなく気色悪い攻撃を続けてくるので、ごっそりと精神が削られる。


 しかし、この罠の配置とモンスターの出現パターン。どこか既視感がある。

 どこで見たんだったかと思案していると、先頭のほうで男性生徒が大声を上げた。


 また気が狂った奴が出たかと思ったら、違うようだ。


「そうだ、やっぱりそうだ、これは『ジェノリア』の世界なんだ!」


 モジャモジャの髪の毛で、ジャガイモみたいな顔をした太り気味の生徒が甲高い声を上げて狂喜している。

 使えないと判断されて、弱々しい女子生徒たちと一緒に罠踏み役に使われていたその男子生徒の言葉で、俺はハッとした。


 そうか、ジェノリアなのか……。

 ジェノサイド・リアリティーのダンジョンだったのか。


 そのモジャ頭の生徒は、さっきから「ステータスオープン!」などと何度も叫びだしたりして、怪しいなと思っていたのだが……あいつも俺と同じ類のゲーマーだったんだろう。

 ゲーム世界である可能性を考えて、ステータスを出そうとしていたわけだ。


 そこまでは良いとしても、この極限状態で俺よりも先にジェノリアとの類似に気がつくとは。

 凡庸な見た目より、ずっと頭の切れる奴だ。要注意人物だな。


「ほらみんな見てよ、奈落ならくの穴がある。これは『ジェノサイド・リアリティー』ってゲームの世界なんだ」


 モジャ頭は、周りに説明しているが、気が触れたと思われているようで周りからは相手にされていない。

 そりゃそうだ、ジェノサイド・リアリティーなんて昔のゲーム、今の高校生は知らんしな。


 それに騒いでも、誰にも相手にされてないのはむしろ当然と言える。

 突然笑い出したかと思うと、走りだして落とし穴に飛び降りて自殺する女生徒とかも居たから、気が触れたと思われているのだろう。


 俺も、そっと前に進み出てモジャ頭の指さした、奈落の穴をそっと目視する。

 地割れになっている大きな裂け目に松明をかざしてよく観察すると、鉄のプレートが貼り付けてあって『タルタロスの入り口』と書かれている。


(本当のようだ、まだ完全には信じられないが……)


 俺は、誰にも気が付かれないように平然な顔を装いながら、深いため息を吐いた。

 タルタロスの入り口、通称『奈落』は『ジェノサイド・リアリティー』の一番最初の罠だ。


 罠というか、ただ地割れに大穴が開いているだけだが、ここから落ちると地下十階まで一気に落ちることになる。

 おそらく、十日間落ち続けて地獄タルタロスに到達するって伝説が元になっているのだろうが、それで分かれってほうが無理がある。


 奈落の底は、落ちても衝撃を吸収してくれるようになっているので、落下のダメージで死ぬことはない。

 熟練プレイヤーにとっては一気に地下十階まで行ける便利な移動手段だが、初心者が落ちたら強力なモンスターに襲われて百パーセント死ぬ。


 ゲームだから、これでいきなり死ぬ奴が結構いる。

 穴と見れば突っ込みたくなるバカを殺すための、初見殺しの罠とは言える。


「みんな信じてよ、ここからすぐ行ったところに地上への階段があるんだ。そこは安全地帯だよ、僕は知ってるんだ!」


 モジャ頭がそう騒ぎ立てているのを尻目に、俺は奈落へと続く穴を見下ろしてもう一度深くため息をついた。

 確かに、罠の配置がなんか見覚えあるなあとは思っていた。気が付かなかったのは、迂闊だった。


 しかし、ゲームの世界にいるなんて誰が本気で思うよ。ゲームの世界、ゲームの世界……その言葉を口で転がしてみるが、ちょっと現実にはあり得ないよな。

 しかし、ここまでの一致を見るにつけて、そう判断するのが妥当ではある。モジャ頭の言うことはおそらく正しい。


 俺も小声で、「ステータスオープン」と呟いてみた。

 出ない……まあ、出るわけないか。ジェノリアは、数値化されたステータスが存在しないゲームなのだから。


 西暦1987年、アメリカ合衆国で発売された『ジェノサイド・リアリティー』は、旧来のRPGの常識を打ち破った、リアルタイム3DスリーディーダンジョンRPGだ。

 そのタイトル通り、擬似的にとはいえ『リアリティー』を追求したジェノリアには、一般的なRPGに存在するキャラクターの状態を示すレベルや能力値などの情報が存在しない。


 自分の今の状況が知りたければ、地上の『街』にある神託所で調べないといけない。

 それでも分かるのは、自分の職業と、戦士ファイター軽業師ベンチャー僧侶プリースト魔術師マジシャンの習得度に応じたランクだけ。


 もちろんゲームだから数値化されたデータは存在するはずなのだが、リアルさを損なうという理由でキャラ情報の多くが確認不可能マスクデータになっている。

 その代わりにあるのは、ヘルス・スタミナ・マナを示すゲージと、空腹と喉の渇き、そして睡眠のゲージ。


 簡単な理屈だ。物を食わなかったり、水分を摂らなかったり、寝ないとスタミナが切れていってヘルスも減って最終的に死ぬ。

 そんな擬似的ではあるがリアルな世界で、全てのシステムが止まることなく動き続けている。プレイヤーはそこで生きて、冒険して、死ぬのだ。


 当時としては画期的なシステムで、最もリアルなゲームといえた。

 全米では大ヒットを飛ばし、世界的なブームとなった『ジェノサイド・リアリティー』は次々と続編が作られて、のちにMMOにまでなった。


 その後のゲームに多大な影響を与えた金字塔きんじとうでもあるのだが、その世界的なブームと対照的にまったく売れなかった国があった。

 俺たちの国、日本だ。


 もちろん、日本でもジェノリアはゲーム通に高く評価されて、何度も日本語訳されたバージョンが移植されたのだが、大量虐殺ジェノサイドを冠する名前の通り、このゲームは難易度がやたらに高い。いわゆる、死にゲーという種類になる。

 空気を読まない凶暴さで襲い掛かってくる大量のモンスターと、初見殺しの罠にあふれるダンジョン。


 もちろん日本人以外のプレイヤーの実力が、特段優れているというわけではない。欧米は、チートを平然と行う文化がある。

 死ねばオートセーブに引っかかる前に、リセットして前のセーブポイントまで戻せばいいし、何ならシステム自体をハックして敵を弱くプレイヤーを強く調整しても構わない。欧米人は、そういうチートを平然とやるプレイヤーが多い。


 難易度をあらかじめ下げた改造版まで出まわって、海外では多くのプレイヤーがジェノリアを楽しんだ。

 有名なゲームでありながら、ジェノリアをまともにプレイして最後までクリアしたマゾゲーマーなんて海外でもほとんどいないだろう。


 一方で、日本人は遊びゲームですら真面目にやってしまう民族だ。

 普通にやってクリアできない狂ったゲームバランスは、日本ではクソゲーと呼ばれてしまう。


 ジェノリアが世界的なブームだったと言っても、旧世紀のゲームだ。

 つまり、あのモジャ頭や俺のような超弩級のゲームオタクでレトロゲーム好きぐらいしか、ジェノリアを知っている人間はいないってことだ。


「黙っておくべきかな……」

「どうしたの?」


 平然を装ったつもりだったが、奈落の底をずっと見つめている俺の様子が変だと気がついたのか、瀬木が声をかけてきた。

 相変わらず、勘の鋭いやつだ。


 一瞬、ただ一人の友達にだけは話そうかと思ったが、それも止めておく。

 口は災いの元って言葉もある。瀬木が知ったからどうなるものでもないし、却って危険な立場に置いてしまう恐れもある。


 あのモジャ頭(名前はなんだったか後で調べておこう)のように、ジェノリアのことを知ってると吹聴するのは賢明ではない。

 知識をひけらかすのは、厄介ごとに巻き込まれる原因にもなりかねない。プレイヤーが多数いる今回は、オフラインゲームではない。


 おそらく対人関係は、多人数プレイ。MMOバージョンのルールが適用されるのではないか。

 そうだとすれば、最初の一人しか手に入れられないレアアイテムだって存在する。


 できれば貴重な攻略情報を、まだ他人には知られたくない。

 情報を秘匿ひとくすることで、人死が増えるのであれば多少気がとがめるが、他の生徒への案内役はお調子者のモジャ頭がやってくれるだろう。


 俺は、こっそりと自分一人だけ先に進んでこの世界で生きていく優位性アドバンテージを手に入れることにしよう。たっぷりとチートを満喫してやる。

 なんだ、楽しくなってきたじゃないか。


「なんか、真城くん笑ってる?」

「何でもないさ、そろそろ行くか」


 戦闘集団の先の方で、歓声が聞こえる。

 あのモジャ頭が、みんなを先導して地上への階段を見つけたのだろう。


 階段から差し込む地上の光を見ると、目がくらむ。

 この先の『街』は、モンスターも入り込まず、プレイヤー同士のネガティブ行為も禁止される安全地帯になっている。


 ポケットに手を伸ばし、スマホの時刻を確認するとダンジョンに篭っていたのは、ほんの三時間ぐらいであった。

 たったそれだけの時間で、俺たちは多くの犠牲を出してしまった。

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