第2話「落とし穴」
どうやら、
「わー」
「お前が驚いてどうする」
音に驚いた
頬を赤らめて恥ずかしそうに微笑むので、俺も誘われて笑った。まあ、瀬木は臆病だからしょうがない。
「ごっ、ごめん。でも大した罠じゃなかったね」
「いや、大した罠ではあるだろ。落とし穴を舐めてたら殺されるぞ」
久美子の前に立って、入念に落とし穴を調べることにした。覗き込んで、穴の下を松明で照らしてみるが、だいたい二メートルから三メートルの深さだろうか。
穴の壁は見えない。もしかしたら、この下にも通路があって、この落とし穴はそこに通じてるかも。
「下に降りるのは無理だよね」
久美子がそう聞いてくるので、俺は頷く。
無理すれば飛び降りられるかもしれないが、上に登る手段がなくなる。しかも、下にさらに罠が待ち受けている恐れもある。危険すぎる。
「ロープでもない限り降りるのは無理だ。この高さからいきなり石畳の上に落ちたら、足を挫くだろ。不意打ちで落とされたら、骨折するかもしれない。誰の助けも期待できないこの状況で、足を怪我したら命の危険もある。本当にろくでもない罠だ」
落とし穴と聞くと、バラエティー番組でよく芸人が落とされてるから、間抜けな笑いしか連想しないが、本来は動物を狩るための殺傷トラップなのだ。
人がマンモスを狩りだした原始時代から、近年のベトナム戦争に至るまで、落とし穴は単純だが効果的に敵を殺す道具である。
つまり、この罠を仕掛けた奴は、
「久美子も無理するなよ、状況は思ったより危ういぞ」
「私は、ワタルくんのためだったら死んでもいいよ」
ふざけた女が、ふざけたことを言っている。
俺もふざけて返すことにした。
「ハッ、じゃあ久美子には、俺のために肉壁となって死んでもらうか」
「そこは、せめて止めるとこでしょう。照れ隠しにしても、死ぬに対して死ねって返すのは酷すぎじゃないかしら……」
呆れた顔をする久美子を、瀬木が苦笑いしながら慰める。
「しょうがないよ、
「そっか、ワタルくんだもんね。返報性の原理で、『俺が君を守るよ』とか男らしく言ってくれるのを期待した私が間違いだったわ」
なんだよ、お前ら。そんなに仲良かったっけ。
変な結託の仕方をするな、気持ち悪い。
肩をすくめて意味有りげな笑いを交わし合う不愉快な二人に、俺が文句を言おうと口を開きかけたのだが。
その後ろから、ワイワイと雑談している緊張感のない集団がやってきた。
「おー、あれ久美子ちゃんじゃね!」
「よかった。九条久美子くん、ここにいたのか」
来たのは、A組の集団のようだった。いちいち他クラスの生徒まで覚えていないが、集団の中心になってる男子生徒には俺も見覚えがある。
俺たちを除けば、状況を確認しながら大人である教師たちより先にここまで来たわけで、さすがに優等生集団といったところか。
「あら、貴方達も来たのね」
冷たい声で呼びかけに応えた久美子は、澄ました優等生の顔に戻っている。
ちなみに、久美子に「九条久美子くん」と張りのある声をかけた長身の美丈夫は、
家柄は金持ち、眉目秀麗、学年成績は当然のように毎回一位。運動のためと称して片手間で所属しているバスケ部では、一年生なのにレギュラーメンバー。
そこまでは百歩譲ってまだ分かる。なぜか一年生なのに生徒会長に名指しで副会長に抜擢されて、学校行事でもリーダーシップを発揮しているというのは出来すぎではないか。少女漫画に出てくるような現実離れした優男だ。
ここまでの高スペックなので、女にモテるかと思いきや特定の恋人は居らず、告白される率はさほど高くないらしい。男版の高嶺の花ってやつで、挑戦するのはよっぽどの自信家だろう。例えば、同じように一年生なのに生徒会に所属しているやつとか。
そう思ってチラッと、久美子に流し目を送ってやるが、そっけなく無視された。思い出したくもない過去か、反応がなくてつまらない。
とにかく七海修一ってのは、そういう抜きん出た男だ。どの教師よりも優秀に生徒を率いることができる生まれついてのリーダー的存在。
あまりに目立つので、他人に興味のない俺ですらフルネームを覚えてしまったぐらい。
「よかった、クラスに君がいなかったから心配してたんだ。んっ、そちらにいるのは、F組の
「どうも、恐縮ですね。七海副会長が、俺ごときを覚えていてくださったとは」
直接話すのは、これが初めてだ。
優等生として目立っている向こうはともかく、俺みたいなF組の生徒の顔と名前まで七海修一が覚えているとは意外だった。
「これでも生徒会の人間だから、生徒の顔と名前は記憶しているんだ。そうでなくても、同じ学校の仲間だから当然だけどね」
いちいち、爽やかで嫌味がないのが、逆に嫌味ったらしい。
有名人に声をかけられて、瀬木は喜んでるみたいだが、俺は七海副会長が好きじゃない。
優等生過ぎて胡散臭い。実はビッチな久美子とは違って、その聖人君子の表面が本当だとしても、あんまり『仲間』にはなりたくないタイプだ。
ま、そんな批判的なことを言って混ぜっ返すと、面倒なことになるだけなので、黙ってるけどさ。
「それにしても、これは落とし穴か。誰が一体こんな危険なものを……」
「七海副会長、ここは罠があるから、あんまり歩き回らないほうがいいですよ」
俺は、形だけは忠告しておく。あとは、どうなろうと知ったことではない。
そっと、瀬木の手を引いて静かにその場を離れる。
「どうしたの真城くん?」
「いいから、黙ってゆっくりと元の通路に戻れ」
俺が小声で瀬木に指示して動くと、久美子までが何も言わず俺たちに付いてくる。
同じA組の集団が来たんだから、そっちに行けばいいだろうに、まあいいか……。
ここはもう危ない、トラップが一つだけなわけがない。
七海率いるA組の連中が、どれだけ優等生の集団か知らないが、迂闊過ぎる。
下手すれば死にかねない落とし穴があったんだぞ、こんなところを歩きまわっていれば、なにかの罠に引っかかるだろう。
忠告はしたのだ、あとは前に出てやらかしたなら自己責任というものだ。
尊い犠牲に感謝しつつ、俺たちはそれに巻き込まれないように引かせてもらう。
さっそく、誰かが何かを踏んだらしくガチャッと音を立てて、右側の壁だったところに扉が開いた。
もしかしたら、罠ではなく隠し通路を発見したのか?
そうとも思ったが、やっぱり罠だったようだ。壁の中から、豚面の顔をした人間っぽい化物が飛び出してきた。あいつら武器を持っている!
「あっ、あれなに!」
「わからん、とにかく逃げるぞ」
まさか、変質者が豚のマスクを被って変装してるってわけでもあるまい。いや、変装しているかどうかはこの際どうでもいい。
鈍い輝きを放つ鉈やら、
ここが本当に、RPG風のダンジョンだとすれば、あれはオークってモンスターだ。
後ろから悲鳴が聞こえてくるが、俺たちは無視して全力で逃げた。
ろくな武器もないのに、刃物を持った敵対的な存在と相対したくない。
相手の力のほどもまだ読めないから、ここで戦うって選択肢はない。
「うああぁあぁぁ、あれ怖いよ! 真城くん、ねぇ、あれなんなのぉ!」
「うるさい! とにかく全力で逃げるんだ」
瀬木はもう泣き叫んでる。男なのに情けないなと思うが、むしろそれが普通か。
女の子のくせに、平然な顔をして俺たちより前に逃げている久美子の方が、どちらかというと異常だ。
こんなときに、泣き喚く女子でなくて良かったけどさ。
走りながら、久美子がつぶやく。
「オークって、アプリのゲームに出てくる豚のモンスターかしらね」
「久美子、お前スマホのゲームアプリなんかやってるんだな」
優等生なのに意外。
さて、逃げたは良いがいずれは行き止まりだ。手元に持っている武器は、俺が松明、久美子がモップを持っているだけ。
「このまま逃げ続けても、ジリ貧になりそうだな」
「何とか撃退する手段を考える?」
久美子がそう聞く。
そうだな、こっちは数が多いから誘い込めば何とかなるかも。
「えっと、さっきの豚みたいな顔の大柄なのが三人に、鬼みたいな角の生えた緑色の小柄なのが二人いたよ」
「瀬木、お前あれだけビビってたくせに……よく見てた偉いぞ。目端が利くのは助かるが、武器がないなら小石でも拾っておけよ」
小石でもないよりマシだ。綺麗に見えるダンジョンの石畳も、よく見ると石がちらほら落ちてる。
牽制するための飛び道具になるだろう、ないよりはずっとマシだ。
瀬木の眼を信じるなら敵は、オークが三体、ゴブリンが二体。
戦力判断は重要だ、俺も次があれば気をつけて見ておくことにしよう。
とりあえず教室の中頃まで逃げてきたが、化物はまだ追って来ない。
俺たちだけで戦わず、他の生徒に助けを求めるべきだろうが。
学校の一クラスに三十人居るとして、単純計算でいけばここには生徒が百八十人で先生が六人いるはずだ。
敵の数と比べれば、物凄い味方の多さと言える。
普通に対処すれば余裕だが、みんな教室や廊下にバラバラに散開しているが、協力して立ち向かえるとも思えない。
下手に声を上げると、逆にパニックになるだけのような気もする。
「基本的には、他のやつが攻撃されている隙に、やっつけ……」
「みんな、助けてくれ。武器を持った敵が来るぞ!」
肩口をざっくりと斬られた男子生徒を抱えて、七海修一が駆け込んできた。
あの状態で、仲間を抱えて逃げるだけの余裕があるんだな、やっぱ七海は出来が違うわ。出来杉くんに、苗字を変えたほうがいいんじゃないか。
そこまで出来るなら、最初からこういう事態を考慮して、武器持っておけばいいのにとは思うが……。
常識的に考えたら、モンスターに襲われるなんて考えないものだよな。俺も実物を見るまで、そこまでの危機感はなかった。
「よし、なんだか知らんが俺がやるぞぉおーっ!」
七海副会長の叫びに、呼応してモップを持った図体の大きな男子生徒が駆け込んできた。
あー、こいつも一年では有名だな。なんだっけ知ってる。
超高校生級の
県大会の個人の部で優勝したあとで、同じ部の上級生にやっかみで絡まれて、全員を一人で叩きのめしたって武勇伝の持ち主だ。名前は……なんだっけ。
「
「任せておけ、副会長さん!」
そうだった、『無双の三上』とか恥ずかしい名前で呼ばれてたな。たしかクラスは、C組だったと思う。
どういうこだわりか知らないが、七海修一はたいていフルネームで話しかけるので、人の名前思い出すのに七海副会長は便利キャラ過ぎる。
「こんなときに、なに笑ってんのワタルくん」
「うるさい処女ビッチ、俺たちも三上に加勢するぞ」
どうせ倒さなきゃならない敵だ、強キャラが先頭に立ってくれるなら対処のしようもある。
剣道部の三上は、走りこんできた先頭のオークの喉元に思いっきりモップの柄を突き刺した。
オークが、卵が潰れるような音を立てて一撃で仰向けに昏倒する。
凄まじい刺突、見てるだけで痛そうだ。
オークは叫び声を上げる間もなく、咽頭部を潰されて倒れた。おそらく即死。
高校の剣道部って、突き技禁止されてるんじゃなかったっけ、見事なものだ。さすが無双。
敵は分散している。おそらく逃げまわることで、敵をバラけさせるのには成功したと言えるのだろう。
A組のグループの誰が死んだか知らないけど、お前らの犠牲も無駄ではなかったぞ。
俺は松明で、子供ぐらいの背の
こいつが振り回してるのは、ショートソードだったし、ちょっと走っただけでバテていたのか動きが鈍いので余裕だった。
松明の炎に、ジュッと音を立ててゴブリンの顔が焼ける。「ギイッ!」と甲高い声を上げて怯んだ。
そのまま松明で、もう一度殴りつけてやったら、ショートソードを落とした。
あとは、短い足に蹴りを入れて転倒させてから、思いっきり頭を踏みつけてやった。
動かなくなるまで、頭を蹴り続ける。
なんだ、コイツらそんなに強くないじゃないか。
俺はショートソードを拾い上げると、ゴブリンの胸に突き刺した。これで、普通の生物なら死ぬだろ。
生き物をこの手で殺す感触はなんとも言えない感触だけどな。
緑色の返り血で、制服が汚れてしまった。
「真城くん、よく殺せるね……」
「瀬木、お前は後ろから石でも投げてろって!」
そう言いながらも、普通の高校生にいきなり戦闘しろってのは無理だなとは分かっていた。
荒事に慣れてないと、いきなり殺しあえって言っても無理だ。
ともかくも、こうして最初の戦闘にあっけなく勝利した。
俺は、剣道部の三上が倒したオークから
「オレは、慣れた得物のほうが良い」
「なるほど、じゃあこれは俺が使わせてもらうぞ」
三上が頷くので、
これからも戦闘があると思えば、遠慮している場合じゃない。
「瀬木、お前はこの松明で照らしてくれ。弱いゴブリンなら、松明でも怯むぞ」
「分かったよ」
そう言ってる間に、弱いゴブリンのもう一匹は、久美子がモップで突き殺していた。
俺だって荒事には多少慣れてるつもりだが、三木直継も、九条久美子も、本当にただの高校生かよ。
こういう非常事態になっても、殺れる奴ってのは意外にいるものなんだな。
遅れて、残り二匹のオークがこっちにやってきたが。
七海副会長のお仲間がモップをたくさん抱えてやってきて、みんなで突きかかったので、モンスターを倒しきることができた。
これで、最初に出てきた五匹は倒せたことになる。やはり戦は数ってことか。
最初にモンスターの攻撃によって、A組の生徒は二人死んで、一人が肩をざっくりと斬られて重傷だそうだ。
怪我人は、このまま放置しておけば死ぬだろう。
「罠に気をつけて、みんなで先に進もう」
七海修一の鶴の一声で、生徒から有志が選抜されて先に進むことになった。こういうのをカリスマ性って言うんだろうな、本来なら率先して動くべき先生たちも、七海副会長に頼りきりになってる。
俺も
集団行動はあまり得意じゃないし、積極的に協力したいわけじゃないが、どうせ前には進むつもりだ。
こいつらの集団を前に立てて動けば効果的だし、まだ独りで動く自信はない。
しかし、
このダンジョンの構造、どこかで見た覚えがあるんだよな……。
「瀬木、お前は後ろの先生たちのとこで待ってていいんだぞ」
「真城くんも行くのに、僕が行かないわけには行かないよ……」
そういうものなのか。
罠が作動するたびに足を震わせているくせに、友達甲斐のあるやつだ。
「護身用に、これでも持ってろ」
「うん、えっ、これちょっと汚い……」
瀬木は、ゴブリンの緑色の血に染まったショートソードを見て、眉根を顰めている。
洗うところもなくてすまないね。でも護身用にだって、武器はあったほうがいい。
必要ないなら越したことはないのだが。
他人のことなど知ったことじゃないが、
「九条さんも一緒に行くのよね……」「よかった私たちだけで不安だったから!」「一緒にがんばりましょう」
七海副会長の戦闘集団に参加するらしく、女の子の三人組が、口々に言いながらやってくる。これから死ぬかもしれないというのに、事情を知らないからノンキなものだ。
女の数が多いと、少し圧迫感がある。俺のとこに来たわけじゃなくて、久美子の顔を見て近づいて来たのだろうけど。
「みんな私と同じA組の生徒よ。メガネをかけてる長い髪の
俺にからみつくように身体を寄せて、耳打ちしてくる久美子。相変わらず、距離感が近い。他は分かるけど、無駄乳って吐き捨てるように言いやがった。なんて紹介のしかただ。まあ、お前は無乳だもんな。
口にしなかったのに、ギロッと睨まれた。
はいはい、無乳じゃなくてちょっとはあるって言いたいんだろう。
俺は知らん女の乳なんてどうでもいいし、他人の名前なんか聞きたくもなかったからどうでもいいけど。
もともと、こんな場所で知らない生徒と馴れ合うつもりは毛頭ない。
あの罠にモンスターは洒落にならない。誰が死ぬか分からない状況で、知り合いを増やすのはむしろ危険じゃないかと俺は思う。
自分の身を守るのに精一杯な今は、他人に情を移すような真似をしたくない。
だから、久美子の横にいる俺にもおざなりに挨拶してくる三人組に、俺は曖昧な生返事をした。
こんな状況だ。
知らない女まで、面倒見きれないからな。
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