第27話「七海修一との再会」

 地下水が流れこむ、湿った地下七階に戻ると、さすがに俺は壁に肩をついた。

 エノシガイオスが居たボスの部屋に入ると、泉の水をがぶ飲みした。地下八階の灼熱に喉が焼けていたから、ヌルい水でも舌に甘く感じる。


「飯も食わないと」


 極度の疲労感のためか、食欲はない。

 それでも身体には栄養がいる。リュックサックを漁り、大海蛇シーサーペントの蛇肉を喰らう。


 味なんてどうでもいい、とにかく栄養を回復して、あとは少しだけ眠らせてもらう。

 ボスの部屋は、扉が閉じるようにはなっている。他のモンスターは通常ならば入ってこれない仕様だから、安心して眠る。


 下階から強敵が迫っているという今の状況で、時間は金貨より貴重だが、だからこそ休息できるときにしておかなければならない。

 大きな玉座にドサッと腰掛けると、俺は意識をまどろみに落した。


「……ふぅ」


 俺の時間の感覚は狂っているので、確実には言えないがおそらくそんなに長くは眠ってない。

 床で寝てしまうと、そのまま熟睡してしまう恐れがあったのであえて座って眠ったのだが、それでも熟睡できてしまった。


「寝すぎては、ないと思うがな」


 能力向上系のポーションでドーピングしながら、ランクがいくつも上の敵相手に、下手を打てば死ぬような戦闘を続けているのだ。

 身体の筋肉が軋みながら強くなっているのが分かる。本来なら、もっと自然な休息を欲しているのだろうが、そこは眠気覚ましの宝石と各種のポーションによる回復で補う。


「さて、いくか」


 地下七階の湿った通路を足早に戻る。

 半魚人マーマンを何度か叩き伏せて、まっすぐに地下六階への階段を目指すルートを取ると、前から賑やかな人の声が聞こえてきた。


 ちょうど、入り口近くの大部屋。

 七海達の集団パーティーがやってきたのだ。


 もうかわすとか逃げるとかは考えてないので、俺は大部屋の真ん中で待ち受けた。


「よう……、六階のボスは片付けてくれたのか」

「真城ワタルくん!」


 七海が、俺をフルネームで呼ぶのも懐かしい気がする。

 おそらく黒の騎士ブラック・デスナイトの『侵攻』は、さらに上階へと及ぶだろう。そうなれば、こいつらも危険に曝されるので警告しておく必要があると思ったのだ。


「ワタルくん!」「旦那様デス!」

「おい、落ち着け」


 九条久美子とウッサーが、俺の腕に抱きついてきた。

 こいつら、ダンジョンで両腕を塞ぐなよ。


 ウッサーはともかくまさか、久美子にまで抱きつかれるとは思わなかった。

 学校のときの久美子なら、公衆の面前でそういう真似をするようなことはなかったのだが、心境の変化ってことかな。


 今はのんきにこいつらの相手をしている場合じゃない。

 下階から黒の騎士ブラック・デスナイトの『侵攻』が迫っているのだ。俺ですら、本気を出さないと切り抜けられない相手だったから、こいつらには危険過ぎる。


「すまないが、君にちょっと話がある」

「なんだ七海」


 話があるのは俺もなのだが、七海の剣幕は「ちょっと」というどころではなかった。血相を変えて俺の肩を強く掴んでくる。

 久美子やウッサーのように、そのままガバッと抱きついてくるではないかと思って、一瞬焦ったほどだ。


 普段ならうるさく騒ぎ立てる久美子たちも、七海のあまりの気迫に押されて一歩下がった。

 それぐらい俺に駆け寄ってきた七海は、切迫している。


「真城くん、君は和葉と一緒に居たんじゃないのか。街から居なくなったんだ、最後に君と一緒に買物をしているのを見たという人がいて、その君が……」

「ああ? 竜胆和葉なら、街で飢え死にしかけてたから匿ったんだが」


「死にかけてた!? いやそれよりも、和葉は無事なのか。今どこにいるんだ!」

「七海、お前もしかして、竜胆を追ってここまで来たのか」


 七海の様子からすると、聞くまでもない感じだった。

 まさか、七海修一が本気で幼馴染を探したいという私的な都合で生徒会の精鋭パーティーを動かして、ここまで追いかけて来たとは思いもよらなかった。


 公私の別は、きちんと付ける奴だと思っていた。

 そういう奴だからこそ、和葉が追い詰められていることに気が付かなかったのだと思うのだが……。


 いくら七海がリーダーとはいえ、和葉を探しに行く目的で七海ガールズやアスリート軍団が協力するだろうか。

 建前上は攻略を進めるという名目で、七海の本心としては和葉を連れ出した俺を探しに来たというあたりか。


 しかし、店で一緒に和葉と居たところを目撃されていたのはマズかったな。その直後、和葉が居なくなった形になるから、どんな噂を立てられていてもおかしくない。

 周りの生徒の目を意識してなかった俺も迂闊だった。


「和葉は無事なのか、なあおい真城っ!」

「慌てるな、安全な場所で元気にしている。そう言えば、竜胆からお前への手紙を預っているんだ」


 俺はリュックサックから、『七海くんへ』と書かれた和葉の手紙を取り出して渡す。

 手紙を用意してもらっていて助かった。これを読めば、事情も分かるはずだ。


 慌てて開封して、手紙を読む七海。

 読み進めるごとに、その手が震えていく。それはやがて、痙攣のように大きく肩を震わせた。


「嘘だ……こんな手紙は……」

「おい、なな……」


 俺は七海の顔を見て、一瞬言葉を失った。

 いつも爽やかな優等生の仮面ペルソナが、ベロっと剥がれ落ちる瞬間を見てしまった。


 こいつは、誰だ……。


 そこに立っている男は、これまで俺達が知っている七海修一ではなかった。大きく見開かれた眼が血走っている、口元の歪みは憎悪に満ちていた。まるで、阿修羅の形相。

 和葉からの手紙を読めば、七海は安心するのではなかったのか。


 和葉が説明するという言葉を信じて、手紙の内容を確認していなかったことを、俺は後悔した。

 こんなときに、俺の育ちの良さが仇となったか。いや、他人の私信を見るのが他人に踏み込むみたいで、嫌だっただけでそこは失敗だったと反省しよう。


 だが、これはさすがにないだろ。和葉は手紙に何を書いたんだよ!

 これは、尋常ではないぞ。


 和葉の書いた大事な手紙を、七海は手でクシャッと握りつぶしてしまう。

 俺はその何気ない仕草にも怖気が走った。まるで、何かに取り憑かれたような異常さを感じる。こいつ、ヤバイ。


「和葉はどこにいるんだ……真城。いますぐ和葉と話をさせてくれ……」

「待て七海、まず落ち着いて話を聞け! 今すぐ話をさせろと言っても無理だ。別の場所に匿ってるんだから」


「じゃあ言え! それはどこだ」

「それは言えない、理由は手紙を読めば分かったはずだろ。竜胆はイジメのターゲットになってたからで……」


「真城……やっぱりお前が、和葉を攫ったんじゃないのか!」

「おい、やっぱりってなんだ」


 この反応、誰かに俺が「和葉を攫った」とでも吹きこまれたのか。

 俺の眼の前で、七海修一が『聖鉄の大盾』を捨てて……抜剣した。


 七海は腰に差した『黒鋼の剣』を抜いて俺に迫る。俺は目の前にしたものが信じられなかった。

 あの七海修一が、完璧超人の優等生が、事情も確かめずこんな軽薄な行動を取るなんて……。


「落ち着け!」


 俺は、冷たい殺気を感じて、思うよりも速く後ろに跳んだ。

 俺が元いた場所を、スッと黒剣が通りすぎる。


 あの公正明大な七海修一が、我を忘れて同じ学校の生徒に凶剣を振るう。

 近くに居た久美子たちも、周りのみんなも驚愕して動けない。それは、あまりにも信じがたい光景だった。


「ハハッ、そうだよ……和葉がイジメられたなんて、誰も言っていなかった。しかも、それが僕のせいだって、そんなことあり得ない。ご丁寧にこんな嘘の手紙まで作って……僕は騙されないっ!」

「待てって、ええいっ!」


 七海が剣を手に持って迫ってくる以上、俺も『孤絶ソリチュード』を抜刀するしかなかった。

 反射的な防衛行動だったのだが、七海をさらに触発する。


「やっぱりだ! お前が無理やり和葉を連れて行った、そうなんだろう!」

「違う、どうしてそうなる!」


 七海修一は、こんな安っぽい男だったのだろうか。

 誰かに「俺が和葉を攫った」と吹きこまれて、手紙が和葉の仕掛けた罠で「俺に攫われたから助けてくれ」と書いてあったとしても、事情も確かめず人に剣を振るうなんて絶対にする男ではないのに。


 ここまで、七海がおかしくなるって、一体あの手紙には何が書かれていたのか。

 幽鬼のような表情の七海は、もはや正気を失っている。弱々しく疲れ切った七海の身体から、どうしてこれほどの重たい剣気が出るのか。


「和葉を、返せェェ!」

「マジでやるつもりかよ!」


 俺は七海が怒りを込めて振り下ろした一撃を、『孤絶ソリチュード』で受け止める。

 黒剣には、白銀のエフェクトがかかっていた。ホーリーブラスト。つまり、七海の職業は上位職の聖騎士系ということだ。


 ランクだけで言うなら、俺や久美子と互角か。

 いやランクだけではない、その打ち込みの速度も重さも申し分ない。七海修一は、強い。


「真城、貴様がッ!」

「七海ッ!」


 感心している場合ではない、力任せに次々に打ち込んでくる白銀の軌跡を迎え撃つ。一撃一撃が重い、俺でも受け流すので精一杯だった。

 あの七海修一と鍔迫り合いを演じることになるとは、こんな状況なのに俺は七海の剣の強度に嬉しくなってしまう。


 血塗られたダンジョンで、自らを鍛えあげていたのは何も俺ばかりではない。

 こいつは強敵だ。七海も俺と同じく、一時も休むことなくダンジョンで剣を振るい続けていた。


 受ける攻撃の重みは、そういうことだ。

 俺は、自分一人のために戦っていたが、七海はもっと多くの人の盾になって最前線で戦い続けていた。


 ジェノサイド・リアリティーでの強さは、嘘をつかない。

 その動機が悪であれ、善であれ、強い意志を持って敵に立ち向かい、剣を振るい続けたものだけが強く成れる。


 それは、孤高で悲しい強さだ。これほどの強さを得るに至るまで、七海は追い詰められていたのか。

 白銀のエフェクトが掛かった七海の黒剣を受けながら、これでは七海が狂ってもおかしくないと思えた。


「和葉が、僕を、おいて、いくわけ、ないんだよォォ!」


 七海修一は、恵まれた優等生エリートなどではなかった。泥に塗れ、血に塗れ、頑張って、頑張って、頑張り抜いて、それでも七海は何一つ報われなかった。

 七海が口にした俺を襲う理由は、誰かに吹きこまれたネジ曲がった嘘だが、重たい音を立てて何度も何度も呪いを込めて振り下ろされる兇剣はそれでも真っ直ぐだった。


 七海は、幼馴染の和葉がよっぽど好きだったのだろう。筋違いな怒りを俺にぶつけてしまうまで、こんなに無様な姿を晒すまで。

 全てを守ろうとして、むしろそのせいで大事な者を傷つけてしまった。そうして、それに気がついたときは、もう手の届かぬところにいた。


 完璧な良い奴なんてどこにも居ない。むしろ、七海修一ほど資質に恵まれた男が、ここまで死力を振り絞ったのに届かなかった。

 他人を優先したせいで、一番大事な人を取りこぼしてしまった悔恨。


 薄暗いダンジョンに交差する七海の輝く白銀と、俺の白刀。激しくせめぎ合う刃の隙間からは、七海の血反吐を吐くような怨念の声が響いた。

 大事な幼馴染を失って幽鬼のようになった七海修一は、自分でも抑え切れない内からの黒い衝動に突き動かされて、こんなダンジョンの奥深くまで俺を追ってきた。


「真城、お前が、お前がァァ、ウアアアァァ!」


 俺の名をまるで呪うように叫びながら、闇雲に力任せに斬りかかってくる七海の不安、苛立ち、悔しさ、怒り、憎悪……そして、悲しみと絶望。

 言葉を交わすより、剣を交えるほうがよっぽど分かるということがある。七海の叫びは、慟哭だ。


「なんだよ……」


 自分に課している完璧超人の仮面じんかくが壊れてしまえば、七海修一も俺らと同じガキじゃねえか。

 何もかも思い通りにいかなくて、泣き喚いて、自暴自棄になって八つ当たりしてくるガキだ。


 だったら、ガキはガキなりに扱ってやるよ!

 俺は、全力で七海を突き飛ばして、思いっきり斬り伏せてやった。


「グアアアーッ!」

「ちったぁ目が覚めたか、七海ッ!」


 殺すつもりはない。だが、無傷で取り押さえるには、七海は強すぎる。

 どうせ死ななきゃ回復ポーションで治るんだ、殺すまではしないが剣を握れぬよう右腕の手首を深く斬った。


「真城、シンジョオォォ!」

「まだ来るのかっ!」


 もしかしたら、七海の利き腕は左手だったのかもしれない。

 片手になっても、剣を持ち替えて俺に斬りかかってくる。その粘り強さは、嫌いじゃないが自分を傷つけるだけだ。


「ォォォオオオオ!」

「恨むなよ」


 すまんな、俺はお前の絶望を優しく受け止めてやれるほど大人じゃない。

 剣を握った左手首を思いっきり両断した。腕の断面から血を噴き出させながら、七海はようやく崩れ落ちた。


「うああああ……」

「これで終わりだ! おい、三上。七海の手をつなぐから、手伝ってくれ」


「えっ、ああ……」


 周りの集団と同じように、三上直継みかみなおつぐは当惑した顔をしていたが、七海を回復ポーションで治すという意図は伝わったようでホッとする。

 三上が俺の手伝いに回ったので、突然の決闘を前に緊迫した雰囲気も少しは和らいだ。


 七海と俺が争うこの局面、下手をすれば七海のグループ全体を敵に回したかもしれない。

 いや俺一人なら何とでもなるが、久美子やウッサーが俺の側に回ってしまうと本当に殺し合いになりかねない。


 ほんの些細な勘違いや感情の行き違いで、人間同士が簡単に殺し合えてしまえる環境。

 それが、ジェノサイド・リアリティーの怖さでもある。


 今回だけは、人間関係が面倒だとか言ってる場合ではない。

 なんとか手がつながったので、俺は血を失ってぐったりとしている七海の介抱を三上に任せて、七海が握り捨てた和葉の手紙を拾ってさっと一読した。


「これは……」


 確かに、酷な内容だ。

 七海が狂うのも分らなくもない。だから女って嫌なんだよ。竜胆和葉め、あとで落とし前をつけてやるぞ。


 それはそうと、眼の前の事態収拾が先だった。

 七海の治療は、三上のアスリート軍団が囲んでやっている。いつもなら、真っ先に七海の介抱をする七海ガールズ特選隊の五人も、おかしくなっているからだ。


 大事な七海を傷つけられたせいで、ガールズどもは俺に暴言を吐いて襲いかかってこようとする構えを見せている。

 ガールズが俺に対して攻撃の意志を見せたことで切れたウッサーがぶち殺そうとして、それを久美子が抑えて、両方を牽制しているという構図。


 女子全体に影響力を持っている九条久美子は、よく動いてくれている。

 俺と七海がぶつかってたときも、ウッサーが飛び出さないように抑えてくれていたのだろう。


 牙を剥いたウッサーの本気ガチの殺気がガールズの狂気に勝り、そこに久美子が割って入って辛うじて保たれてる均衡。

 ギリギリのバランスが崩れたら、本当に殺し合いになる。一触即発の酷い状況だ。


 ガールズどもに七海を返せば収まるんだろうが、それはできない。

 七海に「俺が和葉を攫った」と、吹き込んだ犯人がいる。


 邪魔な俺を排除しようとした神宮寺の罠かもしれないと思ったが、アイツにとっても七海は大事な玉だから、使い潰すような真似はしないとも思える。

 すると、怪しいのはガールズだ。いかにも考えなしの女がやりそうな、その場限りの流言だからな。


 暴れまわって気が抜けたせいで抜け殻のようになってる七海を、ガールズどもに都合よく誘導されたらまた厄介なことになる。

 俺にとってガールズは敵だ、七海から引き剥がさないといけない。


 事態を打開できる糸口を掴めない焦りを感じながら、周りの様子を観察していると。

 わめき散らしていた七海ガールズのボスから、ありがたい言葉が発せられた。


「なんで、和葉みたいな女のせいで七海くんが傷つかなきゃいけないのよぉ!」


 本人としては、何気なく漏れでた一言だったのだろう。

 しかし、『竜胆和葉を七海が特別視したせいでイジメられた』と言う事実を手紙で知った七海に、その言葉は強い衝撃を与えた。


 そうだ、七海。お前の大事な和葉をイジメた犯人は、すぐ近くにいる。

 俺は、苦しげに口元を歪ませた七海に、一滴の毒を含ませた言葉を囁いてやった。


「なあ七海、あの女だよ。竜胆和葉をイジメ抜いて殺そうとした首謀者は……」


 俺はガールズのボスを指差して教えてやった。七海は、俺の言葉を聞いて愕然としている。

 そうだ悪いのは、七海でも俺でもねえ、この女どもだ。


「なっ、何を言い出すの! 違う、違うっ!」


 七海ガールズのボスは激しく巻き髪を振るわせながら否定したが、分かったものじゃない。今のは俺のハッタリだが、近いことはあったんじゃないか。

 心当たりがないなんてこと、あるわけがない。


 なぜなら、和葉が生徒会から疎外されてボロボロになってることを七海に知らせないようにガードしていたのは、コイツら七海ガールズだからだ。

 イジメに直接タッチしたかはともかく、その行動は和葉への明確な悪意がある。


「うっ、嘘よ……七海くん。そんなのうそ、私はイジメなんかやってない」


 弁明するが、震わせる唇に動揺が隠しきれていない。犯行を自白してるようなものだ。お前らみたいな、マヌケが居てくれて助かった。

 七海ガールズのボスは、名前も知らんが派手めの美人である。


 七海修一のサポートを務めるに相応しいほど容姿も整っているが、ダンジョンでどう手入れしているのか巻き髪もツヤツヤで、高慢そうなツリ眼のキツい感じの女子で、いかにも底意地が悪そうな悪役令嬢のような顔してる。

 いかにも『やってそう』な女子だった。イジメの犯人に仕立て上げるには、ちょうどいい。


「語るに落ちるというやつだ。私は『直接やって無い』ってことだよな、お前らが集団で結託して竜胆和葉を追い詰めて殺そうとした、そうだろ!」

「違うわ、そんなの事実無根よ! 七海くん、お願い信じて……」


 ほらほら、激しく否定すればするほど怪しくなる。

 事実がどうなのかなんて、この際問題ない。キーマンである七海が何を信じるかということだ。


 ガールズどもの醜い弁明を聞いて、打ちのめされていた七海は、目頭を手のひらで強く抑え、肩を震わせて小声でつぶやいた。

 漏れだしたのは、悔恨の言葉。


 七海は、俺の吹き込んだ言葉を信じつつある。

 七海の漏らすつぶやきには、「すまない真城くん、分かっていたのに……」などと、小さく俺への謝罪の言葉も漏れだした。


 今の七海の心は、これまで溜めに溜めた憤りを爆発させて、空っぽになった状態だ。

 多少は頭も冷えて、勘違いで俺に襲いかかったのも申し訳ないって気持ちにもなったのだろう。思考を誘導するには、絶好のタイミング。


 そうだ、七海修一はこいつら面倒ばかり起こす生徒どもを統制するリーダーだ。

 俺が、七海ガールズや神宮寺司のように、七海修一を都合よく利用してはいけないなんてルールはない。


 俺だって、心理学の本ならジークムント・フロイトからアルフレッド・アドラーまでざっと読んでいる。

 学校の先生に自己心理を分析されるのが癪に障ったので、精神分析学や児童心理学の本を集中的に読んだことがあるのだ。


 その手の心理操作を日常的にやってる陰険メガネには及ばないだろうが。

 お人好しで単純な七海修一の心理を都合の良い方向に誘導するぐらいなら、やってやれないことはない。


 方針は決まった。こうなるとガールズは七海から切り離す必要がある。七海が弱り切っている以上、まず三上たちを味方につけることが先決。

 俺は、三上に手伝ってくれるように頼むことにした。


 まず分断工作。和葉をイジメた悪役ポジションに落としこむガールズを孤立させるため、アスリート軍団は俺の味方につける。

 これまでの観察から、三上たちはガールズたちとは元から仲良くないと分かる。七海が集団パーティーの中心だったから一緒にやれてただけだ。


 なぜか知らないが、三上は俺の言葉を聞いてくれる。短い付き合いだが、俺に悪感情は持っていないようだ。

 三上直継みかみなおつぐをまず味方に付けるという、俺のとっさの判断は理詰めで考えても正しい。


 七海のグループではアスリート軍団が最大多数、それを率いるのが三上。

 リーダーの七海が弱っている状況では、この集団パーティーのサブリーダーは三上になる。


「三上、ちょっとだけで良いから七海と二人で話をさせてくれ」

「しかし……」


「頼む、七海にリタイアされたらみんな困るだろう。俺なら、七海と話して気を取り直させることができると思う。女子に任せておいたら、七海がまだおかしくなる!」

「……分かった。女子どもは俺たちが食い止めておく」


 三上たちは、小うるさい七海ガールズを抑える方に回ってくれた。

 さてと、距離を取って二人っきりにしてもらったところで、七海に話を付けないと。


「もう少し寝てろ七海、お前はだいぶ血を失っている」

「すまない……」


 とにかく優しく、優しく、甘言を弄して落とす。

 男にやるのはかなり抵抗があるのだが、七海の頭を俺の膝にもたれかからせてやった。弱り切っている七海は抵抗もしない。


 相手のパーソナルスペースに入り込むことで、親密感を演出する。

 昔の漫画とかでよくある、お互いに喧嘩してぶつかり合った男同士の友情が芽生えるってシーンは、こういう効果で起こる。


 相手の近接相きんせつそうに入り込むことで、腹を割って話すことになるのだ。

 そこで七海のこれまでの思考を一旦リセットして、徐々にこちらの都合の良い方向に誘導していく。


「竜胆和葉がイジメられて、命が危なかったのは知ってるよな」

「そうだね……、君は和葉を助けようとしてくれただけなのだろう。手紙が嘘じゃないってことも冷静に考えれば分かったはずだ。ちゃんと僕に分かるように、和葉も書いてくれていた。それなのに、僕は信じたくなくて……つまらない噂を信じて……全部、僕のせいだ」


「竜胆がイジメられたのは七海だけのせいじゃないし、お前が出来る限りのことをやってたのは知ってる。本当なら俺も先に一言でも断りを入れるべきだったんだが、あの時は状況が逼迫していてどうしようもなかった」

「僕のせいだよ、すまない。本当に、君にも酷いことをして……なんと謝ったらいいのか分からない」


 先に襲いかかったのは七海だが、腕を斬られた直後にわだかまりなく俺に謝罪できるんだから、大した玉だ。

 俺が和葉を攫ったとか、そういうろくでもない嘘を吹き込んだ奴のせいにしてしまえばいいのに、誰を恨むでもなく自分が悪かったと謝るあたり、七海は心底善人なんだろう。


 それなら俺にも襲い掛かるなって話なんだが、根底にあるのは幼馴染の和葉を俺に取られたと思い込んだ子供らしい嫉妬か。七海自身、自分の中に淀んだ悪意には気がついていないようだ。

 だとすれば、その誤解をまず解いておかなければならない。


「俺はな七海、お前の代わりに竜胆を一時的に保護したつもりだったんだ。俺だって街に大事な人が居るから、竜胆を心配するお前の気持ちはよく分かる」

「大事な人……それは、久美子くんのことか?」


 違うんだけど、そう誤解させておいたほうが分かりやすいか。俺は久美子が好きで、七海の幼馴染には興味が無い。

 そう思わせておいて、守りたい女がいる男として共感を持ってもらう。そうだ、七海が好きそうな歯の浮くような言い方をしてみるか。


「七海、紳士協定を結ばないか。今の状況では、俺にしかお前の大事な竜胆を守れないし、お前にしか俺の大事な人は守れないだろう。お前にも助けて欲しいんだよ、俺達はお互い協力し合える。そう言ったのはお前だっただろ」

「君は強いな……。でも僕は、もうどうしたら良いのか……」


「諦めるな! 竜胆のことなら……あいつも大変だったんだよ。飢え死にしかけて心が弱ってたから、七海のことをまで思いやる気が回らなかったんだと思う」

「そうかな……」


「そうだよ、なあ七海。あんな手紙が竜胆の本心なわけないだろ! この状況が悪いんだ、今だけの辛抱だ。ジェノサイド・リアリティーをクリアして学校に帰れたら、みんな元通りになる」

「元通りになるかな……」


「ああなるとも、お前と和葉も……今はこんな状況なので会わせることは難しいが、ちゃんともう一度話をさせてやる」

「でも僕とは、もう会いたくないと」


「そんなの、一時的な気の迷いだよ。お前が大事な幼馴染を信じてやらなくてどうする。竜胆の気持ちが落ち着けば、もう一度話し合えるようになる。『遠見の水晶』ってテレビ電話みたいなアイテムがあるから、それで話が出来るようにすると約束する」

「本当に?」


 よし、食いついてきた。

 もともと、それで自暴自棄になってたんだしな。安心しろ七海。竜胆和葉は、いずれお前の下に帰ってくる。


「ああ約束するとも、頑張ってみんなで生き残ってクリアすればいいんだ。そしたら全部元通りになる」

「そう……か……あああっ……」


 七海は、嗚咽を漏らし始めた。あーあ、イケメンが台無し。とても人様には見せられない顔だな。涙だけでなく鼻水まで垂らして号泣している。

 みんなのリーダーをやらなきゃいけなかったから強がってただけで、七海も相当弱ってたんだろう。


 自分の責任で生徒が次々に傷つき死んでいく辛い戦いのなかで、幼馴染の和葉だけが七海の心の支えだったのかもしれない。

 そこらへん、和葉だって薄々分かってたんじゃないのか。本来なら助けて、励ましてやるべきじゃなかったのか。


 それなのに、七海のせいでイジメられた事実を突きつけたうえで、丁重に決別状を送りつけて一刀両断とか、和葉さんマジパねーっすわ。

 いやまあどうしようと和葉の勝手だけどよ、クソ面倒な幼馴染の後始末をよりにもよって俺に押し付けてくれてありがとう、あとで三倍返しぐらいにしてやる。


 そうだ、和葉を利用して七海をコントロールすればいいか。

 ここまでの面倒をかけられたんだ、それぐらいやってもいいよな、あの女には。


「七海……」

「和葉が小さい頃、僕にヒーローみたいだって言ってくれたんだ」


 何を話し始めたこいつ、あまりに唐突で思わず笑いそうになった。

 そんな幼馴染同士のほのぼのエピソードとか、俺に話されても困るんだが、クソウゼエって言うわけにもいかんし、相槌打っとけ。


「そうか、ヒーローか」

「だから僕はヒーローになりたかったのに……ううっ、あああぁ、それなのに僕はどこで間違ってしまったんだろう。みんな僕のせいで……」


 そんなの俺が知るかよ。

 七海が間違ってるなら、俺はその百倍ぐらい間違えてる。いちいち、そんなことで悩むのは、挫折を知らなかったってことなんだろう。


 ジェノサイド・リアリティーでも、自分が信じるヒーローを貫き通そうとした七海の無理なやり方は破綻して、本人もぶっ壊れてしまった。

 でもそれが愚かな真似だとは、俺も言いたくない。七海だって、自分の信じるモノのために必死に戦ったのだから。


 完璧な奴なんていないし、完全な正しさなんてどこにもない。どこかに間違いがあっても、報われなくても、七海はそれでも全ての人のために頑張り続けていた。

 その強さと優しさが偽りの仮面に過ぎなくても、多くの生徒にとって希望になっていることは事実だ。


「七海、間違えてもやり直せる。俺が協力してやる。お前も、竜胆も、まだ生きてるんだ。最後まで生き抜けば、必ずみんな元通りになれるさ」

「そうだ、そうだね……紳士協定か。真城ワタルくん、ありがとう。苦しめてしまったこと、どうか償わせて欲しい。君にも、和葉にも……僕も約束を守ると誓う」


 七海修一は、元の聡明さを取り戻していた。立ち直ってくれたようで、俺もホッとした。

 面倒事から逃げるスタイルが徐々に通用しなくなってきたので、今度はあらかじめ潰していくスタイルで行ってみよう。


 挫折を経験した七海は、まだまだ強くなるだろう。七海には七海にしか出来ないことがあるし、これから先、俺の役にも立ってくれるはずだ。

 街には俺の大事な友達もいるから、どっちにしても協力して黒の騎士ブラック・デスナイトを撃退しなければならない。


 どうせ生徒会と関わるなら、七海たちの集団パーティーが一番使いやすい。

 当面の『侵攻』をクリアしたあと、久美子やウッサーはこのまま七海が面倒みてくれると良いんだけど、そういう紳士協定にはならないかな……。


 そうしたら、俺もソロプレイに戻れるのだが。

 まあ、要検討ってことにしておこう。

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