12. 星に願いを、あの子の部にはダメ金を


 中学二年。春の地域別陸上大会における学校代表の座を中三の先輩から勝ち取れなかった梨生は、大きな大会に出るチャンスを持たなかったが、それでも熱心に部活へ打ち込み、どっぷりと明け暮れるうち、あっという間に季節は過ぎて、中学二度目の夏休み、そして地元の商店街で毎年開催される夏祭りが近づいてきていた。昨年は台風で中止になってしまったので、二年ぶりの開催となる今年は主催者サイドにも熱気があった。


 中二のクラス替えは、またしても千結と別れてしまったが、その代わり今年も同じ小学校出身の友人が比較的多かった。夏祭りが行われる商店街は、梨生たちの小学校の学区のほうが近かったため、その同窓生たちで集まってお祭りへ行こうという話が梨生のクラスで持ち上がった。

 休み時間、誰かが持ち込んだスナック菓子をつまみながら、各々の部活の予定などを開示して祭り参加の日程調整を行う。


「ちーちゃんも呼ぼうよ」


 この場にいない千結も誘おう、と梨生は提案した。


「あ、そうだね。アワタ忘れてた」

「最近全然しゃべってないなー。アワタ何組だっけ?」

「三組だよ。タムタムと一緒」

「アワタ、吹部すいぶだっけ?」

「うん、なんか忙しそうだよねー吹部」


 ぺちゃくちゃとしゃべる友人たちを前にして、梨生は戸惑っていた。


「え、なんで皆ちーちゃんのこと苗字呼び?」


 きょとんと問う梨生に、逆に周りは虚を衝かれた様子だ。


「え……なんでっていうか……なんか気づいたらなんとなく苗字で呼んでなかった?」

「確か、自分の名前好きじゃないって、中学入ったあと言ってたよ、アワタ」

「あ、そーそー。言ってた」


 頷く友人たちを目にしながら、梨生はどこか信じられないような気持ちだった。彼女が自身の"千結"という名前を気に入ってないなんて、梨生は聞いたことがなかった。


「えー……そうなんだ、"アワタ"……」


 小学校時代から親しい女子たちが呼ぶ『アワタ』なる人物は、まるで知らない人のようだ。

 確かに、その"アワタ"という素っ気ない呼び方は、どことなく大人っぽい響きがある。彼女の嫌いな名前で、しかも"ちーちゃん"なんて呼び方は子ども染みているし、千結は嫌かもしれない。

 梨生が考えに耽るうち、てきぱきと話は進み、「りお、アワタ誘っておいてね」と頼まれた。



 部活を終えてくたくたになって帰り着いた自分の部屋で、梨生はお祭りの件を思い出した。忘れないうちに彼女を誘わなければ。ベッドに転がって携帯電話を手にする。連絡先一覧からその名前を見つけ出し、少しの間それを見つめる。他は全員フルネームだが、彼女だけは"ちーちゃん"として登録してある。


「アワタ……アワタかあ……」


 口に出してみても違和感がすごかった。メールの入力画面を開きかけてから、思い直す。しばらくの間千結ときちんと話していない。夕食どきの時間はとっくに過ぎていることを確認して、電話の発信ボタンを押した。


『――もしもし』

「あ、ちー……」


 電話に出た千結へ無意識に呼びかけて、飲み込む。


『りお。久しぶり』

「うん、久しぶり。今電話だいじょーぶ?」

『うん』


 相変わらず溌剌とは程遠い声音だけれど、久々に聴く千結の声はそれだけでなんだか落ち着きをもたらした。梨生の顔に自然と笑みが浮かぶ。


「今度のお祭りさー、みんなと行かない? みきとかクンちゃんたちと行こーってなってるんだけど」

『んー……八月の中旬だっけ?』

「そうそ。今んとこ、日曜がよさそうって話」

『うちの部、そこらへんは関東大会に向けて猛練習してる。から厳しいかも』

「あー……そっかあ」


 去年も、『祝! 吹奏楽部 関東大会出場』という垂れ幕が校舎に大きく張り出されていた気がする。意気消沈しかけた梨生を遮って千結は言う。


『地区予選で落ちたらお祭り行ける』

「あーなるほどねー」


 強豪校として数えられているようだからそれは望みが薄そうだ、と梨生は気のない返答を返したが、


『今年は……うちの部調子悪いから、たぶん関東進めないと思う』


 そっと言う千結の言葉に少し希望を感じた梨生は笑いながら、


「えーっと、あたし応援したほうがいい? それとも、ちーちゃんと遊べますよーにって地区予選落ち願ったほうがいい?」


 あまり善人らしからぬ質問に千結も、くすりと声を揺らす。


『じゃあ、りおは私と遊べますようにって願ってて。関東行けますように、って祈ってる部員のほうが数多いから』

「わーあたし悪者じゃん。でもじゃあ毎日祈り捧げとくね、吹部が予選落ちますよーにって」


 千結の静かな笑い声を聞きながら別れの挨拶を述べる。


「じゃ、またね。練習がんば――」


 頑張って、と言いかけて、


「――ってもいいけど、ちーちゃんと一緒にお祭り行けたら、いーなーっ?」

『ふふ。うん。結果出たら教えるね』

「うん、じゃーねー」


 電話を切ったあと、ちーちゃんはどっちに願いをかけるんだろう、と思った。

 ……ま、そりゃ関東大会行けますように、だよね、普通に考えて。

 携帯電話の裏に貼ってある、幼い二人が写ったプリクラを見つめながら、あ、無意識にちーちゃんって呼んじゃってたわ、と梨生は気がついた。



 夏休みに入ってしばらくした八月の中旬、千結からメールが届いた。


『お祭り行ける』


 梨生は嬉しさに口角を引き上げかけたが、ということは、吹奏楽部がこの夏はコンクールを突破できなかったということでもある。陸上部の練習で学校へ行くたび、何度も同じ箇所をさらう、吹奏楽部の鬼気迫る合奏の音が漏れ聞こえていた。ちょっと考えてから、労いの気持ちをしっかりと込め、


『おつかれさま』


とだけ送り、次いで間髪入れず、


『イエーーーイ! フーーーゥ! 8月XX日ハナマル前17時集合な!』


と素直な心のままの文面を送りつけた。千結からは、動く絵文字と共に『りょ』とだけ返事が来た。

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