#18. 空浮く花に光る君の目


 文化祭二日目、最終日。

 ステージ演奏を終えて楽器を片付け、私はほっとしていた。"楽器を演奏しながら踊る"なんていう悪夢のような試練を終えた今は、何もかもが容易く感じられる。

 自分のクラスはお好み焼き屋さんを出店していて、これまでは部活の練習ばかりで全然クラスの準備は手伝えなかったから、最終日くらいは、と思って花火の時間ぎりぎりまで手伝うことにした。

 「アワタは店の前でサンドウィッチマンしてくれればいいから」というクラスメイトの言葉に従って、『二年三組 ウマウマお好み焼き 最強お好み焼き 300円』と書かれた大きな看板を首から下げてただ突っ立っていた。本当は裏方のほうが性に合っているけど、料理なんて出来ないからちょうどよかった。声を出して呼び込みしたほうがいいのかな、やだなあ、と思っていたら意外とお客さんは途絶えなかった。その代わり、やたらとどうでもいいことで話しかけられるのでうんざりした。途中から、クラスのマキコがそばに立ってくれてそういう客はどんどん適当にあしらってくれたので助かった。


 つまらないことで疲れたくない。すべてが容易く感じられるとは言っても、このあと梨生に会って伝えなければいけないことを考えると、少し気が重いから。もちろん彼女と一緒に花火を見るのは今日一番の楽しみだ。けれど……ああ、こんなことなら早く言っておけばよかった。先延ばしにしたツケがこれ。

 ……だって、梨生が小学生の頃みたいに、自分の部屋でくつろいでいるのがすごく嬉しかったから、その時間をできるだけ"当たり前"のように過ごしたかった。もし引っ越しのことをさっさと言えていれば、今日だって、もっと違うことを梨生に伝えられてたかも――なんていうのはさすがに飛躍しすぎかな。


「……」


 頭ぽんぽんからのよしよしコンボを思い出して口元が緩みそうになる。

 私のぽんぽんには動じなかったくせに、お姉ちゃんぶっていとも簡単にぽんぽんしてくるのとか、まんまとその振る舞いに動揺してしまう私、という状況は本当にむかつくし悔しいけど、……でも、嬉しいのだから仕方ない。


 ――あのとき、花火に誘ったあと、一瞬だけ梨生の返事が遅れていたと思う。この学校で半分笑われながらも半分信じられているあの噂のこと、梨生も考えたかな。どきってしてくれたかな。


「そろそろ店じまい〜おつかれ〜」

「やったあー。はあ、お好み焼き一生分焼いたわあ」


 クラスメイトたちの声にはっとする。いつの間にか日が落ちようとしていた。梨生に、『クラスの片付け終わったら行く。先行ってて』とメールをいれておく。サンドウィッチマンの格好のまま料理器具などを片付けている私に、


「アワタ、その看板脱がんの?」

「だって服汚したくない」

「うわ、私なんか散々お好み焼き焼いて、汚れどころか匂いまで染み付いてんのに、この」


なんてやりとりを経て、看板も脱いで梨生との待ち合わせ場所に向かおうとしたとき、クラスの男子がしゃべりかけてくる。


「粟田、ちょっといい?」


 周りが「ひゅーぅ」と囃し立てる。目の前のタカイという男子はちょっと緊張して見える。――嫌な流れ。


「……今から行くとこあるんだけど」

「あ、じゃあ途中まで一緒に行っていい?」


 すごく嫌。

 そう言いたくなるのを飲み込んだ。小学生の頃の私だったら無視して立ち去っているところだけれど、今はもう少し社会性というものを学んでいる。好き勝手に行動したあといつでも私を守ってくれていた梨生は、そばにいないので。


「……途中までなら」


 うんざりして答えたにも関わらず、タカイは嬉しそうだ。周りがまた「いけいけ高井ー!」と野次を飛ばした。ああ、もう、すごく嫌。


 さっさと教室を出て歩き出した私の横にタカイは並んでくる。加えて後ろをぞろぞろと外野も付いてくる。ほんとにめんどくさい。

 そのうえタカイはずっと黙ってのろのろ歩き続けた。もうすぐ待ち合わせ場所に着いてしまう。どうやって、「もう付いてくんな」と伝えようかと思案していたら、隣からタカイが消えていた。振り向けば、ちょっと後ろで彼は立ち止まっていた。腕時計で確認した時間は、もう間もなく花火が上がる頃だった。


「タカイ、私……」

「粟田!」


 必死な目をして、タカイが声を張り上げた。ああ、もう茶番は始まってしまった。彼の顔を見ていられなくなって、地面に視線を落とした。もう花火は始まってしまうかもしれない。梨生にメールで『花火間に合わないかも、ごめん』って言っておきたい。携帯電話に手を伸ばしたいのを我慢する。いくら何でもこの空気で携帯をいじるのは人間性に欠けていると私にもわかる。……花火の開始、遅れないかな。まだ校庭からそれが打ち上がる気配はない。


 タカイが一歩こちらへ近づいた。


「……」


 緊張の頂点みたいなその表情を見ながら、悪いけど早く終わらせて、と私は願っていた。


「俺、二年で粟田と同じクラスになる前から、粟田のこといいなって思ってて――」


 そのとき、右手のほうから眩しい光が空へ向かって伸びて、ドン、パララララという音がして空が明るくなった。


 あ、花火。綺麗。――梨生。梨生と見たかったなあ。


 諦めてタカイのほうへ向きなおる途中、前方の渡り廊下の先でさっと動いた影が目に入った。見覚えのあるシルエットに素早く視線を向けたら、それは梨生だった。

 二発目の花火が、時を止めたように彼女の顔を鮮やかに浮かび上がらせていた。


 咄嗟に、嫌なところを見られた、と思った。約束を破って、こんな所にいること。その裏切りを恥じる気持ちが湧き上がりかけた瞬間、梨生の目の中に私はある感情を見た。


 それは、私を――"ちーちゃん"を失うかもしれない、という痛切な痛みだった。

 他の男に私を取られることを思って、彼女は愕然としていた。

 私と一緒にいられないことを思って、傷ついた顔をしている梨生が、どうしようもなく愛しかった。空に咲く花火を写して煌めくその悲しそうな瞳が、私にはたまらなく嬉しかった。


 目の前の男子は何かしゃべり続けていたけど、もうどうでもよかった。

 私は梨生のそばにいるよ、隣にいるよ、と今すぐ伝えたかった。


 けれど、梨生は即座に視線を外してそこから立ち去ってしまった。


「梨生……」


 口からこぼれ出た名前は、三発目の花火の音にかき消されてしまった。「え、なんて?」とタカイが私に聞き返した。それに構わず梨生を追いかけようと足を踏み出した私の腕を、彼は掴んだ。


「あの、返事――」

「いいから離して」

「え……」


 タカイの腕を振り切って、梨生のあとを追いかける。すれ違いざま、野次馬たちのうちの一人がタカイへ向け、大きく腕で丸を作って疑問を浮かべているのを見た。タカイがなんて答えたかはわからないけれど、そのあと私の背後でワッという歓声が上がっていた。



 私の足じゃやっぱり梨生に追いつけなくて、駐輪場に着いたときにはもう、彼女の自転車はなかった。


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