#45.【番外編】おうちへ帰ろう

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ご無沙汰しております…!

長らくお待たせしてしまったので、読者さんもお話の展開を忘れてしまっているかもしれないし、再開してすぐ完結なのもなんだか寂しいので、本来は考えていなかった今回のエピソードを番外編として挟むことにしました。


時系列としては少し遡って、40~41話のあいだの、

「やば、私たちってば両想い…ってやつ!? そわそわぬくぬく」

となっていたぽやぽや期のお話のつもりです。

以下、二人のことを思い出しながら読んでくだされば幸いです。

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 電車のドアが開ききるのを待つことすらもどかしくって、扉の隙間から体をねじ込むようにしてプラットフォームに着地した。意外な寒さが全身を襲うけど構わなかった。


『牛乳使い切っちゃったから、これから買おうと思うけど、ちーちゃん何時頃に帰ってくる? 時間合いそうだったら駅から一緒に帰ろ』


 そう梨生から連絡が来たのは夜の八時半過ぎ。まだまだ終わりの見えなかった残業もほっぽりだして、自宅の最寄駅に着いたのは九時過ぎ。小走りで改札を通り抜け、駅前の広場に佇む梨生を見つけたのが、今。

 彼女もこちらに気が付いて、片手をゆっくり振っている。にっこりしたくなるのを抑え、努めてしゃきしゃき歩いて彼女のもとへ向かう。


「ちーちゃん、おつかれさま」

「りおも、買い物ありがと」


 お互い朝食には牛乳が欠かせないから、常に切らさないようにしている。牛乳だけではなさそうな大きさの買い物袋の中身を覗いたら、いくつかの食料品と、


「あ、プリン!」

「うん。こないだちーちゃんが美味しいって言ってたやつ」

「やった」


 そのまま袋の持ち手を二人で片方ずつ握って、帰り道を歩き出す。駅から徒歩十分ほどの道のりは、いつもならただ家路を急ぐだけのつまらない通勤路だけど、今日は楽しい。旬の季節が過ぎても惰性で点けっぱなしの街のイルミネーションに、普段は内心「電気の無駄使い」と悪態をつきながら帰っているのに、隣に梨生がいるだけでそれは素敵な灯火になる。

 びゅうと吹いた夜風に、ぶるりと体を震わせる。時折吹きつける風が冷たい。二人のあいだの袋づたいに震えが伝わったようで、薄手のステンカラーコートを着た私を一瞥して梨生が眉を下げた。


「最近ちょっとあったかくなってきてたのにね」


 今朝は気温が高かったから、春らしい装いで出かけてしまった。


「油断した」

「マフラー使う?」


 首に巻いたマフラーへ手を伸ばした梨生を見ながら、ふと思いつく。


「――いい、こうする」


 梨生の右手から買い物袋を奪い取って自分の右手に持ち、空いた梨生の右手と私の左手を絡める。そして、その繋いだ手を彼女のコートのポケットの中へ突っ込んだ。


「……」


 そっと梨生を伺えば、マフラーに埋もれて、恥ずかしそうに笑う目元だけが見える。よかった。最近の私たちの“雰囲気”から、あまり勇気を要さずに出来た行動とはいえ、不安がないわけじゃない。

 ぽそりと彼女が言う。


「……重いんじゃない? スーパーの袋と、通勤鞄」

「ううん」


 毅然として私が応じると、梨生の大きな手、長い指がするりとポケットの内側で動いて、私の手はしっかりと包み込まれる。


「今日はちーちゃんの手、冷たくないね」


 別に普段から冷たいわけじゃない。緊張したら手が冷えやすいだけ。


「――りおのこと、待たせすぎちゃったかな」

「全然待ってないよ。さっきスーパー出てきたとこ」

「そっか」



 住宅街に差し掛かってからしばらくして、どこからともなく石鹸の香りが鼻をくすぐった。どこかのお宅で誰かが入浴しているらしい。今夜もきっと、梨生は私のためにお風呂を用意してくれているだろう。繋ぐ左手だけほわりと温かく、夜気に耐える胴体は実のところ縮こまっていたけど、もくもくとした湯煙や、たっぷりの熱い湯船を思い浮かべれば、体の芯もほどけていく。


「そういえば、今日スーパーから鍋コーナーが消えてたんだよね」


 ため息混じりに梨生が言った。頭の中でお風呂が鍋料理のイメージに差し替わって、でも相変わらず温かそうな湯気が立ち込めている。


「鍋料理の季節もそろそろ終わりか……」

「今年はあんまりちーちゃんと一緒にお鍋食べられなかったね」


 ホンダが大阪へ転勤になる前は、一人暮らしの梨生の家に三人でよく週末に集まった。冬のあいだは鍋料理が恒例だったのに、今年は忙しくて、鍋を梨生と共に囲むことがほとんどできなかった。ぱっといい考えが浮かぶ。


「明後日、予定してたミーティングが飛んで早く帰れそうだから、夜ご飯は鍋したい」


 でも、梨生はしかめた顔の前で左手を立てた。


「ごめん。明後日は会社の飲み会がある」

「あー……そんなこと言ってたね」


 私の体から力が抜ける。


「ごめんね、せっかく一緒にご飯できそうだったのに。明後日の夜ご飯、ちーちゃん用にちっちゃいお鍋用意しておく?」

「ううん。梨生と一緒に鍋したかっただけだから」


 ポケット内で、きゅ、と梨生の指に力がこもった。ぴたりと隙間なく合わさった指の付け根が甘く疼く。


「じゃあ、週末は? 仕事大丈夫そう?」

「日曜は、たぶん大丈夫」

「じゃあ、日曜の夜はお鍋にしよっか」

「うん」


 寄せ鍋か、水炊きか、それとも辛さ控えめのキムチ鍋にしようか、と彼女と話しているうち、あの頃もどんな鍋料理にするか三人でよく相談してたっけ、と思い出す。毎回ホンダが肉を買いすぎるから、余った肉を梨生の家の冷凍庫に入れて帰るのだけど、梨生がそれを使い切る前に私たちはまた鍋料理をしてホンダが肉を余らせるので、冬はいつも鍋の余り肉で冷凍庫がぱんぱんだった。


 私の梨生への気持ちをホンダにはっきり言ったことはない。それでも、彼女は私たちを長いあいだ見守って、繋ぎとめてくれた。いま、梨生の指と手のひらは私のそれを包んでいる。

 ここまで来られたのはホンダのおかげでもあるから、何かお礼でも贈ろうか。ホンダは食べ物がいいだろうな。



 ポケットの中で梨生の指先がなんだか落ち着かなくなって、ホンダへの贈り物から意識が戻った。隣の梨生を見やる。しぱしぱと目を瞬く彼女は何か言いたげで、でも口を開かない。そわ、と浮いた彼女の指先を自分の指先でそっと捕まえて握り直す。梨生は表情を和らげてつぶやく。


「昔もさ――ちーちゃん、不意打ちで手繋いできたことあったよね」

「え?」

「中学の、夏祭りのとき」

「……ああ」


 あの頃は、私の“真意”を悟られるのが怖くて、子どもっぽく手を取るのが精一杯だった。『友達』としての一線を守って、それでも触れたくてたまらなく、拒否される恐怖とのあいだで狂いそうだった。


 でも今は、伝われ、と思う。繋ぐ手から、梨生を見る私のまなざしから、梨生を呼ぶ私の声から、伝わってしまえ、と思う。

 一瞬だけ私と視線を合わせた梨生の瞳がちかりと煌めいて、すぐに逸らされた。彼女は先ほどよりも深くマフラーに顔をうずめているけれど、目尻に表れている照れくささは隠せていない。


 どうしようもなく幸せで、どうしようもなくにやけそうだったから、私は話題の転換を図る。


「皆どーしてるかな」


 ホンダ以外の地元の友人たちとは、もうほとんど会うことがない。


「わたしも最近連絡取ってないなあ。――あ、みきはね、元気にしてるみたいだよ。お姉ちゃんが出産のために実家にしばらくいたとき、みきもちょうどそうしてたらしくて、赤ちゃんの定期健診でたまに会ってたんだって」

「あのみきがママやってるんだもんね、変な感じ」


 梨生のお姉さん・果歩ちゃんの子どもには一度だけ会わせてもらった。ぷくぷくとして柔らかく、果歩ちゃんに似た目元が愛らしかった。


「みきもお姉ちゃんも、なんだかんだ言って幸せっぽい」


 リラックスしてるのか、梨生の手のひらの力が弱まる。それから、


「あの二人、理想とは全然違う人と結局くっついたーって意気投合したらしいよ」


そう言って、梨生はくすりと笑みをこぼした。

 ずっと想い続けてきた人と、私は今こうして手を繋いでいられる。これって、奇跡なのかもしれない。

 彼女の手を、ふわりと握り直す。同じように、優しく握り返される。喜びが、体じゅうを巡っていく。全身が、じんわりと温まっていく。


 嬉しさのあまり、私はなんだかスキップしたくなった。

 子どもの頃、私がスキップをすると梨生は声を上げて笑った。私のスキップはぎこちないらしい。悔しさも沸いたけど、からから笑う彼女の声を聴くと私の心は弾んで、ますますスキップしたくなった。


「どしたの」


 ふいに梨生から投げかけられた疑問へ「なに」と返せば、


「なんかちーちゃん、にやにやしてる」

「……なんか、スキップしたくなった」


 きょとんとしてから、案の定、彼女は破顔した。


「しなよ。久しぶりにちーちゃんのスキップ見たい」


 促すみたいに、繋いだ手がちょっと緩められた。


「やだ」


 ぎゅ、と私は左手を握りしめる。こそばゆそうに彼女は目を細めてから、


「――なんでよ」とつぶやいて握り返してくれる。


 ――もっと梨生と手を繋いでいたいから。


 素直に言おうかどうか迷って、でもそれはもう伝わってる気がして、代わりにふくれてみせた。


「どうせ私のスキップ見て笑うでしょ、梨生」

「笑わないよ、大人になったちーちゃんは、華麗にスキップするかもしれないし」


 左半身を梨生にぴったりと寄せてつぶやく。


「――もったいないから、しない」

「何それ」


 小さく笑って、梨生が言った。

 歩速を緩める。幸せな時間を、ゆっくり噛みしめる。



 そろそろ家に着く。どこからかカレーの匂いが漂ってきた。それを認識した途端、梨生も言葉にした。


「どこかのご家庭でカレー食べてるね」

「猛烈にカレー食べたくなった。我が家の今夜の夕食は?」

「残念、シチューだよ」

「惜しい、けど嬉しい」


 街の家々の窓から、無数の灯りが漏れている。知らない誰かが暮らしている灯火。私たちももうすぐ家へ帰って、あの光をひとつを増やす。


「……なんかさ、いいね。一緒に家帰るの。ちーちゃんと暮らしてるんだなあって実感する」

「うん……」


 ずっと、こうやって、おばあちゃんになっても梨生と隣を歩いて、同じ家に帰れるかな。

 夜空を見上げる。冴えざえとした光を放って、小さな星たちが浮かんでいる。自然と言葉がこぼれた。


「――幸せ」


 実感と共に胸の奥から吐いた熱い息は、意外とあまり白くならずに宙へ消えた。


「幸せだね」


 すぐ隣から、応える声がある。

 夜空から梨生へ目を移す。彼女もこちらを見てほんのり微笑んでいた。


 彼女のコートのポケットの中、私たちの手はぽかぽかと同じ温度になっていた。




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