3. 小学生はまじでevilな生き物


 新学期の学校が始まった。

 手を繋いで梨生と千結は学校まで歩く。初日だから本当は千結の母親もついてくる予定だったが、梨生の母が「うちの梨生に案内させるから」と丸め込んだため、梨生が職員室にも連れて行って先生と引き合わせた。

 出会った初日のときのようにすっかり縮こまって先生の前でうつむく千結に、「ちーちゃん、あとでね」と言って別れた。


 新しい上靴。新しい教室。嬉しいのと、ちょっと緊張する気持ちを感じながらガラリと扉を開けてクラスに入ると、友達のさやちゃんとクンちゃんが声をかけてきた。


「梨生ちゃん久しぶり! 春休みどうしてたの?」

「全然遊びに来ないんだもん! 梨生ちゃん死んじゃったかと思った!」


 にやりとして、「へっへっへ〜」と意味深に笑ってみせる。もったいぶって、まずは自分の机へランドセルを置きに行く。初日は五十音順で机が並んでいるはずなので、教室は変わっても自分の机の場所はだいたいわかっている。と、予想していたところからひとつずれていた。その机の右上に置かれた、"あわ田 千ゆ"と書かれたカードを見て納得する。


「これ、誰か知ってる?」


 得意げにその名札を指差してさやちゃんとクンちゃんの二人へ訊く。


「"あわたせんゆ"? こんな子いたっけ?」

「ちゆちゃんって言うんだよ」


 梨生がこれまた得意満面で言うやいなや、クンちゃんがにわかに目を煌めかせた。


「もしかして転校生っ?」

「うん。梨生んちのお隣に引っ越してきたんだよ。すっごく可愛い子なの!」


 "転校生"という心をざわめかせるキーワードに、クラスにいた他の子どもたちも集まってくる。無秩序の喧騒が高まっていくなか、前方の入り口から先生と千結が入ってきて、「転校生だ! アワタチユだ! アワタチュー! チュー!」と男子たちが騒ぎ立てるものだから、いっそう教室はうるさくなった。


 短い自己紹介を終えて、梨生の前の席へ着くよう指示された千結が教壇を下りて向かってきたので、梨生が「ちーちゃん」と言って手を小さく振れば、千結も「りお」と少し疲れた様子で手を振り返して静かに座った。

 梨生は机の上に乗り出して、千結の隣の席のアオキくんへ小声でしゃべりかける。


「アオキくん、ちーちゃんと仲良くしてね」


 アオキくんは一瞬だけ千結のほうへ顔を向けて、「んあ」とかなんとか曖昧に返事をした。


 以降、小学校は全ての学年において、梨生と千結の二人は同じクラスだった。



 長いまつげに囲まれた静かな瞳の、葉蔭の隙間からそっと覗くような千結のまなざしは、他人の庇護欲を掻き立てもしたし、また同時にくみし易い相手だと思わせた。

 けれどもその実、千結は、なかなかに強情なところのある子どもだった。嫌なことには頑として同意せず、納得しなければ口を引き結んで動くことがなかった。

 小学校低学年の悪ガキたちは、大人しそうな転校生に嬉々として意地悪な行為を仕掛けたが、梨生がぴったりと彼女の横に張り付いて悪行を蹴散らすのに加え、千結自身も、程度の低い行いには超然として応じず、泣かず、まるで彼らの存在がないかのごとく振る舞うので、悪ガキたちは間もなくすごすごと手を引いた。


 あまり感情を露わにしない千結が、梨生の隣では無防備にはにかみ、ときには声を上げて笑うので、男子たちは彼女の笑顔を見ようと大げさにおどけ、あるいは下品な言葉を口にしたが、悲しいかな、千結は興味のないことに対しては徹底的に無視を貫いた。

 千結よりは社会性があり、慈悲も持ち合わせ、また下劣な冗談も嫌いではなかった梨生は、ときどき男子たちの悪ふざけに笑いを漏らしたけれど、あまりに彼らが騒がしくなると、決まって千結が「りお、行こ」と手を引っ張って行ってしまうのだった。


 女子たちは――特に"可愛い"ものに目がないマセた女子たちは、お姫様みたいな見た目の千結をおおいにちやほやした。質問を浴びせ、友情の証だとしてキラキラ、ヒラヒラした何かを次々に分け与え、些細なことを「秘密だよ」と言って囁いた。

 何重もの女子の輪に囲まれた千結を、新しい友達が出来るのはいいことだ、と静かに遠くから見守っていた梨生だったが、隣に千結がいないと、すーすーとして心許ない。出会って二週間足らずにも関わらず、すでに梨生にとっては隣に千結が収まっていることが当たり前の感覚になっていた。

 そんな心許なさを知ってか知らずか、女子包囲網に捕まるたび、まもなく千結はするりとそれを抜け出し、梨生の隣へ帰ってきてそっと手を握った。可愛いもの好きの女子たちも次第に、何を貰っても、秘密を共有しても、ひたすらに無感動を保つ千結に飽きてしまった。


 そんな唯我独尊を突き通した千結でも、梨生がいればこそ、新しい学校にも馴染めた。

 梨生はよく動き回る活発な子だが、他の子どもたちとの関係性においてはそれなりに気を配るほうだった。揉めごとや不穏な空気が苦手だったので、そうなりそうなときには積極的にピエロの役回りも演じたし、他人の意見に合わせることは苦でもなんでもなかった。

 だからこそ千結の我を曲げない態度にはヒヤヒヤしたし、彼女と周りに軋轢が生じそうな場面では間に入って何度苦労したか知れない。だが、自分の意見をすぐに手放してしまいがちな梨生にとっては、周りがどうあろうと我流を貫く千結を格好いいと思った。


 大人しいけれど一筋縄ではいかない子、という千結の評価が子どもたちの間で浸透した頃、流行った遊びがあった。この春赴任したばかりの教頭先生は、痩せぎすで髪の薄い、怒りっぽい男性で、行儀が悪いか、規律を守らない生徒を見つけると、決まってカンカンになって叱りつけた。こぼれんばかりの目玉と、何重にも深く寄ったおでこの皺、顔の外にまで吊り上がりかけた眉毛、目にも匹敵するほど大きく丸く膨らんだ鼻の穴、タコよりもタコらしく突き出された唇、という強烈な怒り顔は、小学生のおもしろ琴線をビンビンとかき鳴らし、教頭先生の顔真似は全校生徒の一大ブームになってしまった。

 わざと彼の逆鱗に触れるような悪ふざけをして、怒り心頭に発した彼が顔全体で憤怒を表すと、一斉に子どもたちは彼を真似た。その行いにますます顔を歪め声を張り上げる教頭先生の様子に、子どもたちは手を叩いて喜び、喝采し、囃し立て、より一層顔真似に励んだ。仲裁に入った他の先生が、教頭先生を中心にして同じような興奮顔がいくつも並んだ光景を見て噴き出してしまったのも、一度や二度ではなかった。


 梨生のクラスにも当然この流行の波は来ていて、誰もが教頭の顔面模写を見せ合った。意外なことには、千結もこれに挑戦し、そしてあろうことか、その出来は傑出していた。あの可愛らしい顔面が自在に歪むと、その顔つきに皆が教頭先生の影を見た。教室は爆笑の渦に包まれ、カヨちゃんなんかは笑いすぎてチビりさえした。

 大人しい子、と見られていた千結は、一切の躊躇ない教頭先生の憑依芸によって、男子女子問わず、ある一定の尊敬を集めたのだ。梨生はますます千結のことを自慢に思った。

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