#38. 銀幕の光浴び願うのあの子、繋ぐの心


「観たい映画があるから、よかったら一緒に行かない?」と誘われて、週末、梨生と映画館へ来ていた。

 せっかく梨生が声をかけてくれたのだからと思っても、灯りが落ちた暗い空間でふかふかの椅子に深く腰掛けていると、残業続きの頭の芯から眠気が襲ってくる。

 映画のストーリーを追うことはもはや諦めて、眠りの沼にひきずられそうになるのをただなんとか耐えていたとき、隣の梨生がふと振り向く気配がした。視線が合う。私、眠気に抗って今やばい顔をしてたかもしれない、とたちまち覚醒した。

 梨生はいちど微笑み、こちらへ身を寄せると耳元で囁く。ふっとお日様の香りが届いた。


「寝ていいよ、疲れてるんでしょ」

「うん……肩、貸して」


 問答無用で頭を彼女の肩の上へ預けて目をつむった。一瞬その肩に力が入って、意志で制御されたみたいにゆるゆると力みが抜けていったのを感じ取る。

 少し前の梨生だったなら、肩が力むこともなく何でもないことのように受け入れられてたんじゃないかと推測する。


 ――この頃少し、もしかすると、梨生は私のことを意識してるのかもしれない、と感じることがある。

 彼女が言葉を選ぶときのほんのちょっとした間合いや、こちらの真意を測るように慎重に向けられる視線、これまでだったら無造作に近づけていた体をわずかにぎこちなく遠ざける瞬間などに、私の期待はじりじりと高まった。


 私の気持ちは、ちゃんと伝わってるんだろうか。

 わからない、けれど……拒絶されてるとは――感じない。今のところ。


 率直に、今すぐ自分の想いを打ち明けてしまいたい。でも、そうするにはあまりにも長くこの気持ちを育てすぎた。もし、この抱えきれないほどの気持ちを洗いざらい伝えて梨生に拒否されたら、私は二度と立ち上がれない。


 ……だけど、もしかしたら。梨生は受け容れてくれるかもしれない。単なる親友以上の関係に、私たちはなれるかもしれない。

 そう考えると、自然と胸が高鳴っていった。眠気はどこかへ飛び去っていた。それでも、こうして触れられる好機を逃すのはもったいないから、狸寝入りを決めてそのまま彼女の肩に頭を載せていた。

 こっそりとまぶたを開け、スクリーンの光を浴びている梨生の横顔を、息をひそめて見つめる。

 たいてい朗らかな光を煌めかせている瞳は、映画の銀幕へ生真面目な色を向けている。瞬きするたびに長いまつ毛が大きく羽ばたき、すっきりとした鼻梁は飛び立つ寸前の鳥の背筋を思わせた。私の胸のなかを心地よい風が吹き渡る。

 いつも無邪気に大きく広がる口は、今、お行儀よく閉じられている。くっきりとした耳の溝が完璧な曲線を描いて、薄い耳たぶに続く。

 綺麗じゃないと本人は謙遜するけれど、そんなに手をかけずとも十分に柔らかい髪がその肩にかかって、すぐ目の前にある。ばれないように息を深く吸ってみる。今や嗅ぎ慣れたシャンプーの香りがする。

 髪に触りたいな、と思う。

 お腹の奥がぽかぽかと温まる。


 それから、好きだ、と思う。

 そのときちょうど、映画の登場人物が、"I love you."と囁いた。


 ……そう。私ね、"I love you"なんだよ、梨生。


 劇場の空気を震わせて映画の人物が同じ言葉をもう一度繰り返す。その声に重ね、彼女を見上げながら祈るように「I love you.」と胸の裡でつぶやく。

 するとふいに梨生がこっちへ振り向いて、ばっちり目が合った。


「――」


 声には出さなかったはずなのに、まるで私の愛の告白を聞き届けたみたいに彼女は口を引き結んで真剣な瞳をこちらへ向けていた。

 今なら、伝えられる気がする。

 頭をゆっくり起こし、三度目、今度は彼女の目をまっすぐ見返しながら言葉を口にしようとして――

 その瞬間、劇場中を爆発音が揺るがし、二人揃って大袈裟なほどにびくっと肩を縮こまらせた。思わず目を向けたスクリーンの中では派手な爆発が起きていた。再び梨生に視線を戻すと、彼女も動きをシンクロさせていて、目を丸くしたまま顔を見合わせた。

 どちらからともなく噴き出し、声を殺して笑った。

 うるさくして他の観客の迷惑にならないよう、体を寄せ合って肩を震わせていたら、いつの間にか梨生と手を取り合っていた。それに気付いてすぐに私の笑いの波は引いていったけれど、もたれ合ってくすくす温かい息を分け合うのが嬉しかったから、しばらくわざと笑うのをやめなかった。どうか、笑い終わってもこの片手が解かれませんように、と願いながら。


 彼女の笑いの発作が鎮まっていくのに合わせて体を起こし、スクリーンへ顔を向けた。映画の鑑賞へ戻ったふりをしたけど、内容なんてどうでもよかった。繋いだ手が解かれないか、それだけに意識が向いた。

 ――ゆるく絡んだままの片手は、私たちのあいだの肘掛の上に収まった。いつ解かれてもその指を追いかけてしまわないようにできるだけ力を抜いた右手は、梨生の左手と繋がったままだ。


 信じられないような幸福感が、右半身から拡がっていく。

 そのとき、あまりに右手へ神経を尖らせすぎて、私の指は意思に反してピクリと動いてしまった。できるだけこの右手の存在感を消していたかったのに。変に存在を主張して、梨生が気まずさから手を振りほどいてしまうのは嫌だった。

 でも。

 絡め合った梨生の手は、そっと握り返すみたいに甘くその指に力を込めた。


 ……嬉しい。嬉しい。


 せめてこの暗い空間で虚構の物語が大写しになっている間だけは、この縮まった距離がほどけないよう、私も少し、指先に想いを捧げた。

 相変わらず銃撃と爆発の音が騒がしいスクリーンに顔を向けていたけれど、映画の話運びとは無関係に、胸の鼓動は速度を増していった。



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