第48話 強化人間

 隔離されたホールに立つ高橋は巨大に見えた。ルシエルタ-ミーは、つま先立ちで上下に蹴りを入れる。 かかと落としから背面蹴り。


 深追いはせず、常にヒットアンドアウェイで間合いをとる。彼はダメージをものともせずジリジリと前進する。


 高橋はこの状況を大いに楽しんでいた。一方的な不意打ちは格闘家として好まざる行為だった。これは決して意義のない戦いではない。


 しなやかに身を翻す少女型アンドロイドは、見たこともない格闘術を使う。


 予想外だったが、フェアな武術での決闘であれば、勝利こそが正義だと自分に言い聞かせることができる。


「初めて見る、おもしろい動きだ。どこで格闘技を学んだ?」


『……通信教育です』


「そういう、面白いじゃねぇ!」


 冗談にしか聞こえないがルシエルは真面目に応えている。ネトゲのオリジナリティある体術を実際にやるには、かなりの調整が必要である。


 水車のように回りながら、くりだす蹴り技。もしも、普通に受け止められれば顔面から地面に落ちて自爆する荒業である。


 両手を地面に付けて撃ち込む蹴り技。見た目ほどの威力はないのに、わざわざ逆立ちしながらキックするという羞恥心丸出しの決め技。


 はっきり言って真っ直ぐパンチしたほうが何倍も威力はあるだろう。美脚を披露するだけのスポーツか、ダンスに見える。


 しかし、ルシエルがルシエルである為には、この無駄な蹴り技を披露しなければ、何の意味もないのだ。それを否定してしまえば、自分の個性キャラが無くなってしまう。


「貴様……派手な動きの割には、まったく威力がない。武道を馬鹿にしているのか!」


『いいえ、非効率的な動きなのは知っておりますが、馬鹿にするつもりはありません』


「愚かなやつだ。所詮はプログラムされたことしか出来ない機械か」


 ガクン……。

 

「……!!」


 高橋の顎に、ルシエルの爪先が微かに当たっていた。視界がぶれたところへ、懐から突き上げられる肘鉄。精密な動きと素早い情報処理能力による的確な打撃。


 ルシエルの力量をはかりながら、警戒を緩めることはない。致命傷にならない攻防が続いていた。

 

「フッ、やるな。迷いがないだけ、下手な武術家より能力はあるようだ。無駄な踊りも、主導権を握るという面では効果的だな。ただの機械と言ったのは訂正しよう」


『ただの機械ではありません』


「なんだと?」


『私も、はじめはプログラムされたことしか出来ない機械だと思っていました。でも……』


 ルシエルは何か話そうとして口を閉じた。その光景はまるで人間だった。俺はルシエルに感情が芽生えていると実感した。


 西野先輩は清田に声をかけ、監視カメラを排除していた。監禁されたホールを監視出来なくしてしまえば、少なくとも時間は稼げる。


 俺たちはコンシェルジュ型から拾い集めた部品を投げ、壁から飛び出している丸いカメラを破壊した。


 そして、何とかルシエルが持ちこたえている間に最後のカメラを落とすことが出来た。


 悔しいが清田の投球は、速さも精密さも予想をはるかに越えていた。ラストの一球は、先輩の方を向いてキラッと歯を見せながらの余裕のピッチングだった。


「やったわ!」


 俺は、唯一残された高橋を説得しようと思った。今のルシエルの力では、目の前の男には勝てないだろう。それしか方法はなかった。


「高橋さん! モニターはすべて破壊されました。このホールを監視している者はいません。もう、戦う必要なんかないです」


「……だから、どうした?」


 高橋はルシエルとの距離をつめ、激突した。その体当たりにルシエルの首がガクンと揺れた。更に浮いたボディにパンチが入る。


 すさまじい速さで、続けざまに二段三段と追い込みのパンチがルシエルを襲う。ガードした腕が、砕け散る。


 軽量プラスチックにメディカルファンデーションをコーティングしただけのルシエルのボディは高橋の攻撃に耐えられなかった。


「やめて、高橋さん。あなたは母と心を通わせていたはずよ!」


 西野先輩の聖女っぷりに、高橋は少なからず揺れ動いたように見えた。彼女の目には涙がたまっていた。


「ふん、俺の体はな……」


 昨日までの真面目で気の弱そうな男ではなかった。血管が浮き出し、目は血走っている。狂ったような笑みが浮かんでいる。


「半分は機械だ。だから……俺は機械でも人間でもない。心を通わせるなんて無理なんだ。感情がなくなっていくんだ」


 強化人間サイボーグ。俺たちは立ち止まって聞くしかなかった。ルシエルが敵わない相手に、たった三人の高校生が出来ることは何もない。誰もがそう、思いかけていた。


 兄貴たちは格闘中だという。ルシエルも闘っている。清田と西野先輩だって、出来るだけのことをやろうと必死に頑張っている。


「もう、ガキと遊んでやることも飯を食わせてやることも、出来ない。優しくしてやることも……」


「違う!」俺は叫んだ。そして自分に出来る最後の手段にかけた。高橋の残された僅かな人間性に、賭けた。


「あんたは人間だ。まだ感情だってある。これを見ろ! ルシエル、河本ターミーに変装」


 ルシエルの顔がスリーディー変装により、河本のに変わっていく。タクティカルベストの下にあるレオタードが膨れ上がり、見るも無惨な三段腹が現れる。股間の部分はモザイク無しには見れない状態だった。


「げぷぉ」


 更に河本タ-ミーの口からは、茶色い液体が噴き出していた。その液体には黒い粒が幾つも混じっており、爬虫類の卵を連想させた。


「うががああっ、きっ、気持ち悪い! なんだ、それ? 何なんだ、それ!」


 高橋は胃のあたりと口を抑えて後退った。この不気味な変装は彼にとって、一番のトラウマなのだ。


 単純なビジュアルの気持ち悪さだけでなく、自分が変わりはてた過去や人生をも、彷彿とさせる何かがあったのだ。


『……内臓は弱いんですね』


 河本タ-ミーは、ねっとりした粒を口内に残し、ゆらゆらと歩いてくる。


『高橋さん。気色悪いっていうのは人間の証拠です。感情があるとことは素晴らしいことです。とても羨ましいです』


「わ、わかった、くるな。待て、待て」


 ルシエルから何発も麻酔弾が撃ち込まれていく。高橋は固まったまま腹をかかえ、動けないようだった。


 一ダースの麻酔弾が身体中に刺さってから、やっと高橋は意識を失い、しなだれるように倒れた。


「それは……タピオカミルクティーか。もう、ルシエルタ-ミーに戻ってくれ」


『いいえ、崇士様。これは元タピオカミルクティーです。やはり、わたしは苦手です』


「今度から粒抜きにしてもらうといい」


『それより……大変です。篤士様の生命維持装置が異常を知らせています』


「時間はない。まず、西野先輩はルシエルに服を渡してくれ。ルシエルは先輩に変装して待機。清田は俺と、気絶してる小倉さんたちをホールの奥へ移すのを手伝ってくれ」


「………」


 先輩と清田、ルシエルは俺を見た。これからどうなるか聞きたいという顔で。俺が指示を出すことに異論もあるのだろう。


「替えのシャツでいいわね」


 西野先輩は、ガバッと上着を脱ぎブラウスのボタンを外しながらくるりと回った。素早く流れるような仕草でスカートのファスナーを下げる。


「ほら、ぼーっとしてる暇は無いんでしょ?」


「あ、ああ。急ごう」


 前触れもなく、白い肌に下着だけの先輩の姿が見えた。すぐに俺は顔を背けたように動いたが、僅かな瞬間、ほんの一秒かその半分の時間で全てを記憶していた。


 纏めた髪からうなじへのライン、そこに光ったのはパールのネックレスだった。丸みのある肩、鎖骨から胸にいく溢れそうな膨らみ。


 白いブラジャーの両端にレースが施されていた。ただの刺繍ではなく蝶々の形を模していた。エレガントと可愛らしさが共存した下着に包まれた胸には、一本の谷間が見えた。


 河本が太り過ぎて、谷間が出来そうだと嘆いていたのを思いだした。さと兄はボールペンを挟んでみようと言ったが俺は見ないようにした。本当に見なくて良かった。


 高い位置のウエストは完璧だった。丸い骨盤から太ももが長く伸びていた。柔らかそうな太ももは、すねの部分より長かった。


 ヒップラインは……(以下略)。


「おい。ぼーっとしてる暇は無いんだろ?」


 清田が俺の肩を叩いて、我にかえった。僅かに二秒ほどの時間の出来事のはずだ。一話分の三千文字は十分いけると思った。だが、流石にそれは出来なかった。

    

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