第33話 異母兄弟
崇士が西野晴香と待ち合わせたのは見晴らしのいい河川敷の運動公園だった。
社会人のチームが試合をしているのを芝生に座ったまま見下ろすことができた。
楽しそうに体を動かしている選手を見るのはいい気分だ。自分がやっていたころは、負けることが怖くてストレスでしかなかったが。
実際は引き分けに持ち込めただけで、いい気分だった。勝ちたい気持ちより、負けたくない気持ちが強かったんだと思う。
炭酸入りのペットボトルと微糖紅茶を見せながら彼女は現れた。
「どっち飲む?」
「炭酸いただきます」
ぷしゅゎと音をたててボトルを開けると、中身が一気に吹き出し、崇士は慌てて泡をすすった。
「げふっ、ぶわふっ」
「あっははは! むせた? あははは!」
崇士は口を拭きながら彼女の笑った顔を覗き見た。炭酸を選ばせるギャンブルだろうが、ちょっとしたことにゲーム性を持たせ、大きな口を開けて笑うあたり――魅了される。
深いキャップとグレーのパーカーといった男らしい姿で変装しているうえ、久しぶりの再会である。
まず、会って数秒で赤面してしまう自分に驚かされる。この人はどれだけチャームポイントを持っているのか?
ポイントが貯まりすぎて失効しないか不安になるほどだ。
「野球見てたのね。あの人、速い球投げるね」
「……そうですね」
「坂本先輩より速いかな」
西野さんがバッテリーを組んでいた投手だ。
「速いピッチャーなんて、どこにでもいますよ。小学生時代に的を絞らせないリードしてた西野さんのほうが、よっぽどすごいなって思います」
「前はそんなこと言ってくれなかったじゃん」
「いま思うと……ってやつです。俺が捕手をやって、打たれまくりの負けまくりで身を持って分かったんです」
彼女は、崇士の肩をポンと叩いた。
「キミが責任感じてたとは知らなかった。わたしが、もっと手取り足取り教えてあげれば良かったよね。ごめんよ」
「本当ですよ。おかげで、ただでさえ優秀な兄貴たちにびびって生きてた俺は、
「それは、病院行きなさいよ……っぷぷ。あはははは」
天然パーマの中年が打ち上げたボールが真っ直ぐ内野の頭に落ちていく。落ち着いてさえいればエラーのしようがない軌道だ。
こういう瞬間を見るだけで息が苦しくなる。ミスったらダサいとか、寒いやつと思われたくないとか、くだらないプライドとか。一体自分は何を恐れているのだろう。
内野の中年は難なくフライをキャッチして、送球した。自分は兄貴達に比べたら面倒臭い人間じゃないと思いたい。
でも、シンプルに傲慢で自分特有のエゴイズムを持って生きてる兄貴達のほうが、正しいのかもしれない。
そもそも連中がチームワークのいるスポーツをやってる姿は想像つかないけど。
「清田晃との練習試合、負けてすみませんでした。俺のリードじゃ勝負にならなかった」
「あの子に勝ちたいから野球やってたわけじゃないよ。やな奴だけど」
「やな奴です」
西野晴香と腹違いの弟、清田晃は父親から直接コーチを受けていた。母親を捨てた男に育てられた息子は、父親とそっくりの性格だった。
『おまえの軽食屋って、うちの庭より狭いな』
やつのいるチームと練習試合が組まれたのは、西野さんがリトルリーグを辞めてからすぐだった。
ワガママな清田が、監督に頼んで組ませた試合だ。あいつは、自分の実力を西野さんに見せつけたかったのかもしれない。血の繋がりのある年上の少女に自分をアピールしたかったのかも。
『父さんに聞いたんだけどさ。西野は父親だと思ってないらしいけど、知らないわけじゃないんだろって。そしたら、何て言ったと思う? 俺も知らないわけじゃないが、娘だと認めたことはないってさ。あっははは』
やつは比較してはいけないものを比較し、言ってはいけないことを言い、触れてはいけないものに触れた。
『やっぱさ、完璧なヒーローなんていないよな。父さんだって離婚は自分の汚点だって言ってたからさ。ところで汚点の存在価値って何なの?』
試合はさんざんな結果だった。
元プロ野球選手の息子、清田晃の実力は伊達ではなかった。十八対ゼロのまま最終回を迎えたとき、やつが西野さんの髪を掴んだ。
味方ベンチで応援していた彼女が帰ろうと敵側のベンチを通ろうとしたのがマズかった。
『何なの? 最後まで見ていかないとダメじゃん。勝手に帰るとか、そんな権利ないから』
そのとき、坂本先輩がマウンドからやめろとか何か言いながら清田に向かって走っていった。試合は中断してそのまま揉みくちゃ、我がチームの負けで終わった。
『父さんにさ、頼んでやろうか? マジで。うちの家政婦になれよ』
ガキっていうのは残酷な生き物だ。
髪の毛を引っ張られ尻餅をついた西野さんを見て、誰もが清田を殴り殺してやろうと思った。
だが止めたのは本人の西野さんだった。目に涙をいっぱい溜めたまま、無理やり作った笑顔でみんなにこう言った。
『彼が間違ってたら殴っていいの? 彼が悪いことをしたら、いじめていいの? それじゃ、彼のやってることと一緒じゃない。そんなの駄目だよ。それに、私そんな弱虫じゃないよ。みんな、ずっと一緒に野球してきたんだから知ってるでしょ』
一番傷つけられたのは彼女だったのに。その言葉は誰も傷ついて欲しくないという願いの言葉だった。
世界の平和と人類の存続を願う天使の祈りに聞こえた。オーバーだとか、信じられないというなら、セラピーを受けた方がいい。
過去によっぽど裏切られた経験があるなら、無理に信じろなんて言えないから。ただ――これを聞いた俺達の何人が彼女のことを好きになっただろう。
思い出した、全員だ。
俺達は清田の挑発的な罵声を無視して、解散した。今度はただじゃおかない。倍にして返すと誓いあって。
「あんなことがあっても、この町で頑張ってきたじゃないですか。脅迫文の犯人なんかに負けて欲しくない」
「うん。私だって本当は転校なんかしたくない。私、いらない子だって思われたくないって思ってたの。だから誰にでも必要とされるように頑張ろうってしてただけなんだよ」
結局は、彼女も普通の人間だという事実。信頼できる人間だからといって、幾らでも期待出来る人間だと考えるのは、ただの押し付けに他ならない。
「訂正します。頑張る必要ないですよ、先輩は。見れば分かるだろうけど、兄貴や河本は校内でも孤立した立場にいるから大丈夫。ちからになれると思います」
「見れば分かるって……確かにそうね。あははは」
「ストーカーに心当たりないんですか?」
「分からない。適当なこと言えないし」
彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべ、指先でその頬を掻いた。
「俺は他言しませんし、孤立組は他言する相手もいません」
「交際をお断りした男性は全員候補者になっちゃうかしら。あなたは入らないけど」
「……俺は告白してませんから」
芝生に座ったまま前屈した彼女は、柔らかい体をぐっと前に倒した。すると潤んだ瞳で崇士を見上げる。
「なんで?」
「なんでって……なんで告白してこないのって意味ですか? そういう事言うから誤解されてストーカーされるんですよ。とにかく可能性を潰していきたいから思い当たる人を教えてください」
「……うん。よろしい! やっぱりキミは一番に信用出来る後輩だわ」
「試したんですかっ」
「んふふっ」
その後ふたりは『西の風』に来て河本と合流し今に至る。途中、暇潰しにボードゲームをやったりしながら。
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