第39話 ファミリー

 森には小さなチャペルがあった。白塗りの家具に緑の草が絡みついて、テーブルには花が飾ってある。赤い絨毯の先には大きな十字架があって、タキシードを着た自分とウェディングドレスを着た花嫁が立っている。

 

 

『桐畑崇士、あなたは西野晴香を妻として迎えますか? 病める時も健やかなる時も、富めるときも貧しき時も、ともに愛を誓い慈しみ合うことを誓いますか?』


「はい、誓います」


『西野晴香、あなたは新郎に愛を誓いますか。死が二人を別つまで、どんな素晴らしい男性が貴女の前に現れても貞操を守れますか』


「はい、守ります」


 牧師が小さな座布団を差し出すと綺麗な指輪が、乗っている。座布団を引っ込めて牧師が言った。


「本当に? 崇士はチビだし偏差値は六十ないんだぞ。なんで桐畑家の兄貴ふたりが野球やっていないか知りたいか?」 


「………い、いえ」


 牧師は被り気味に会話を続けた。捲し立てるように。


「勿論、野球の才能もあったが、サッカーも水泳も音楽も語学もプログラミングもエネルギー工学もバイオテクノロジーも、果てしなく才能もあったからだ。桐畑家の教育方針からして、親父とお袋がどの才能の芽を先に摘んだか分かるよな」


「………や、やめろよ篤兄」


「俺に他に才能がなければ野球がたっぷりできて、清田のガキをぶっ飛ばしてやれたのに。お前は好きな野球ですら、続かないで辞めたんだろ? それで彼女と結婚出来るなんて本気で考えてるわけないよな」


 指輪を奪い取ろうとする自分の手を見て、驚いた。真っ赤なボクシンググローブを付けており、指輪が掴めない。


 長男は両手を交差させながら、テンポよく後ろに跳び跳ねた。


「レディ! ファイッ!」


「やめてくれ、篤兄。牧師の免許なんか持ってないだろ! 消えろよ」


「残念だな、牧師の資格なら五歳で取った。悟士がまだオッパイ飲んでてお前が寝小便してた年齢にな。これはおもしろい牧師だと思ったらボクシングだったっていうオチだ」


 篤兄の後ろからパンツ一枚でロッキーの格好をした悟兄が立っている。いつかの喧嘩で血まみれになった顔、胸板の筋肉がてかてかしている。マウスピースをブッと吹き出し、叫んだ。


「エイドリアーン! もとい、ハルカアーーーンッ! 晴香は俺のものだ。ルシエル、崇士に麻酔弾を撃ち込んでやれ。いや、骨格筋弛緩剤で身動きを取れなくするだけでいい」


《パンクロニウムには鎮静効果、鎮痛効果はございませんが》


「構うもんか、どうせこれは愚弟の夢だ」


「両腕、両足と胸を革のベルトでその寝台に固定しろ」


 ――やめろ、 やめてくれ! 頼むからやめてくれ。なんで西野先輩まで手伝ってるんだ。ちょっと待って。変なところ触るんじゃない。やめろ触るな。


「崇士くんっ! 崇士くんっ!!」 


「はっ……」


「うなされてたみたいだけど大丈夫? 誓いますとか言ってたよ」


「に、西野先輩っ! 大丈夫ですか」


「えっ? 貴方が大丈夫か聞いてるんだけど」


「大丈夫です。エグみの効いた怖い夢を見ていただけです」


 ソファーで仮眠するつもりが、少しの間本気で寝てしまった。情緒はめちゃくちゃな状態だが頭はスッキリしている。何を見せられていたんだろうかと自問するのは後だ。


 西の風にある古時計は深夜の二時半を指している。


「兄貴達、結局戻らなかったですね」


「うん、どうしよう。さすがに追ったほうがいいかしら」


「いや、そっちの問題は兄貴達に任せようかと。ルシエルから連絡がない限り安心していいはずですから……って、そいつら誰ですかっ!」


 ガタガタッ……。


 喫茶店のテーブル席には、四人の男が陣取って座っている。一人は眠ったようにぐったりとうなだれているが、知っている顔。


 清田晃。西野先輩の異母兄弟である。荒縄で縛られ、さるぐつわをされている人間を見たのは初めてだった。


 相手がコイツでなければ、学芸会の出し物にしか見えないだろう。他の三人が、清田を囲むように座っている。


 一番小柄でイケメン風な男が小さく手を上げた。見た目よりずっと低い声がした。


「はじめまして。いま晴香さんにも説明したんだけど、俺達は怪しいもんじゃないです」


 俺は頭を動かさないで彼女を見た。寝起きで頭が混乱しているとはいえ、彼女の安全は俺にかかっている。


「うん。母さんに電話して聞いたから心配しないで大丈夫。いい人達みたい」


 この三人は、元々『西の風』の客として知りあったメンバーだそうだ。彼女の母親、典子さんがよく話相手になってくれたおかげで仲良くなったらしい。


 娘がストーカーにあって、店を移るかもしれないと聞いて、協力せずにはいられなかったそうだ。


「それで、この近所を彷徨いていたストーカーを取っ捕まえてきたというわけです」


 刈り上げた頭をした体格のいい男は誰だったかと思った。血色の悪い肌に驚くほど太い腕、太い首。


「昨日も典子さんには、飯おごって貰っちゃって。俺、今無職だから。賄いのオクラスパゲティー、美味かったなぁ」


「ここのパスタは美味いんだよ」影の薄い痩せたメガネの男が頷いて言う。


「ワタクシも料理学校通っている身ですが、ここの料理には敵いません。典子さんにレシピ教えてもらいまして、目下訓練中であります」


「みんな典子さんには世話になってるんです」


 小柄なイケメンは名刺を出した。小柄の名前は小倉だった。


「はじめに言っておきますが……オレ、逮捕歴があって。もう何処も雇ってもらえないと思ってたんだけど、典子さんがこの自動車整備会社を紹介してくれて」


「そうそう、だから彼のあだ名はルパンって……勿論、反省はしてますよ、彼は」


 イケメンはメガネの肩を叩いて笑った。くだらない、本当にくだらないあだ名だと思った。


「お前はパスタだから五右衛門だろ」


 痩せた男は眼鏡をはずして大きな鼻柱を親指と人差し指でさすった。


「やれやれって感じですが、ワタクシの本名は工藤です」


 西野さんは俺の瞳の中をじっと覗き込んだ。俺は肩をすくめて、昔はこれほどくだらないジョークでも大笑いしてたのに……と言った。


 低レベルな会話で笑うことに慣れていなかった。彼女と練習してくれば良かった、そうすれば人生はもっと華やかで明るかったのにと思った。


 彼女も同じようなことを考えていたのかもしれない。俺の萎えた気持ちを察したように、パッと立ち上がると、メガネに詰め寄った。


「待ってください! 当てさせて。じゃ彼はもしかして……次元さん?」


「いえ、俺はジャイアン」


「アハハハッ! なんでガキ大将なんですか」

「あはははははっ、崇士くん笑いすぎ」 

 

 ――そうだ、笑えばすむことだ。一度笑ってしまうと、何が可笑しいのかは分からないが、分からないことが可笑しくなるのだ。そんな単純なことを教えてくれながら彼女は、更に続けて言った。


「ルシエルさんの画像に映ってた三人組がみなさんだったんですね」


「そうみたいです。誤解が溶けて良かった」


 なるほど、どこかで見たはずだ。三人とも、昼間の不可解な出来事を理解したようで胸を撫で下ろしているようだった。ジャイアンの本名は高橋といった。


 俺にも何となく、彼らが典子さんに相談する気持ちが分かる気がした。窃盗で逮捕歴のある人間にルパンとあだ名をつけるあたり、典子さんの人柄が感じられる。


 本人にとって、どうにもならない大変な悩みが、小さな悩みではないかと感じられる。


 西野先輩にも繋がる深い優しさが隠れている気がした。ここでは、自分を偽る必要もない。


「さて、問題はこの清田晃って野郎をどうしたらいいかだね」ルパン小倉が言う。「警察に突き出すかい?」


「――何か言いたそうだけど」


 崇士が猿ぐつわを外したとたん、清田は噛みつきそうなほどの勢いで喋り出した。


「バカ野郎、俺はストーカーじゃない! 典子さんとも知り合いだ」


「なんだって?」


「ここにも、よく来て相談に乗って貰ってる。今日来てたのだって、あんたらと同じ理由だ」


「調子を合わせてるだけだろ。何を相談するんだよ、何不自由ない生活してるくせに」


 清田は深刻そうな顔をした。向けられる視線を感じて、自分が疑われて当然の人間だと気付いたようだ。


「腰、やっちまって……坐骨神経痛。もう野球出来なくなるかもしれないから。腰に爆弾かかえてるから、あだ名は次元。時限爆弾」


「アハハハハ! ファミリー揃った!!」

「あはははっ! ルパンファミリー!!」


 西野先輩は腹をよじって笑いころげ、ソファーに崩れ落ちた。俺は自然に笑っていた。彼女といたら、何で笑っても許される気がした。


 彼女の笑い声、しぐさを見て自然になれた気がした。くだらないことは山ほどあるけど、笑えばいいんだ。そう感じたんだ。


「……いや、笑い事じゃないんだけど」


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