第7話 箱根湯本
五年前にこんな事件があった。
宅配用に開発されたドローンが、風に舞ったビニール袋を羽に巻き込み、墜落した。通りかかった巡査が中身を確認すると、少量のドラッグが見つかった。
すぐにドローンを所有する、運送関係の会社に警察の手がまわったが、ドラッグは見つからない。送り先の個人宅にも、ドラッグを買おうとしたという証拠は何もでない。
風に舞っていたビニールの方に、ドラッグが入っていたのではないか……という結論しかでなかった。ディズニーランドのペアチケットより高額なドラッグを、風に飛ばされた間抜けなジャンキーが、ほんとうに沼津の田舎道にいたのだろうか。
この不思議な事件は、麻薬捜査班の中で、今も語り草になっている。
桐畑家でビニール袋に入れられた木製のバットと、たばこの吸い殻。これが誰の持ちモノか特定されるまで、半日もかからなかった。
逮捕歴のある男、中田雅彦、十六歳。
麻薬取締班のベテラン、菅田達也は額にしわを寄せて疑問を口にした。
「どうして桐畑邸に、ジャンキーが押し入ろうとした?」
被害届けは出ていないため、捜査も何もできない。中田と桐畑家を、繋ぐものは何もない。この疑問は闇に葬られる。
中田が関係しているスティグマと呼ばれる謎の組織は、メスと呼ばれるドラッグをかき集め、転売しているチンピラ集団だった。
関東を中心に勢力を拡大しているスティグマ。警察は、何度もその存在を確認しているものの、組織の全容は掴めていない。捜査線上にあがってきても、すぐに消えてしまう。
裏では警察側の内通者が報酬目当てで活動を幇助していると見る刑事もいる。
エネルギー工学の特許技術により、作業用ドローンの効率化は高まった。謎の流通手段をもつメスの組織、スティグマと、桐畑恭介。
「こいつが結び付いたとしたら……。巨大な犯罪の匂いがしないか? 通報してきた桐畑の息子に話を聞いてみたいが」
「五日前に、退職しています」A4のファックス用紙が一枚、菅田の手元に渡る。
差し出したのは同じく麻薬捜査官の遠藤紀之。身長百九十の筋肉質な青年が言った。
「あと、二人いる兄弟も休学しています。父親のいる京都まで行くと連絡があったそうですが、消息は不明です」
「誰とも連絡がとれない、と。目撃者は?」
「品川を徒歩で移動している姿が最後に。夜逃げ同様に家を出ている点と、移動中に歩行型アンドロイドと一緒だったというのが不可解ですね」
菅田は白髪の混じった頭を振った。
「まさか、子供とロボットに運ばせてるってことはないか……メスを」
※
小田原から箱根湯本までは、有名な箱根駅伝のコースだ。この難所を歩く前に休息日をいれたのは正解だった。どこに行くにも電動自転車やバス、電車を使う生活に慣れていた。
俺達は、たった五日だが歩くだけの生活を生まれて初めて経験した。
いつ体調を崩したり足をひねったりしてもおかしくなかった。だれが、この旅行から離脱しても、不思議ではない。
それは親父の財産相続を棄権することと同意だった。
慣れていない坂を歩いていた俺達は、自分の足元にだけ集中して、ただひたすら歩いていた。不平、不満が自分でも分からないほど腹の中に溜まっていたのかもしれない。珍しく長男が、ぼそりと愚痴をこぼした。
「勉強もスポーツも社会に出ても、これと一緒だな。前向きに進むだけでクソ面白くもなんともねぇ」
「はあ? 何を期待してるんだ。もともと仕事や勉強が面白いという前提で考えているから、つまらないという不満が口に出るんだろうが、面白さなんて個人差があるんだから、つまらねぇなんて意見は独りよがりの発言だ」
「オタク語で回りくどかったけど、つまらないのが当然って言いたいんだよな?」
「そうとは限らないが、兄貴の仕事はつまらなそうだ。商社とは輸出入貿易や販売業務が中心になるのだろうけど、クリエイティブな仕事かどうかは疑問だ。卸売業にコミュニケーションが得意でもない兄貴が向いているとも思えない。なんであの会社を選んだのか、正直疑問だよ。あれだけ優秀な成績が取れていれば、有名な大学を出て親父のように研究員の道に進むことも考えるべきだった。おっと、余計なことを言い過ぎた。殴りたけりゃ殴れ」
「無駄な体力は使いたく無ぇから、そう心配するな。それにしても長い坂だな、まったく。お前の言う通りかもしれない。俺は変化を求めてるんだ」
「そうかもね。昔から行動力はあったもんな。口より先に手が出てた」
「問屋も市場も自分の足元だけ見てひたすら頑張るだけ。まわりの景色も人間も見ることは無いし、全体やら先のことなんか分からない。ただ自分のために足を前に突き出すだけで、どこに向かってるのか、何が目的なのか考える気もしない。無駄な仕事が山ほどあって、無駄な報告書を役立たずの役員に提出する毎日なんて、何が面白いんだって話だ」
「システムや上司をバカにしたいのは会社員の決まり文句なんだろうけど」
「同僚や上司に言えって?」
「学生の俺に言うのは違うんじゃないか。それに前向きに頑張るのが、無駄なこととは思わない。今の俺達みたいにターミーっていうAIの先導のほうが、マシだとでも?」
「そうだ。会社に入ったらな、誰も彼もバラバラに先導もなく、自分の足元だけ見て前に進むだけ。何をすればいいか、何はしちゃいけないのかも、教えちゃくれない。バカバカしいから、辞めちまったよ」
「……なんだって?」俺は足を止めた。
「さんざん、偉そうにしてきて……入院中の母親に顔もみせず、俺達に連絡もよこさず、たったの一か月で会社を辞めたのか?」
俺は、兄貴のパーカーのフードを背中から掴んで、思い切り引き寄せた。
桐畑家の王子様は、自己中で入院中の母親にまで気苦労をかけるのかと思うと情けなくなった。
「呆れたよ! どうせ、その性格がクソすぎて誰からも相手にされなかったんだろ? 会社でつまはじきにされて、嫌になったから、すぐ辞めちまったのか?」
「うるせぇぞ」
兄貴は、俺の手を振り払って、ほとんど叫ぶように言った。「何も知らねぇくせに口出ししてんじゃねぇ! このサイコパス野郎」
兄貴は俺の胸元を叩いて後退させた。
「自分のやりたい事をやるとか、さっさと就職したいとか? 何を今までやってきたんだ」
「余計なお世話だ!」
俺はケツを蹴り上げようとした兄貴をぎりぎりでかわした。
バランスを崩した兄貴に肩を入れて押し上げると、よたよたとアスファルトに尻もちを着いた。ターミーが足を止め、弟が駆け寄ってくる。
「ぶん殴ってやる!」すぐさま起き上がり振りかぶる兄貴を後ろから、たかしが羽交い絞めにした。
「なにやってんだよ! バカ兄貴たち」
息を荒立てて、睨み付ける長男を見て俺は言った。
「あんたは会社を辞めたから、親父の財産を独占したいんだ。母親の見舞いにも来なかったくせに、親父の頼みは引き受けるのか? ホントに自己中のクズ野郎だな」
「どっちが、自己中だよ。てめぇは、自分が感情を抑えられないサイコパス野郎だって、分かってるのか?」
俺は左で顔面に二発、右でみぞおちに一発入れた。弟が何か叫んでいる。
両ひざを着いた状態の兄貴は、腹を抑えてうなだれた。
「もう、やだ! こんな家族」たかしが、両手を天に突き出して後退りしながら言った。
「いつもこうだ。せっかく兄弟で、何か協力できると思ったのに。俺も家族の一員になれるって……気がしてたのに」
足を地面にたたきつけ地団駄をふみながら、たかしは泣いていた。
「ぜってぇえぇ、おがしいぃよお、兄貴たちのケンカは、むちゃくちゃだよ」
俺は、こぶしを開いて自分の手をみた。兄貴の言葉を頭の中で繰り返していた。
感情の抑えられないサイコパス野郎……この俺が?
一体何を言っているんだ。
俺は、感情を抑えずに生活してきたっていうのか。この生活になんら支障も、違和感もない。逆に抑えている方じゃないのか、兄貴や周りの人に対して。
「あぶない! たかし」膝をついたままの兄貴が、後ろを向いて叫んだ。
何が起きたのか分からなかった。アスファルトの脇には急な坂になっている雑木林があり、ガードレールは途切れていた。
「た……たかしが、落ちた!」
助けを呼ぼうにも、人通りはなく車の往来も無かった。
「ど、どこだ!」
ターミーと俺は、ガードレールをまたいで雑木林を駆け下りた。
《危険です。ワイヤーを張りますので、掴まってください》
太い左右の腕を広げたとたん、一瞬にしてターミーの周りにワイヤーが張り巡らされる。自身の身体を固定し――腕を、下方に向け方向を指示しているように見えた。
《わたしの腕を掴んでください》
腕からグリップ付きのワイヤーを取り出し、それに掴まって俺は坂を降りて行った。
ターミーの指示した方向に、十五メートル。生い茂った木々を払いながらゆっくりと慎重に足場を降ろしていく。枯葉だらけで、落下した痕跡は分かり辛い。
「たかしっ! たかしぃー!!」
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