第14話 浜名湖

 静岡から、掛川を抜け浜名湖を見たとき、この旅は半分を過ぎた。三人とも股関節やらアキレス健やら、身体の痛みを愚痴り出したが、気力は増していた。


 キャップにコート姿になったターミーも順調に歩いている。出発から二週間たち、体も慣れてきたようだ。


 うなぎ。餃子。うどんと、食い物の味が濃く感じた。体の中身に変化が出てきたのかもしれない。湖畔は、花々や緑が多く美しかった。木々の擦れ合う音が心地よく、最高の気分だった。

 

         ※



 二日前、旅館で俺達は興奮する河本の声に起こされた。


「じゃあターミーくん、トランスフォーム! メタモルフォーゼ!」


《もう一度おねがいします》


「うーんと……変装は出来ますか」


《はい。全身の内部にあるワイヤーと人工筋肉の収縮範囲内で形態を変化出来ます》


「おおっ。ターミー、有村香織に変装して」


《はい。データを集めますのでしばらくお待ちください》


「出来んのか? でぇきるのかぁあ、参った!」


《身長百六十センチ、その他の情報はネットの画像から推測になります》


 ウィー……・ウイィー……。


「お、おおっ! やばい! 恥ずかしくて見てられない! もともと、スリーディー変装システムは建築用に開発された技術ですよね。部屋を用途に合わせて大きくしたり、細かく分けたり。テーブルや椅子を出したり、家具を出したり引っ込めたり。あれは九平方センチもあるチップを自動配置させてた。それを、そのシステムをナノテクノロジーで極小にしたわけですか、桐畑博士っ。あんたエグいよ」


 天井の木目を眺めている場合ではないと思い、ふすまを開けると、座布団を抱きしめてくねくねしている河本叡智がそこにいた。


「……なにやってんの? 河本」


「あ、ああ、桐畑、起こしちゃったか」

 

 ターミーを見ると、そこには日本を代表する女優〝有村香織〟がいた。


 つるっぱげの顔だった。首から下は、黒光りしていたがよくよく見ると素っ裸だった。この有村香織に、俺は驚嘆して目を擦りながら駆け寄った。


 大事な部分はPG指定されているのか、黒いマネキンのようにのっぺりしている。胸元にあるUSBポートから繋がっているのは河本のノートPCだ。


「どどどっ、どういう事だ! 髪の毛ないけど」


「おおっ。君たち、ターミーのスペックちゃんと調べていなかったんじゃないか? こいつは……すごいよ、親父さんが熱中するわけだ」


「だから、どうなってるんだよ。髪の毛……」


「髪の毛はないんだよっ、いいだろっ! 落ち着くのだ、桐畑よ」


 河本は手順を見せる為に、もう一度ターミーの変装システムを作動させた。ボディの中に収納されていた頭部が、飛び出して有村香織の顔になっている。

 

 頭部以外は黒いまま、手足も機械的な軽量プラスチックのままだが、すらりと細長く伸びていて丸みを帯びている。


 驚くべきは全身の骨格だ。寸胴だったドラム缶が引き締まったウエストの、女のボディラインになっている。


 平らに見えたプラスチック部分は、菱形に割れていき分散、再構築されて全身を覆っているようだ。


「あ、有村さん」河本が恥ずかしそうに言った。「なんでもいいから喋ってみて」


《…………》


「ターミーだってば。お前が落ち着け。おはようターミー」


《おはようございます。みなさん》


 起きてきた兄弟も驚きを隠せない様子でターミーを見回した。音声までは変えられないのか、いつもの機械的な挨拶だった。


「す…すげぇな、これ」たかしが言った。「でも口は動いてなかったよ」


「え? 正面からだと動いて見えるよ。フォログラムで映してるのかな」


《はい。ベースの輪郭を形成した後、表情や口を映し出しています》


 近くで目を凝らしてみると肌には赤、青、黄色の三原色がチラチラと発光しているように見える。


 ほんの少し離れるとターミーの顔は素肌のような肌色にしか見えない。異なる蛍光物質を使い電気信号で色を変えているのだろう。


「なるほど。さすがによく見りゃ人間じゃないって分かるよな」


「たかしくん、質感はプラスチックだけど、よく見てよ。このスタイル」


「はあぁ……いい尻してるよなぁ」


「芸術だよね。スタイルが良すぎて、逆にエロさを感じさせないんだよね、彼女は。健康的な魅力とでも言おうか。さすがだよ。ほんと、さすがっ、有村香織」


 河本とたかしは腕組みしながら、舐めるようにマネキン人形のようなボディを見回している。互いに、どうでもいい感想をささやきながら。


 百貨店でよく見るマネキンと変わらないような気もするが、有村の顔があることで緊張感が跳ね上がっているようだ。


 昨日、河本に電話をしたのを忘れていた。兄貴は風邪ぎみだし、アンドロイドは狙われている。ネットオタクの河本なら、何か情報を掴んでくるかもしれない。

 

 まだ県内にいた彼は、すぐにこちらに駆けつけて一晩中、ターミーのスペックを調べてくれていたようだ。


 この機能を使えば、アンドロイド狩りをしている妙な連中に絡まれることなく、無事に京都まで行けそうだ。


「仕方ないなぁ」河本が言った。「ついでに僕、今からカツラと香織の服買ってきますよ」


「香織って言うな。っていうか、何のついでだよ」


「下着の変え。興奮して漏らしちゃった」


 兄貴が割ってはいった。


「……その必要はない。ターミー、河本君に変装してくれ」


《はい。しばらくお待ちください》


 ターミーは河本をスキャンしている様子でしばらく、ちょこちょこと顔を振っていた。動きはスムーズでアンドロイドらしさを感じさせなかった。


 デフォルトで人間が不快に感じる不気味な動きはしないようにプログラムされているのではないだろうか。


「えーっ、自分で言うのも何だけど、僕は無くない?」


「………」


 勿論、河本は無いと俺もたかしも思っていた。と、言うことは誰も見たがらないこの存在は絶好の隠れ蓑になるということだ。これほど正しい判断は類を見ない。


 だから俺達は長男が嫌いなのだ。警察や教師、政治家や社会的コミュニティのリーダーが嫌いなのだ。


 分かっている――自分が一番、分かっている。自分が間違っている理由も。


 彼らの正義は、彼らにとってあたりまえの判断であって他の選択肢はない。彼らと話し合っても、自分のとんでもない間違いを思い知らされるだけだ。


 甘えている。


 自分だけは何をやっても許されという甘え。借金を背負おうが刑務所に入ろうが、結果死のうが本人の責任だと、どれほど言われても許されると思う甘え。

 

 生きることに真剣になれない人間の甘え。そんな考えを振り払って河本を見た。


 河本はしくしくと泣いていた。目の前には夢の美少女アンドロイドの姿はなく、無慈悲な現実が立っていた。デブで不細工で気持ち悪い。正直、俺はゲロを吐きそうだった。


 ハンカチを眼鏡の下にあてながら自分の着替えをターミーに譲っていた。俺は河本の背中をトントンしてあげた。


「泣くな、河本。いつか、お前の期待する展開になるといいな」


「あんまりだよな。読者バカにしてんのかって展開だよな。でも…まあ、僕の姿をしたターミーくんが君らと旅してくれるのは嬉しいよ。なんか不思議な気分だけど、これが現実ってもんだよな」


 無慈悲な長男は真顔のまま冷静に話した。


「そもそも有村ターミーは肖像権で訴えられる可能性があるから仕方ない。それより、アンドロイド狩りについて何か分かったか?」


「え、ええ。ネットでいろいろ探ってみましたけど、ターミーくんを狙ってる連中には共通点があります。スティグマとマウンツを繋いでるのは、メタンフェタミンっていう覚醒剤です。麻薬捜査官の遠藤っていうのも繋がっているんだろうけど」


「じゃ……メスの売人がアンドロイド狩りに関係してるのか?」俺は聞いた。


「あるいはメスの中毒者と売人の両方だね。警視庁の資料によると、ここ数年で検挙件数が大幅に下がってる。つまり安定した供給がされていれば、中毒者の数は増え続けている。国内に三万人はいる計算になるよ」


「……ふうむ。謎は深まるばかりだな」


「スペックを調べて、気付いたことは?」


「ターミーくんの機能は内部に入っているワイヤーを撃ちだせることと、殺傷能力の無い麻酔弾を数十発、所持していることだけ」


 ――あの銃口は麻酔弾だったのか。それもそうかと思った。


「形状を変える変装能力には夢が広がるけど、この特許技術は人工筋肉を作ったS社が既に持っていた。すると、エネルギーの循環システムが麻薬組織に狙われる要因なんだろうけど」


「……しっくりはこないみたいだな」


「ああ。お手上げだね」


「ありがとう。これからどうする?」


「歩くのはごめんだよ。あ、あとターミーくんはなかなか運動神経がいいみたいだよ。時速五十キロでも歩ける。失礼、走れるのほうが妥当だね。君達三人の平均速度に合わせて歩いているだけだ」


 河本はしばらく県内を観光してくると言った。また助けが必要なら近くに居るので、いつでも呼んでくれと言ってくれた。

 

 あとターミーが有村香織に変装した場合に、着る服も念の為に用意しておいてくれるそうだ。


 俺達は、それに対して御礼は言わなかったし着させる予定もなかった。そういうわけで、キャップとコート姿になった河本ターミーと共に、俺たちは浜名湖の絶景を眺め、今も歩き続けている。


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