第15話 岡崎城
更に二日――愛知県、徳川家康の生地である岡崎城を見てから宿場町を歩く。俺は八丁味噌のたっぷり乗った田楽を食べて徳川家康の銅像を見上げた。横で長男が手を合わせて拝んでいる。
「神頼みは嫌いか?」
「……あ、ああ。でも武将だからなぁ。家康って自分から神様になったんだろ。ご利益あるのかなって」
「意外だな。神格化は、お前の好きなオタク文化にもあるだろ。それとも
「ほっほお」
俺は素直にようく拝んでから、兄貴を見た。意外なのはお前の方だと言いたくなったが、黙っていた。
押し付けられるのはゴメンだが、アドバイスなら聞いてやってもいい。
兄貴はエネルギー工学専攻の親父とバイオテクノロジー専攻の母親が居ながら、機械音痴という致命的な欠陥を持った変人である。
決してバカではない。中学、高校では、常に学年のトップの成績を取っていたのを覚えている。いつも人を見下している兄貴が、手を合わせてお辞儀するとは、そのほうがはるかに意外だ。
家康は武家社会の頂点に君臨した支配者だからこそ兄貴の崇拝を勝ち得たのであろう。変人の意外な一面を見せられたことに大権現の威光を感じた。
シフトを組んで一人ずつ休息日を入れることにしている為、末の弟は二十キロ先の名古屋市に向かった。
この時、カツラと帽子をかぶった河本ターミーをじっと見つめるグループが現れる。うかつにも、拝んだり田楽を食って、彼を放置していたのがまずかった。
「おい……こいつ、何か変だぞ」
「うわっ、本当に人間か」
ニット帽とパーカー姿のやせ男は河本ターミーの違和感に気がついた。
「アンドロイドだ」
「あのアンドロイドか?」
ニット帽がそう叫ぶと、アタマの悪そうなヤンキーがぞろそろと集まってくる。俺たちは呆然とした。ターミーの変装に自信があったからだ。だから、行動が一拍遅れてしまった。
慌てて踏み出した進路には、身を隠せるような建物も助けを求める民家すら無かった。先の看板には矢作川と書かれている。
「……なんでバレたんだ? さとし。位置情報とかか」
「いや、衛星情報を使っているからネット接続はしてない。サーモグラフィや電波機器を使っているような奴も見当たらないな」
……歩き方か。
ターミーは膝を高く上げることはなく地面を感知しスレスレの高さで歩行をする。エネルギー効率を重視した結果だ。そして手のふりと歩幅は測ったように、一定である。
いつのまにか、十人近くの連中が俺達を囲むように歩いている。川の脇には球場、公園と畑しかなく、見通しのいい一本道だった。
髭の生えた大男はポケットに手をいれたまま身を乗り出し、俺の顔を睨み付けた。甘い化学物質特有の匂いが漂っている。
周囲の男たちの年齢は様々。体育会系のヤンキーもいれば、ランニングシャツをきた中年の親父も、眼鏡をかけたサラリーマンまでいる。何人かの女性も目についた。
ひとめでは何の集まりか分からない。ただ、この連中の目の下のクマと、色あせた肌の色を見れば麻薬中毒者であることは分かる。
人目が無い。いつ襲われてもおかしくない状況だった。
「さっさとニット帽を黙らせりゃ良かった」
あつ兄は、俺を見て返事をした。「狙ってるアンドロイドだっていう確信がないんだ。だからすぐには襲ってこない」
これ以上、過ちは犯せなかった。
下手に警戒したり、慌てた素振りは見せられない。走ったり、引き返そうとすれば、この連中は俺たちを引き留め、過激な尋問をするに違いない。
ぞろぞろと十五分以上歩いていた。所詮、他人どうしの無気力な廃人集団である。人は集団になると手を抜く……社会的手抜き、リンゲルマン効果と呼ばれる心理現象がある。
自分がやらなくても誰かが調べる、人数が増えれば増えるほど一人当たりの貢献度が下がる状態。集団は二十人以上になっていたが危険度は同じだと自分に言い聞かせた。
俺は振り返らずに言った。
「ターミー、俺と兄貴以外に話しかけられても絶対に返事はするなよ」
《かしこまりました。音声をオフにします》
「やばいな、この人数」
「大丈夫だ、ちょっと見てろ」
兄貴は軽快に集団の前に出ると肩手を挙げて声を張った。
「おい、あんたに話がある」
「あ、ああ……話を聞こう」と言って前に出たのは、スーツを着た体格のいい中年男。別段、頼りになりそうなタイプではないが、いくらか他の連中よりは金を持っていそうなタイプだ。
分厚い唇を向けて、兄貴と話し込んでいた。しばらくの間、二人は集団の先頭をゆっくりと並んで歩いていた。その後ろを、ぞろぞろと俺たち行列が付いていく。
誰かが積極的に行動する前に兄貴は動いた。これによって、事態は緊急性を必要としないのではないか……という〝傍観者効果〟が発動した。
いま、先頭で誰かが確認をとっている様子だから黙って歩いていればいい。同調していれば責任は誰かがとってくれる。
しばらくすると、髭面の大男が話しかけてきた。
「……おい、お前らよそ者だな」
「ああ」俺は答えた。「だから何だ」
「ここじゃ、よそ者はボコボコにされて畑に埋もれて寝ることになる」
「へぇー。なんの為に?」
「ひゃっひゃっひゃ。何の為だって? よそ者をボコるのに理由なんて無ぇだろ」
「はっはー。面白いな」
男が下品に笑うと、欠けた前歯が見えた。
三十分以上も緊張した時間が過ぎていく――距離にして二キロも前進していた。髭の男はしつこく耳障りな声で囁いた。
「そこを歩いてる野郎がアンドロイドだっていうのはバレバレだ」
「ああ、俺も知ってる」
「上手く偽装してるつもりか? だったらあの顔を選んだのは何でだ? アンドロイドじゃなくったって殴りたくなっちまうぞ」
「あの顔に、そんな魅力があったとは知らなかった。そそられるのなら同情するよ」
「ひゃっひゃひゃ。どうせなら若い女の方がいいな。だが、アタマをもぎ取って腕も足も折っちまえば、どんな野郎だって同じになるぜ」
「………」
俺は答えない。
「びびってるのか? 当たりだろう。黙って無視すりゃ俺が動揺すると思ってるのか?」
「無駄な話しをしたくないだけだ」
髭の男は痺れを切らし、ターミーの帽子に手を掛けた。俺は男の手首を掴んで言った。
「慌てるな、お前らのリーダーを見ろ」
その時――色白の男は右手を掲げ、二十人以上いたグループを引き上げさせた。何ごとも無く連中は引き上げていった。髭の男も悪態を付きながら去っていく。
ほっと胸を撫でおろした。俺は口も閉じられないほど疲労していた。
集中力は一本の糸で辛うじてつながっている状態だ。汗で濡れ、鳥肌のたった背中がきしむように痛んだ。
「……よく穏便に済ませられたな」
「これを見せた」兄貴がそういって手帳をだした。
「こ、これ警察手帳じゃないか。持ってたのか?」
スポーツ刈りの背の高い男。公園の桜の木に縛り付けてきたメリケンサックの所持品だ。
「ああ、麻薬取締官の遠藤紀之と名乗ってみた。このアンドロイドの機密データは回収済みだが、穏便に済ますよう計画が変更になったと説明した」
覚醒剤の中毒者たちと麻薬捜査官が繋がっているという確信があったわけではない。だが、まっさきに襲ってきた遠藤が、この連中のリーダー格と通じている可能性はあった。あの中年男はリーダーでも何でもなかったが。
「大府市まで護衛してくれるって言いだしたよ。組織に対する献身ぶりを褒めてほしいみたいだったな。いい迷惑だったぜ」
「……ふーーっ、うまくやったな」
一気に肩の力が抜けて、頬が緩んだ。
「長い間、何を話してたんだ?」
「いかにも熱心に組織に尽くしていますって態度で話してたぞ。マウンツってチームに入っていただの、そこのリーダーは凄腕のハッカーと野球選手だとか、自分から話してやがった。以前はいろんなチームがあったんだとよ。何なんだ、あいつら。おもちゃの兵隊か?」
「よく話を合わせられたな」
「ああ、先のことは誰も分からないとか、俺たちは対等な立場だとかな。組織はすべてお見通しだから、忠誠を誓えばきっちりと報酬があると言っておいた」
「はあ!? ……信じたのかよ」
「それどころか、礼まで言われたよ。光栄ですだとよ」
「やっぱ、兄貴は支配者タイプなんだな。そんな言葉は普通じゃ出てこない」
「ハハハ、運が良かっただけだろ」
「拝んでおいて良かったよ」
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