第16話 名古屋
早朝。
首にタオルを巻きジャージの姿になった河本ターミーとマラソンで距離を稼ぐ。兄弟の一人は平行に走るが、二人は自転車に乗って前後をカバーする。
だらだらと歩いていれば人目に付くが、効率的に最短距離で進んでしまえば、ジャンキーに囲まれる心配もない。
歩き方でアンドロイドだとバレるなら走ってしまえばいい。
河本ターミーの体型は気持ち悪いので、当然走っている姿も汚く見える。アンドロイド特有の走り方には違和感があるが、それを打ち消す視覚的効果、ぎこちなさが河本にも備わっていると考えられる。
防犯カメラに長く映るのも俺達は避けた。化学分析されてしまえば、たったの二歩で河本・ターミーがアンドロイドだと識別される。
《名古屋市に入りました》
「あのオタクに御礼を言わなきゃね」
息をきらしながら末の弟が言う。冷たい空気のなか、長い田舎道をカエルの歌と鳥の声しか入ってこない状態が続いた。いくら順調だからと言って安全な旅ではない。
※
その夜、ターミーと兄弟を温泉宿に置いて、俺は河本と合流し夕飯を食った。繁華街で複数の看板から適当に見つけた感じのいい平屋建てのレストラン。旅先でこういう店を見つけるのが、ささやかな楽しみでもある。
「……よく食うな」
おかわりの味噌カツを頬張る河本に俺は言った。
「僕の分身が二十キロも走ったと思ったら、想像しただけで腹が減るよ」
「運動を想像しただけで筋肉がついたり痩せたりするっていう論文があったけど、あれは正しかったってことか」
「科学は日々、進化しているからね。僕らの予想を超えてくる」
「お前の食欲が予想以上なだけだろ」
「予想以上なのはそれだけみたいな言い方だな」
「違うのか?」
河本は箸を置いてため息をついた。
「ついに僕はソード・ダンサーズ・マスターになった。長い戦いを経て敵のヴィネイスの群れから魔力の源を手に入れた。そして頂点、マスターの称号を得たのだ。昨日のことだ」
河本が話しているのは有名MMORPGで称号を得たというしょうもない話しである。
剣と魔法のバトルアクションのみならず、さまざまなスキルと奥深いストーリーが楽しめる『バトル・アート・オンライン』というゲームのことである。
発売から五年も経過しているが、アップデートを繰り返し、今だ人気は衰えていない。
「……課金したって話か? 俺が四十時間で辞めてるやつじゃないか。ソード・マスターまでやったのは凄いけど」
「違う。ソード・ダンサーズ・マスターだ。課金もしてない、少ししか。芸術的な表現、パフォーマンスが伴う最も攻撃バリエーションが豊富な上級職だ。常にルルベを保ちドゥミ・プリオからタンジュの突き技にアラベスクキックを繰り出す美の巨人だ。もっともアバターは幼さの残る小柄な美少女だけど」
「………」
俺は一瞬、言葉を呑み込んだ。
「くそおっ。お、俺を置いてきぼりにして、ずいぶんと進めやがったなっ」
「ああ、僕はあれから二百時間費やした。そしてこの名古屋に戦友のマスターズが集会を開きたいと招待状を送ってきた」
「すごいじゃないか。行くのか?」
中学時代、河本はノートPCを持って俺の家に遊びにきた。週に三回か、四回は遊びに来て一緒にゲームをやった。
吉田さんに飯を作ってもらったり、ゲームをやったり、ゲームしかやっていなかったな、考えたら。ネット環境があれば、自室でやればいいのだが、何故か一緒の部屋で冒険を楽しんだ。
俺が居なくて寂しいのが分かるが、それをいいことに一気にレベル上げをしてくるとはイラつく。なんてウザい男なんだ。
そのうえ、称号持ちの英雄たちとの会合に参加しようとは、ウザさを通り越して笑える。
「……行くわけないだろ」河本は悲しそうな声を出した。
「ネトゲ仲間たちにマスターである美少女キャラ〝ルシエル〟の正体が、こんなオタクのデブ眼鏡だと知れたら殺されるよ」
河本の卓越した能力は、キャラクターや設定など他人が気にもとめない細部に異常なこだわりと愛情を注ぐバイタリティにある。世間ではこれを、たったの三文字、「キモイ」と呼ぶ。
彼のアバター、ルシエルはノースラシア大陸でも指折りの美少女キャラである。
セリフやアクションにも、定評があり彼女を模した少女キャラが現れては、姉妹や親せきを名乗ることもあった。
発売当初のベータテストからやっていた俺たちはアイテムやクリスタルをオークションで売って、こずかい稼ぎをしたものだ。
「何言ってるんだ。殺される訳ないだろ」
「そ、そう言ってくれるのか……みんな幻滅するんじゃないか?」
「お前はマスターなんだから、戦って殺せばいい」
「はあ? 現実に会ったら、失望させて殺されるって話だよっ」
「ああ、パーティーの招待状を貰って嬉しいという話かと思って聞いていたけど、殺人予告状を貰って怖くて仕方がないという話だったわけか」
「う、うん。理解してくれて嬉しいよ」
「ああ、関心はないけどね」
※
会計を済ませ、温泉宿まで歩く俺達を二人組がつけていた。ネトゲ廃人のような顔色をした痩せた男の二人組だった。
俺は、こいつらを見くびっていたようだ。岡崎城で最初に目を付けられたニット帽をかぶった男に違いない。
ここで会ったのは単なる偶然かもしれない。だが、逃走ルートが読まれ、包囲されている可能性もあった。
この日、軍資金も尽きて東京に帰る予定だった河本は不運だった。俺たちは風をくらったように走り出した。
住宅街は避け、導線の複雑な飲食街を早足で抜けていく。尾行されていると気付いた俺は兄貴に携帯で知らせていた。
夜の繁華街は人通りが多く、縫って歩くだけで尾行を巻くことも出来そうだった――河本がいなければ。
「はやくも殺人予告状が届いたみたいだな」
「ハッ、ハッ、なんで、僕を狙ってるって思うんだ? 君を追ってる連中に決まってるじゃないか。駄目だ、腹がいっぱいで脇腹が激痛を訴えてる」
汗だくになった河本から、嘆きと困惑がいりまじった奇妙な嗚咽が漏れだした。わずか二百メートルほどのダッシュで河本は顔面蒼白でよろめきだした。
「……も、もう走れない」
河本はへたりこむ寸前に中華料理屋に逃げ込もうとした。瞬間、痩せた男は河本のジャンパーを掴み、押し倒す勢いで引っ張った。
「ひいいいいいぃ!」
すぐに俺と兄貴は二人組を突き飛ばし、抑え込んだ。
「危なかったな、河本くん。間に合って良かった」
――人ごみが集まり収集がつかなくなる。
「麻薬取締官の遠藤だ!」長男は手帳を見せ、叫んで店長を呼んだ。
慌てて青ざめた顔をした中華料理屋の店長が駆けつけ、通報するかと聞いてきた。ただの暗い色のジャケットが手帳ひとつで制服に見えるから不思議だ。
「協力に感謝します」とっさに俺は返事をし、話しを合わせた。
「イリジウム型の衛星電話はありますか? マルチライン変換プログラムで、スクランブルをかけなければ盗聴される可能性が非常に高いですよね。遠藤さん」
「……な、なんですって?」
エプロン姿の店長は眉を寄せ、ほとんど囁いているように言った。
「いま、通報してしまうと他の星に逃げられてしまう可能性があります。こいつらは通信関係を傍受していますからね。わたしは重要参考人の彼を連れて行かねばなりませんし、あなたは星を追わなければなりません」
店長はクビを傾げていたが、なんとか会話について行こうと真剣な眼を向けた。兄貴はすまなそうに店長にささやいた。
「真面目に働く方々に迷惑はかけたくないが、他の捜査官が迎えにくるまで、ジャンキー共を拘束しておいてもらえませんか?」
「こいつら、何をしたんですか」
「麻薬中毒者です。この街に炭疽菌をばらまくと言って強請るつもりだったらしい」
「なっ、なんて恐ろしい。ジャンキーはこの地区全体の敵だ」
「ええ、絶対に許せないっ!!」
兄貴は顔を上げて遠くを見ると、こぶしを握って言った。何となく芝居がかっていたが、ギャラリーは中華料理店の店長を見守った。
「え、ええ。勿論……よろこんで協力させてもらいます。このまま裏口に押さえつけておきますよ」
布で猿ぐつわをされたジャンキーは唸り続けていたが、兄貴は容赦なくアゴを殴りつけて気絶させた。ゆっくりと敬礼をして、サッと手を振ると俺達三人はその場を立ち去った。
河本は俺たちのぬかりのなさに感心していた。細部にもこだわる設定と、キャラクター作りは、かなりキモイと思った。
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