第13話 三銃士 

「……それより、母さんのことだが」


 兄貴がやっと隠していた母親の情報をだすといい、俺達は布団から重い腰をあげた。たかしは心配そうな表情を浮かべている。ひとつも聞き逃すことのないように真剣な目をした。


「お前らの聞いているとおり心臓の病気だ。ペースメーカーを付ければ長生きできると分かっているのに、親父は独自に開発した人工弁を入れたいと言いだした」


「なんだって?」


「親父は……あの野郎は、母さんを実験台にするつもりなんだ。専門医に相談したけど、親父の勝手な行動は、もはやまともな判断とは思えないってさ。俺は反対したが、母さんは親父のために京都の病院に移った。言い争いになったけど、母さんは親父を信じるといってきかなかった。俺は、母さんを止められなかった」


 兄貴は親父の手紙とは別に、母さんの手紙も持っていた。だが、それは見せられないし、自分も見ていないそうだ。

 

 何故なら、その手紙はもしものことがあった場合にだけ、読んでほしいという但し書きの付いている〝遺書〟だったからだ。


 俺達は、母さんがとっくに死を覚悟していたことを知った。


「このアンドロイドと一緒にいけば、直接親父に会える。あと二週間で京都まで行って、親父の異常な行為を止めさせることが出来る」


「母さん……」たかしが寂しそうな声を出した。「どうして、俺達に何の相談もしてくれないんだよぉ」


「母さんは、隠し事なんかしない。俺達だって母さんにだけは何も隠したりしないって決めていただろ。ただ、俺が真っ先に反対したから、お前らに言う暇が無かったんだと思う」


 兄貴の言うとおり、母さんにだけは何も隠すことは無かった。


 兄弟の中で「絶対に内緒だよ」という約束がなされたとしても、母さんにだけは話して良かった。それは当然の決め事だった。むしろ、内緒の話というのは母さんに話してほしい話と同じ意味ですらあった。


 母さんは特別な存在だった。誰にとっても母親が特別な存在というのは当然なのかもしれないが。他人と違って少し、夢見がちなところがあった。


『篤士、悟士、崇士。あなたたちは、ママの三銃士なんだから。なんでも、協力しなきゃダメよ』


 三銃士なんて呼ばれていたことは、俺達兄弟だけの秘密だった。ものすごく恥ずかしいし、人に言ったら馬鹿にされるに決まっていた。


 三人は母さんを守るための訓練といって、チャンバラや駆けっこ、格闘技を遊びに取り入れた。


 俺は、三人兄弟の真ん中だから、『悟』なんだと言われた。


 この漢字には守り、防ぐという意味があり、悟りとは真理を理解することだ。兄弟は言葉にしなくてもお互いを信じて、理解して欲しいと考えていたのかもしれない。


『真ん中のさとしが、みんなを理解するのよ。それができなければ三銃士とはいえない』

 

 俺は、無関心だった。理解する覚悟を失っていた。中心にいる自分が、いちばんに兄貴と弟を信じてやらなければならなかったのに。どうして俺達の関係はこんなにも歪んでしまったのだろう。


 母さんが元気だった頃は、どんなに喧嘩しても仲直りすることが出来たのに。どんなに大喧嘩をしていても、母さんは俺達の結束を信じていたからかもしれない。


『そろそろ喧嘩はやめにして。みんなの好きなアイス、買ってきたわよ』


 その魔法のような言葉で、たったそれだけの言葉で、俺達は何もなかったように仲直りしていたんだ。母さんが居なくなって俺は大事なことを忘れていたように感じた。



「あつ兄が言うことや、やることには全部……理由があったのか」


「それほどでもねぇよ。ただ、大学でるよりさっさと一人前になって家庭を持って、母さんを安心させてやりたかった。だって俺が幸せになるのが、母さんの一番の幸せだなんて言いやがるからよ」


「なっ、何だって!?……本当に幸せにならなきゃ意味がないだろ」たかしは腕を組んで不満そうに言った。


「幸せに見えればいいと思ってるなら、母さんを騙すようなもんじゃないか。そんなの自己中にしか見えないぜ」


「騙せるはずだった。でも――もう終わりだ。会社も辞めちまったし、やっとの思いで告白した彼女にも振られたよ」


 この彼女というのは先日の園田さんではない。学生時代から兄貴が付き合っていた別の女性だ。年頃のたかしは、恋愛の話が聞きたくて仕方ないようだ。


「ど、どんな風に告白したの?」


「親族や他人から見て、幸せそうな家庭が欲しいって。互いに演じきろうって言った」


 兄貴は肩をすぼめて、ため息をついた。


「偽装結婚だと思われて引っ叩かれたよ」


「……だろうね」


「そんなに可笑しなことか? 周りの連中に祝福されなきゃ結婚なんて意味ないじゃねぇか。ただの男女の関係から、社会的に承認されるような関係になる契約が婚姻ってものだろ」


「うん。でも何か違うんだよなぁ、兄貴が人の目を気にするってのも異常だし。ずっと他人を気にしないで生きてきたろ」


「まあ、そうかもな」


 たかしは同意を求めて俺を見た。だが、兄貴の言うことも間違っているとは思わなかった。


 幸せになるには、社会に承認してもらった方がいいに決まっている。家族や周囲に幸せに見える家庭を築けば、周囲の人間は安心し幸せな気持ちになる。


 個人の幸せを優先するよりむしろ、親族や大勢の人間に安心してもらうという発想は、それほど可笑しなことだろうか。


 結婚して家族を持つということは、自分を犠牲にして脇役に徹する覚悟でもある。


 今の世の中は自分の幸せを求める者ばかりだ。ありのままの自分でいいなんて言ってる連中の実情は見られたもんじゃない。


 ありのままの姿なんて、平気で人前で屁をこいたり鼻糞をほじくったり、一日中横になってテレビを見ていたりするような、ろくでもない状態のはずだ。


 だから本当は、ありのままを愛する人間なんてものはいない。


 ありのままの自分を愛してほしいなんて言葉は通用しない。実際それは女が一番よく解っている。本当の姿を愛して欲しい女が、料理を作ったり化粧をしたり人に好かれるための行動をするはずが無いからだ。


 そもそも幸せという感覚の概念が人それぞれ違う。大部分の幸せとは比較があってこそ生まれる感覚である。少なくとも誰も傷つかず、周りの人も幸せにする兄貴の計画には矛盾がない。


 まして好意のある女性と本気で自立しようとする男の思想は、そこに到達するのではないか。互いに演じきろう、という言葉に。


 きっと彼女は、兄貴のデリカシーの無さを理解出来なかったのだろう。もっとも兄貴を理解できる人間を探すのは、双眼鏡で火星探査機を見つけるより難しいが。


「俺達は同じ失敗をしないよう気をつけよう」


 しばらく、たそがれた空気になって俺達は疲れた顔を並べていた。


 長男の失敗を恐れない行動力と、母さんに対する思いには感服したが、相談に乗ることも慰めてやることも出来なかった。


「京都に着くまで、休戦しよう」俺は言った。


「親父に会って母さんを取り戻したら、兄貴とは決着をつけなきゃならないだろうが、それまで俺は何があっても兄弟とターミーを守るつもりだ」


「……それでいい」


「俺も約束する」たかしが言った。


 俺達は約束し、深い眠りについた。誰かと同じ目的を共有することは、不安を軽くするようだ。さっきまで疲労で顔全体に不安がにじみ出ていた。いつもは何かで覆い隠していた不安で情けない表情を、俺はさらけ出していたようだ。


 不安な顔を覆い隠すアイテムがあれば便利だ。不安に塗るアイテム。


「ああ、だから……女は、不安デーション塗るのか。不安タジー、不安タスティック」


「寝ぼけてんのか。さと兄」


「………」


 他の客が全くいないような静かな旅館だった。時間に取り残された安全地帯で、俺たちは疲れた体を癒すことが出来た。


 得体の知れない追跡者、同じように得体の知れない黒塗りのアンドロイド。すでに兄貴の高慢と偏見は崩壊していた。弟の理由なき反抗も。


 俺の抱えていた優しい無関心も、ここにはなかった。一時、途切れかけた俺たちの気力は細い糸で繋がっていた。俺たちは何処までだろうが、行けると思った。俺たちは母さんを守る三銃士なのだから。


 ターミーだけが俺達を見守っていた。



         ※


 真夜中。古びた旅館の玄関にタクシーを乗り付け、深く被ったキャップにコート姿の男が、まっすぐ桐畑兄弟の寝ている部屋に向かっていた。大きな荷物の入ったキャリーバッグを転がし、部屋の前に立った。


「ターミー、ドアをあけてくれ」


《はい》


「ふふっ……見せてもらおうか。桐畑製アンドロイドの性能とやらを」

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