第2話 親父からの手紙

 今日に限って高校のマドンナが俺達に爽やかな声でしゃべってきたのは、 半世紀に一度もありえない奇跡の瞬間だった。


 学園のアイドル、西野さんだった。ちなみに修学旅行で好きな女子の話題になったとき、全生徒が彼女の名前をあげるという恋愛モンスターである。


 もっとも俺と河本のように好きな女子を聞かれていない者もいるため、けっして公的選挙ではない。


 それに百パーセントの確率で彼女の名前があがるなど、何か不正が行われているに決まっている。


 だが、実際に好きな女子を聞かれたとしたら、俺も彼女の名前をあげるだろう。彼女の知名度はゆるぎないので当たり障りがない。


 他のマイナー女子の名前をあげようにも浮かんでこないのだ。たぶん異世界に転生して怪しげなスキルでもマスターしているのだろう。

 

「おはよう」


「お、おひゃよう」


「ぉ、ぉはょぅ」


「おはょおう」


「……お、おはよう」


「おはよう」


「おはよう」


 三人で交わされたはずの朝の挨拶が何故か七回行われていることには触れないで欲しい。情緒のイカれている人間が誰なのかは想像するに容易い。


 俺と河本が三回づつに決まってる。最初のおはようが西野さんで、河本と俺は交互に挨拶をリピートした。


 まともに発声出来るまで終わらないシステムなのだ。まあ、何を言ってるのか分からないだろうけど。


「……ねえねえ、君達。テスト勉強してきたぁ? わたし、全然してないのよ。昨日だけは絶対に寝ないで勉強しようって決めてたのに、八時すぎには寝ちゃったの」


「………」


 河本は何も言わなかった。


「は、はは。ああ、こいつは女子と喋れないから気にしないで。とくにマドンナ的な女の子とは」


 俺の腕の後ろに回る河本がチラチラと彼女を見る。気を取り直したように彼女は続ける。


「えっ? ううん、頑張って目を覚ましたんだけどね、明け方の四時くらい。そっから、お風呂入って、ご飯食べて、スマホみて朝の占い見て、うお座が最下位だなんて信じられないと思って、他の占いサイト調べて、うお座が一位のやつ見つけたんだけど、そんなことしてる場合じゃないと思って、コタツで教科書ひらいた瞬間に、二度寝したぁ」


「……うむ」


「そこは、笑うとこだろ。桐畑」


 河本が真顔の俺に突っ込みを入れたのには驚いたが、それだけでは済まなかった。なんと彼は前に出て、捲し立てるように話だした。


「……ああ、星占いは何の科学的根拠もない。星座は地上から見れば平面的だけど別の視点から見たら蟹も牛も有り得ないから。統計学だっていう人もいるけど僕の統計では占いばかり信じる人間は妄想性が強くて、何でも人のせいにする傾向があるね。君が被害妄想にならなければいいけど。桐畑と話して」


「………」


 永遠にも感じられる沈黙があった。彼女はどう対応したらいいのか分からないのだ。


 もしくは二度と対応しないでおくか迷っていたのかもしれない。どや顔のカバに対して。カバは失礼だった。カバが気を悪くする。


「……ええっと」


「ああ、気にしないで。どうかした?」


 俺は慌てて場を繕うことにした。


「う、うん。テストのことを聞こうと思ったんだけど。今日の数学は、どの辺がでるかなって」


 彼女は大きな胸を揺らしながら身をくねらせて俺達を見た。張った二つの山を眺めながら俺は言った。


「あのつまり、山を張りたいってことかな」


「そうそう」


「やまを張る技術は確かに重要だね。君のイメージだとやまを張るという行為を、やま勘と誤解しているかと思ったけど、僕らに話しかけてきたのは正しい判断だ。出題の確率が高いグループ、教師の立場上出題せざるをえない問題は確かにあるからね」


 また河本がでしゃばって話す。こんな機会は二度とないと思っているのだろう。俺もそう思っていたから間違いない。


 彼女が興味あるのは学年トップの成績を有する俺であって、格下のデブではない。ここは面倒だが俺のほうから手を差し伸べるのが正しい。


「……俺が教師ならこの問題をだす」


「桐畑、僕だったらこれだ」


「いや、過去の問題データからしたらこれだ」


 教科書を引っ張り出して謎の自慢大会がはじまった。彼女が退いている、と思いながらも、ついつい顔はニヤニヤと笑ってしまう。


 その時、兄貴の声が俺を呼び止めた。


『まさかオタク野郎のお前が、女子と通学しているとは』


 ――まさに最悪のタイミングだった。

 

 俺達は早足で高校へ向かった。


「全く理解に苦しむ。こんな日に限って期末テストだなんて。アタマが回転しそうもない」 


「天才、桐畑にしては珍しい」 


「そんなことない。俺だって興味のない分野は全然アタマに入らない。高校の勉強なんて興味のある部分から広げていくほうが断然、効率的だと言わざる得ない」


「さすが桐畑。桐畑家の次男坊、男三人兄弟の真ん中だもんな。真ん中の子は要領がいいっていうからね」


「兄貴の居ない凡人になりたいよ」


 実際のところ、幼少期に刷り込まれた勉強する習慣だけは感謝している。その習慣のおかげで、多少だが成績は良いほうだ。それ以外は思い出したくもない恨みしかないが。


『おまえ、マジでこんな問題もとけねぇの? 死んだ方がいいよ。桐畑家の恥さらしだわ。中身スッカスカの空っぽの人間だなぁ、おまえは。自分で何も考えることが出来ない』


 兄貴の罵倒、暴言を思い出す。それは勉強だけに留まらなかった。


『どうしたら、こんな下手くそな絵が描けるわけ? まじクズだな。楽譜も、読めねぇの? キャッチボールも出来ないのかよ。つかえねーっ。何ならできんだよ! あたまが悪い、人間失格としか言いようがなぇわ! この家出てってくれる?』


 何故あそこまで、実の弟をバカ呼ばわりできたのだろう。俺が嫌いだったんだろうが、そんなことはどうでもいい。


 過去の怒りに振り回されるのは無益だ。


 父親、桐畑恭介は、エネルギー工学の第一人者で、自立歩行型の掃除ロボやら、荷物運びのポーターロボやら、道案内をしてくれるドローンやらを作った有名な博士だ。


 この何年かで、あたり前のように町中にロボットやドローンを見かけるようになった。大手清掃会社のロゴの入ったアンドロイドや運送会社のドローンがそれだ。


 アンドロイドを破損したら、すぐに通報され多額の請求がくるという都市伝説のおかげで、犯罪率も下がったとニュースでいっていた。世の中はどんどん変わっていく。考え方が人それぞれという点を除いて。


 大金を稼ぎ出すロボット開発の第一人者――尊敬するべき父親を持って幸せだろうと人はいう。


 実際に金に困ることは無いわけだが、贅沢三昧とはいかない。将来が保証されている訳でもない。俺は至って一般的な金銭感覚を保持している。親父は利益の大部分を寄付や科学の発展にまわすからだ。


 利益が一極集中する世の中が長続きした試しがない。フランス革命や、江戸時代の打ち壊しは金持ちの利益独占主義が原因と言っていいだろう。民衆を敵に回すくらいなら施しをしてでも生かしておけば、また幾らでも利益を産んでくれる。


 金持ち死ね、そう思われる世の中を創らないようにする力くらいは金持ちにはある。金を持っていて嫌われる必要はないし、経済を破綻させてしまえば、苦しい思いをするのは金持ちのほうだ。


 足るを知る。それが親父のモットーらしい。

 だが、多忙な父の顔を見たのは二年以上も前のことだ。親父には時間も足りなきゃ家族との愛情も足りないし、髪の毛も背丈も洋服も妻の健康も足りていない。


 桐畑家は崩壊寸前。いや、とっくの昔に家族なんてものは無いに等しい。一か月も前に母親は心臓の病気で入院中。検査入院は日常茶飯事だったが、今回は長引いている。


 だというのに顔も見せないマッドサイエンティストな父と、やってることがそっくりなドSな兄貴。不良とつるんで、今や何の可愛げもないクッソ生意気な弟。


 あのクソ兄貴は高校を卒業すると同時に一人暮らしを始め、しばらく帰ってこなかった。


 母親が入院して未成年の俺と、俺達の弟(現在中学三年生)をほったらかしにしていることは、別にいい。そのほうが助かる。


 だが、入院中の母親にも顔を見せないというのは、本当に腹が立つ。冷血で軽蔑にあたいする人間だとしか思えない。さんざん人のことを人間失格、桐畑家失格だと言っておいて。


         ※


 無事に期末テストを終え、河本と共に帰宅の電車へ乗り込んだ。


「あのまま高校へ行かず、どっか遠くに行ってしまうのかと思ったよ」


「あの手紙とやらを読んで〝何だって? こりゃ一大事だ!〟 みたいな展開を期待したのか。お前らしいテンプレ予想だ」


「うん。スピーディーな展開で視聴者をぐっと引き込むのが人気アニメのセオリーだからね。まだ読んでないのかい? その手紙」


「……ああ、興味ないからな」


「読みなよ」


「そうしたら、俺はどっか遠くに行ってしまうかもしれないぞ」


「僕は高校でひとりの友達も無く、学年最優秀の成績をとって孤独に死ぬさ」


「河本を孤独死させたりするもんか。そんなことはさせないぞ」


「おお、そう言ってくれるとは思わなかった。やはり桐畑は親友だ」


「成績最優秀は俺のものだ。まあ、俺が居なくても河本が学年トップは取れないと思うけど。科目にムラがあるから」


「……じらしていないで、さっさと手紙を読ませろ!」


 河本は泣きながら俺の鞄をもぎ取って今朝の手紙を取り出した。


         ※


 息子たちへ


 やあ、元気にやっているか? すまないが、君たち三人の息子に折り入って頼みがある。他の者に頼んでもいいのだが、身内に頼むのが一番、確実だと思っての判断だ。


 頼みとは、新型の二足歩行型アンドロイド〝ターミー〟を、私のいる京都の別荘まで運んできてほしいのだ。


 ターミーは、充電力とソーラーのみで動くのだが、その持久力と耐久性のデータ観測も兼ね、乗り物を一切使わないで、というのが条件だ。


 まあ、普通に一か月も掛からず連れてこれるのではないだろうか。もし、無事にこの依頼が達成できれば、わたしは財産のすべてを君たちに譲ろうと思う。


         ※


「ワァオ。桐畑恭介の財産って莫大な金額じゃないのか。君の親父さんて兄弟を戦わせて生き残ったやつだけを戦士と認めるタイプだったっけ?」


「そんな特殊なタイプを認めてくれる法律が存在する国がまだあるのか?」


「アニメの話でいいなら幾らかあるけど、今度くわしく説明するよ」


「これは現実だぞ。兄貴が俺に嫌がらせを続けてきたのはこうなる事が分かっていたからだ」


「待てって。本当に戦わせたいわけじゃないだろ。そんな事は手紙に一言だって書いてない。三人で運べば済むはずだろ。ここは君ら兄弟が仲良く穏便に行くべきだと思うぞ。桐畑が修羅の国の住人でない限り」


「失礼な。うちは修羅の国だ」


「……笑うところか? それ」

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