ブレイキングトライヴ
石田宏暁
第1章 スティグマ編
第1話 ストリートオブファイヤー
恐怖とは何だろうか?
――失うことだ。
生活、友人、好きな人。尊厳を失うことも恐怖と言えよう。
恐怖は人それぞれだろうが、誰もがこの状況には目を背けたくなるだろう。まさに今、それらを同時に失うところだ。
爽やかな朝の通学路。公衆の面前で兄貴が喧嘩をしかけてきた。
高校二年生の俺、
オタクの友人、河本とマドンナの西野さん、そして俺。三人でテストの話していた時だった。
「知らなかった。まさかオタク野郎のお前が、女子と通学しているとは」
「………」
西野さんが俺に話しかけてきたのは入学式以来、初めてだった。
なぜ通学時間帯に兄弟喧嘩をしなければいけないのか。どうして身内の恥を晒す必要があるのか。このタイミングで!?
駅前広場は教銘高校の生徒たちであふれ返っている。期末テストの期間だけは、部活も委員会もなく、全校生徒の登校時間が集中する。
歩きながら参考書や単語帳を手にしている生徒たちが、一斉に俺を見る。
馴れ馴れしく肩にグイと手をまわし、耳元で話しかけられる。高校の制服ではない見慣れないベージュのジャケットと、オールバックにして固められた艶のある黒髪。はっきり言って鬼ダサい。
「やあ、兄弟。ひさしぶりだな」
桐畑あつし、春に専門学校を卒業したばかりの二十歳。
「おはよーさん」
「……なんだよ。こんなところに、急に」
兄貴は、特別に体格がいいわけでは無い。むしろ貧弱な部類だ。金持ちで、我がままなボンボン育ち、自己主張の強い性格。
そんな兄貴がオーバーなアクションで腕を広げると、その力を誇示するように、存在が際立つ。
人ごみが嘘のように無くなって道が見渡せるようにすっきりと広がった。まわりの生徒たちはヤバい奴の気配を感じ、道を避けていく。
非力な弟を脅かして痛め続けると貰える特殊なスキル。格下が向かってきそうな場合に、常に自分の力を誇示してきたからこそ身に付いたエグみのある威圧感。
暴力なんて、日常茶飯事だった。他人同士では絶対に許されないようなことが、兄弟という括りでは許されてしまう。
弟である俺は、自分の思い通りにできるおもちゃだったのだろう。
何の前触れもなく、兄貴は空いている左手で強烈なフックを俺の肝臓に打ってきた。コミュニケーションのつもりなら、攻めすぎだ。
「むぐっふっ!」
「おいおい、軽くぶっただけだろ? 声を出すんじゃねーよ」
「……や、やめろうぅ。クソ兄貴」
そう言ったつもりだが、口が上手く動かず、聞き取れなかったのかもしれない。
まさか、こんな通学路のど真ん中で兄弟に腹パンをきめるなんて、どういう育ち方してるんだ。誰よりも知ってるのが悲しい。
「はあ? はっきり言えよ、さとし」
「……何か用なのか」
「ははっ、分かってるくせに」
兄貴は、拳を構えボクサー気取りのすり足で俺の周りを動き始めた。コメカミに一発打たれた。
「あっはっはっはっは……」
いや、何も笑えないから。派手な大笑いに登校中の生徒達も、こちらを見ている。耳に真っ赤に燃える炎が灯った。新しいスキルの発動かと思った。
違う、恥ずかしいっ――だけ。見て見ぬふりをしている観衆の目が、余計に痛い。
誤解なんだ、勘違いなんだと言ってまわりたい。「……何が?」って、感じになるだろうが。
燃えるということは三つの要素が必要だ。この場合は俺の耳が可燃物。河本と西野さんを含む観衆が酸素。兄貴が熱という要素だ。
着火物である兄貴がこれ以上何もしなかったとしても、火は消えない。
俺という可燃物とギャラリーさえいれば、どこまでも炎上し続ける。俺の全身が灰になるまで。
何も始まっていないけど終わったと思った。アニーザ…ファイヤ……ファイヤー……ファイヤ。心の中でエンドロールが響いた。
「親父からの手紙、読んだんだろ? もちろん棄権するんだろうな」
「何のことだよっ!」頭にきていた。全く反撃の出来ない自分にも。
我慢の限界だった。「いい加減にしてくれ、手紙ってのは何だ」
兄貴はきょとんとした顔を見せた。なんだ、反論出来るじゃないか? とでも言いたそうな顔つきだった。
「なんだよ、その言い方? 意味分かってねぇのか。手紙っていうのはだな、メールやツイッターやインスタやらしか使わない現代人には、疎遠な代物ではあるが」
「……うるさい! そこは知っとるわ。殴りたけりゃ殴れ。いや、いますぐ殺してくれっ」
呼吸が乱れて、会話にならなかった。とにかく俺がこいつに、自分の生活スペースを犯されるなんて絶対に許せないと思っていた。
「ま、まさか、お前、さっき一緒に登校してた子の事が好きなのか?」
「なっ、なんでそんなこと聞くんだよ。急に」
「……セックスしたいと顔に出てる。あいかわらず、わかりやすい野郎だ」
「はあああぁん!? なっ……何てこと言ってんだ、てめえは。バカやろおうかっ」
俺はハッとして周りを 見回した。極度のプレッシャーが俺にのしかかる。
「一応言っておくが、その可能性は無い。お前と彼女じゃ種族が違うんだ。諦めるのは、早ければ早いほどいい。傷つけないように振るのが難しくなるだろ」
「う、うるさい。俺は、俺はそんな」
弟に人権は無いと思っているのだろうか。そういう言葉は、思ったとしても心の中だけで言うものだ。請け負ってもいいが、兄貴は人を好きになるってことを分かってない。
分かったような顔で、平気で人を決めつける。いくら説明したって無駄だと思った。殴られたほうが、まだマシだ。
「見ろよ、これ」
ゆっくりと兄貴は、バックから白い手紙を取り出した。
それを受けとると俺はくるりと背を向け、この場から離れた。俺の横には、河本も西野さんも居なくなっていた。
ああ、どうせ彼女とは何もないんだ。俺は高校に向かって一人とそそくさと歩き始めた。
いつも一緒に登校しているのは、校内でも有名なオタクの河本。彼を探してみるが、見当たらない。悪目立ちする彼がいれば、とっくに気が付くはずだ。
デブでメガネの長髪、趣味は アニメとオンラインゲーム。小学校から十年間一緒にいるが女子と喋っているところは一度も見たことがない。
念のために言うが俺は違う。保健委員だから気持ち悪くなった女子を保健室に連れていく手伝いをしたことがある。
俺は、具合はどうとか足元に気をつけてとか、色々と会話をした。彼女は気持ち悪いとしか言わなかったが。
河本にも尊敬できる部分はある。成績は俺に次いで常に学年のトップテンに入っているし、立派な主義も持っている。
無駄なエネルギー消費、つまりスポーツや運動、そして腕力による解決は一切しないという主義。
あんな状況になれば、関わらないようさっさと姿を消すという選択は紳士的なほど清々しくもある。友人の恥ずかしいところを見ないように気を使ってくれたようだ。
俺は内心ほっとしていた。殺せ、なんて叫んでいる人間と関わりたいやつなんている訳がない。
オタクは別に頭が悪いわけじゃない。場の空気が読めない訳でもない。友人だからこそ、取れる距離感というものがある。
彼は醜い姿をしているが、英国紳士のような節度ある判断をしたと言えよう。
「……災難だったね、桐畑」
河本が他人の家の敷地から、ひょっこり姿を現す。紳士の頭には葉っぱが沢山のっていた。紳士には見えないので前言は撤回する。
「ああ、みっともないところ見せちゃったな」
「僕はいいんだけど、西野さんは随分と前に学校へ行ったよ。もう、僕らに話しかけてはこないだろうね……ま、期末テストに遅刻するようじゃ本末転倒だから、彼女の判断は正しいと思うよ」
「だろうな」
「いや……君の家のことはよく解らないけど、お兄さんは君に対して何か恨みでもあるんだろうね。幼少期からの積りに積もった何か」
俺が何も言わないでいると河本は西野さんの話しをはじめた。
「……だからって会話の途中だったのに慌てて先に行くなんて失礼な話しだよ。女っていうのはだいたい自分のことしか考えてない。僕の友人が言っていたけど女ってのは、些細なことですぐにキレたりパニックになって戦力にならないんだ」
「ネットゲームの話だろ」
「あ、うん。分かった?」
「河野の友人といったらネトゲしか無いかなって……ほんとに悪いことした。女子とあんなに話したのは初めてだったんじゃないか?」
「何言ってんだ。俺にそっくりな顔の母ちゃんとは毎晩、果てしない議論が繰り広げられている。耳をそぎ落としたくなるほどね」
「お前と同じDNAを持っていない女性と訂正する」
「……だったら、初めてだ。でも、人工知能の論文を提出したときは、クラス中から投げキッスが聞こえたよ。君も聞いていたろ?」
「あれは、舌打ちっていうんだぞ」
「食べ物とかを称賛する時に舌を鳴ら……」
「違う。舌鼓じゃない」
俺たちが高校のマドンナと話す機会は二度と無いかもしれない。最悪のタイミングで現れた変人兄貴のせいで、その機会はぶち壊された。
「また黒い歴史が塗り替えられたね」
「いつか
河本は楽しそうに俺を見て笑った。
「あははは、耳の赤いデビルマンなら見てみたいね」
「うるさいっ」
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