第29話 地下室の二人
沿岸部にあるホテル『サンビセンテ』の地下には、二十以上のモニターが並ぶ監視室があった。中央にはヘリのコックピットのような座席があり、周りをハードディスクと束ねられたケーブルが支配している。
フロアの片隅に追いやられた二人の男。
身体の大きな男は太い腕を組み換えて金の時計を見た。日本人のくせに金髪に染められた髪にはサングラスがかけてある。
「地味な場所だな。まだ、こんな地下室でこそこそしてるのか?」
「目立たないではいられないんだな、君は」
薄暗い地下室の空気は湿っていた。皺の寄った薄手のジャケットにグレーのズボン姿の男は、中背で、貧弱な体つきだった。
「そりゃ、目立つのが俺の仕事だからな」
「ここへは、こっそり訪問してほしいと言ってる」
「ふふん。お前はブルーのスーツを着てもっと見晴らしのいいオフィスで堂々と仕事をするべきだ。そんな黒縁の眼鏡じゃなく、カッコいいのを買えよ、髪の毛も伸びすぎだぞ」
「ボクは、こういう秘密基地みたいな所でこっそり仕事することにプライドを持っているんだ。無駄なオフィスなんかいらないし君のサイン入りボールもいらない」
ホテルの外は七月の太陽がまぶしく照り付けている。室内だけで夏を過ごすのが当然といった白い顔をした中年の名は、冨岡弘文。ハッカーである。
スティグマと呼ばれる組織を作った男、佐竹勇武が刑務所に入って一ヶ月。彼の築いた八十億もの資金は電子マネーに姿を変えネットの闇深くに消えてしまった。
佐竹が独自に開発したドローンを使った流通網は伝馬式と呼ばれ、ネット上に記録を残さず追跡は不可能とされている。
インターネットの世界で最も恐ろしいのは多発するハッキングや不正操作、データ改竄といった犯罪を防げないことではない。そこまでは現実の世界でも同じなのだから。
本当の問題は不特定である犯罪者を追えなくなることに他ならない。
佐竹が始めた組織的な麻薬密売の目的は資金集めだけではない。電子世界での逃走に使える伝馬式ルートを確立する為の手始めでしか無かったのだ。
「あちこちのフリーWI-FIを走り回って同時に使うみたいな感じか?」
「近いが、もっと複雑だな。ポータードローンが絡んでるのは、電子決済機能や納品代行プログラム、検品システムが完備されているからであって、メビウスの輪のように……本当に知りたいなら、説明には時間が掛かるぞ」
清田正樹――興味を惹かれたそぶりは見せないが、腕を組みかえ喉元を撫でる。元プロ野球の選手で、エンゲルスのピッチャーをやっていた男だ。
「……知りたいのは、何が出来るかだ」
「ふっ、何だって出来る」
ハッキングしても捕まらない逃走ルートが確保されている……。つまり銀行だろうが国防庁だろうがペンタゴンのバトルドロイドだろうが思いのままになる。
「核兵器のボタンだって押せるかもな。手強いウィルスバスターやセキュリティ、ホワイトハッカーはクリアしなきゃならないが、何度失敗しても捕まらないっていうのは、つまり……最強だ。過去の素性も消せる。国土交通相でパスポートを作り、なりたい自分になればいい。アバターを作るようなもんだ」
「……仮想現実が現実チーレムになるってわけか。完成していれば魔法使いにでもなった気分だろうな。佐竹はどんなヘマをしたんだ? あと一歩だったのに」
「ターミナルポーター、信号変換装置を完備したポーター型アンドロイドがプログラムを盗んでると思って表に出た」
「学者ってのは現実が見えていないんだ。詰めがアマいんだよ。佐竹が務所にいる間にその伝馬式ルートをいただくことは可能か?」
千葉県を拠点とする麻薬密売組織、マウンツ。リーダーは、もとプロ野球のエースと凄腕のハッカー。スティグマの傘下に入ったとされていたが、実情は違っていた。
「チームは、もう君と僕しか残ってない」
「ははっ、もともと二人のチームだろ」
彼らに麻薬捜査官の手が届かなかったのは警察内部に潜伏しているスパイが奇跡的に機能したからであるとは言えない。
密売に関係していた『足』を切りすてる判断が早かったからだ。マウンツを仕切る二人の男に躊躇はなかった。
金も労力も惜しむことなく、殺し屋を使い関係筋を消していった。実際に切り捨てたのは足ではなく連中の首であった。
百人以上の人間が刺され、撃たれ、焼かれ、絞殺されていたが、その猟奇的な殺戮劇がメディアに取り上げられることはなかった。その点においては警察内部に潜伏しているスパイが奇跡的に機能したからである。
皮肉にも、その殺し屋は天使のあだ名で呼ばれていた。スティグマのミシエルと、マウンツのガウリイル。二人の死神――正体を知るものは少ないが、裏社会でこの名前を知らないものはいない。
ミシエルは、佐竹を裏切り逮捕前に姿を消したと言われている。
もう一人のガウリイルは、地獄で休暇中との噂だ。現実では、この地下の部屋で眠っているポリカーボネート製の殺人アンドロイドである。
「その操縦席は新しいオモチャか?」
「ニュー・ガウリイル、フルダイブバージョンだ。従来のタイプから運動性能が格段とあがる。まあ、まだ試作段階だがな」
清田はゆっくりとうなずいた。
「ふっ、君は努力を怠らないな。とにかく佐竹の構築したシステムは俺達がいただく。当然やつの金も」
最後にマウントを取るのは俺達だ。佐竹の傘下に入ったのも、はじめから伝馬ルートを手に入れるための作戦だった。
大抵の場合、邪魔者は踏み台になるのだ。多少の被害は負ったものの、擦り傷程度のことだ。紙やすりで削られれば、それだけ俺達はピカピカに輝く。
「だが、本人の認証がいる。指紋や網膜、全身のスキャンデータに声紋、血液DNAの項目まである。やつが刑務所にいる限り、伝馬式ルートを手に入れることは不可能だ」
「佐竹の血液も他の項目も刑務所で手に入るだろう? 金が足りないのか」
「いやあ。手に入れてハッキングしたとたんに、コードが変わる仕掛けさ。口を割らせる方法もないし、ここから進展は無しだ」
モニターには教明高校の女生徒が映し出されている。音声は無く、清掃用か配送用のドローンから撮影された通学風景のようだった。
「いい趣味だな。女子高生の盗撮か?」
「ああ、彼女が佐竹の孫娘だ。愛する孫娘が『魔法の鍵』になる可能性はあるだろ?」
「ほお、佐竹に身内がいたのか」
清田はモニターを見て眼を細めた。生徒達が、ちょうど校舎に入ろうとする場所で、左斜め後ろから挨拶をされた彼女は、肩越しにに振りかえった。
「バカな……どういうことなんだ」
「何だよ?」
彼女が礼儀正しさをひけらかしたような挨拶をし、モニターにむかって微笑みかけたところで、画像は止まった。潤んだ大きな瞳に、流れ落ちるようなセミロングが繊細で清楚な印象を与える。
「俺の娘だ。産まれる前に離婚したから戸籍上は別だが……間違いない。こいつは偶然なのか」
「分からない。佐竹は知っていたのかな」冨岡は善人ぶって困ったような顔をした。「人質にしてからコードを聞き出すつもりだったんだが、そういう事なら別の策を練るとしよう」
「いや、大丈夫だ。連れてくるのは簡単だから、好都合だろ。だから佐竹は詰めがアマいと言っただろ」
冨岡はほくそ笑んだ。この男は球界でも速球を武器にしてきただけあって、恐ろしく決断が速い。
結婚も辞めてすぐに再婚、麻薬もさっさと辞めて密売、あらゆる犯罪に手を染めても冷静でいられるのは、切り替えが早いからだ。
なによりも自分に正直な男だった。冨岡が正直が一番だと言ったとき、彼はこう言い放った。
――人には黙っててくれよ。世の中は俺みたいに正直じゃないから。
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