第31話 喫茶『西の風』

 西野晴香の母親がやっている喫茶店『西の風』の前で我々は待ち合わせていたのだ。


 最寄りの駅から徒歩十二分、よくある喫茶店ではあるが古びたレンガ造りの外装と手入れの行き届いた花壇。


 どこか懐かしい雰囲気を漂わせながらも新鮮なイメージ、それだけで安定した経営状態なのが分かる。


 内装は比較的新しく、テーブル五台にカウンターまであり、チェーン店の喫茶店と変わらない広さがある。


 このスペースの店舗を一人で切り盛りするのは、大変に違いない。西野晴香が早朝と帰宅後に働きっぱなしなのは容易に想像がついた。


「俺達、ずっと前から店の中にいたのに、入ってこないんだもん。さっさと来いよ、兄貴。ひとりじゃ恥ずかしいのか?」


「可愛い弟の分際で、何を言う。喫茶店にはクローズと書いてあるし、待ち合わせの場所は店の前と決めてあるだろ。それに西野さんに会う前に、お前には言っておくことがある」


 茶髪を掻いて崇士は、面倒臭そうな顔をした。大分涼しくなってきたとはいえ、アスファルトの照り返しが暑苦しい。学校の夏服を着ていたのは、正装のつもりだろうか。


「ああ……なんだい?」


「そもそもこのミッションは、お前が協力を求めた問題だ。俺と河本は彼女と同じクラスのよしみで買って出たが、他の感情は一切ない。友人でもないし下心があると思われるのも心外だ。その点、お前に下心のようなものがあるなら、ハッキリしてもらおうと思ってる」


「えっと……どういう意味? 翻訳してよ、河本」


「ぼくが?」河本は肩を持ち上げた。ドナルドダックのパーカーがオタクのお洒落なのか気になったが、害はなさそうだ。


「崇士くんが西野さんに気があるか聞きたいってことじゃないかな」


「ええっ? それを聞くの。なんでだか知らないけど、彼女を嫌いな男なんていないよ」


「いる。少なくとも俺は他の男とは違うからな。お前は自分が凡人だと認めているのと同じだぞ。ちょっと可愛いから好きとか、性格が優しいから好きとか、単純すぎて吐き気がする。とにかく、お前らは彼女に甘すぎる。俺は彼女に優しく接する気はないし、必要とあれば彼女が傷つくような発言もすると言っておくぞ。西野晴香がなんだ? クラスでもほとんど話したことは無いし友人と思ったことも無けりゃ、知り合いですらない。仲良しごっこをする気はない」


「なんだよ、彼女に非はないんだ。面倒になったのかよ」


「ちがう! お前や河本に彼女のペースに乗るなと忠告してるんだ。言っておくが、どうせ犯人を挙げても有り難う、サヨナラだからな」


「別にそれでいいだろ? 報酬なんか期待していない」


「そうだ、それを聞きたかった。俺達は何も彼女に期待しない。だから親切を受けとる必要もない。俺達は何も受け取らない、いいな?」


 

「まあ……いいけど」


「ああ、いいんじゃないかな」


 河本は後ろに回って俺を押した。「とにかく話は聞いた。入ろう」


         ※



 閉店していた喫茶店には見慣れた顔が座っている。西野晴香は軽く右手を挙げてから大きな箱を脇にどかした。


「こんにちは。桐畑くん」


「まさか、ボードゲームでもやってたのか? あんたらには驚かされっぱなしだ」


「ふふふっ、違うよ。これは桐畑くんに渡そうと思ってたプレゼント。こっそり渡そうと思ったのになぁ、御礼にクッキー焼いたんだ。こんにちは、ルシエルさん」


《こんにちは、西野晴香さま》


 彼女はブランドのエプロンを付けて立ち上がると喫茶店のカウンターに入った。クラシックな花柄で、フレアーがすごくエレガントだ。甘いバラの匂いは芳香剤だろうか。


「はいっ、手作りクッキー」


「ああ、有り難う」


「お茶入れるけど、何がいい? お腹がすいてるならカレーライスかパスタなら出来るよ」


「ああ……そんな、御礼なんて要らないのに。カレーライスくれる?」


「うん。桐畑くんとは学校でも、もっと話したいなって思ってたけど、こんな問題に巻き込んじゃって、ホント申し訳ないと思ってるんだ」


「ああ……お、俺も話したい。いいんだよ、何でも相談に乗るよ、だって同じクラスの仲間だし。困ったときはお互い様さ」


 河本と崇士がこちらをじっと見ている。眉をハの字にして呆れた顔を向けたまま。


「……なに見てるんだ」


「いや、話が違うから」


「偽善者が珍しいか?」


「い、いや。君みたいに堂々とした偽善者は珍しいと思うけど」


「ははっ、そんなに褒めるなよ」


 彼女が調理場にいる間、俺は改めて崇士に聞いた。


「ところで、西野さんとお前は昔から面識があったのか?」


「ああ、西野さんは少年野球の先輩だし。兄貴より先輩のことは知ってるんだよね」


「彼女が野球やってたなんて知らないぞ。聞いたこともない。大体スポーツやるようなタイプじゃないだろ」


「ふふ、キャッチャーやってた。意外といいリードしてたんだぜ。それに彼女の父親はプロ野球選手の有名人だ。西野さんは誰にも言わないから、知らなかっただろうけど」


 離婚した元父親が、有名人だったとは初耳だった。


「そうさ、清田正樹。元エンゲルスのピッチャー、隠してるわけじゃないけどね。引退して三年くらい経つかな」


「お前が知ってるって言う事を知りたくなかったよ。まさか身内にも西野フリークスがいるとは」


「お待たせ」西野さんはカレーと冷たいお茶を持って、俺の前に置いた。


「私が崇士くんに言ったの。このままだと引っ越さないといけなくなるかもって。ちょっと悪質なのよ」


「そのストーカーだが、現れなかった。美味しいカレーだね、やはり手作りは違うな」


「ごめんなさい、レトルトなの」


「……では、本題に移ろう」


 西野晴香のはなしが本当ならば、そのストーカーは常に彼女を見張っていて一日の行動を全て把握しているはずだった。


 土曜日の早朝から美術部に顔を出したていで、私服に着替え、クラスメイトの男と繁華街へとくりだす晴香。


 一週間前から、学校中に最新映画を見に行くことや話題沸騰の流行ドリンクを飲んでくると宣伝してきたうえで路地裏にしけこむというストーリーである。


 ルシエル・ターミーは校内の更衣室で西野さんのビジュアルデータを読み込み、私服を預かって入れ替わったのだ。ストーカーなら、現れないでいられようか。


「ストーカーのくせに、他に大事な用があったのだろうか。だとしたらストーカーの風上にも置けない半端野郎だ」


「ルシエルさんが変装しているって気がついたのかしら」 


 静かに首を傾げるだけで彼女は皆の目を惹いた。確かに変装は完璧ではない。


 パッと見がいくら本人だと言っても歩き方やしぐさに注意すれば人工的な箇所は際立つし、西野さんのようなフェロモン、もといオーラを纏った人種なら尚更である。


「ルシエル、西野晴香さんに変装してくれ。どれほど違うか検証したい。それにここにいる間は彼女のモテ仕草をマスターすること。フェロモンやオーラを纏うことは出来ないが、仕草ならコピー出来よう」


 一度目を伏せてからの直視、振り返るときのステップは自然に、流れるように。ヒロインは背中でモテるのだ。


《大量の蓄積データが必要です》


「興味深いな。人間でいう反復練習といったところか。オイルのにじむ特訓をしろ」


《もう一度お願いします》


「血のにじむ特訓をしろって意味」


《血は流れていません。ああ、だからオイル》

 ルシエルが西野晴香に変装を終える。

 二人の西野さんが左右対象でこちらを見ている。


「うわぁ、何かすごい絵面。テンションあがるなぁ。世界中がみんな西野さんになればいいのに」河本がニヤけた顔を向けて言う。


「嘘だろ? 河本の場合、彼女が出来る可能性が限りなくゼロになる世界だぞ」


「世界中が西野さんになったら僕も西野さんだから大丈夫。だれも付き合う必要がない世界だ」


「ああ、人類が滅亡するような世界を妄想してまでも彼女が出来る可能性がゼロとは、悲劇を超越した喜劇だ」


「……前言は撤回する」


 ニヤけ顔をやめて河本は続けた。


「ルシエル、不審な動きをする人間が二十メートル以内に居ればサーモグラフィで感知できたはずだよね」


《冷静な動きで素通りされていたら感知はできません》


「冷静っ? ストーカーの風上にも置けないやつだ」

「さっきも聞いたよ、悟兄」崇士が言った。


「先輩に何か心当たりがあればそっちから調べたほうが早くね?」


「……こういうのって、適当なこと言えないよ」


 念の為、絡まれた三人の画像を彼女に見て貰う。河本がルシエルとPCを接続して画像を映し出した。


「三人とも、見たこと無い人たちよ」


「ルシエルの撮った画像には手掛かりなしか……解析結果はオクラスパゲティーって、ワケわからないよ。何してたんだよ」


 河本は呆れた顔を向けて待っていた。


「詳しく聞いたら、お前の責任も問われる可能性が高いのに、随分偉そうな聞き方だな」


「ええっ? 僕とオクラスパゲティーに何か因果関係があるの」


《河本様とオクラスパゲティーに因果関係はありません》 


「ほら、関係ない」


《あるのは元オクラスパゲティーです》


「ルシエル、余計なことは言わなくていい。レトルトカレーが不味くなる。だが、もしルシエルの変装がバレていたとしたら、西野さんの今日の行動で不審なことは無かったのか? 崇士と河本も一緒だったんだろ」



「八時半には学校をでて……」


 マドンナは口に指先を当てて目線を上げた。俺達はその唇と爪の艶やかな光沢がコンビネーションのように引き立てあうのを、ただ見ていた。

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