第19話 伊勢大橋
ゆっくりと後ろに倒れてくる巨大なモビルスーツに群衆の悲鳴が響き渡った。逃げ場を失った群衆がひしめき合いパニックになった。
長男は弟たちの場所を確認し、山車の下に押し込もうと考えたが遅かった。その場所からは手も声も届かなかった。
「きゃああああっ!」
「うわああああああっ」
「た、助けてくれ」
誰もが、その場にしゃがみ込んで頭を守ることしか出来なかった。恐怖に縮こまるように背中を丸めて身を守ることしか。
「…………」
だがモビルスーツは空中で固定されたまま、目の前で止まっていた。物理法則を無視したように上滑りしたまま転倒せずに車体の向きが変わっていく。
「……ど、どうなってんだ? 倒れてこない」
「あ、あれ…」
河本が指をさした場所に、ルシエル・ターミーがいた。両腕から打ち出したワイヤーで、橋上ケーブルとアンカーブロックを斜めに掴んでいる。
「ル、ルシエルだっ! ルシエルが守ってくれたのか」
おおおおおっ! どっと観衆の拍手と喝さいが飛び交った。俺が兄弟をみると二人とも目をあわせ、安堵した面持ちでうなずいた。
どこからともなくルシエルコールが始まった。低音の振動が足元を通して伝わってくるほどだった。
「ルシエル! ルシエル! ルシエル! ルシエル――……」
「ルシエルさま! あなたは神だ!」
シフォン生地のフリルエプロンをなびかせながら、着地するルシエル・ターミーに誰もが賞賛の拍手を送った。よもや大惨事になるところを救われたアニメ系や、ミュージシャン系もルシエルを絶賛している。
「ありがとう! ありがとう! ルシエル」
「サンキュウゥウ、ルシエル」
歓声は伊勢大橋を揺らすほど高まったが、長男は時間を気にしていた。この事故で祭りが打ち切りになれば市外への脱出は不可能になる。一刻も早くこの場を立ち去らなければ、すぐに現場は封鎖される可能性があった。
「そろそろ行かないと」
「桐畑の兄さん。ターミーと音声接続して話すよ」
「ああ、たのんだぞ。河本」
《みなさん、わたしはもう行かないといけません。今夜のうちに、ここを通りぬけたいだけです。どうか協力してください》
ルシエル・ターミーが肩手を挙げると、伊勢大橋に犇めいていた人々は道を開ける為に左右に割れていった。
詰めれば、いくらでもスペースがあったのかと不思議に思えるほど。旧約聖書に書かれた奇跡のように、熱い歓声が蒸気になって別れて行った――橋は開かれていた。
「行ってください、河本さん。ありがとう」
「こちらこそ、ハウス。またノースラシア大陸で会おう」
「ええ、ノースラシアで」
※
コスプレ仲間と別れをかわし、観衆の見守るなか三重県に入る。月は雲に隠れ暗い街灯が道を照らしている。祭りの後の静けさが眠気をさそったが、俺達は黙って歩き続けた。橋方面からの追っ手はないようだ。
もしかしたらハウスや、他のネット仲間たちはジャンキーに俺達を追わせないよう、手を打ってくれたのかもしれない。
旧東海道に復帰する手前で、宿をとる予定だった。一時間ほど歩くと月が冴えて夜道が見渡せるようになった。
「………!!」
何台かの車とバイクを照らしている。ルシエル・ターミーの警告音が鳴る前に俺達は膝をついた。兄貴は手のひらで合図をおくるように俺たちを制した。
「ターミー、警告音も通報もなしだ」
鉄パイプを持ったバイカーがうろついている。今までのジャンキーとは違い屈強な連中が道をふさいでいた。殺し屋たちのフィールドだ。
「くそっ! どこまでしつこいんだ」たかしがタマネギ兵士の帽子を叩きつけて言った。「もういやだ」
「相手は……十人か。待ち伏せされてたのか」
兄貴はしばらく黙り込んでいたが、全員に向けて言った。
「作戦を言う。少し危険だが、あいつらに俺を攻撃してもらう。ターミー、あいつらが襲ってきた場合は、麻酔弾を撃ち込んで倒してもらえるだろ?」
《警告をしても、彼らが攻撃してきた場合には麻酔弾を撃ちます。こちらから先制攻撃をすることは出来ません》
「やっぱりそうか。手塚治虫のロボット三原則か」
「ちょっと違うけど、そうだな。ターミー」俺は言った。
《大分違いますが、そうです》
兄貴は自分が犠牲になってもいいと思っている。ここまで来れたのは、河本や兄弟のおかげだと感じていたのかもしれない。それは天秤にかけていいものじゃない。
「まさかと思うけど、突っ込むだけの作戦か。それは……ギャンブルだ。一斉に十人に襲われたら、麻酔弾が当たる前に殺される」
「…俺は行く」
《わかりました。くれぐれもあつし様から先に攻撃はしないでください》
兄貴が腰を浮かすと、俺も後に続いた。たかしと河本には、そのまま建物の影に隠れているように合図した。
「俺ひとりで充分だ」
「付いていくだけだ。兄貴がぶん殴られるところも見たいしな」
兄貴と俺の間に、ルシエル・ターミーが歩いている。闇に眼が慣れていないせいか、一日中歩き続けていたせいか、身体も頭もぼんやりしていた。
まるで水中を歩いているような。ずっとこのまま歩き続けてきたような。夢の中にでもいるような感覚だ。
これは恐怖心が麻痺している感覚だろうか? いや、逆に感覚は研ぎ澄まされている。兄貴の呼吸が短く、シャープになっていることに気付く。
「頭の悪そうなおっさんたち! アンドロイド狩りしてるんだろ?」
兄貴の声に反応して、バイカーたちが集まってくる。ひそひそと確認の声が聞こえると、鉄パイプを持った男とメリケンサックの男が向かってくる。
「ほら、全員まとめてかかって来いよ!」
《警告します。攻撃をやめてください》
ファイティング・ポーズをとった兄貴にバイカーは二人がかりで襲いかかった。鉄パイプを持った男にターミーの麻酔弾が撃ち込まれ、身体が反転した。同じ方向にタイミングを見計らって顎を殴った。
メリケンサックが兄貴の脇腹をかすめる。腕を振り抜いたところに、俺はタックルを入れ、地面に倒した。こっちのバイカーにも既に麻酔弾が撃ち込まれている。
「やるな、ターミー」
俺達の喧嘩は相手に攻撃させるのが常套手段。自分から攻撃したら、勝てないことをよく知っている。昔から、その練習しかしていない。ターミーとのコンビネーションを意識する必要は初めから無かったのだ。
次々に殴りかかってくる男たちに麻酔弾が撃ち込まれ、バランスを崩したところを叩く。
バットが頭をかすめると風をきる音は想像以上に大きく、背中と上腕部に鳥肌を感じた。懐に飛び込んで肘を押し込むと、麻酔弾の効果で気を失ったまま伸し掛かってくる。振り払う背中を掴まれ粗織の生地が破ける。
男はそのままよろめいて膝を地面に落とした。同じような手順をもう一度繰り返す。
一撃で倒れていく味方のバイカーに違和感を持ってもよさそうなものだが、興奮して襲ってくる男たちは足を止められない。
パラダイムシフトが起きていた。俺達は、ほんの五分で九人いたバイカーを地べたに這いつくばらせていた。
だが――十人目は違った。鉄パイプを持ったリーダー格の男だけは、向かってこない。
「どおした? おっさん。びびってんのか」
「…………」
その男は鉄パイプを投げ捨て腕を組んだまま、こちらを見ている。くわえた煙草に火をつけゆっくりと吐いた。血の匂いと乾きかけた汗の匂いがした。
今までの連中とは比較にならない威圧感。俺達のやり方は、通用しない。大きな波が引いていき、吸い寄せられていく感覚。この流れに乗って、こちらから手を挙げれば一瞬で殺られるであろう。おそらく痛みを感じる暇もなく。
極度の緊張と不快感に胸がひきさかれそうになった。顔の脂汗を拭った手は、ぬめっている。
動けない。これは、圧倒的な力の差……絶望と悲観を示している。
「……今は殺し屋をやってる」
かすかな月光を浴びて男は話しだした。
「訳がわからんが、俺の弟の友達がそこにいやがる。ルシエル、お前だ」
《こんばんは》
「もう賞金を稼ぐ必要はないのに、俺は何をやってるんだって考えてたんだ。きっと、このために死んじまった弟が引き合わせたのかもしれないな。俺に気付かせるために……」
「何言ってるんだ、おっさん。ヤクがまわったのか?」
「ふっ、気にすんな。もうアンドロイド狩りは終わりだ。さっさと行きな、ルシエル」
七年か、八年前に鼻を折られたのを覚えている。ミシエルという殺し屋は、あの時の兄弟を見て目を疑った。
そして病室から出られず、オンラインゲームをやっていた弟が、一緒に遊んでいた少女が……目の前に立っていたのも知っていた。
その少女は、弟の人生で、たったひとりの友達だった。
《ありがとうございます。さようなら、ミシエル》
あの夜、ルシエル・ターミーはそう言った。懐かしい友人に笑いかけるように優しい表情を見せた。
かすかな月の光がアンドロイドをまるで人間のように照らし出していたせいかもしれない。
――音声接続はしていなかった。
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