第24話 歪んだ友情
京都。桐畑の別荘に、俺達はいた。
ぼろぼろの俺は、ルシエル・ターミーのボディに使われていた黒い軽量プラスチックを持っていた。
司法取引によって警察の拘束を免れた俺達は、約束通りに二十三日で京都までたどり着いた。この別荘には、何年か前に来たことがある。
見覚えのある中庭には、近代的な白いオブジェが一つだけ増えているが、古風な松の木があり昔と変わらない景色が俺達を迎えた。
「これじゃ、ターミーを連れてきたって言えないかもな」
「そうだね」河本が言った。
親父との約束は、失敗に終わった。これで財産を貰えるか問いただすのは、とても気が進まない。
俺は中庭の芝生に黒いプラスチックをパラパラと撒いた。あとで、墓でもつくってやろうかと思ったが、アンドロイドが喜ぶとも思えなかった。
「無駄に終わっちまったな、さとし。着いたら、休戦は終わりか?」
あつ兄の言葉に、おれは眉を吊り上げた。
「ああ、決着をつけよう。最後のケンカだ」
言い終わる前に兄貴は俺の顔面に、左を撃ち込んできた。足が上手く使えず、俺はふらふらと倒れるふりをした。とどめを入れようと振りかぶる兄貴に俺のアッパーが決まる。
のけ反りながら、そのままバク転で後ろ手を着く。威力がうち消された。
「なんでだよ!」たかしが叫んだ。
「なんで、ここまできて殴り合う必要があるんだよ。やっぱ兄貴たちのケンカは、めちゃくちゃだ!」
お互いに足はほとんど使えなかった。パンチにも切れがなく、ただの子供のケンカのような殴り合いが続いた。血の味が口中にひろがった。
「兄貴が、さんざん俺を苦しめてきたのは、何の為だ? 全部、自分の為だよな。自分が可愛いからだろ?」
血の混じった唾を吐いて、兄貴は答えた。
「ああ、お前は良くできた弟だった。いつも簡単に追い着きやがる。いつの間にか俺と同等に殴り合えるようになっちまうんだからな」
「それが不満か? 偉そうにしたい長男が、敵わないと思ったら力ずくで弟を従わせてきた。それがお前のやり方ってことか」
「うるせぇ!」
兄貴の右は空をきって、そのままへたり込むように尻を着いた。俺は手をかし、兄貴を起き上がらせてから、もう一度殴った。
『長男は、下の子たちの目標にならなくちゃ』
篤士――漢字は、ゆっくり歩く、熱心で手厚い、一点に重点、念をいれてという意味。
長男にありがちな、困っている人に手を差し伸べられる人になってほしい、なんて願いがこめられている。
『篤』の意味、ゆっくり歩くってなんだよ。この旅は、どこまで俺を苦しめるんだ? 俺はペースメーカーじゃない。
『長男は、厳しさや優しさを弟たちに教えてあげる、三銃士の隊長なのよ』
念には念をいれて、教えてやるだと!? 親切に教わって一流になった人間なんて本当にいると思うか。怒鳴られて蹴飛ばされて、傷つかなきゃ、成長なんかしないだろ。
このバカが、めちゃくちゃな失敗をする前に、誰が止められるんだ。こいつは恐怖心っていう大事なネジの抜けた大バカなんだぞ。
「厳しさと優しさはなっ、同じなんだよ!」
今度はおれが、吹っ飛ばされた。意味の分からない言葉に気をとられ、おれは立ち上がれなかった。弱っていた。
「だめだ。もう、立てねぇや……」
兄貴は、俺の手を掴み立ち上がらせる。俺はゆっくり肘を入れてやった。もつれて、あつ兄が背中から倒れた。あつ兄も、もうひとりでは立ち上がれない。
今度は俺が手をだす。俺達はガッシリと、何かを確かめ合うように手を掴んだ。
涙が止まらなかった。
起き上がった兄貴はゆっくりと裏拳を繰り出してくる。
「何でだよ……こ、河本、兄貴達を止めてよ」
河本は静かに答えた。
「僕らが初めて会ったころ桐畑さとしはパニック障害を抱えていた」
ストレス性のパニック障害は恐怖心が引き金になる場合が多い。
長男は恐怖心に慣れさせるため、自ら嫌われ役に徹したんだ。桐畑は、怖がるという感覚を知らない子だった。
僕は知っている。桐畑だって、ちゃんと恐いものがあるんだ。それを克服するには、きっとあの兄さんと決着をつけなきゃならないんだ。
※
僕はよく同級生から虐められていたから、怖がるのは得意だった。彼は、そんな僕が気になったんだと思う。小学生のときだった。
何あいつ、ほんとキモいんだけど
人間じゃないよ、ガマガエルだよ
河本はガラパゴス諸島にしか生息しない生き物だよ
女の子の見るアニメが大好きなんだって
あれ好きだったけど河本が見てるなら嫌い
魔法の名前全部知ってて、設定の話ばっかりしてくるんだもん
同じアニメ好きだって思われたくないからキャラクターの筆箱捨てたらさ、どうしたと思う?
拾ってきたんだよ。そんで家に持って帰るの見たって
きもー!
母親見た? 同じ顔してんだけど、よく結婚できたよね
俺だったら目を抉りとりたくなるわ
成績すごくいいんだって、河本のくせに
周りがバカばっかりって思ってるらしいよ
死ねばいいのに
僕は五人に囲まれて胸ぐらを捕まれていた。みんな成績もいいし、人気もある優等生と呼ばれる子供達だった。
中には中学生もいた。去年の生徒会長と今年の生徒会長、クラスの学級委員長も揃っている。僕を殴るのが、いつから学年の引き継ぎ行事になったのか知らないけど。
このメンバーに抵抗しても、やっぱり僕が悪者にされる確率は高い。
だったら、さっさと殴らせて早く終わらせて欲しい。どうせ僕は一発で大人しくなるんだから。
諦めかけていた時、桐畑さとしは現れた。
「やめろよ。何してる」
「あん? こいつが調子乗ってるからさ。今、ぶっ飛ばしてやるところだよ。一緒にやるか」
「い、いいのか。何か悪いな」
「ははは、遠慮すんな」
笑った顔は、喋り終わる前にぐるりと回って倒れた。何が起きたのか分からないうちに、髪を掴んで膝に当てる。
すでに二人がピクピクしながら床を這いまわっていた。
残りの三人もあっという間だった。肘鉄とヘッドバットをくりだし、逃げ出そうとした委員長のケツを蹴った。
蹴り飛ばされた委員長はころころと転げまわって電柱に当たった。
桐畑は五人相手にあっさり勝ってしまった。みんな泣きながら、逃げて行った。
「ひ、ヒイイ、あわわわ。き、きみ強いね。でも何でボクを助けてくれたの?」
「助けたっけ、俺」
「う、うん。キミは命の恩人だよ」
「礼はいらない。調子に乗ってる奴を殴るって言ってたからさ。ほら、遠慮するなって言われたし」
「あっ、ああ……そうなんだ。僕は調子に乗ってるようには見えるかな」
「君はガラパゴス諸島にしか生息しない生き物らしいから、殴るわけない。心配するなよ、殴れると思ってるのか。珍しい生き物なんだろ」
「し、失礼だな。ボクは……ボクは激レアの超希少生物だぞっ」
「アハ、アハハ、アハハ」
異常だとは思っていた。僕らはお互いに自分が異物だと知っていた。お互いに友達がいない変わり者だと思っていた。
だから人に、お前は変わっていると言われたら特別変わっていると訂正させ、バカにされればただのバカじゃないと言い張った。
優等生たちの報復は、暴力じゃなかった。学年集会で表彰されるはずの朝、桐畑はパニック障害で引き付けをおこし、病院に運ばれた。
「俺は本当はダメな人間なんだ。母さんが心臓の病気だっていうのに、何もしてやれない」
「寂しいのか?」
「ああ、もっと親孝行したいし、母さんに安心してもらいたいんだ。だって、だって、母さんは死ぬかもしれないから」
「あいつら、君の母親が死んだって言ったんだろ? ウソだって分からなかったのか」
「俺は不安になるのが不安なんだぞ。そんな考えが浮かんだだけで、このザマだ。多分、あれが本当だったらショック死まではいかなくても、立ち直れないかもしれない」
「大丈夫だよ……きっと大丈夫さ。僕の親父が死んだとき、僕はひとりぼっちだったんだ。友達は居ないし、それどころか毎日のように苛められてた。この間みたいにね」
桐畑は不思議な生き物を見るみたいに僕を見ていた。僕の過去なんか興味無かったのかもしれない。目をそらして、こんどは病院に飾ってあった造花を見ていた。
「知らなかったよ。なら、俺と一緒だ」
「君は違う……君には兄弟もいるし……友達がいる。一人じゃないんだよ」
「……ああ、俺はお前とは違う。でも、ずっと友達でいてくれるなら、俺たちはやっぱり友達じゃないな。たぶん、こういうんだ」
――親友って。
誓って言うが、ボクが桐畑と仲良くしているのは彼が喧嘩で助けてくれたからでも頭が良くて金持ちだからでもない。恩人だからでもないしホモでもない。
単純に人間として大好きだからだ。
※
「桐畑はけりをつけたいんだ。長男との関係にだけじゃなく、自分に。だから、僕は止めない。僕は最後まで見届けるよ」
お互いに、立ち上がらせては殴るという、不可解な行為にたかしはうろたえた声をあげた。
「や、やめろって」
「お願いだ、たかし君。見届けよう」
「なんだってんだよ……もう、もういいよ! ふたりとも頑張れ。どっちも負けんな! 二人とも負けるんじゃねえやっ!!」
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