第23話 データチップ

 青い服を着た救急救命士が、荷台で兄貴の目をライトで照らしていた。


 先に来ていた救急車は、横転したヴァンの運転手を載せて病院へと向かってしまった。俺は、頬と肩に氷嚢をあてながら、バックドアのバンパーに座っていた。

 

 ここにあったのは警視庁のミニバンで、医者は忙しそうに一人で俺たちを見てくれていた。河本は白いタオルを顔にあてたまま、横になっている。真夜中に煌々と明るいこの場所は不気味な雰囲気があった。


 たかしが何を考えているのか分からなかった。ジャンキーはどうしてターミーを破壊したかったのか。


 だが、目的は何かのデータだという予想はできた。だから手近にあったデータチップを見せて交渉の材料にしただけだ。黒いスーツ共が行き来していた外車に、本物のボスがいるのだろうか。


 連中が破壊したいデータ。麻薬組織スティグマ、千葉のマウンツが警察に渡したくないデータが存在するのか。


 だとしたら、それは何のデータなんだ。顧客リストや流通データだとしても……それを何で俺たちが運ぶ必要がある?


「どけっ!!」


 叫び声が寄ってくるのが聞こえた。 


「そ、そのチップは、ボクが預かろう!」


 私服警官と菅田さんの呼んだ捜査官たちを搔き分けるように、遠藤は向かってきた。二人の部下が抑えているにも関わらず、手を跳ねのけてこちらに向かって叫び声をあげた。


「菅田さんっ! すぐにそのデータをボクが解析します。お願いです」


 怒りと焦りの入り混じった叫びだった。

 

「……そいつを黙らせてくれ。スティグマのスパイだ」


 遠藤はすさまじい形相で、たかしの胸ぐらに掴みかかる。その瞬間、俺は遠藤の腕を掴んでいた。このままぶん殴ってやろうと思ったが、膝の力が抜けていて、その場に倒れそうになった。


「………っ」


 何かしゃべろうとしたが、口の中がザラザラして砂と鉄の味がした。唾をはくと、歯が一本抜けて落ちた。 


「ふざけるなっ! また貴様か、このガキっ。殺されたいのか!!」


 叫ぶ遠藤と俺を交互にみて、警官たちは慌てた顔をした。すかさず、ショットガンの銃口を遠藤のほうに向ける。


 遠藤は、おそるおそる両手をあげて、自分のしでかしたヘマが取り返しのつかないものだと知った。


 制服警官のひとりが、茫然とした遠藤を押さえつけた。


「落ち着いてください、遠藤さん。相手は子供ですよ」


「離せっ! ボクを……ボクを誰だと思ってる、ボクよりガキを信じるのか」


 錯乱した遠藤は狂ったように、暴れた。そしてじたばたするほど信用を失った。たかしを指さして叫んだ。


「なんで、お前みたいなガキがっ! お前のことなんか誰も信じないぞ」


「……そのガキ相手に、取り乱しすぎだろ」たかしは言った。


 あらかじめ待機していた制服警官は遠藤に手錠をかけた。それでも抵抗しようとする彼を黙らせるため、ショットガンの台尻で突き上げるようにアゴを打ち付けた。遠藤は顔を歪ませながら、パトカーに押し込まれた。


 既に遠藤と繋がりのあった警官やSWAT隊員は、この現場から退出させられていた。署にもどって審問があるのは明日になるだろうが、場合によっては汚職まみれの現体制が崩壊するほどの大問題に発展する可能性はおおいにあった。


         ※



「たかし君、そのデータチップには何が入っているんだ?」菅田は聞いた。


「何も入ってない。だけど、あいつが黒幕だとしたらドラッグの流通に関する情報だと信じている。受け取っただけで、情報隠蔽の罪で逮捕できる」


「……た、たしかに逮捕は、可能だ」


 スティグマが、どうしても回収したい情報。メスの流通網が入ったチップだと思わせたものをボスが受け取る――それだけで充分な、証拠の隠滅行為になる。


 菅田は眉をひそめた。やがて、にやりと微笑んで言った。


「これまでの事件、証言、説明はつくだろうが、裏付けはあるのかい。誤認逮捕はできないぞ」


「あのアンドロイドのブラックボックスを開ければ、証拠はある。でも、ボスを捕まえたいのなら、そんな時間はない。信じて貰うしか」


 確固たる証拠を集めていたらスティグマのボスを逮捕することは不可能になるだろう。相手は巨大な怪物だ。


 しっぽを出すなんてことは考えられない。先が読めない限り、ボスを逮捕する機会は今後、二度と訪れはしない。


 誰かが、どこかで大きな賭けに出ない限り。


 ――勘にまかせるか。


「そんな方法、いつ思いついたんだい?」


「ルシエル・ターミーが教えてくれた。俺達の兄弟だ」


         ※



 たかしはたったひとりで、路地裏に止めてあった黒塗りの外車に向かっていく。後部座席のウィンドウがゆっくりと開くと、かっぷくのいい老人が座っている。


 スティグマのボスである佐竹勇武は、公平な人間だった。誰も信用していない。だから、最後は自分の手で決着を付けなければ気のすまない男だった。


 信用できる人間も信用できない人間も平等に信用しない。同じ熱量で扱うべきだと信じていた。


「教えてくれよ。ボスのあんたが、どうしてこんな近くにいるのか?」


「本来は……あのアンドロイドは、わしが自分の手で破壊するべきだったからだ」


 ルシエルを破壊したのはスティグマでもマウンツでもなかったが、影でSWATを操ったのはこの老人に違いなかった。自分がやったも同然の行為だ。


 怒りで自分を抑えられなくなるのではないかと思ったが、実際は逆だった。全身にアドレナリンが駆け巡って、神経が研ぎ澄まされているような感覚。


 冷静に全体に目が届くような、俯瞰的な視野があった。運転手の男は拳銃を持って、こちらを警戒している。


 二百メートル背後で暗視スコープを使いながら音声を拾っている菅田さんとSWATが目に浮かぶようだった。


「信念を曲げたってこと? だとしたら、すごい曲げ方じゃないか」


「ああ」老人は、嬉しそうに言った。「せめてみた」


 たかしには意味が分からなかった。でも、それでよかった。


「……あんたの勝ちだ。遠藤とかいう警官に脅されたよ。兄ちゃんたちの命が惜しかったら、こいつをあんたに渡せってさ。流通網のデータだ」


 空のデータチップを見せて続ける。「あんたは、一体何者だ。どうしてアンドロイドがデータを集めてるって分かったんだ?」


 老人はサングラスを外して、たかしを見た。


「ふん……知らない方がいい、長生きしたかったらな。まあ、少しだけ教えてやろう。このデータの重要性がわかっているのは、おそらく桐畑恭介くらいのものだろうからな。これほど画期的で天才的な大発明に、世間のバカどもは気付きもしない。これだけヒントをやっているのに正当な評価が出来る人間が、ひとりとしていない。わしの作り出した流通網はデータの痕跡を消せるんだ。それが、どういうことか分かるか? これを利用すれば、どうなるか」


「……ゴホン、ゴホン」


 運転手の咳払いを聞いて、老人は口を閉じた。承認欲求にとりつかれ、全部しゃべりそうな勢いだったが、まったく興味は持てなかった。


「……そいつを貰おう」


 そういうとウィンドウごしにデータチップを受け取り、そうそうと車をだした。


 老人の車を見送り、たかしは母さんの言葉を思い出していた。


『本当の強さって何だと思う?』


 兄貴たちみたいに腕っぷしが強いって意味じゃない。本当の意味の強さは、そういうんじゃない。崇士、漢字はとうとぶ、たっとぶ、あがめる。そして最後までやり通すという意味。


 何事も最後までやり遂げることが出来る強い精神力と、まっすぐな気持ちを持つようにっていう願いがこめられている。

 

「オレの役目なんだ……オレは末っ子だからさ、最後にはちゃんとケリつけないとな」


         ※



 たった一キロ先にSWATが道路を封鎖していた。膝を付いたボディスーツを着た精鋭たちは、MP5の安全装置を外し佐竹の乗ったベンツを取り囲んでいた。


 一斉に向けられた銃身に運転手は、両手を上げて車から飛び出した。ゆっくりと車を降りた老人は、データチップを投げつけようと振りかぶったところを、取り押さえられた。


         ※



「ありがとう、菅田さん。信じてくれて」


「わたしが信じなかったら、いや、スティグマのスパイだったら、どうしたんだい?」


「ふふん。撃ってたかも」


 たかしはポケットから黒い棒を取り出した。持っていたのはルシエル・ターミーの左腕から抜き出した麻酔弾のショートバレルだった。


 ターミーにとって自分たちはどんな存在だったのだろうか。きっと……世界のすべてだったのではないだろうか。

 

 そう思うと、また泣きたくなった。


「……最後の弾だけは、オレの為にとっておいてくれたんだ」


  

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